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滾山の蟒蛇  作者: 木瓜庵
39/39

39.英雄譚

刹那。


ざんっ


ざんっ


どこからか飛来した2本の矢が、狙いを違わず、大蛇の両眼の玉を同時に貫く。


「ぎゃぁあああああ」


葛貫の眼前で大蛇が奇声をあげてのたうち回った。


その隙を突いて、翼が葛貫へと駆け寄る。


「葛貫様っ」

「ここはまずい、ともかく離れるぞ」

葛貫は駆け寄る翼の手をとって、踵を返すと大蛇の眼前から逃げ出す。

二人は走りながら、矢が放たれたであろう屋根の上を見上げた。

しかし屋根の上の源三郎はまだ矢を撃つ支度を整っていない。

源三郎もまた、自分の頭上を悠々と越えて大蛇の両目を射止めた矢の主を探して、さらに後ろへと振り向く。


そのとき。

葛貫と翼のすぐ横を、一騎の葦毛馬が風を切って駆け抜けた。


二人は驚きながらもその馬を背を見返すと、葦毛馬の馬上には大鎧の武者が大弓を携えて跨り、大蛇の眼前へと悠然と進んでゆく。


おそらくこの馬上の武者こそが、一射で二矢を見事に当てた本人なのだろう。

武者は大蛇より百歩ほどの辺りで葦毛馬を止めると、改めて大弓に強壮な征矢を番え、それをきりきりと引き絞った。


「彼は一体――」

息を呑む葛貫。

丁度、二人の側へ辿り着いた源三郎がそれに応えた。


「あれは兄者だ」


その時、大鎧の武者は大蛇に向かって、大音声を上げた。


「やあやあ――っ。遠からん者は音にも聞け、近くば寄っては目にも見よ」


声は霞谷の谷間に轟き、木霊となって郷全体へと響き渡った。


「我こそは清和天皇六代の描裔、六孫王経基の末葉、河内守頼信の孫、鎮守府将軍頼義の嫡男にして、河内国香炉峰の住人、八幡太郎義家なり」


眼を潰されて荒れ狂っていた大蛇はその声に気づいて動きを止め、ゆっくりと声の方へ頭を向けた。

義家はそんな大蛇に不敵な笑みを浮かべてみせる。


「そこに居るは、長きに渡り霊峰滾山の地主(とこぬし)の座を簒奪し続けた、悪名高き蛇体の荒神と心得る」


「うるさいぃぃ。くずぬうううきいいいはどおおおこだああああ」


大蛇の口から人語の叫びが溢れ出る。

それだけでも奇怪な出来事だが義家は一歩もひるまず大蛇に対峙ずる。


「聞け。もはや葦原の中つ国に八百万神の顕現し、神奈備に居座ること能わず。神々の時代は過ぎた。今この地を耕すは人であり、差配するのもまた人である」


「いまこそ、我が守神、八幡大菩薩の名を以て、その百代の暴虐を戒め、この大弓で鎮め奉らん」


「くずぬきぃぃぃぃぃぃいいいいいいい」


「いざ。滅せよ――」


言うが早いか義家は引き絞った弓を放った。



ひゅううううううううん



それは、長きにわたる人と化け物との血みどろの生存競争に終止符を打つ一矢。


矢羽根が谷を巻く追い風を捉え、螺旋状に空を切り裂きながら、大蛇の命宮を目掛けて、矢鳴りを轟かせた。


そして寸暇音がすべて消える。


「―――」


矢の軌道を眼で追いながら、葛貫はまるで大きな時代の終わりの瞬間に立ち会ったような錯覚に囚われてしまう。

ここへ至るまでに流された多くの血を想って心を軋ませた。

そして、


たーん


と矢が大蛇の頭を貫くと。


ぱんっ


と弾けるように大蛇の首が飛んだ。

首と胴が引き離された荒神の神体は、その場で白い砂となって谷風に舞い散った。


そして。


大蛇は全て消滅した。




「消えた――」


青空へと帰ってゆく白い砂を見つめながらも翼は葛貫の服の袖をぎゅっと掴んで離そうとしない。


「どうやらそのようだな」


葛貫は気の抜けた返事しか出来ない。


「葛貫殿っ」


聞き覚えのある声に振り向くと、池田公貞が、大勢の騎馬武者を引き連れて霞谷の村外れへと姿を見せたところだった。


「鶉との戦いも勝ったか」


源三郎は血まみれながらも意気揚々としている騎馬武者達を見ながらそうつぶやいた。




