第三話 マギア・コントラクト
「いいか?まず体内の魔力の流れを意識しろ。そしたら両手を突き出して手のひらに力を集めるんだ」
「は、はい!こうでしょうか?」
銀髪の少女――マリアがおどおどしながら両手を突き出し、深紅の瞳を不安そうに俺に向ける。手のひらを見ると、微かに魔力が集積されていることが感じられた。
「そうだ。そうしたら呪文を唱える。初心者が無詠唱で魔術を使うのは不可能だからな。『Combustione』だ」
「こ、こんぶすてぃお―ね!」
マリアがたどたどしく呪文を叫ぶ。が、魔術は発動しない。大方呪文の詠唱が不足だったのだろう。初心者が正しく詠唱せずに魔術を行使するのは不可能に近い。正しい発音で呪文を詠唱することが魔術の第一歩なのだ。
魔術が発動しなかったことでマリアの顔が曇る。魔力が足りなかったと思ったのか、さっきよりも必死に手のひらに魔力を集め続けている。
「正しく発音できていないんだ。よく聞け――『Combustione』」
「コンブスティオ―ネ!」
さっきより良くなったがまだ足りない。集め続けている魔力が少し揺れ動く程度に終わる。
「もっと滑らかに。――『Combustione』」
「コンブスティオ―ネ!!」
また少し魔力が揺れ動いただけで終わる。手のひらには更に魔力が集まっている。
「もっとだ。繰り返せ。――『Combustione』」
「コンブスティオ―ネ!!!」「コンブスティオ―ネ!!!!」
マリアが叫ぶたびに魔力は揺れ動く。詠唱を重ねるごとに揺れはだんだん大きくなる。……まて、こいつずっと魔力を集め続けてないか?
「お、おいマリア!一旦魔力を集めるのを止めろ!このままじゃ……」
「コンブスティオ―ネ!!!!!」「コンブスティオ―ネ!!!!!!」
俺が呼び掛けても必死に詠唱しているマリアには聞こえない。マリアは目を瞑り、必死に魔力を集め続ける。濃密な魔力によって手のひら周辺の空間が微弱に震えた。
「おい……!おいおいおいおいちょっと待てェっ!」
「コンブスティオ―ネ!!!!!!」「コンブスティオ―ネ!!!!!!!」
空気が振動する。風が吹き荒れ、部屋中の紙だの本だのが飛び散る。濃密な魔力は今や僅かに発光を始め、その密度をは周囲の空間を大きく歪ませた。
マリアが大きく息を吸い込む。両手を懸命に突き出し――カッと目を開いた。
「『Combustione』!!!!!」
呪文が正しく発音されたことで魔術の発動条件は揃った。集積された膨大な魔力は発動者のイメ―ジしたもの――紅蓮の炎へと形を変える。空間を歪ませるほど圧縮された力は残さず炎という物理現象となり――――爆発した。
灼熱の塊は周囲の空気を取り込みながら急速に膨張する。
「あぁ……なんでこんなことになっちまったんだ……」
自らが放った魔術に吹き飛ばされたマリアを防護魔術で護る。
紅蓮に輝く火球を呆然と見つめながら、俺はマリアとの出会いを思い出していた。
◇
その日、俺――フィデル・エリクソンはいつものように裏通りを歩いていた。
俺の仕事は広く言えば魔術師、細かく分類するなら死霊術師だ。死霊術師ってのは、魂を利用してアンデッドを召喚したり霊界に干渉したりする魔術師だ。死者だの魂だのを利用する黒魔術だから、まぁ嫌われる。だが俺だって好き好んで死霊術師の道を選んだ訳じゃない。死霊術にも一般の4大属性の基本魔術と同じように適正が存在していて、たまたまそれが俺にあり、そして4大属性に適正が無かったというだけの話だ。
特殊な魔術なだけあって極めれば基本魔術よりも強力で、仕事をするには困らないのが救いだ。
