第一話 壊滅の故郷
初めてのオリジナル小説です。
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「どうしよう……」
商店と商店の間の細い路地の暗がり。辛うじて風をしのげるかという隙間に少女はいた。体育座りをし顔を埋める。すぐ横の通りでは多くの雑踏が聞こえるが、足を止めるものはいなかった。暗がりに座り込む少女に気づかない訳がないがあえて彼らは止まらなかった。この街に限らず帰る家のない子供は多い。ましてやここらで一番大きな街であるこのハイデルンではその数も両手の指では足りないだろう。数ある不幸な子供の中の1人に過ぎない少女に特別何かしてやる理由など無かったのだ。
少女の体がぶるっと震えた。今朝がた降っていた雨が路面を濡らしている。それらが打ち水のようになって辺りに冷え冷えとした冷気を漂わせているが、少女が震えた理由はそれだけではないだろう。
「お腹……すいたなぁ……」
もうかれこれ2日は何も口にしていない。お金はただの銅貨一枚すら持っていなかった。街外れにある教会に行けばパンとスープを恵んでくれるし、あわよくば泊めてもらえるかもしれないというのは家を持たない者たちの常識だったが、10歳ばかりの少女が貧困に直面したときの対処法など知るわけもない。
うなだれる少女を圧倒的な空腹感と絶望感が支配していた。
「どうして……」
誰に投げ掛けるでもない疑問が口をついて出る。どうしてこんな所でお腹を空かせていなければならないのだろう。どうして一人になってしまったんだろう。3日。そう、たったつい3日前までは両親と村人達と平凡で幸せな毎日を送っていたというのに。どうして……どうして……
己の理不尽に対する不平はいくらでもでてくるが、それで状況が好転するわけでもない。
よりいっそう縮こまった少女は自分がこんな目に遭うことになった原因の日――3日前を思いだしていた。
――3日前:深夜:神聖ダルメニア帝国南部シュナイダー大公領ニューベルク村
大陸の北部中央に位置する巨大な国家『神聖ダルメニア帝国』。その国家は無数の領邦によって形成され、中でも有力な8人の諸侯が選帝候として存在していた。
つい先日12才になったばかりの銀髪紅目の少女、マリアは、選帝候シュナイダー大公が治める帝国南部の閑静な農村ニューベルク村で暮らしていた。
農家を営む両親と3人暮らし。お世辞にも裕福とは言えなかったが幸せな家庭だった。父はよく農閑期に往復で3日はかかる遠くの街まで買い物につれていってくれた。茶髪や金髪が多い村で唯一の銀髪のマリアは近所の悪ガキに虐められることもままあったが、いつも優しく慰めてくれたのは母だった。そんな両親の愛情に応え、マリアはお手伝いできることは何でもした。
理想の家族像がそこにはあった。
その日もおつかいの仕事を元気いっぱいにこなしてくたくたになったマリアは屋根裏部屋でぐっすりと寝ていた。しかし、なにやら階下から聞こえてくる物音で目を覚ました。初めは両親が作業でもしているのかと思ったが大声で叫ぶ声も聞こえる。喧嘩でもしているのだろうか?
放っておいて寝ても良かった。しかしめったに喧嘩しないおしどり夫婦として近所で有名な両親がここまで大声でがなりたてているのは初めてのことだ。マリアには両親がどうして喧嘩しているのか知りたいという好奇心が芽生えた。
一階と屋根裏を繋ぐ細いハシゴ。それを通してあるのは床に小さく空いた四角い穴だ。しっかりと穴のふちに手をつくと、そこからぴょこっと逆さまに顔を出した。
そのときマリアの目に飛び込んできたのは、甲冑の兵士に馬乗りになられ、くぐもった叫び声をあげながらめった刺しにされる母の姿だった。突き刺した剣を兵士が振り上げるたびに、部屋には鮮血が飛び散った。
「……ッ!?」
マリアは声を出さなかった。いや、驚き過ぎて出せなかった。髪を振り乱しなすすべなく悶える母を前にして、何もしてあげることができない。甲冑の兵士は肩についた薔薇とペガサスの印象的な紋章を揺らしながら何度も何度もその剣を母に沈めた。
マリアはその状況をただ見つめることしかできなかった。
ーーどのくらい放心していたのだろうか
いつの間にか、兵士は消えていた。
部屋に灯っていた筈のランプも消えている。恐る恐る真っ暗なハシゴを降りると、足を床に着けた瞬間何かで滑って転んでしまった。
「いたたた……何これ?」
テーブルの上に転がっていたランプに火をつけて確認する。それは血だった。見回せば床に壁に天井に、おびただしい量の赤黒い血液が飛び散っていた。
「ヒッ……」
暖かい空間である筈の我が家とは思えない地獄の惨状に小さく声をあげる。胃の中から込み上げてくるものを必死に抑え周囲を観察すると、その血はある一点から放射状に飛び散っていることが分かる。そしてその中心には赤と黒で染まった物体があることに気づいた。
マリアはそのぐちゃぐちゃの物体に恐る恐る近づいた。
「おかあ……さん……?」
呼び掛けても返事はない。どこが顔かも分からないほど損壊し血濡れになったそれが生きている訳もなかった。
傍らに投げ出された腕をそっと握る。まだ暖かい。しかし、それがマリアの頭を撫でることも抱きしめることももうないのだ。
