9-01-04 経済部 意匠課
意匠課は、カノ国のデザイン担当部署です。
意匠とは衣装の事ではなく、物の形や模様などデザインの事です。
「服部さん、そろそろカノ国で衣服の内製化を始めましょうよ?」
私、服部由布子は、カノ国のデザイン関係について大きくかかわっています。
また、そのデザインの影響が大きい服の輸入なども、私が関係する経済部で担当してきています。
「そうね。
国民も増え始めたから、雇用の面からも少しずつ国内生産を始めるのも悪くはないわね。
でも、そうなると、私たちの仕事はさらに増えそうよ。
それでもやりたいの?」
「はい!
私が動きますので、今言った言葉を忘れないでくださいね!」
うっ、簡単に言質を取られてしまった。
私、服部由布子はカノ国 経済部で副部長をしています。 日本でいうと、経済産業省かな?
その経済部の中に意匠課が有り、小さい課なのですが、そちらの課長も兼任しているのです。
当初は人材がおらず、島で必要な物品の調達は、日本にあるカノ国の大使館が行ってくれていました。
実態は日本の外務省から出向いただいたエリートさんたち?から、各メーカーへの商品発注や倉庫での入荷や検品など行ってもらっていたのです。
しかし大使館も、入国者や移住についての対応、諸外国からの訪問の問い合わせが急増しており、本来の大使館業務だけでも大変になってきました。
島内の要望にこたえる為にも、こちらで使う物を、いつまでも名古屋の大使館にお願いする事は問題なようです。
そのため、発注などの業務はカノ島にある経済部の貿易管理課で行うようになってきました。
発注した商品の納品先は、私たちの出先機関である大使館の敷地内にある倉庫となっています。
この拠点の敷地はすでにカノ国であり、ここへの納品は海外への輸出に相当し、一般的な消費税などは発生しません。
その倉庫から、カノ国までの商品移送は、摩導コンテナの定期運航で輸送しています。
まあ、摩導コンテナにより倉庫に納品が済んだ商品は、その後3時間程度で日本から届くことが出来ます。
物資の輸送時間を考えると、日本にいた時より流通は早いかもしれません。
拠点がある伊勢湾に面した埋め立て地は、防潮堤の外側にあり、高潮が発生した場合水没するとされているため、周辺に民家などはありません。
ちょっと寂しい場所ともいえます。
まあ、あの拠点は周囲に摩導具によるシールドが巡らせてありますので、たとえ周囲が水没しても拠点や大使館に被害はありませんね。
その周辺はコンテナ基地なので、もともと大型のコンテナ輸送トレーラがいつも走っており、大量の物資の納品であっても問題ありません。
また、拠点からカノ島までは摩導カートによる高速移動により、名古屋市内に出かける方が かえって時間がかかってしまいます。
本当にこの拠点とカノ島は繋がっているようにすら思えてきます。
私が所属する経済部には、いくつかの部署があり、たくさんの人が働いてくれています。
少し前まで衣料品店で勤めていたことを考えると、いまでも信じられません。
ここ経済部のトップはサリーさんで、いまでもサリーさんは経済部で一緒に仕事をしています。
マリアさんは、王室で加納さんと国政を担っています。
あと、西脇さんは外交部で、カノ国として対外的な事を行っています。
イザベラさんは開発部のトップをしています。
その王様である慎二さんは、イザベラさんと摩導具の開発を行っているのですが、日中は主に雑用に従事しています。
王様が対応している多くの雑用は、私が生み出す雑多な案件であり、たいへん心苦しく思っています。
私がいる経済部には、産業振興課や貿易管理課のほか、観光課など、少しでも経済に関係した仕事は、すべてこの部署にやってきます。
トップであるサリーさんは、なぜかそれらを仕事が来ると、嬉々として受けてしまうものですから、常に人材不足で困っています。
そんなことを話したことを、慎二さんは覚えていてくれたようで、慎二さんの推薦として剛田さんという老人が、この経済部にやってきました。
剛田さんは最初はリタイアした高齢者のおじいさんだと思っていたのです。
しかし、彼は若い時何かされていた方なのでしょうか?
