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滾山の蟒蛇  作者: 木瓜庵
38/39

38.始まりの大蛇

葛貫の視界に見える世界に暗闇はなかった。


どこまでも深く遠くまで広がる青空。


新雪を抱いた滾山の頂が切ないまでに白く透き透るようである。


「葛貫様――」


呼ばれて顔を向けると、間近に見覚えのある少女の、初めて見る笑顔があった。

霞谷(たすき)。かつて葛貫が助けた少女だ。


「霞谷の姫。なぜここに」


「あなたに会いに来ました。あなたに伝えたいことがあったのです」


「儂に伝えることとは一体――」


「もう伝えました」


翼はそういってもう一度はにかむ。


「それよりも葛貫様。そろそろ降ろしては頂けませんか。少し恥ずかしいのですが」


「な――」


言われて葛貫は初めて自分達の今の状況に気付く。

葛貫は、一糸纏わぬ姿で、()()で仁王立ちになり、()()で翼を抱き上げている。

翼も葛貫の首に手を回しているのでお互い様かもしれないが。


葛貫は翼を地面に降ろしながらも、まだぎこちなく自分の手足を見比べている。


「これは一体――。何故儂に手足があるのだ」


「簡単です。葛貫様の手足は初めから無くなってなどいません。いわゆる、ええと、楽広の蛇影です」


「思い込み――ということか。姫。何故あなたにそれがわかるのだ」


「私はあなたが大蛇の呪いに冒されたと知り、その呪いを解く術を探っていました。そこから導きだした答えです。もっとも、手足のことは偶然ですが。人が化けた大蛇にどうして頭が五つあるのか。その理由を考えていたときに思いつきました」


「人が化けた大蛇――そうだ。儂は確かに今しがたまで確かに蛇であった。狂気に取り付かれ蛇になったのだ。黒い靄の中でただ怒りの衝動だけで破壊を望んだ。儂は――」


葛貫はそこで言葉を止めた。

そしてゆっくりと落ち着いた口調で続ける。


「化け物になったのだ」


「でも、あなたは戻って来れました」


「戻れた。のか」


「はい」


「だが儂は多くの罪を犯した。誰も助けられず、多くを殺してしまった」


「その罪は、私も共に背負います。ですからあなたはあなたの思うままに生きてください。あなたが助けられなかった人のためにも。私はそう思って生きるつもりでいます」


「思うままに――生きる」


翼の言葉に、葛貫はあふれ出る涙を止められなかった。

翼は両手で震える葛貫の手を掴む。


「生きてください。お願いします」


葛貫は涙を流しながらその翼の言葉に大きくうなずいて見せた。


そして。

その時。


翼の耳に、源三郎の叫び声がようやく届いた。


「――っ」


翼が顔をあげると、源三郎が屋根の上をこちら向かって走りながら何かを叫んでいる。

走りながら肩に背負った大弓を手元に引き寄せると、弓を番えようとしていた。


「後ろだっ。振り返れっ」


翼はようやく源三郎の言葉を聞き取った。

葛貫も聞こえたようで、二人でぱっと後ろを振り返る。


そこには人の背丈をゆうに越えるほどの巨大な鎌首をもたげた蛇が、二人に向かって真っ赤な口を広げて迫っていた。


翼はそのときはじめて最後の疑問に対する応えに思い至る。


そう。

始まりの蛇はどこへ行ったのか。


弟に手足をもぎ取られ、打ち捨てられた兄は蛇と化して滾山の主となり、後に弟を殺したとされている。

その蛇は、次の者が大蛇になったとき退治され息絶えていたのか。


おそらくそれは違うのだろう。


最初の蛇は、長い長い年月の間、次々と生み出される黒霞の大蛇の中に潜んでいたのだ。大蛇を支配するために。そして今、人に引き戻された大蛇を再び手に入れるため、この場に姿を見せたのである。


「葛貫様っ」


叫びながら葛貫に走り寄る翼。

葛貫はそんな翼の身体を片手で軽々と持ち上げ、そのまま近くの雑木の端へ向けて投げ出した。


葛貫は悟る。武器一つ持たない葛貫が、翼を守り、そして蛇に勝つ可能性は限りなく低い。

しかし、そのどちらか一方の可能性はあるかもしれない。


蛇に勝てなくても、翼を守ることはできるのではないか。


葛貫の覚悟を悟ったかのように、金切り声をあげた蛇は大きな口を開き、地面で大きく撓ると、


ばっ


と跳躍して、空中より葛貫の頭を丸呑みにせんと襲い掛かった――

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