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滾山の蟒蛇  作者: 木瓜庵
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後書き/用語説明

# 後書き


作中に登場する、または名前や呼び名で語られる人物のうち、実在の人物(記紀に伝わる人物を含む)を、物語での役割の大きさによって四つに分けて挙げます。その前に、主人公の名字である葛貫氏と、物語の舞台に関わる土地について記します。


## 葛貫氏(つづらぬきし、くずぬきし)

- 作中:1話ほか(葛貫九郎、葛貫平九郎匡常)

- 坂東八平氏に数えられる秩父氏の一族で、平将恒を祖とする秩父平氏の流れをくむ。秩父重隆の子・能隆が、武蔵国入間郡葛貫(現在の埼玉県毛呂山町)の牧か国衙の別当を務めて「葛貫別当」と称したのが始まりとされる。

- 1155年の大蔵合戦で父の重隆が同族の畠山重能らに討たれて本拠の大蔵を失うと、能隆は河越へ移り、子の重頼とともに河越館を築いて河越氏の祖となった。

- 一族の葛貫盛重は、1213年の和田合戦で討死したと『吾妻鏡』に記される。

- 葛貫の名が史料に現れるのは十二世紀のことで、作中の時代より後になる。


## 伊吹山(いぶきやま)

- 作中:滾山

- 滋賀県米原市と岐阜県の境にそびえる伊吹山地の主峰で、標高は1,377メートル。近江と美濃の国境にあたり、滋賀県の最高峰でもある。

- 古くから霊峰として信仰を集めた。日本武尊が東国平定の帰りにこの山の神に挑み、敗れて病を得たと記紀に伝わる。山の神の姿を『古事記』は牛ほどもある白い猪、『日本書紀』は大蛇とする。

- 古い表記には、『古事記』の「伊服岐能山」、『日本書紀』の「胆吹山」「五十葺山」などがある。

- 伊吹山を背にして建つ垂井町の伊富岐神社は、式内社で美濃国の二宮とされる。祭神は伊吹山の神とされ、八岐大蛇とする説や、この地に勢力をもった伊福氏の祖神とする説がある。伊福部を、踏鞴で火を吹く製鉄に関わった部とみる説もある。

- 奈良絵本『酒典童子』では、伊吹山の伊吹大明神(八岐大蛇)と、近江国須川の長者の娘・玉姫とのあいだに生まれた子が、のちの酒呑童子とされる。

- 豪雪の山として知られ、1927年に観測された積雪1,182センチメートルは世界記録とされる。薬草の山としても名高く、「伊吹もぐさ」の産地である。


## 粕川(かすかわ)

- 作中:霞川

- 揖斐川の支流。伊吹山のふもとから流れ出る長谷川を源とし、貝月山から下る美束川と旧春日村の川合で合わさって谷を下り、池田町を流れて揖斐川へ合流する。長さは約18キロメートル。

- 平安時代の史料では「糟河」と書かれる。1035年の池田郡司五百木部惟茂の文書では、惟茂が差し出した名田の境として「糟河」「糟河社」「糟河古河」の名が挙がっている。

- 扇状地を流れる川で、流路はたびたび移り変わった。1589年の検地のころは沓井の南西を流れていたが、のちに洪水で南北二筋に分かれ、1617〜18年や1680年などの洪水を経て、北側の流れが次第に本流になった。1677年には、北へ移る前の河原が新田として開かれたともいう。


## 春日郷と春日村(かすがごう、かすがむら)

- 作中:霞谷郷(20話で宇治大納言が「細石の里」と呼ぶ)

- 平安時代の辞書『和名類聚抄』には、美濃国池田郡の郷として額田・壬生・小島・伊福・春日・池田の六郷が記される。春日郷は、702年の美濃国の戸籍にみえる「春部里」の後身と考えられている。古代の春日郷がどこにあたるかについては諸説がある。

- 近代の春日村は、1889年に粕川上流の六つの村が合わさってでき、1897年に池田郡から揖斐郡へ移った。岐阜県の最西端で滋賀県に接し、伊吹山のふもとにあたる。2005年に周辺の町村と合併して揖斐川町となった。

