4-02-04 美味しい仲間
工場にいると、嬉しい来客が。
「加納さん、外にお客様がいらしていますよ」
「ありがとうございます」
奥さんに呼ばれて外に出てみると、店舗の外にあのキッチンカーが止まっていた。
もうそんな時間か! なんだかあっという間に時間が過ぎてしまったようだ。
「あ、来てくれたんだ!」
「よかった。
何か神様みたいで、もう会えないじゃないかと思ったので、会えてうれしいです」
「何をいってるのだか? ついさっき別れたばかりだろ!」
「だって私たち、本当にこれからの生活をどうしよう! もうだめって状態だったのですよ。
それがいきなり現れたお客さんに、お金や、いや借金まで面倒を見てもらって、明日からの希望が見えてきたのです。
だからきっとさっきの人は、絶対に狐か神様じゃない?って言っていたのよ!」
「はぁ、狐ね... そういや白狼様って神様なら知っているがな?」
「何ですか、それは?」
昔の人たちも、シーの有り得ない力を見て、きっと神様の力だと他の人に話し、それが今に伝わってきたのだな。 ふと、何かそのような実感をした。
でも、俺たちは神様じゃないけどね。
彼女たちは材料を仕入れて来たとの事で、一度工場に行き、今夜の参加者に挨拶に行く。
由彦さんに聞いて工場の駐車場に車を停める事にし、今日の夕食会場を聞くことにした。
人数が多いので、てっきり工場の中で、立食での食事会を考えていたのだが、本宅の奥にある建屋に通される。
そこは、フローリングの大広間になっており、ここにテーブルを並べて食事会をすると言われた。
俺は、スレイト通信でサリー達を工場から呼び、皆で食事会場を作ることにした。
東京じゃ何十人もの会食をいきなりすることはできないが、さすがに古い商家であり、間仕切りを開くと部屋がつながり、折り畳んだテーブルや椅子もそろっていた。
「以前は、ここも畳の間で、行事をするときはお膳を並べて宴会をしたのですが、最近の若い人は正座が厳しいので、工場を建てた時、こちらも板の間に改装しましたの」
奥さんの説明を聞いていると、サリー達が母屋に入ってきた。
そして松井姉妹のお料理は、キッチンカーではなく、こちらの厨房をお借りして作る事になった。
服部さんや真希は材料の運び込みと、料理の手伝いを。
料理を乗せる紙皿を買ってきてもらったが、なんかすごい絵つき皿を出してこられて、それを使い大皿料理とするようだ。
銘が入った木箱に仕舞われているので、1枚数十万するのでは? 古九谷焼と聞いて、それに負けない料理を求められた実果姉さんもちょっとした緊張が。
会場と皿を見ていた姉は、先ほど会った今日の参加者の顔を浮かべ、今夜の料理のイメージを膨らませているようであった。
なんか大変な事になっちゃったな。 立派すぎる和皿だけど大丈夫?
俺たちは食事会場の設営を行うことにした。 やはり参加者は30人を超えるようだ。
今日のMVPである高校生 壮太君のお母さんにも、パートが終わったら来てもらうように連絡してもらった。
折り畳みテーブルを並べ、間に大皿が乗るように配置し、白いクロスをかけていく。
念のために、聞いている人数よりも少し多めに椅子を並べて、会場の準備は終了だ。
厨房に行くと、服部さんたちが野菜の下ごしらえをしているが、なぜか松井姉妹の姿が無い。
聞くと、皿を見ていた姉がもう少し材料が必要と言って、今二人で追加の買い出しに行ったそうだ。
昼間渡したお金で足りるのかな?
料理という物は不思議なもので、その器を伴ってさらなる美味しさを作り出す。
味は味覚、嗅覚以外にも視覚の影響も受けるのだ。
豪華な皿に盛られた料理と、薄いプラスチックの弁当容器に入れたのでは、同じ料理であっても味が異なってくる。
彼女たちは、これまで弁当容器が主であったので、プレッシャーがあるようで、皿に負けない料理を考えているのかもしれない。
まあ、ここはお任せするしかないがね。
1時間くらいで、彼女たちは帰ってくると、夏の日もすこし暗くなり始めたので、急いで調理にとりかかった。
今回は人数も多く、これからの調理開始なので時間がかかる料理は難しい。
なので、なるべく手早く出来る物が中心のようだ。
今回は揚げ物が多く出されるようで、1斗缶の油や、そこで揚げるための材料を急いで買ってきたようだ。
焼いたり煮付けたりでは時間がかかり、狭い厨房のコンロでは一度にたくさん作ることができない。
江戸時代に日本中から伊勢神宮に参るブームがあり、その時宿場の厨房は大変な事になったようだ。
焼き魚はお料理の中心であるが、焼くのに時間がかかるので、大鍋で大量に茹でた魚に、炙った火箸を押し当てて、表面に焦げ目をつけて対応したと聞く。
揚げ物は食材への熱の通りが早く、揚げる音を耳で聞くことで作ることが出来るので、一人でも大量に作ることが出来る。
場所と、人手と時間が無いというのに、先に作ってしまうのではなく、宴会が始まるってから熱々が出せるように、材料の下ごしらえを手際よく進めている。
早く美味しく出来る手法をいろいろ駆使して実果姉さんは急場を乗り切るようである。
忙しそうなので、俺も手伝おうとしたが、俺と真希は工場へ戻された。
マリアやイザベラよりは料理は上手のつもりなんだがな...
