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滾山の蟒蛇  作者: 木瓜庵
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8.蟒蛇語り

三月(みつき)

それを長く感じるか短く感じるかは、それぞれの立場によって違いがあるだろう。


人知を超えた、天災のごとき破壊と蹂躙を一方的に受ける者たちにとって、その災厄の間隔が三月というのはあまりにも短い。


しかし、飢えに苦しみながら、次の食事ができるまでの日々をただじっと、ひたすら体を丸めて待つしか出来ない身にとってみれば、三月という時間は途方も無く長く感じられてしまうのだ。


彼はその苦しみをこの百年の間ずっと続けていた。


彼は想う。

この山に住み着いて三百年。いや六百年は過ぎただろうか。

もはや今に至っては旧い記憶は曖昧だが、憶えていることもある。

人の肉の旨さだ。


痛みや憎しみ悲しみ憎悪のなかで喰らう人の肉は、忘れがたき甘美な旨さと蕩けるような柔らかさを秘めていた。


これを喰らうためならば、全ての業を受け入れよう。

たとえこの四肢が業の炎に焼かれて崩れ去り、異形となって、もはやその容すら定められぬほどの不確かなる霞のごとき存在に成り果ててもかまわない。


この三月の飢餓を、耐えて生き長らえて見せよう。


雨の日は苦しい。

吹きさらしの山肌で風雨をさえぎるものがなく、寒さと苦しさにただ耐えて雨が過ぎるのを待つしかない。

大きくなってしまった身体では、かつて住み着いていた洞穴のなかへ隠れることがもうできないのだ。


晴れの日はもっと苦しい。

日に近い高い山の頂では、厳しい日の光をそのままに受けてしまう。

眼は潰れ、肌は焼け爛れる。


遥か見渡す先にある谷間の郷できらりと、日の光に反射したなにかが映った。

人影だろうか、こちらじっと見ているようだ。

ああ。

餌だ。

待っていろすぐに食べに行ってやる。


彼は、ひたすらに耐えた。

春が終わり、夏が訪れる。

天空に沸き立つ星々の中に、悠然と浮かんで彼を嘲笑うはずの月が、その姿を隠してしまう夜。


光を失った大地に闇が蔓延り、山を取り囲む鎮護の封が僅かに弱くなるそのとき。

ついに待ち望んだ時はやってきたのだ。


生き延びた彼は三月ぶりにその巨躯を悠然と動かした。

尾の先から身体を闇の中に溶かしてゆく。

漆黒に流れる体は、山間いの雪解け水が湧き出す小川の水面の上を、歓喜に波打ちながら這い進んでゆく。

やがて小川の流れが集まって、小さなせせらぎになると、黒い影は水の中に溶け込んで、その流れに身をまかせ進み始めた。


川はまたたくまに山を降り、注連縄の張られた山域の境界を越えて人の棲む世界へと流れを増していった。


そして、川の流れが緩やかになり最初の淀みのたどり着いたとき、彼は川の中からゆっくりと河原へ這い出していった。


見上げれば小高い丘の上に寄り添うように人家が集まっている。

そのどれもに明かりが灯り、夕餉の支度をしているのだろう、屋根から湯煙がでいてる。

選り取りみどりではないか。


彼は舌なめずりをすると、楽しそうに腹の鱗をかちかちと鳴らして丘の上を目指して進み始めた。


村の中へ入り、広場の中へ進んだときふと彼は立ち止まる。

そういえばここにはつい最近来たことがある。

三月前、男や女を喰った村だ。

残念なことに柔らかそうな子供の肉を食うことができなかった。

なぜだっただろうか。

そうだ。あの時、それを拒んだ者がいたのだ。

あれは――


ひゅん


唐突な風切り音に、彼は思索をやめて我に帰った。

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