「うぐっ……」
あまりに酷い現実にマリアは咽び泣いた。
――ひとしきり泣いた後でゆっくりと立ち上がり振り返る。するとその目線の先に机で隠れる位置、ちょうどドアの横の壁にもたれるようにして倒れている父の姿があった。
「お父さん!」
「グッ……」
すかさず駆け寄ると、父は僅かに呻き声をあげた。見ると腹に大きな切り傷がある。そこから血液がどんどん溢れでているのが分かった。
「お父さんっ!しっかりして!すぐにっ、すぐに助けるから!」
泣きわめきながら父の傷穴を力任せに抑える。しかし、その傷が致命傷であるのは素人目にも明らかだった。
「グゥッ……マリア……か……?」
「そうだよ!マリアだよ!お父さん死なないで!」
マリアの必死の呼び掛けに意識を取り戻した父が顔をもたげたが、そこにはほとんど生気が残っていなかった。
「俺はもうだめだ……。マリア……お前だけでも逃げるんだ……」
「いやっ!お父さんを助けるの!」
「バカなことを言うんじゃない……。グッ……早く……逃げるんだッ!」
「そんな……そんなのヤダよ!」
「いいか……?よく聞くんだ……。ここから西に行ったところにハイデルンという街がある……そこまでなんとか逃げろ……。この村はもう……おしまいだ……」
娘を最後の力を振り絞って諭す父の顔は、みるみるうちに蒼白になっていく。
「マリア……愛してる……」
「私もよ!だから逝かないで!」
父の目からだんだんと光が消える。
「生き……ろ……」
「そんなっ!お父さん!お父さん!」
父の全身が弛緩し、もたげていた首はがくりと落ちた。薄く開いた目は、もう何も映してはいない。
マリアはただただ、その亡骸にすがり付いて泣いていた。
マリアは、ひとしきり泣いた後おもむろに立ち上がった。父の遺言を叶えるために。泣き腫らして赤い顔をキュッと引き締める。
扉を両手で抑えながら、そっと開いた。
「きゃあああああ!!!」
「なんだお前たちは!?」
「たっ助けてッ!」
「お母さーん…… お母さーん……」
外ではあちこちで悲鳴があがっていた。お隣の窓からはごうごうと勢いよく炎が上がっていた。そこにはいつもの暖かい村の雰囲気は微塵も無かった。
「行かないと……」
周囲に人がいないことを確認するとマリアは一目散に駆け出した。マリアの家は村の東の端にある。西の街道へぬけるには村の中を進まなくてはならない。あちこちで火の手があがり死体がそこかしこに転がる地獄の中をマリアは懸命に駆けた。
「止めてぇ!止めてくれぇ!」
家を数軒分走りそろそろ村の中央に差し掛かろうとしたとき、すぐ横の通りから悲鳴が聞こえてきた。どんな惨状も無視して走り抜けると決めていたマリアだったが、その悲鳴があまりに近くから聞こえてきたので思わず足を止てしまった。家の物陰に隠れながら横の通りを覗くと、そこには少年、それも今まで散々マリアを虐めてきた悪ガキが地面に転がされていた。その横に立つ2人の兵士が面白そうに足蹴にしている。
「ははッどうしたボウズ?さっきみたいに抵抗してみろよ」
「あれは傑作だったな。ママを返せ~、だってよ」
「ガハッ!?」
兵士の1人が笑いながら少年の腹に蹴りを入れた。少年は蹴られたところを押さえのたうち回る。そんな様子をみて兵士たちは更に大きな声でばか笑いをする。
そのとき、少年が通りの先で見つめるマリアの存在に気づいた。必死に手を伸ばして助けを乞う。涙を流し涎を垂らしながら救いを懇願する。己のピンチを前にして相手が虐めていた相手かどうかは関係ないようだ。
「ああっ、だずげっ!ゴホッ!」
声もあげようと唸るが、先ほど腹を蹴られた影響でうまく声を出せないようだ。
幸いにして兵士はマリアの存在に気付いていない。少年が助けを乞う様子は、兵士の目にはただ呻きながら逃れようとしているようにしか見えないのだろう。
「あーあ、こんなガキに構っててもしょうがねぇなぁ。おい、そろそろ片付けて次行くぞ!」
「りょーかい。じゃちょっと下がっとけよ」
少年を虐めるのに飽きたのか兵士の1人が離れる。それと同時にもう片方が剣を抜いた。
「ひ、ひぃっ!」
赤黒い血でヌラヌラと光る剣を見た少年は途端に震えだした。少しでも逃げようと必死に後ずさる。
だがそんな様子はお構い無しに兵士は剣を大きく振り上げ、そして――勢いよく振り下ろした。
ザシュッという音ともに少年の首が跳ね飛ぶ。一瞬見えた顔は恐怖と驚愕で塗り潰されていた。
数瞬遅れて体の方の断面から真っ赤な血が勢いよく吹き出した。まだ止まっていない心臓の拍動に合わせ、強く、弱く、強く、弱く、リズミカルにその赤のシャワーを撒き散らす。噴出する勢いは段々と弱まり、ただポタポタと垂れるだけになった。
「はぁッ、はあッ、はあッ――」
例の惨劇から逃れるようにマリアは走っていた。あの少年の次は私かもしれない。少しでもあの兵士たちから離れておきたかった。
村の中央には兵士たちがたくさんいた。だが、村人を十字架に吊るして槍で突く者、柱にくくり油をかけ火をつける者などそれぞれが思い思いの方法で虐殺することに夢中だった。そんな兵士たちの隙を伺い、中央から一本外れた通りを駆け抜けたマリアの存在に気づく兵士はいなかった。
――あと少しッ、あと少しで西の出口につくッ!