- 村内には、『古今和歌集』の賀歌をもとにした「君が代」に詠まれるさざれ石があり、さざれ石公園として知られる。

- 粕川の源流にあたる貝月山の東のふもと、春日美束の長者平には「粕川長者」の伝説が残る。672年の壬申の乱で大友皇子が敗れたのち、皇子の妃・満姫がその子を連れ、家臣たちとともにこの山中へ逃れて田を拓いた。やがて砂金が見つかって里は栄え、皇子の子は粕川長者と呼ばれるようになり、最も盛んなころには三百戸余りの集落になったという。里は平安時代の末、盗賊・熊坂長範の一党に襲われて滅んだと伝わる。この地で鉄がとれたことが、体が鉄のように硬かったという伊吹童子(酒呑童子)の伝説につながったともいわれる。


## 物語に直接登場して筋を動かす人物


### 伊福部惟茂(いふくべのただしげ)

- 生没年:不詳

- 作中:1話ほか(池田郡司)

- 美濃国池田郡の郡司。史料では五百木部宿祢惟茂と記される。池田郡伊福郷に先祖から受け継いだ六十八町余りの名田畠を持っていたが、国に納める官物の未納が四百斛余りに積み重なり、1035年にこれを国守(美濃守源頼信と考えられる)へ差し出して、翌1036年に国司の判を得た。この経緯を記した文書が、藤原為房の日記『為房卿記』の紙背文書として伝わる。惟茂の名田があった伊福郷は、現在の池田町沓井・養基のあたりにあたる。

- 伊福部は「いおきべ」とも読み、五百木部と書かれることもある。ただし、本来は皇子の名代である五百木部と、鍛冶に関わる伊福部とは別のもので、のちに混同されたとする見方もある。伊福部は美濃国に特に多く、702年の美濃国の戸籍にもその名がみえる。


### 池田公貞(いけだのきみさだ)

- 生没年:不詳

- 作中:13話ほか(池田荘領主、式部少輔紀朝臣公貞)

- 系図に伝わる人物。紀長谷雄の孫・維実(池田宮内少輔)は、母が美濃国池田郡の領主・維将の娘で、池田荘を受け継いで池田を称した。公貞はその曾孫にあたり、系図では池田式部少輔、従五位下とされる。母は河内守源頼信の娘。摂津国豊島郡に移り住み、摂津池田氏の祖になったと伝わる。子の奉貞は豊島冠者と号した。池田氏の発祥には美濃・摂津・尾張などの説があり、紀氏流のほかに物部氏の後裔とするものや源氏の流れを称する系図もあるが、いずれも後世に作られた系図によるもので確かなことは分かっていない。


### 池田淑貞(いけだのとしさだ)

- 生没年:不詳

- 作中:16話ほか(公貞の弟)

- 系図に伝わる人物。池田維貞の子で、公貞・公貫の兄弟。池田紀七と記される。事績は伝わっていない。


### 源義光(みなもとのよしみつ)

- 生没年:1045年~1127年

- 作中:17話ほか(源三郎、新羅三郎義光)

- 源頼義の三男。近江の新羅明神の社前で元服し、新羅三郎と称した。後三年の役では兄義家を助けるため官を辞して奥州へ下ったと伝わる。笙の名手としても知られ、甲斐源氏や常陸佐竹氏の祖とされる。


### 紀頼任(きのよりとう)

- 生没年:不詳

- 作中:14話(刑部大輔紀朝臣頼任)、18話・19話(紀刑部輔)

- 紀長谷雄の子孫で、紀為基の子。紀氏の系図には儒者と注記され、刑部大輔、従四位上とされる。父の為基も式部大輔を務めた儒者で、学問の家の人物だった。子の宗成は高橋を名乗って1059年に御厨子所預に任じられ、天皇の食事を扱うこの役を代々受け継ぐ地下家・高橋氏の祖となった。


### 源隆国(みなもとのたかくに)

- 生没年:1004年~1077年

- 作中:20話ほか(宇治大納言)

- 源俊賢の次男。権大納言。夏の間は宇治の平等院南泉房に籠もり、往来の人々から聞いた話を書き留めたと伝わり、宇治大納言と呼ばれた。『宇治大納言物語』の作者とされ、『今昔物語集』の編者に擬する説もある。


### 源義家(みなもとのよしいえ)

- 生没年:1039年~1106年

- 作中:28話ほか(八幡太郎)、39話

- 源頼義の長男。石清水八幡宮で元服し、八幡太郎と称した。父とともに前九年の役を戦い、のちに後三年の役を平定した。武勇に優れ、東国武士の信望を集めた。


### 源国房(みなもとのくにふさ)

- 生没年:不詳

- 作中:27話ほか(美濃七郎、治部丞源国房)

