1-07-01 旅の準備
いよいよ3人の異次元娘たちとの共同生活が始まりましたね。
広いと思っていたこの部屋が、いつの間にか高い人口密度となっている。
俺が一人で住むために借りているこの部屋は、4人という人数には残念ながら対応できていない。
特に困った事はトイレだ。
風呂などは順番で使えるが、便意はそんなわけにはいかない。
何度もお願いしているのであるが、彼女たちはトイレの扉に鍵をかけてくれない。
どうも、トイレの扉の鍵という文化がなかったようで、何度もニアミスをして俺は気まずい思いをしている。
それと、暖房温水便座の存在を知ってしまった3人は、なかなかトイレから出てこない。
しかも、どうやらトイレに本を持ち込む事を覚えてしまったらしい。
コンビニで買ったファッション雑誌のようだが、その何冊かがさっきもトイレの中におかれていた。
彼女たちの世界で、トイレという場所は忌避されることはあっても、決して寛げるような場ではなかったはずだ。
それが、この世界のトイレでは、優雅にくつろげる場にすっかり変わってしまっている。
人肌の暖かな便座に温水洗浄、芳香剤の良い香りや明るい照明、なによりトイレットペーパーが気に入っている。
前回のスーパーで、16ロールを買い込んではあるが、だれかが大量にトイレットペーパーを使っているようで、あまりにも減りが早い。
聞き込みの結果、なんと犯人はサリーであった。
ふんわりと柔らかな手触りのトイレットペーパーを、つい面白がってカラカラと引き出していたようだ。
節約家であると思っていたサリーであるので、ちょっと不思議な感じがした。
引き出してしまったトイレットペーパーは、水に流して証拠隠滅はせずに、綺麗に折り畳んで、なんと彼女のカバンの中に隠されていた。
出しすぎてしまったトイレットペーパーを、捨ててしまうのはもったいなくて、どうしても出来なかったと言っている。
だったら、最初からそんな沢山ロールから引っ張り出さないで!
だれも目もないトイレの中で、垂れ下がったトイレットペーパーを見ると、どうやら抗しきれずに本能的に引っ張ってしまう、子猫のようなサリーであった。
昨日は終日外に出ずに、旅に出かける為の日本文化や慣習、日常の生活について、基礎的な勉強会を行った。
簡単といっても、教えることが多すぎるために、後半はテレビを見せて、そのシーンを使って説明を行った。
1日と限られた時間で教えられることは限られているので、あとはぶっつけ本番での勉強だ。
本当であれば、もっとゆっくりと時間をかけて教えてあげたいところではあるが、俺の有休休暇も期限がある。
すでに今日は水曜日となってしまったので、4日間という限られた日を費やしてしまった事になる。
彼女たちが会話に使っている翻訳機能は俺の基礎知識をベースにして使用されている。
どうやらそれは単に言語会話だけではなく、物事の概念を含めてイメージとして伝わっているらしい。
なので、聞く、読むに限らず、見たもの自体の理解を助けているために、ある程度の事を伝えると、俺が持つイメージが利用されて理解できるらしい。
ゆっくりとしている余裕はそろそろ無くなってきているので、今日は朝早くから山に登る為の準備を始めた。
俺たち全員でアウトドア専門店が入ったショッピングモールへ、靴や肌の露出が少ない厚手の服などを買いに行くことにした。
彼女たち全員を外に連れ歩くのは迷ったのだが、山で使う用具には、体に合わせた靴や服、道具が欲しいので、一緒に連れて行く必要がある。
また今回の登山先は、宿泊施設など何もない山中なので、そこで何日かキャンプできる装備も必要だ。
俺一人で行く場合は、収納コンテナにしまってある学生時代の装備を使おうと考えていたのだが、それだけでは全く足りない。
電車で郊外の大きなショッピングモールに行くことにしたわけだが、ここで彼女たちの電車デビューとなった。
今回の旅では、電車やバスをいくつか乗り継いで行く予定をしている。
買い物の時であれば、時間の制約は特に無いので、電車を経験するにはちょうどよい練習になると思った。
それで、電車を使い、駅近にあるショッピングモールがちょうどよかった。
それと残念ながら車はつかえない。
自動車免許は学生時代に取ったが、一度も運転をするチャンスがないうちに会社に就職した。
東京での生活では車を使う必要がなかったので、今や完全なるペーパードライバーだ。
人数が増えたので、近いうちに運転の練習をする必要がありそうだが、今回はちょっと間に合わなかった。
電車の乗り方は、昨日の勉強会でレクチャーしてある。
ただ、ホームに入線してくる大きな鉄の箱の中に閉じ込められるのは、恐怖心やプレッシャーになるのではと心配していた。
しかし、彼女たちはテレビを見せていたせいか、俺の心配はよそに、電車に乗ることが楽しみであったようだ。
どうやら、見てたテレビのドラマの中でラッシュの通勤時間シーンが何度かあったようで、
「見ていた電車とは、すこし形が違いますわね!」
「どうしてこの電車は、中にいる人が少ないのですか?」
「この中に、女の人を触る変なおじさんがいるのよね!」
とか、キャッキャ言っている。
あなたたち、どんなドラマを見たの?
