ep-3. リスカと煙草
赤。
黒。
赤。
黒。
「こんなことはやめなさい」
担任の静かな怒りが、職員室に響いて消える。その澄んだ目は、まっすぐこちらを見つめていた。淀みのない、正義感に満ちたその目が、私には気味が悪くて仕方ない。
「親御さんが悲しむし、自分の体は大切にしないと」
包帯に覆われた私の左手を優しく握って、担任は言った。語尾に、痛切な願いが込められているような僅かな震えを伴っていた。
「……別に、先生に心配される筋合いないです」
「そんなことあるか、秦野は俺の生徒だ。生徒を心配しない先生がどこにいる」
この担任からは、求めてもいない熱血は逆に心を冷やすのだということを学んだ。それはそれは大きな気づきだった。
「…………」
「先生はな、秦野のためを思って言ってるんだ」
ふう、と零したその息から、煙草の葉を燃やした匂いがした。
私は担任が放つその匂いが何よりも嫌いだった。
(一本で五分だっけ)
何かの番組か雑誌で読んだ。煙草一本で寿命が五分縮まると。
ならばこの担任は、緩やかに自身の命を溶かしているのだ。自分でも気づかないほどゆっくりと、だが確実に、この人は死に向かって歩みを進めている。
体を大切にしろと言いながら、彼はその命を煙に乗せて中空に吐き出している。細切れになった命の断片が、紫煙に混じって消えていく。
私の手首に走る赤い線と、同じだった。身体の一部を削り、生の実感を得るための婉曲的な自殺。その先にあるのが死という袋小路だと知っていても、私は剃刀を手放すことができなかった。
私が剃刀を手にした代わりに、彼はライターと煙草を手にした。ただそれだけだと思った。
自傷行為はよくないと、喫煙者のコメンテーターが言う。
自分の体を大切にしろと、ピアスを開けた大人が言う。
若者の自殺を憂いながら、年寄りは酒を酌み交わす。
彼らは己の肉体を死に晒しながら、それに無自覚に他人を断じ続ける。
私は、そんな無意識の高慢さが、嫌いで仕方がなかった。
「……先生は少し席を外すから、その間に少し考えておきなさい」
「……はい」
赤く染まる手首と黒く色づく肺。
そこにどんな違いがあるのか、私にはわからなかった。
あぁ、なんて綺麗な暴力なんだろう。