29.急襲
霞谷急襲の一報を聞いた公貞の行動は早かった。
すぐに荘内の一族郎党を本郷の館に呼び寄せると、三十騎を越す一軍を成して、稲刈りの終わった田園風景の中、霞川を西上した。
向かうは川上の先にある霞谷郷である。
進軍中も公貞の下へは逐次早馬が事態の進展を告げに来る。
伊福部氏の居館はもぬけの殻であり全軍をもって霞谷を急襲したと推察される。
国衙は郡司や公貞の動向を静観しているようでどちらにも加担する気はないらしい。
しかし、霞谷郷からの連絡は一切なく、様子を探りに行った斥侯も戻ってきていない。
最初の報せでは、葛貫九郎も、弟淑貞も殺されているという話であったが、それが確実な情報とはいえない。仮に生きているならば救出しなければならない。
伊福部惟茂の手勢はおそらく二十騎ほどだ。正面からぶつかれば多勢の公貞が有利である。
だが、そんなことは惟茂も承知しているはずだ。何かしらの策を立てていると考えたほうが良いだろう。
公貞の軍が霞川の川岸がが急に狭くなる小島郷の外れまで進んだところで再び早馬が思ってもいない急を報せた。
「鶉の美濃七郎とその郎党およそ五十騎、本郷の館へ急襲」
「なに。どこから沸いて出た」
美濃七郎すなわち源国房の館がある鶉郷は、池田郡より四里は離れている。軍を進めるとなれば半日はかかるはずだ。
それがこの短時間に、公貞の居館へ攻め寄せるとなれば、前もって出陣していたとしか考えられない。
「これが、策か――」
やられた。
公貞の軍は、今や伊福部惟茂と、源国房の両軍に挟まれてしまっている。
どちらに攻め寄せても、背後を突かれしまうという最悪な状況になってしまった。
「御館様。兵を分けるには数が足りません。まずは館を守ることを第一にお考え下さい」
重臣達が公貞の周りに馬を寄せる。
つまり、弟と、葛貫殿、そして霞谷の領民を見捨てろということだ。
「わかっている。しかし――」
「幸い、郡司の手勢は霞谷に篭っている様子。背後を突かれる事とはありますまい」
「それよ。むしろそれがどうにもひっかかる。なぜ惟茂は絶好の好機を逃す」
「兵法を知らぬ故かと」
「であればいいのだが。私には悪い予感しかしないのだ」
「悪い予感ですか。それは如何様な」
「わからぬのか。蛇よ」
公貞の言葉に、その場にいた重臣達は言葉を失った。
そのとき。
ぴゅううううううん
遠くで鏑矢の矢鳴りが響く。
「騎馬です。南より北上っ」
郎党の一人が大声で叫んだ。
「別の寄せ手かっ」
公貞をはじめとする一同が、一斉に視線を南へ向ける。
「単騎のようです」
たしかに池田山の山際を早駆けでこちらに向って来るのは単騎の栃栗毛。
馬上の人は直垂の軽装だが、太刀を提げ、手に大弓を携えている。
先ほどの鏑矢の主であることは間違いない。
騎馬は公貞の一団からは少し離れた畦道を疾駆する。
顔がわかるほどに近づいたとき、公貞は馬上の者が誰なのかようやく判別できた。
「従兄弟殿かっ」
大声で叫ぶと、馬上の若武者、源新羅三郎義光は弓を持つ手を南へ向けた。
「兄が来ている。池田殿は合流して鶉の兵を迎え討たれよ」
「源三郎殿は何処へいかれるのか」
「霞谷に向かっているところだ。蛇の事は俺達に任せてくれ」
「承知仕った」
公貞の返答に源三郎は一度手を大きく掲げて、直ぐに馬首を北に向け走り出した。
蹄音を響かせて走り去る馬上、公貞は源三郎の後ろにもう一人、見た目は男装ではあるが顔立ちから若い娘と思われる者が乗っていることに気づく。
「お頼み申した――」
そう呟いてから、公貞は郎党の方へ向き直る。
「よし。我らは本郷の館へ寄せ戻す。皆の者、我らの家を守るぞっ」
公貞の掛け声に郎党たちは大声で応えた。
馬首を巡らせて、もと来た道を進み始めるが、すぐに前方に数十騎の大鎧の一団と遭遇した。
騎馬たちの先頭に立つ武者姿を見て、彼らが何者かこの場にいる者達すべてが理解する。
「河州の軍。援軍です――っ」
郎党達は歓喜の声をあげる。
「これで勝敗は決したか――」
公貞は安堵のため息を漏らした。