懸念していた駅の自動改札も無事に通過し、時間帯的に電車も空いていた事もあり、なんとか全員無事に電車に乗り込んだ。
あちこちに興味を示す娘たちは、ちゃんとついてくるとは思っても、心配なものである。
小鴨を引き連れた、カルガモのお母さんの気持ちが解った気がする。
電車の座席に座ってしばしすると、心地よい揺られで、少し眠くなっていた。
今朝のあさぼらけ、そう、東の空が白みだすころ、みんながまだ熟睡しているという時間に、アーが勝手にポップアップしてきて起こされたので、睡眠不足であったのだ。
そして、その時の事を思い出して、すこし嬉しくなっていた。
アーが俺の耳元で『対象商品の販売が確認されました』と言っている。
それは、サリーの世界からの手紙が売りに出されたということだ。
そこで、いきなり目が覚めた。
まどろんでいる間に、偶然にでも、誰かにそれを買われてしまうと、たぶん一生後悔することになる。
エリクサーが出来たかの結果が判らなくなることは当たり前ではある。
それもあるが、この手紙をロストすると、今後受け取る手紙の出品名を解く暗号キーが途切れてしまう。
それは、今後サリーの世界との繋がりが一切途切れてしまう事を意味する。
俺は、すぐにアーに商品の購入の指示をする。
うん、パラスは足りているようだ。
通知だけではなく、購入までを一括して自動でやってくれると、楽ちんなのになー。
アーによると、検索や通知はヘルパーでもできるが、マスター権限が必要なパラセルからの購入は無理とのことだ。
隣のベッドで寝ているサリーを、急いで起こす。
まだ寝ぼけまなこで、手紙が来たと言っているのだが、彼女の反応は薄い。
昨夜は、3人でいろいろ話をしていたようなので、俺は先に寝てしまった。
どうやらきっと遅くまで、女子3人で話をしていたと思う。
例え俺が寝てしまっていても、その場にいれば俺の脳内翻訳は利用できるようだ。
やっと頭がはっきりしてきたサリーは、ストレージから取り出された手紙に飛びついた。
俺たちの騒ぎにつられて、マリアとイザベラも、起きてしまったようだ。
サリーは巻いてある手紙を開き、中を読んでいる。
読みながら、途中からポロポロ涙を流している。
前回の簡単な手紙と異なり、今回はいろいろと書かれているようだ。
兄さんは開放されて、先ほど薬師さんに連れられ、商会に生きて戻ってこれたそうだ。
しかし、今回の事でわかったように、王が変われば約束は反故にされる。
そして、新しい王室のエリクサーへの執着は断ち切れそうにないとのこと。
王室との繋がりを完全に断つために、王国での生活に終止符を打ち、商会を閉じて、一家は別の国の地でやり直すと書かれていた。
これから商会や生活のすべてをストレージに入れて、今すぐ内密に王都を離れる予定なので、世話になった薬師さんには心苦しいと。
貴薬草のためにこんな事となってしまったが、決して貴薬草自体が悪いわけではない。
貴薬草が世界で必要とされているのは確かであり、ただあまりにも希少すぎるため、自分達の手には届かない存在となってしまったと。
今後、自分たちは貴薬草とは距離を取るので、これ以上をこちらに送る必要はない。
しかし、もしお前が貴薬草を手に入れることができるのであれば、少しでも多くの量をパラセルに売りに出してほしい。
希少性を薄めることで、ほんとに必要とする人の役に立つものにしてほしいと。
それが世界の願いでもあると。
お前は、私や残された家族、そして商会の事を心配する必要は何もない。
自分たちには、まだスレイトがあるで、たとえどこに行っても大丈夫であると。
サリーもパラセルの商品の取り扱いにはくれぐれも気をつけるように。
今度は、そちらで私たちを救ってくれた人を助けて、幸せになれと締めくくられていた。
本当に心の重しから解き放たれ、今のサリーの涙は暖かなものであった。
いよいよカルガモ一家の旅が近づいてきましたか。