魔術師は薄暗い部屋に籠って奇妙な壺に入ったゲテモノをかき混ぜていそうだというイメージを持たれるかも知れないが、実際はそうじゃあない。
たしかに貴族や諸侯の支援を受けて研究に没頭しているお抱え魔術師、なおかつ変人ならあり得なくもないが、生憎俺はフリーだ。生きるためには魔術師だろうと稼がなくてはならないのが世知辛い。
さて、街の嫌われ者かつ一般の魔術師より少し強い俺に舞い込んでくる仕事というのは、言わずもがな荒事ばかりだ。
この街、ハイデルンはそこそこ大きな街だがいささか治安が悪い。日中大通りを歩く分には何の問題もないが、一歩裏路地へ足を踏み入れればそこは裏稼業の者たちの巣窟だ。少なくない数のならず者やら奴隷商が潜んでいる。そして夜中は大通りだろうと人っ子一人出歩かなくなる。そんな街だから泥棒や誘拐は日常茶飯事。殺人だって多い。衛兵もいるにはいるが、いかんせん犯罪に対して人手が圧倒的に足りていない。とてもじゃないが対処仕切れないのだ。
よって『盗品を奪い返してきてくれ』とか『誘拐された家族を助けてきて欲しい』とかいう依頼が頻繁に舞い込んでくる。おかげで食うのに困ることはない。ならず者様々だ。
そんなわけで今日も『奴隷商に拐われた娘を助けてくれ』という依頼のもと、この路地裏へと足を運んでいるというわけだ。
◇
日没後の薄暗い路地をいくらか進んだ所で足を止める。そして鞄からあらかじめ依頼主から借りた救出対象の私物である衣服を取り出した。それを自分の前に掲げ、ある呪文を口にした。
「『Fugent』」
詠唱と同時に掲げた衣服がぼんやりと青白く光り、その光が複数に伸びる路地のうちの1つへと線のようにうっすら伸びた。
これは対象を追跡できる死霊術。対象の魂の残滓を辿り対象追跡するのだ。対象が移動した所をなぞるように、俺にしか見ることのできない青白い光の筋を伸ばす。移動してそれほど時間が経っていない、たくさんの人が通っていない、隠蔽工作されていない、などの条件があるが、それを満たせばかなり使える便利な魔術だ。対象の私物などを触媒とすることで精度を高めることができるため、今回は救出対象の衣服を触媒にした。
「ふむ……この角を右だな」
光の筋はこの先の角で右に曲がっている。光を辿り角を右に曲がった俺は、そこから先も導かれるままに道なりに進んだ。
◇
――ある程度ど進んだ所で、光の筋は一つの建物の中へと入った。どうやらここが目当ての場所らしい。
「いかにも、って感じだな」
外観は薄汚れた、というか廃墟に近いような寂れた民家だ。壁は所々崩れひびが至るところに入っている。窓がないから中は確認できないが、外がこの様子ならおそらく中も酷いだろう。まぁ本当に廃墟をアジトにしているのかも知れないが。
アジトの感想はさておいて仕事だ。救出対象がこの中にいるなら突入するしかない――そう思ってそっとドアノブを回すが、開かない。
「チッ、いっちょまえに鍵なんてかけてやがる」
律儀に戸締まりをしてるならず者に悪態をつく。こういう時おしとやかに鍵を開ける魔術を使うのも手だが、いかんせん面倒くさい。こっそり侵入するならまだしも今回は堂々と突入して敵をぶっ倒して救出する予定だ。
コソコソするつもりがないならお手軽な方法を使えばいいじゃないか。
そうと決まれば早速右手を扉に向けて掲げた。発動させたい魔術を思い浮かべると、手の先に白い魔方陣がボワッと浮かび上がる。
スゥっと息を吸った俺は、完成した魔方陣に素早く魔力を送り込んだ。
魔法陣に送り込まれた魔力は俺がイメージした通りの状態――光の濁流へと変換されそのまま目の前の扉をぶち破らんと直進した。
――ドォォォォォンッ!!!
