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1-08-03 婆さんとの生活

 慎二のお婆さんとの思い出話です。

 大人になった今でこそ、婆さんなんて呼んでいますが、慎二は子供の頃「お婆さん」と呼んでいたようですね。

 呼び方が、お父さんから、親父になるのも同じ時期なのでしょう。



 今回は、俺と婆さんとの話だ。

 婆さんの事は、先日ちょっと思い出したが、話は俺が子供の頃に少し戻る。



 俺が小学生の頃、夏休みになると、父に連れられて遠くに住むお婆さんの家に何度か預けられたことがあった。


 今で言う限界集落のような山村の、さらにその奥地に、ポツンと、それはとても小さな一軒家があった。


 しかし、そんな小さな一軒家がお婆さんの実家かというと、どうやら違うらしい。

 父が結婚した後、お婆さんはなぜか突然その田舎の地に移住したらしい。

 何やらお告げのようなものがあって引っ越したとお袋は言ってたと、父は笑って話してくれた。


 そこは、住むには非常に小さく狭い家で、都会では普通にある設備もほとんどなく、電化製品はおろか、家具すらほとんどなかった。

 かろうじて家まで電気だけは来ていたが、水道はなく、近くの谷川から塩ビパイプをつないで家まで水が引かれてきていた。


 明かりの電灯と(かまど)と飯炊き釜と、押し入れにも小さな折り畳みテーブルと寝泊まりの何枚かのせんべい布団しかない家であった。

 俺が遊びに行く時の食事は、唯一の家の家具であろう、その折りたたみ式の低いテーブルを出してきて、二人で床に座って食べた。

 冷蔵庫はないので、食事は米と近くで栽培している野菜であった。

 親父はその家には泊まったことは無いと言っていた。


 俺が初めて行った年は3日間ほど泊まったが、俺に朝と昼の握り飯を準備して、お婆さんは早朝から一人で山にでかけ、日没頃に帰ってきた。


 今の時代からすると信じられないかもしれないが、その頃、野山はどこでも何の制限もなく、子供が自由に探検できる遊び場であった。

 遊び道具なんか無くとも、子供だけで自然の中に遊びを見つけ、気がつくとあたりが夕焼けが見える時間まで夢中で自然を相手に楽しんでいた。

 誰が止めることもなく、危険なこともあったけど、それは子供にまかされていた。


 何年かして、次に預けられたときは、5年生のころだったと思うが、俺も体は少しは大きくなっており、お婆さんと一緒に山の中にある畑までついて行くことになった。


 まだ朝早く薄暗い時間に出発し、大きな背負子を背負ったお婆さんと俺は、一緒に山道を登っていった。

 お婆さんは、途中にあるポイントと思しきいくつかの目標物を俺に教えつつ、所々で休憩を挟んでは登っていった。


 数回の訪問でしかなかったが、そんなお婆さんとの生活は、俺にとって強い思い出となっていた。



 お婆さんの家での生活は、その小さな家で過ごすわけではなく、到着した日の次の早朝から裏山に向かう事になる。

 朝早くに出発しないと、当時小学生であった俺を連れてでは、目的の場所へ迄たどり着けないからだ。


 その時お婆さんに聞いた話だと、お婆さん一人だと夜明けとともに出発し、日が落ちる前に帰ってきていた。

 また、夏場では山に籠って、忙しいときは麓に戻らない事もしばしばあるらしい。


 俺が小さいときは、俺が野山で遊んでいる間、毎朝、大きく重い背負子を背負い、山奥の畑で一仕事をすませてから、暗くなる前に帰ってくる。


「どうしてそんな山奥に畑を作るのか? 家の周りじゃだめなの?」


 って聞いたことがあった。

 すると、ニコって笑って


「そうだね」


 としか答えてくれなかった。

 俺がいないときは、畑に泊まり込むことも多いから、特にそれほど苦痛ではないらしい。


 少し学年が上がり、俺の体も大きくなった頃、畑に一緒に連れて行ってもらったのだが、子供を連れて歩くと6時間近くかかった。

 当然日帰りでの山の往復は無理である。

 畑までは、ほとんどが山肌の、道なき道を登っていく。

 所々に、岩など目印となる物があるようで、そう言った場所で休息しながら登っていく。


 しかし、6年生の訪問を最後に、中学、高校時代はお婆さんの家に行くことは一度もなく、翌年に大学受験科が近づくある年の秋、父から悪い話を聞かされた。

 今でもそれは鮮明に覚えている。


「慎二、覚えているか?