初めて対応する仕事であってもテキパキとこなし、今や経済部を仕切って、サリーさんに続く影の副部長なんて呼ばれています。
表の副部長である私は、そんな重い肩書は欲しくありません。
剛田さんに管理者として上に立ってほしいと頼んだのですが、本人は現場が楽しいからと言って、若いスタッフたちと摩導カートで島を駆け巡り、仕事をこなされています。
それを聞いて、サリーさんも慎二さんも笑っていました。
本来であれば私が飛び回るべきなのでしょうから、ありがとうございます。 ペコリ。
売店で販売している商品は、これまですべて日本からの輸入製品に頼ってきました。
最初、食堂の一画にある小さな長テーブルから始まった売店は、すぐに食堂の隣に売店が出来ました。
国民が増え始めると、さらに隣の敷地にてスーパーマーケット規模の建物が建ちました。
その後、空港の中に売店が出来ました。
こちらは駐屯頂いている自衛隊さん相手の売店だったのです。
それが、お客さんが日本から空港に来るようになると、空港隣に倉庫を作り、その倉庫で物品販売が始まっています。
また、島内にも国民や海外からの人が来るようになると、島内の商業エリアにも、いくつものショッピング施設が作られました。
しかし今できている民間の小売りショップは、私たちの手から離れています。
こうした民間のショップであっても、海外からの材料の仕入れは、私の貿易管理部で輸入する商品であるため、食品、衣料品、生活用品、雑貨、事務用品...
扱っていないのは、自動車や家電品、医薬品でしょうか。
とにかく多岐にわたっており、大変です。
でも、一度商流を作ると、あとは摩導サーバーですべてやってくれます。
国内であった注文は、摩導サーバーが受け付けて、商流に流されます。
拠点の倉庫でタグ処理された商品は、しばらくするとカノ島の倉庫に配送され、摩導カートで注文者の元へ配達されます。
カノ島で生産される摩導具では置き換えられない、多くの商品の調達を、この部署で一手に引き受けており、大変なのです。
これまでお願いしていた大使館の人の苦労が、今になって良くわかります。 ありがとうございました。
販売する商品がすべて輸入といいましたが、以前から1品だけは島内生産の商品があります。
それは、慎二さんがパラセルから調達した純金を使用し、島内にある工房で加工された金製品です。
この金細工は日本の金の価格よりはるかに安く販売されており、とても人気があります。
アクセサリーに加工した状態でさえ、原料の純金の地金価格よりもかなり安いので、人気が出るのは当たり前なのかもしれません。
そのようなわけで、中には金を買いに来ることが目的で来島する人も出てきているようです。
そうです、お客さんのほうから高い交通費を支払ってまでも、わざわざ金を買いに来てくれています。
工芸品としてわざわざ手を加えるよりも、純金のインゴットのまま売ったほうが儲かるのですが、慎二さんはそれはだめだと言って、あくまで美術工芸品として販売しています。
まあ、簡単な細工物としては、カノ島の記念コインとして作った物が有りますしね。
こちらは金型でプレスして作る鍛造なので、製造コストはほとんどかかっていません。
人気商品なので、空港の売店などに並ぶと、すぐに売り切れてしまうようです。
今でも純金は国際的にすべての国に共通する資金として利用できる物であり、それに対して日本では消費税を乗せたことでおかしなことになっています。
通貨に対して、税をのっけたようなものですね。
以前、私たちは日本国内で純金を現金に換えることに苦労しました。
いまではカノ国産の金は、その素材の良さも評判を呼び、
カノ島の刻印が入った純金製品は、いわゆるカノ島ブランドと呼ばれる人気製品の一つです。
この島では、島が出来た当初から多くの金が素材として使われています。
島を構成する摩導具は、純金から作ったマナインクによりできていますので、大量の摩導具が存在するカノ島では、島全体で相当な量の純金が使われていることになります。
この島の中央にある最大の観光施設には、王様や王宮メンバーの純金で出来た大きな彫像がいくつもあります。
恥ずかしながら、その中には私の黄金の彫像も並んでいるのです。
そんなのいらない!って言ったのですが... おかげで、ふらふらと街を出歩けません。
実は、この黄金像は純金製なのです。
いくつもの彫像が、巨大な台座の上に乗っていますが、それらすべてが純金で出来ているようです。
慎二さん曰く、この像だけで現在の地球で流通している純金の量よりも多いと言っています。 それは、流石にちょっと眉唾ですが...
ただ、私もカノ島ブランドは金に頼っていないで、我が国で作られた特産品を作るように、サリーさんに指示されています。
何を作っても良いと言われても、いざ自分で作ろうとすると難しいものです。
以前、カジュアル服を販売していたので、Tシャツなど簡単なものから始めるか、大好きな食べ物から始めるか、今迷っています。
幸い、優秀なスタッフを何人か付けてもらっていて、それはそれで助かっているのですが、肝心の私が明確な指示を出せずに悩んでいるため、今ピンチな状態です。
困ったときの、いつもの王様頼りをしてみようかなと思っています。
私が今ここにいるのも、王様である慎二さんに拾ってもらったからこそ、今に至っているわけでして...
こうして、日々王様の雑用を増やしているダメな私です。
もうじき日本の倉庫から戻ってくる時間だと思うので、ちょっと相談に行ってきます。