豪快な爆裂音共に目の前の扉――と崩れかかっていた外壁やら屋根の一部やらがまとめて吹き飛んだ。
使ったのは魔力をそのまま攻撃光線に変換して撃ち出す魔力砲。俺の練度なら詠唱無しでも使えるお手軽魔術だ。大した威力はないが雑魚やボロ家に穴を開けるならこれで十分だ。属性無しの脳筋な技と思うかも知れないが要は穴が開けば良いのだ。
「邪魔するぞ」
吹っ飛んだ衝撃で舞い散る埃や土煙を払いながら、俺はアジトに踏み込む。中は真っ二つに折れたドアやら家具の残骸がガレキのように積み上がっていた。ここまで崩壊してると、救出対象ごと吹っ飛ばしてないかと不安になる。
さっと半壊したアジトを見回すが幸い救出対象の死体はなさそうだ。だが敵の姿もない。外出中だろうか?
追跡魔術はまだ発動している。光の筋は一直線にガレキの中へと続いていた。
「おいおい、殺しちまってねぇよな?」
若干焦りながらガレキをどけると、中年の男が仰向けになって失神していた。おそらく敵の一人だろう。救出対象じゃないなら生きてようが死んでようがどうでもいい。
男の事は放っておいて光の筋を辿ると、部屋の中央に穴が開いていることに気づく。どうやら地下室があるらしい。
中を覗きこんでみると――なるほど、狭い階段が深くまで続いている。捕まえてきた商品を閉じ込めておくにはうってつけだろう。
さっさと仕事を済ますためにも早速階段を降りていくことにする。一人目の敵があのザマでは他の敵がいたとしても警戒するほどではない。
――コツ……コツ……と石造りの階段を踏み鳴らす音が狭い空間に響く。だんだんうっすらと明かりの漏れている地下室の扉が見えてきた。
「スコット!何があった!?」
階段を下りきりドアノブに手をかけたとき、地下室の中から男の声が響いてきた。予想どうりまだ敵がいたようだ。
特に呼び掛けに反応することなくドアを開け地下室に侵入する。部屋の至るところに拘束された裸の女が横たわっている。そして壁際のみすぼらしい男が2人、狐につままれたような顔をしてこちらを見つめていた。こいつらが残った敵だろう。予想より大分少ないが。
「残党は2人か……案外大したことないな」
「おいてめぇッ!何言ってやがるッ!」
「生かしちゃおかねぇぞ!」
軽く煽ってやるとすぐに激昂した。ならず者はどうしてこう、感情の制御ができないのだろうか?賢いヤツならここまですんなり侵入された時点で降伏なりするだろうに。
「ぶち殺してやらぁっ!」
短剣を素早く抜いた男の一人が突進してくる。ここまで脳筋だと逆に可愛く思えてきてしまう。思わず自分の口角が釣り上がったのが分かった。
「『Servus Cadaveribus Pugnatur』」
――詠唱するは魂を操りし呪文。魔力をのせた詞は妖しく輝く魔法陣を顕し、霊界へとその力を送り込む。正しく呼び出されし魂は仮初めの肉体を与えられ、己が忠実なる従として顕現する。
「すっ、スケルトンだと!?」
「なんでこんなとこ――」
床に顕れた魔物陣から召喚された骸骨の魔物――ダークスケルトンは携えた長剣で、男が言い終わるのも待たずにその首を刎ねた。首を失った男は鮮血を撒き散らしながら前屈みに倒れた。
――死霊術『忠実なる死の従者よ』 霊界より魂を呼び寄せ様々なアンデットを召還する魔術。死霊術師の代表格といえる魔術だ。練度と魔力があればより高位のアンデットを召還できる。
まぁ今召還したのは低位のスケルトンを少し強化しただけのダークスケルトンだが。
「ヒッ、ひぃぃぃぃっ!くるなぁッ!」
残された男は尻餅をついて必死に命乞いをしているが、妖しいオーラを放つ黒光りする骸骨は無慈悲にもゆっくりと長剣を振りかぶっている。
生憎奴隷商の生死は問われていない。絶対に殺す必要性は無いが、生かしてやる理由もない。