 お袋、お前のお婆さんが、どうやら行方不明らしい。

 お袋の住む村役場の人から連絡があった」


「ほんと?」


 いつも秋までには山から下りて、家にいるはずなのに、今年は秋に入ってもまだ家に戻っていないらしい。


 役場の方には、何度か家も訪ねてもらっているらしく、お婆さん宛てに家に伝言を置いてきているが、全く連絡がないらしい。

 村の人達で山の中にまで探しに行ってもらったらしいが、それでも見つからなかったらしい。

 お婆さんの家には電話がないので、連絡のために父が手紙を送ったのだが、役場の人が巡回いただいたとき、ポストに郵便を見つけ、差出人の父に連絡をくれたらしい。


 明日から父はお婆さんの家へ向かうらしい。

 しかし、俺は受験が近いし、何日間向こうに行く事になるかわからないので、このまま家で留守番するように言われた。


 でも、あの山にある小屋のことを村の人は知っているの?

 あの山の中で、何か事故にでもあっていないのか?

 山の小屋の事をそれとなく父に聞いてみたが、父はやはり知らないようなので、向こうの人にそれを聞いてもらうように伝えた。


 しかし、村でも山に捜索に行ってもらった後であり、一人で入ることもできない。

 さらに、失踪してからすでに何日も経っているようなので、親父は村の周辺やふもとの町を捜索して戻ってきたとのこと。


 お婆さんの小屋の話は村の人にも伝えてもらったようであるが、村の人でもその小屋については良く知らないようであった。

 その後冬になるまでの間、山に詳しい人などを雇って、何度かの捜索をしてもらったみたいだけど、そもそもお婆さんが山で遭難したかすらもわかってはいない。

 大人たちは、思いつく限り手は尽くしたみたいだが、結局わからずに、世話になった役場の方と相談して、失踪としてしばらく様子を見ることとした。




 そして冬が明けた翌3月、東京にある大学に受かった俺は、山岳旅行の準備を整え、一人山へと向かった。


 幸いなことに村役場までは路線バスがあり、役場の前にバス停がある。

 そこで、バスを降りた俺は、婆さんが世話になったという役場の出張所に挨拶しておく。


 親父が訪問した際にも協力いただいたと聞いているおじさんと女性職員に会い、役場の古い応接ソファーで対応いただき、お礼を言う。


 そして一番気になっている山の中の小屋の話を聞いてみたが


「御山のあの辺にゃ、俺等は入れんからのう」


 と、おじさんは言う。

 おじさんの名札には課長 原田って書いてある。


「なんか危ない場所なのですか?」


「御山には結界があるのよ。

 真っ直ぐ進んでいても、いつの間にか元の道に戻っちまっていて、あの辺は恐ろしいんや」


「人を化かす、狸か狐でも住んでるんですか?」


「いやぁ、この辺は白狼様の伝承はあるが、お狐様は聞いたことないなあ」

 と笑ってる


 とりあえず、俺は小屋を探してみることを話してみると、里の麓にある婆さんの家まで車で送ってくれることになった。

 バスが停まる役場から、婆さんの家までは歩きと思っていたので、ここから何キロかあるので助かった。


 送っていただいた車の中の会話で、役場で一緒にいた女の子は先日地元の高校を卒業し、この春からここで働き始めるという。

 以前山の捜索の時も、アルバイトで手伝ってくれたそうである。

 役場に入所するようで、春休みの今は研修を兼ねたアルバイト中ではある。

 今後婆さんが帰ってきていないかを確認するため、婆さん家の訪問は彼女が受け持つことになるらしい。

 真新しい名札に「アルバイト 原田」って書いてある。

 今回は、その婆さん()を教えるために一緒に車に乗せてきたようだ。


「あの課長さん、さっき言われてたこの辺の伝説の白狼って、この山にいたのですか?」


「それは1000年以上の昔話しさぁ、

 白狼様は、この先の神社に祀ってある神様なんじゃ。


 このあたりの山は、ほとんどがその神社の持ち物じゃよ。

 そういえば、この前捜索の際に君の父上から聞いた山の畑の事じゃが、役場においてある登記台帳を見ると、確かに貴子さんの土地がそこにあるようじゃ。

 詳しく知りたければ後で神社へ寄ってみたらどうじゃ?」


「原田課長、貴子さんってどなたですか?」


「わははは

 すまん、すまん。

 貴子さんと言うのは、こちらの加納さんのお婆さんの名前じゃ。

 わしらは、いつも貴子さんって呼んどったのでなあ」


「ということは、俺の思い違いではなくって、やっぱり畑はあるのですね。

 山に土地持ってるなんて、婆さん金持ちだったのかなぁ?」


「わははは

 この辺の土地は山林や原野なんでな、土地代なんかほとんどタダ同然で、それよりも売るための測量や手続きの費用のほうが遥かに高く付くのさ。

 なので、よほどの酔狂じゃないと、こんな山奥の土地は買わんよ。

 ましてや、この辺の御山はすべて神社絡みのはずなので、どうしてそこだけが貴子さんの名義になっていたのかわしも不思議だったのじゃ」


 そうこう話しながら、10分くらい曲がりくねった上り道を車にゆられているうちに婆さん家の前に着いた。


