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滾山の蟒蛇  作者: 木瓜庵
33/39

33.瑕疵

「我が宿願。遂に果たせり」


惟茂は、抑えきれない笑みをこぼしながら、矢雨によって蜂の巣になった滾大神社の拝殿を見渡す。


しんと静まり返った拝殿の中。

室内には、白い埃が舞っていて、まるで靄のように煙っている。

しかし、そこには何者も動く姿は見当たらない。

おそらく、この場が逃れられるものなど誰一人いない筈だ。


仮初めの手負いの領主も、若き代官も、この郷を差配するものは息絶えた。

残ったのは、惟茂一人。

もはや霞谷郷を領する障害など一つも無い。

いったいどれ程この時を待っただろうか。

たしかに手に入れたこの場所は、大蛇の跳梁と崖崩れで廃村寸前のさびれた村ではある。

が、所領は所領である。この地を足掛かりにいずれは大荘園を築きあげてやろうではないか。


沸々と湧き上がる野心の炎を理性で押しとどめ、惟茂は脇に控えた郎党の一人を呼び寄せた。


「よいか。すぐに郡家に戻り、先ずは事の成功を治部丞様に伝えろ。それが終わったら池田荘に早馬を走らせるのだ」


「内容はこうだ『池田淑貞、霞谷押領を謀って領主・葛貫九郎殿を謀殺。それを察知した私が、淑貞を誅殺せり』とな」


「承知しました」


郎党は頭を一つ下げるとその場から足早に立ち去る。


「公貞め必ず弟の仇を討つためにここへ攻め入るはずだ。さすれば私と治部丞様で挟撃してくれるわ」


惟茂に迷いはなかった。

あの若き日、先祖の切り開いた田畑を国衙に奪われて以来、国衙への、権門への、朝廷への逆心が胸のうちに常に渦巻いていた。

しかし承平天慶の乱や長元の乱の顛末を見るに、ただ力任せに国衙に叛く事が良い結果を生んだ試しがない。

策の上に策を重ね、長い年月をかけて機会を狙い、遂に今それが実現しようとしているのである。


「火矢を持てい。ここを狼煙にしてくれる」


惟茂の言葉に兵達は即座に矢に火をくべ、拝殿へ向けて仰角に番えた。


「死体ごと燃やし尽くせ、跡形も残すな」


言われて兵達は一斉に火矢を放つ。

茅葺の屋根に刺さった火矢は、あっという間に屋根一面に火を巻き込んだ。

更には木の柱や、床板といったものにも延焼をしてゆく。


「ここはこれでよいであろう。者共、次はこの霞谷郷を制圧するぞ。家々を回って全ての領民を広場に集めろ。急げ、寸暇を惜しむな」


言われて郎党達は「応っ」と答えると、家々に向かって四散して駆け出す。

惟茂はその後を追うように広場へ向かって悠然と歩き始めた。


伊福部惟茂。

このとき老境の策士は、その苦渋の人生を経て、ようやくの満願成就の期に、浮き足立っていたのかもしれない。

いつもなら常にその思考の内に入れておく筈の、無数の情報から導き出される可能性の糸を一つ、見落としていた。


それは治部丞源国房より、都の賢人の一説として聞き及んだものであった。

曰く、滾山の蟒蛇と呼ばれる怪異は人の怨念より生じるもので、それは連鎖し、蟒蛇を討ち果たしたものに呪いとして降りかかり、新たな蟒蛇を生み出す。


馬鹿馬鹿しいと一蹴したそれであるが、仮に、もしかしたらという可能性を考慮しても、この策に瑕疵は無いはずであった。


しかし、惟茂はそれを見落とした――


どぉぉぉおおん


という、激しい爆音が背後から轟き、その場にいた惟茂やその郎党達は驚いて後ろを振り向く。


燃え盛る滾大神社の拝殿。

その屋根が内側から弾け飛ぶように粉々になって宙に四散する。


そして壊れた屋根にあいた大きな穴から、巨大な漆黒の蛇頭が五つ、むくりとその鎌首をもたげながら這い出そうとしている。

怪しく光る十の蛇眼。


「な。なんだと――」

驚いた惟茂はたたらを踏みながらも、脇に刺した太刀の柄に手をかけた。


次の瞬間。


ぱんっ


と、黒い疾風とともに何かが破裂する音が響く。

驚く郎党たちが、音の方を振り向いた。


するとそこには、太刀を今まさに抜き放とうとしている伊福部惟茂。


しかしその首から上は、見事なまでに弾け飛んで無くなっていた。



「だ、大蛇っ」

「逃げろ。逃げるんだ」



郎党たちは、一様に戦慄の表情を浮かべながら、大蛇に背を向けて逃げ出し始める。


その様子を黒霞の大蛇はじっと目を細めて眺めながら、ちゅるりと舌を出した。



そして殺戮が始まった―――

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