31.刀傷
部屋へ差し込む朝日が、不意に何かの影にさっと遮られる。
影はゆらゆらと揺らめいて、視界を何度か往復した。
まどろみの中にいた葛貫はそのゆらめきに急かさせるように、意識を覚醒していく。
目が覚めていくとともに胸の刀傷のじんとした痛みもまた蘇ってきた。
命に別状は無いが、しばらく痛みは続くだろうと淑貞は言っていた。
二日前の夜、自らがつけた傷。
今まで戦場で負ったどんな傷よりも、酷い痛みに感じてしまう。
心の傷とでもいうのだろうか。傷口の奥が痛く熱い。
あの時、初衣に諭された言葉全てが、葛貫の傷口を抉っているようだ。
己の不甲斐なさを悔いるばかりである。
そういえば一昨日から初衣の姿を見ていない。
淑貞は用事で里へ降りていると言っていたが、戻ってくるかどうかわからない。
だがもし今度会うことが出来たなら、謝るべきだろう。そして、感謝をするべきなのだろうと思う。
そんなことを考えながらふと顔をあげると。
葛貫が横たわる布団のすぐ脇に、壁に頭をもたれかけるようにして後向きに人が座っていた。
葛貫は一瞬ぎょっとなるが、その後姿や、着ている服から、それが初衣であるとすぐにわかった。
「初衣殿」
葛貫は声をかけるが反応が無い。
「初衣殿。寝ておられるのか」
もう一度、少し声を張ってみる。
それにも反応が無いことに、葛貫は不気味さと違和感を感じた。
肩がぴくりとも動いていない。
そして、朝露の匂いのなかにかすかに混じる鉄臭い危険な匂いに葛貫の表情が鋭くなる。
「初衣殿。おい。聞いてるのか」
叫ぶ。
しかし初衣は振り返らない。
葛貫は傷の痛みに耐えながら、腹に力を込めるとごろりと身体を横に回転させながら初衣に近づく。
「おい。目を覚ませ」
葛貫の頭が初衣の背中にとんっと触れる。
すると初衣の身体はぐらりと体制を崩し、葛貫の真横にむかって、どさっと仰向けに倒れこんだ。
「―――」
その姿に葛貫は言葉を失い息を呑む。
倒れた初衣の胸には、深々と一本の太刀が刺し込まれていた。
「っ。初衣殿、こちらを見ろ。まだ生きているか」
初衣に向かって叫ぶ。
しかしその憂いを孕んだ半眼の瞳は微動だにせず、初衣の死が現実であることを再確認しただけとなってしまった。
「誰が何故このようなことを」
葛貫は一度息を整えると改めて初衣の亡骸を見返す。
胸の刺し傷以外、目だった外傷ははない。
触れただけで床に倒れ込むという筋肉の弛緩さから見て、死んでから丸一日以上経ってるのだろう。
おそらく初衣が里に降りたその日のうちに殺されている。
その初衣が、死んだ二日後にここまで歩いてこれるはずが無い。
誰か――おそらく初衣を殺めたものがその亡骸を運んだのだろう。
しかし。なぜそんなことするというのだろうか。
しかも刀を刺したままで。
疑問への答えが得られぬまま、葛貫は初衣の胸元の刀の刺し傷を見た。
いやまて。
おかしい。
初衣の胸に、刀の刺し傷がある。
刀は刺さったままなので、別の刺し傷があるということだ。
心臓をためらいもなく一突きにしたその刺し傷はつまり、この傷こそが本当の致命傷であることを示している。
今の刀はおそらく死後に刺したものだと考えられる。
では、なぜ、死んだ後に改めて刀を刺す必要があるのか。
そこで葛貫ははっとなり、拝殿の上座を見返した。
榊が飾られた神棚に並べて置かれているはずの、霞谷家重代の家宝であり、滾山の蟒蛇を討ち果たした太刀と大弓。
しかし今、太刀は鞘だけが床に転がり、その刀身が見当たらない。
もう一度初衣の亡骸を見返すと、初衣の胸に深々と突き刺さるそれが、霞谷の太刀であることがはっきりとみてとれる。
「なんという謀略なのだ。これは」
全てを察した葛貫が、初衣の身体から太刀を抜くために、太刀の柄を口に銜え、力を込めたそのとき。
ばたり
と引き戸が開き、拝殿の中が朝の光につつまれた。
葛貫が振り返ると、そこには驚愕の表情を浮かべた淑貞の姿があった。