ザシュッ!という音ともにダークスケルトンは長剣を男の頭部に突き刺した。眼球を貫いた長剣は脳まで貫通し、男は瞬時に絶命した。
周囲を見回し敵を殲滅したことを確認した俺は、ダークスケルトンの魂を霊界へと還した。これにて仕事は落着。後は救出対象を連れていくだけだ。残りの奴隷の保護と後始末は衛兵にでも任せればいいだろう。
ふぅ、と息をつき横たわる女達の中から救出対象を探す。追跡魔術の光の筋は壁際に転がっている一人の女までまっすぐ伸びていた。勿論その女も他の女達同様裸にロープで拘束されていた。衛生環境も劣悪なのか全員が汚れてしまっている。
「あーあ、こりゃひでぇな。仮にも大切な商品だろうに」
異臭に思わず顔をしかめながら指をパチンと鳴らす。同時に女達を拘束していたロープは弾けとんだ。風属性の魔法だが、この程度なら適正がなくとも造作もない。縛るものがなければ少しは楽になるだろう。
自分にできることはだいたい終えたところでふと部屋を見回すと、隅っこで丸まっていた銀髪の少女と目が合った。この少女だけは服を着ているし意識もある。ついさっき連れてこられたといったところか。
「お前はまだ元気そうだな。おい?大丈夫か?」
のそりと立ち上がった少女に声をかけてやるが反応がない。もう壊れてしまったのだろうか?
「………………さい……」
「あ?」
ぼそりとあまりにも小さく呟いた少女に、思わず乱暴に訊き返してしまう。
すると少女は大きく息を吸い込み、決意の籠った深紅の瞳で俺を見つめながら大きな声で言った。
「私に……魔術を教えてください!」
「………………………………………は?」
◇
「………………………………………は?」
私の放った言葉に呆れた様子の黒づくめの男。失礼なことに、面倒くさい者に出会ったかのような目で見下ろしてくる。だがここで引く分けにはいかない。
「は?ではありません!私に魔術を教えて欲しいのです!」
「はぁ……、そりゃまたなんで……?」
「そ、それは……」
男から当然の質問が投げ掛けられる。復讐のために魔術が必要だと話したら、教えて貰えないのではないか?そんな不安が頭をよぎり思わず言葉が詰まってしまった。
答えられずにいると、男が半ば同情的な表情で口を開いた。
「その様子じゃ、ただの好奇心って訳じゃ無いのは分かる。誘拐されておかしくなっちまった、ってのでも無さそうだ。何があったかは分からんが、所謂訳ありってやつだろ?だけどな嬢ちゃん。別に何でもかんでも魔術で解決するもんでもない。教会なりを頼れば生きてく事はできるだろうよ。なんなら教会まで送ってってやろ――」
「違うんですッ!」
思わず声を荒げてしまった。男の言葉の何が琴線に触れたのか自分でも分からないまま、感情に任せて怒鳴り散らす。
「確かに教会を頼れば生きていけることは分かりました。……でもそれじゃ駄目なんです!私は私の大切な人達を奪った奴らが憎いッ!それを精算してやらなきゃいけないんです!自己満足だって何だって、そうしなきゃ乗り換えられ無いんです!――でも私には力がない……。だからッ――!?」
そこまで一気にまくし立てて、男が呆気にとられた顔をしていることに気づいた。自分が言動を振り返り、きまりが悪くなって思わず顔を背ける。
「……すみません、喋りすぎました」
「ああ。まぁ大体事情は察した」
「……」
男は黙りこくった私から目線を反らすと天井を仰いだ。
「良識のある大人なら、教会に引っ張ってくのが正解なんだろうが……俺が言えた話じゃねぇな」
男はしばらく逡巡した様子で天井を眺めていたが、やがて視線を戻すと真剣な目で私を見据えた。
「2つ条件がある」
「?……はい」
男は真っ直ぐ私を見つめながら、右手の2本の指を立てた。
「まず1つ。俺は死霊術しか適正がねぇ。一般的な4大属性魔術については大したことは教えられねぇぞ」