- 源頼国の子で、源頼光の孫。美濃を地盤とした。1064年頃、郎党同士の争いがもとで源義家に館を襲われ、逃れたと伝わる。1079年には美濃国で源重宗と大規模な合戦を行った。


## 蛇の由来と謎解きに関わる人物


### 大碓皇子(おおうすのみこ)

- 生没年:不詳(記紀に伝わる人物)

- 作中:15話(兄皇子)

- 景行天皇の皇子で、小碓皇子の兄(『日本書紀』では双子)。美濃の美しい姉妹を召し出すよう命じられながら、自ら姉妹と通じて復命しなかった。『古事記』では弟の小碓に手足をもがれて殺される。『日本書紀』では美濃に封じられ、同地の氏族の祖とされる。


### 日本武尊(やまとたけるのみこと)

- 生没年:不詳(記紀に伝わる人物)

- 作中:15話(弟皇子)

- 景行天皇の皇子で、名は小碓。熊襲建を討ってヤマトタケルの名を得た。東国を平定した帰途、伊吹山の神に挑んで病を得、伊勢の能褒野で没し、白鳥となって飛び去ったと伝わる。


### 景行天皇(けいこうてんのう)

- 生没年:不詳(記紀に伝わる天皇)

- 作中:15話(帝)、22話

- 記紀に第十二代として伝わる天皇。大碓皇子・小碓皇子(日本武尊)らの父。熊襲征伐に自ら赴き、また日本武尊に西征と東征を命じたとされる。


### 楽広(がくこう)

- 生没年:不詳~304年

- 作中:5話ほか(楽広の蛇影)

- 西晋の官人。字は彦輔。尚書令に至る。杯に映った弓の影を蛇と思い込んで病になった客に、その正体を示して病を治した話が「杯中の蛇影」の故事として『晋書』に伝わる。


### 賀茂保憲(かものやすのり)

- 生没年:917年~977年

- 作中:5話ほか(賀茂主計頭、当世随一の天文博士)

- 陰陽家。賀茂忠行の長男。暦博士、天文博士、陰陽頭、主計頭などを歴任し、暦道・天文道を担う賀茂家の基礎を築いた。安倍晴明を導いた人物としても知られる。


### 藤原高光(ふじわらのたかみつ)

- 生没年:939年頃~994年

- 作中:5話(多武峰少将入道)、18話(右近衛少将高光)

- 藤原師輔の子。右近衛少将。961年に比叡山横川で出家し、翌年に多武峰へ移って多武峰少将と呼ばれた。三十六歌仙の一人で、『多武峯少将物語』の主人公。美濃国で妖怪を退治したという伝承も残る。


## 登場人物の過去や背景として語られる人物


### 平忠常(たいらのただつね)

- 生没年:967年頃~1031年

- 作中:1話ほか(上総介忠常)

- 房総の豪族。上総介、武蔵国押領使などを務めた。1028年に安房の国府を襲って反乱を起こし(平忠常の乱)、追討は長期化したが、1031年に源頼信へ降伏。京へ護送される途中、美濃国野上で病没した。


### 源頼信(みなもとのよりのぶ)

- 生没年:968年~1048年

- 作中:12話ほか(濃州受領、河内守頼信)

- 源満仲の子。藤原道兼・道長に仕え、美濃守、河内守などを歴任した。1031年に平忠常を降伏させて東国に源氏の足場を築いた。河内国壺井を本拠とし、河内源氏の祖とされる。


### 源頼光(みなもとのよりみつ)

- 生没年:948年~1021年

- 作中:6話(左馬権頭源頼光)ほか

- 源満仲の長男。藤原道長に近く仕え、左馬権頭を務めたほか、美濃守、摂津守、伊予守などを歴任した。大江山の酒呑童子退治や土蜘蛛退治の伝説で名高い。


### 紀長谷雄(きのはせお)

- 生没年:845年~912年

- 作中:14話・19話(紀納言)

- 平安前期の学者・漢詩人。菅原道真に学び、文章博士を経て中納言に至った。紀納言と呼ばれる。朱雀門の鬼と双六を打った説話(『長谷雄草紙』)で知られる。


### 藤原兼通(ふじわらのかねみち)

- 生没年:925年~977年

- 作中:5話(堀川の相国、堀川殿)、18話

- 右大臣藤原師輔の次男。弟の兼家と激しく争いながら関白・太政大臣に昇った。邸宅にちなみ堀河殿と呼ばれた。


### 後三条天皇(ごさんじょうてんのう)

- 生没年:1034年~1073年

- 作中:28話(皇太弟・尊仁親王)、39話

- 第七十一代天皇(在位1068年~1072年)。後朱雀天皇の皇子で、名は尊仁。藤原摂関家を外戚としない天皇として即位し、延久の荘園整理令を出して記録荘園券契所を設けるなど、親政を進めた。