 役場のおじさんは、この間親父から家の鍵を預かっており、中に立ち入る事の許可をもらっているとのことで、一緒に鍵を開けて家の中に入ろうとする。


「うーん、やはり戻ってきてはいないな」


「どうしてわかるのですか?」


 おじさんか指差すところを見ると、入口の扉を挟むように紙がはられている。

 1か所しかない出入り口の扉の紙が、貼られた時のまま破れていないので、そう判断したようだ。


 入口に横の壁にある郵便ポストには、1枚の手紙が入っていた。

 それはオヤジが前回ここで書いた、これを読んだら返事くれの伝言メモであった。

 俺も、何かここに伝言を残すべきかなあ?


 しかし、これから山に入るので、時間もこれ以上遅くなるわけに行かないので、役場の人には俺はお礼をし、すぐに山登りに出発することにした。


「君も遭難者になると、捜索をしなくちゃいけないので、帰りに必ず出張所に下山報告を出すようにお願いします」


 と言われてしまった。

 確かに、さらなる迷惑をかけるわけにはいかないな。



 6年以上ぶりに訪れた婆さん家の裏山であったが、まだ草木もさほど茂っていない春早い時期であった事も幸いし、ほとんどといって変わっていなかった。

 うろ覚えでしかなかった道の目印もすぐに見つかり、雪も残ってなかったので、程なくして小屋のあった場所まで無事にたどり着くことができた。


 もともと雨風を防げる程度に、素人があつらえた、その簡単な小屋は既に倒壊しており、柱の細い丸太がころがっていた。

 とりあえず持ってきたカメラで撮影をしておく。

 そこからは婆さん自身の痕跡は見つからず、ある意味ホッとした。


 壊れた小屋周囲を少し捜索した後、その近くの平らな場所にテントを張ることにした。


 近くに水はありそうで、食料も数日分はあるので、特にあわてる必要はない。

 一つ問題があるとすれば、ここは携帯電話の電波が全く入らないことだ。

 大学生となり東京で一人暮らしを始めるにあたり、初めて自分の携帯電話という物を買ってもらった。

 そう、スマートフォンなどはまだない、携帯電話の時代である。


 今回は、それを役に立てようと持ってきたのだが、残根なことにアンテナが全くたたない。

 使い慣れていないせいもあり、途中の開けたところでアンテナレベルの確認をしてこなかったので、山のどこから使えなかったのかわからない。

 まあ、連絡する相手もいないので問題はない。

 話に聞くように、やっぱり山って携帯電話が使えないのだなと諦めた。



 その夜、俺は婆さんと過ごしたその小屋での事を思い出していた。

 麓の家も狭かったが、こちらは拾ったような板や木の枝で壁を作った、本当に雨露が凌げるだけの小屋であった。

 ここは寝泊まりのほかに、柱に掛けた紐には沢山の草が吊るしてあった。

 婆さんもここに俺を連れてきて、日帰りできないことはわかっていたようで、1昼夜分のにぎり飯を持参していた。

 小屋では服を着たまま毛布一枚を掛け一夜を過ごし、そして翌日の昼頃小屋を出て、麓にある家に戻った。


 俺も畑では、婆さんの作業を手伝った。

 畑には雑草が生えており、その中からどう見ても雑草にしか見えない草を婆さんが抜く。

 近くで水が湧き出た場所があるので、俺は婆さんが抜いた草の根を丁寧に洗い流し、土を落とす。

 あとは小屋の紐に順にかけて干す。

 それまで畑と言っていたので、てっきり食べられる野菜を作っていると思っていたが、なんか違うようであった。


 干して乾いた草は、1株ずつ折って、縛って箱に入れていた。

 そして、それは婆さんが一人でやっていた。


 ここやって来て、小屋の残骸を見たことで、子供の頃のことが蘇えってきたようである。

 そう、サリーが俺の部屋で見つけたあの草こそ、確かに俺の婆さんがここで作っていたもので間違いない。



 しかし、大人となった今、疑問が湧いてきた。

 結局、婆さんはその草をどうしていたのだろう。


 あの、ぎりぎり切り詰めた生活では、どこかに売って商売していたとは思いにくい。

 それに、野山の草なので売ることも難しいのではないだろうか?

 お金は多分年金暮らしだったのじゃないのかな?

 でも、それほどひどい極貧生活にはならないと思うが、何をしていたのだろう。


 サリーの世界に以前あった薬草は、婆さんのハンコが押されていたので、婆さんが作った物で間違いない。

 それに、サリーはそれは高価な薬草だったという。

 もし、それが正しければ、売って儲けたお金がたくさん残っていてもよさそうだ。

 謎である。


 ちょっと悲しく切ない、お婆さんとの思い出でしたね。




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この物語はフィクションです。

登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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