一方の公貞は馬から降りて葛貫たちのもとへと駆け寄ってくる。


「葛貫殿、その手足は――大蛇の呪いは解けたということですか。それに霞谷の姫御もよくぞご無事で」


「――池田様。数々のご尽力心よりお礼申し上げます」

翼は公貞に深々と頭を下げた。

都で翼が源三郎に助けられたのは公貞が手を回してくれたためだと翼はなんとなく気付いていた。

今までに数度、父に連れられて会っただけの相手を気にかけられる人はなかなかな居ない。

それだけも大恩といっていい。

今回のことで翼は沢山の助けに支えられてここまで来れたと感じている。

いつか自分が大人になったときに同じことが出来るようになりたい。と、翼は感じていた。


「なにを言われる。あなた方こそ、この濃州の為に命を賭された。この国に住む者として感謝申し上げる」


我が事のように喜ぶ公貞に、葛貫はしかし笑顔をみせられず、静かに目を伏せた。


「すまぬ。池田殿。弟御を守れなかった。むしろ私が守られて命を長らえてしまった」


公貞は、葛貫たちの中に弟の姿が無いことで、なんとなく事情は察していたが、「やはり――」と小さくつぶやいて目を曇らせた。


「―――淑貞は葛貫様のように、誰かを護れる者に成りたいと常日頃言っていました。葛貫様を護り命を落としたなら弟の本望なのでしょう」


「――――」


葛貫は返事に窮し口を閉ざす。

そして、もはや告げるべき家族もいない、もう一人の死にもまた、改めて涙した。



「皆の者っ」


彼方で河州の兵達に囲まれた騎上の八幡太郎義家が大弓を天に掲げて声をあげている。


「万古の荒神は鎮まり、宿敵美濃七郎は退けた。勝ち戦じゃっ。鬨を作れっ」


言うと弓杖で地面をどんどんどんっ三度叩き、


「えい、えい、えい――」


と三声の鬨をあげる。

続けて、義家を取り囲む兵士達が弓や刀を空に掲げて、


「応――っ」


と大声で勝ち鬨をあげた。




「これで全部終わり――なのでしょうか」


益荒男達の勝ち鬨を聞きながら翼はぽつりと呟いた。


「終わりだ」


葛貫はその場にしゃがみこんで答えた。


翼はそんな葛貫の横顔を盗み見る。


「では、これから葛貫様はどうされるのですか」


「儂か。そうだな――手足も戻ったし、命も長らえた。旅へでも出るか」


「何処へむかわれるのですか」


翼に問われて、葛貫は思案をめぐらせて答える。


「何処なりとも」


葛貫は青く澄んだ空を見上げてそうつぶやいた。


「では私もついていきます――」


その言葉に葛貫は驚いて翼の方を見返す。


「もう、離れるつもりはないです」


笑顔の翼に葛貫は少なからず戦慄を感じた。

少女と謂えど大蛇の化け物を己の才覚をもって倒すほどの傑物だ。

そう易々と出し抜ける相手ではなさそうだ。


――これは困った――


と葛貫は心の中で笑った。





それから暫く後の治暦四年四月十九日。

先帝の崩御に伴い、皇太弟が即位して後三条天皇となり、時代は大きな変革の時期を迎えた。


摂関家の勢力は衰え、代わって天皇親政を支える武士という身分が権力の中枢を席巻する。

八幡太郎義家とその兄弟達もまた、帝の爪牙としてその辣腕を振るうことになる。


かくして時はゆっくりと、しかし確実に武士と戦の時代へと変わってゆく。


英雄という存在もまた、義家のごとき戦場を駆ける名将へと姿を変え、古き世の兵者(つわもの)と呼ばれる武勇の者が、未開の山野や、都の廃墟で荒ぶる化け物と戦う英雄譚は失われ消え去って逝くのみである。


そして。

この「滾山の蟒蛇」と呼ばれる大蛇を葬った少女の伝説もまた今に伝わらない。





                   完

最後まで読んでいただきありがとうございます。

是非ご感想をよろしくお願いいたします。


所々伏線回収ができていないので、

今後も加筆を続けていければと思っています。


でもとりあえずは次のお話を考えたいです。

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