「問題ないです」
適正だとかはよく分からないけど、その死霊術というものを教えて貰えばいいし、他の魔術も基本的なことを教えて貰えれば自分で練習できるかもしれない。
楽観的な考えだが、折角見つけたチャンス。この程度の不安要素で手放す訳にはいかないと快諾する。
「じゃあ2つ目。対価だ」
「……対価?」
「そうだ。魔術師は契約において必ず対価を求める。それが原則だ。お前も魔術師になるというなら覚えておけ」
「なるほど……?」
「で、だ。お前は魔術の教えを請うに当たって何を対価とする?」
男に言われて自分の状況を整理する。今の私は服はボロボロ、所持金無し。家族も家も生まれ育った村も無く、おまけに労働力としての力も無い。呆れるほどの無い無いづくしだ。
今は何も払うことはできない。そんな状況下で望みを叶えるためにはどうすればいいか、必死に脳をフル回転させ――苦し紛れの答えを思い付いた。
「対価は……未来です」
「……未来?」
目を細めた男の品定めをするような鋭い視線が痛い。
「はい。今の私には家も、家族も、お金も……何もありません……。ですから、将来強くなって必ずあなたの役に立つと誓います!仕事だろうと、何か目的の為だろうと、あなたの為に働きます!」
「……」
男の視線がより一層鋭くなる。殺意でも混じっているように錯覚してしまうほどの重圧に必死に耐えながら、男の目を食い入るように見つめ返した。
――数分、体感では数十分に感じられた時間の後、不意に男が口を開いた。
「それは、俺にお前の人生を握られることになるぞ」
「構いません」
「そうまでして成したいことなのか?」
「はい」
そこまで問答すると再び無言になる。私はより熱意をこめて男を見つめた。
男は数分こちらを見つめた後考え込むように腕を組んでいたが、しばらくすると観念したように頭を掻きながらこちらに向き直った。
「はぁ……お前のやる気は分かった」
「!?……それじゃ!」
「あぁ、お前に魔術を教えてやる」
「やった!ありがとうございま――」
「だが――」
そこで男は顔を綻ばせて感謝の気持ちを伝えようとした私をを手で制した。
「お前が魔術を使えるようになるという保証はできない。こればっかりは適正の問題だ。それにもし魔術が使えるようになったとしても、その時お前が俺の味方でいる保証はない」
「わ、私は裏切ったりなんか……」
「それをそのまま信用できない、ということだ。だから――これを使う」
男は腰の鞄に手を突っ込むと、茶色がかった一枚の白紙の紙を取り出した。見るからに希少な素材で作られていることが分かる、独特な存在感を放っていた。男はそれを左手で前に掲げると、右手をゆっくりと紙かざした。
不意に男がこちらを見た。
「お前、名前は?」
「え?マ、マリアです!」
「姓は?」
「ありません」
私……というか村の人は大抵名字が無い。教会の人や領主様みたいな偉い人は持ってるけれど、私たち平民にはいらないのだ。
「そうか」
訊くだけきいた男は、自分が名乗ることもなく紙に視線を戻してしまった。こちらも名前を聞き返してやろうと思ったが、男が紙を見つめるとても真剣な表情に思わず声をかけるのを躊躇ってしまった。
何をするのだろう?不思議に思いながら男の手元を観察していると、突然紙が金色に輝き始めた。
神々しいオーラを周囲に放つ紙に、段々と文字が浮かび上がってくる。読み書きができない私にはさっぱりだが、なにか凄いことをしていることは分かる。
紙はしばらくの間輝きながら文字を浮かび上がらせていたが、急にフッとその輝きを収めた。何かを書き終えたようだ。
男は出来上がった紙を一通り確認すると、こちらに投げて寄越した。高級な紙に美しい文字が刻まれたそれは、まるで一つの芸術品のように見えた。