そう少し気を緩めてしまったのがいけなかったのだろうか?
横の通りからマリアの進路を塞ぐように3人の兵士が飛び出してきた。上手く隠れながら走っていたつもりだったが、隣の通りを走るマリアを目ざとく見つけていたようだ。
「おやおや可愛いお嬢さん。そんなに慌ててどうしたんだい?」
「かなりの上物だな。こりゃこのまま殺すのは勿体ない。何発かぶちこまねぇと」
「おいおいそう焦るなって。妄想は獲物をしっかりと捕まえてからだ」
下劣な言葉を並べながら兵士たちがにじりよってくる。肩の紋章もはっきりと見えるくらいの距離だ。
マリアは己の身に迫る危機を感じながら、しかし恐怖という感情は全く無かった。代わりにマリアを支配していたのは――怒り。
――お前らみたいな……お前らみたいなゴミにお父さんとお母さんは殺されたんだッ……!
マリアは優しく、高潔な両親がこのような卑しい者たちの手にかかったことが許せなかった。立ち尽くし下を向きながら、身を焦がすような怒りで体を火照らせる。全身の毛が段々と逆立つのを感じた。
「おいちょっと待て。こいつの銀髪……もしかして指令にあった対象じゃねぇか?」
「まじかよ!じゃあなおさら慎重にお捕まえ申し上げないとな!」
「こりゃお手柄だぜ!3人仲良く昇進かもな!」
自分勝手にベラベラとしゃべる兵士を無視し、怒りの感情に身を任せる。
――村の人も……たくさん死んだんだッ!
心の底からとめどなく沸き上がるようにどす黒い憎悪が精神を埋め尽くす。悪意が、殺意が止めどなく溢れる。――胸が……熱い……
「よーしよし、そのまま大人しくしててねぇ……」
にじりよる兵士たち。だが次の瞬間、マリアが顔を上げたッ――
「お前ら全員ッ、許さないッッッ!!!」
マリアの咆哮に空気が振動するッ。地面が揺れるッ。兵士たちはマリアを中心として放射状の黒いオーラが飛んだような錯覚をおぼえた。
しかし、それ以上なにも起こらない。いきなりの絶叫に一瞬はたじろいた兵士たちだが、すぐに冷静さを取り戻した。
「おいおい、初対面の相手に対するマナーがなってないなぁ!」
「しっかり教育してやらねぇとな!」
「おいっ、さっさと縛り上げるぞ!」
縄を手にした兵士たちは、こちらを睨みつけるマリアに手を伸ばす。だが、彼らがマリアに触れることは叶わなかった。
「なッ!?」「あぁッ!?」「ガッ!?」
短い悲鳴をあげた兵士たちはまるで体の中に爆弾を仕込まれたかのように爆発四散した。周囲に鮮血と肉片を撒き散らし、その場に真っ赤な華を咲かせた。
マリアは悪逆の限りを尽くした彼らの突然の呆気ない死に一瞬放心した。しかし、理由は分からずともこれが幸運な事に変わりはない。血液と内臓が混じったぐちゃぐちゃの肉塊に一瞥もせずに、マリアは西の出口へと走った。
――どのくらい走っただろうか?街道をいくらか進んだところで足が止まってしまった。
「はあッ……はあッ……」
息が切れる。もう走ることはできない。それぐらいわき目もふらずに走ったのだ。
ゆっくりと振り返ったマリアの眼下には、あちこちで燃え盛り崩れゆく、阿鼻叫喚の地獄と化した故郷が広がっていた。キラキラと光る甲冑の兵士たちが豆粒のように見える。
――お前たちなんて、いつか、いつか……
血走った目で彼らを見つめるマリアは肩を震わせた。
「……行かなきゃ」
いくらかして、マリアは踵を返すと足早に歩き始める。彼女が振り返ることは二度となかった。