### 藤原頼通(ふじわらのよりみち)

- 生没年:992年~1074年

- 作中:28話(宇治相国、宇治殿)

- 藤原道長の長男。後一条・後朱雀・後冷泉の三代にわたり、約五十年間摂政・関白を務めた。宇治の別業を寺に改めて平等院とし、鳳凰堂を建立した。


### 高階業敏(たかしなのなりとし)

- 生没年:不詳

- 作中:1話(濃州受領)

- 高階業遠の子。1052年に美濃守として在任していた記録が残る。


## 名前や系譜で触れられるだけの人物


### 後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう)

- 生没年:1025年~1068年

- 作中:1話ほか(39話の「先帝」)

- 第七十代天皇(在位1045年~1068年)。後朱雀天皇の皇子で、母は藤原道長の娘・嬉子。在位中に前九年の役が起こる。皇子に恵まれず、崩御後は異母弟の尊仁親王(後三条天皇)が即位した。


### 平将恒(たいらのまさつね)

- 生没年:1007年頃~1057年頃

- 作中:1話(武蔵権大掾六郎将恒)

- 平忠頼の子で、平忠常の兄弟。武蔵権大掾。武蔵国秩父を本拠とし、秩父平氏の祖とされる。忠常の乱には加わらなかったと伝わる。前九年の役で戦死したともいう。


### 平将門(たいらのまさかど)

- 生没年:不詳~940年

- 作中:2話(忠常の祖父として語られる)

- 下総の豪族。一族の争いから常陸の国府を襲い、関東の国々を従えて「新皇」を名乗った(承平天慶の乱)。940年、平貞盛と藤原秀郷に討たれた。


### 円融天皇(えんゆうてんのう)

- 生没年:959年~991年

- 作中:5話

- 第六十四代天皇(在位969年~984年)。村上天皇の皇子。在位中は藤原兼通・頼忠が関白として政務を執った。


### 源高明(みなもとのたかあきら)

- 生没年:914年~983年

- 作中:20話(西宮殿)

- 醍醐天皇の皇子で、臣籍に下って源姓を賜る。左大臣に至るが、969年の安和の変で失脚し大宰府へ左遷された。西宮左大臣と呼ばれ、儀式書『西宮記』を著した。


### 源俊賢(みなもとのとしかた)

- 生没年:960年~1027年

- 作中:20話

- 源高明の子。権大納言。藤原道長の政権を支え、藤原公任・斉信・行成とともに「四納言」と称された。


### 源満仲(みなもとのみつなか)

- 生没年:912年~997年

- 作中:28話

- 源経基の子。969年の安和の変で謀反を密告し、源高明失脚のきっかけを作った。摂津国多田に土着して多田院を開き、多田源氏の祖となった。


### 源義綱(みなもとのよしつな)

- 生没年:1042年頃~1134年頃

- 作中:28話(賀茂次郎)

- 源頼義の次男。賀茂神社で元服し、賀茂次郎と称した。前九年の役で戦功をあげ、陸奥守や美濃守などを歴任して一時は兄義家に並ぶ勢いを得た。のちに甥の源義忠暗殺事件で子が疑われ、近江甲賀山に籠もった末に佐渡へ流された。


### 清和天皇(せいわてんのう)

- 生没年:850年~881年

- 作中:39話

- 第五十六代天皇(在位858年~876年)。文徳天皇の皇子。幼くして即位し、外祖父藤原良房が政務を担った。子孫が清和源氏となる。


### 源経基(みなもとのつねもと)

- 生没年:917年頃~961年

- 作中:39話(六孫王経基)

- 清和天皇の孫とされ、六孫王と呼ばれる。武蔵介として平将門の謀反を訴え、のちに藤原純友の乱の鎮圧に加わった。清和源氏の祖。


### 源頼義(みなもとのよりよし)

- 生没年:988年~1075年

- 作中:39話(鎮守府将軍頼義)

- 源頼信の長男。陸奥守・鎮守府将軍として前九年の役を戦い、子の義家らとともに安倍氏を滅ぼした。のちに伊予守。


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