「あの……これはいったい……?」
「『制縛せし絶対約定』だ。魔術によって魂を縛り、そこに書かれた契約を必ず守らせる。絶対遵守の魔術契約。あとは一番下にお前のサインを書けば成立する」
言われて紙の一番下を見ると、確かに空欄があった。だが、読み書きできないので肝心の契約内容を読めないし、自分のサインも書けない。村では読み書きなんてできなくても困らなかったし、当然契約書なんて書くどころか見たことすら無い。
「すみません……なんて書いてあるのですか……?」
「え?そのくらい自分で読め……ないのかそうか、そりゃそうか……」
男がはぁ……とため息をついた。なんだか悪いことをした気分だが、こればっかりはしかたない。
「俺が代わりに読んでやる。だがお前はそれを信用できるか?本当は酷い契約が書いてあるかもしれないぞ」
「はい!信用します」
「ずいぶんあっさり信用するんだな……」
男が若干心配そうな顔をする。ゲイルに騙されたばかりですぐ人を信用するのもどうかと思うが、今の私には彼を疑う余裕が無い。それに私のことを心配した彼は、少なくとも悪い人ではないのだろうと思える。だから自信を持って信用すると答えたのだ。
「じゃあ読むぞ」
私から受け取った契約書を手に取ると、彼は静かにその内容を読み上げ始めた。
【制縛せし絶対約定】
フィデル・エリクソン及びマリアは、双方の合意を以て下記の契約を成立させる。契約は絶対遵守の掟となり対象を完全かつ例外なく制縛するものである。
―契約―
・フィデル・エリクソン及びマリアは師弟の関係を結ぶ
・フィデル・エリクソンは師匠として、弟子マリアに対し魔術及び必要とされる知識を教示する
・フィデル・エリクソンはマリアに対し、衣食住その他指南するに当たって必要なものを提供する
・マリアはフィデル・エリクソンの行動を補佐する
・フィデル・エリクソン及びマリアは、互いが敵対することはできない
以上、本契約の成立を証するため、フィデル・エリクソン及びマリア両名は記名のうえ、各1通を保有する。
帝国歴708年3月18日
『フィデル・エリクソン』
『 』
「――以上が契約の内容だ。同意するならサインしろ。だが一度成立すればもう後には戻れないぞ」
「構いません。もとより、後なんてないですから」
「……そうか。ならこの空欄に名前を書くんだ。この部分の字を同じように書けば良い」
彼は文の一部を指差しながら契約書と羽ペンを手渡してきた。恐らく彼が指差している部分が私の名前なのだろう。
――覚悟は既に決まっている。羽ペンを手にとり、たどたどしく自らの名を空欄へと刻んだ。
『マリア』
瞬間、契約書が先程以上の光量で発光する。私と彼を包み込むような黄金の光。魔力の奔流は絶対遵守の契約をそれぞれの魂に刻みこむ。
影という存在を一時的に消滅させてしまうほどの圧倒的魔術の輝きに思わず目を閉じてしまった。数瞬後、再び瞼を開いたとき――そこに2枚に分裂した契約書が浮かんでいた。
片方を掴み鞄に仕舞った彼は、もう片方を私に手渡した。
「これで契約は成立だ。俺とお前は師弟になった」
「はい!」
「俺の弟子になった以上強くなって貰うわなくては困る。根をあげるなよ」
「勿論です!」
思わず気分が高揚する。私は遂に復讐のための第一歩を踏み出したのだ。
少し浮かれ気分になったところで、あることをしてなかったことに気付き、右手を勢いよく差し出す。
「改めましてマリアです!よろしくお願いします――師匠!」
「……フィデル・エリクソンだ。よろしく」
師匠が私の手をとり軽い握手を交わした。
――こうして、ここに一人の死霊術師と少女の師弟が生まれた。
前回投稿から約4ヶ月……何があったに違いない(すっとぼけ)
定期更新でないとはいえ流石に期間空けすぎました。申し訳ありません。