工場に戻ると、時々服をめくって試験管の状態を調べている人が約3名。 ご苦労様です。
俺は、出来ている抽出サンプルを査定し、真希に記録してもらうが、やはりエリクサーには遠いと思われる結果であった。
壮太君はインターネット上にアップされている薬草に関して検索を行っているが、ここにある資料のように貴重な情報は見つからないようだ。
やはり、何代にもわたり秘匿されて来ただけの事はあるな。
でも今回のように、日本中の蔵には人目に触れずに、眠ったままの古文書が沢山あるのだろうなと思えてきてしまった。
今回のようにそれが蘇って、すべての情報が結ばれると、多くの発見が出てくるのだろうな。
新しい宿にチェックインするので、先に鍵を受け取る必要があるので、本日の作業を終了して真希の運転で行ってくる。
宿までは往復でも1時間程度なので、食事会の前に帰ってくる予定でサリーには連絡を入れておく。
宿は小高い丘? 山?の頂上にあり、木々に囲まれた中にある施設であった。
受付が閉まる少し前に着き、4個の鍵を受け取った。
松井姉妹の分もしっかりと追加してある。
工場への戻りにはすっかり日が落ちており、急いで帰ることにする。
サリーからは、まだみんな工場にいるので、もう少し大丈夫だよと言っている。
でも、そろそろ8時近いので、お腹が空いているのではないかと思う。
俺は工場近くのコンビニで、ビールや飲み物を買い込んで急いで帰ると、工場の人はすでにテーブルに着いていた。
「ちょうど皆さん揃われましたよ」
俺は、うちの女性陣に買ってきた飲み物を配るようにお願いし、厨房に宴の開催を連絡してもらう。
運転される方はソフトドリンクだ。
先に、彦左衛門さんから挨拶をお願いし、続いて隣に座る俺からの挨拶。
そういえば途中から人が増えてきたので、きちんと挨拶していない人の方が多い。
自己紹介と今回のお礼を述べて、サリー達俺の仲間を紹介していく。
紹介がすむと、奥さんとサリー達は料理を取りに行く。
厨房は、まさに戦場の様らしい。 松井姉妹がどんどん作り、サリーがそれを手伝い、服部さんと真希が大皿に盛り付けていく。
盛り付けられた大皿を、料理が出来ないイザベラ、マリアと珠江が1皿ごとに慎重に運ぶ。 かなり重い様だ。
何と貴子までが、小さな体で、低い台の上で何かの料理を作っている。 まあ、この幼児も料理はベテランか。
一通り並んだところで、一度みんなテーブルに着く。
さっき紹介できていなかった、松井姉妹を紹介し、由彦さんの音頭で乾杯となった。
松井姉妹は厨房に戻って行ったが、そのお料理はやはり美味しかった。
春巻きの皮を使って、中にいろいろな具材が詰まったもの。
それを半分に切って、皿にたくさん並んでいる。
パーティーを意識した創作料理が並んでいる。
また地元の美味しい魚の御造りは、魚屋で買ってきたものを使ったようであった。
しかし、魚はそれだけでなく、なんとキッチンカーのオーブンを使って、塩釜焼きが2皿出てきた。
本当はもっと作りたかったそうだが、キッチンカーの設備ではこれが限界だったとの事。
豪華な塩釜焼きは卵白を混ぜた塩で魚をくるみ、蒸し焼きに仕上げる料理だ。
今回は周りの塩を魚の形に模して焼きあがっている。
白い塩の魚を割ると、中から本物の立派な鯛が出てきた。
この塩釜焼きは和風に味付けられており、鯛の腹の中や周りに日本酒に浸して刻んだ昆布で包まれている。
1枚モノではなく昆布が刻まれているのは、塩釜を割った時に、中の鯛を美しく見せる見栄えの為らしい。
この地方は、刺身を昆布で挟んだ締めた昆布締めが一般的に食べられている。
昆布の粘りと旨味が魚の切り身に染み込み、普通のお刺身をはるかに超えた美味となる。
また、大きな魚の形をした蒲鉾などの郷土料理もあるので、今回の塩釜もその形と味を意識した料理のようだ。
鳥のひき肉と野菜を細かく切ってこね、大きなフライパンで円盤状に焼いたものを、細切りのピザのようにカットし、和風のあんかけがかかっている。
つくねを変形して丸めずに、一度に焼いたようだ。 これであれば、一度にたくさん作れるな。
和風のあんかけにしたことで、和皿にも似合っている。
これは若い人以外にも酒飲みにも好評であった。
食事会の途中にも時折服をめくる人はご愛嬌で。
こうして食事会は楽しく終了し、松井姉妹は厨房で料理を作りながら食事をつまんだようだ。
ご苦労様でした。 とにかく短時間で作ってもらったので、その苦労がしのばれます。
俺はと言うと、実はかなり酩酊していた。
この土地は酒のみが多く、皆が順に酌に回ってくるので、いろいろな方の酌を受けて俺は大変な状態となっていた。
東京の飲み会ではこんなに飲むことは無いので、ちょっと飲みすぎてしまったようで、マリアに開放されたようだ。 これはあとから聞いたのだけど。
真希の車に続いて、珠江とキッチンカーは無事に宿にたどり着き、二日酔いの俺が気が付いたのは、朝日を浴びたコテージのベッドの中だった。
楽しいはずの宴会も、飲みすぎるとだめですね。
特に北陸には酒豪と呼ばれる方が沢山いますので、注意が必要です。




