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滾山の蟒蛇  作者: 木瓜庵
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27.神様への願い

葛貫の自傷に一通りの処置を施した淑貞と初衣は、葛貫を寝かせると、血まみれの床を拭いて小刀を回収し拝殿を後にした。


すっかり夜も更けた神社の石段の前で、初衣は淑貞に深々と頭を下げる。

「申し訳ありません。取り乱してしました。どのような罰も覚悟しております」

「いや。罰などないよ。初衣殿」

淑貞は苦笑する。

「葛貫殿も同じだろう。誰も悪くない。苦しくても生きるしかないのだから」


淑貞の言葉に初衣は礼を言うがしかし、その表情は暗かった。


「どうされたのですか」

「あ、いえ。なんでもありません。あの、申し訳ありませんが、明日は里に用があり朝から山を降りさせていただきます。代わりの者をおつけださい」

「わかりました。明日一日であれば私一人で大丈夫です。あの傷を他の村人が見て妙な詮索を起こすのも良いとは思えませんし」

「そうですか。ではよろしくお願いします」


初衣はもう一度深々と礼をすると、いつもの様に石段を下りて行ってしまう。


淑貞はその後姿をいつもの様に見つめながら、そっと沸き立つ彼女への想いのせいで、その場から立ち去り難くなっている自分に気づいた。



翌日。

初衣は誰にも見つからないように朝早くに村を出て、足早に山を下り昼前には池田の里へとたどり着いた。

その足で、池田郡の郡衙まで向かい、いつものように郡司伊福部惟茂の私邸の裏口から館の中へと入っていく。


「ありえん。何故失敗するのだ」

締め切られた部屋の中で、初衣からの報告を聞いた惟茂は、床に擦りつけんばかりに頭を下げる初衣に向って叱責する。

「申し訳、ございません。淑貞様を止められませんでした。それに、本当に自ら命を絶とうとしてるのを目の当たりにして逆上してしまい――」


「言い訳はするな。ただ池田の小倅の刀を置くだけだぞ。そうすれば、追い込まれてた奴は勝手に死ぬはずだったのだ。それを失敗するなど、本当にありえん」

「申し訳ございません」

「誰が人勾引(ひとかどい)に売られそうになったお前を助けたと思ってる。誰がお前をこの郷でも食えるように男共を世話をしたと思っているのだ」

「郡司様です。郡司様のおかげで初衣はこうして生きていられます」

「であろう。だというにその私のためにこんな簡単なことも出来ぬだと。ふざけているのか」

「申し訳ございません。申し訳ございません」

初衣はただただ謝罪を繰り返す。反論しようものならどの様な仕打ちをうけるのか、この何ヶ月の間に初衣は体中でそれを痛いほどに味わっていた。

「お前など、もういらん。道端に裸で捨て置いてやるわ。新しい男がお前を囲ってくれるだろうよ」

「どうかお許しください郡司様」

「ええい、うるさい」


「まあまあ、郡司どの。女子(おなご)をあまり責めなさるな」

今まで惟茂と初衣のやり取りを少し離れた場所で見ていた見知らぬ男が、唐突に口を開いた。

初衣は下げた頭を少しだけ傾けてその男の方を見る。


服装から見て貴人なのだろうが、その体格や所作は武人という言葉が似合いそうな壮年の男である。


「治部丞様」

惟茂は珍しく愛想笑いを浮かべて男の方を向いた。

どうやら男はこの場で一番目上の身分らしい。


「それにしても、郡司殿は少し生ぬるいのではないか。自発的に相手が滅びるのを待つなど、少し迂遠が過ぎる」

「これは、申し訳ありません。では、治部丞様には腹案がございますのでしょうか」

「もちろんある。が、そのためには本家の多田院の兵を少しばかり動かさねばなるまい。早速早馬を出すか」


男はそういうと、惟茂へと歩み寄ってその耳元へと囁く。

「我らは疎ましき香炉峰の領分を奪い取り、そなたは念願の領地を手に入れる。そのような一手じゃ。どうだ乗るか」

「も、もちろんにございます。我ら伊福部家は必ず多田方への与力を約束いたします」

「よしでは――」


男はそういうと、太刀の柄に手をやり、すらっと抜き張った切っ先を、惟茂のすぐ傍らで男を見上げていた初衣の胸に無造作に突き立てた。


肉を突き破る鈍く小さな音がして、初衣の胸から鮮血が迸る。


「あ――」

初衣は一言それだけを漏らして、その場にどさりと倒れこむ。


「な、なんと。治部丞様」

突然の刃傷沙汰に、狡猾で売った惟茂もさすがに驚きを隠せない。


「うろたえるな郡司殿。この女子を捨てるなど勿体ないであろう。その身体(からだ)を有意義に使わせてもらわねばな」


「一体何をなさるおつもりか」


「もちろん我が多田源氏のお家芸をやる。逆賊狩りだ」

男、美濃七郎こと治部丞源国房は太刀を振ってべっとりとついた血を払い落とし、手慣れた動作でそれを鞘に納めた。

「逆賊は我らの創作ではあるがな」

そう言って笑った。



血まみれ床の上。

遠のいていく意識の中で、初衣はこの運命は自業自得だなと自嘲した。

葛貫様をクズだと罵ったが、本当にクズなのは自分自身だ。

父母を亡くした後、生への執着だけで、惟茂という化け物の道具になった。

惟茂の命で、沢山の男に宛がわれ、毎日死んだように暮らした。

葛貫様を孤独へと追い詰め、自刃へと追い込んだ。

本当に最悪な人間だ。

自分が生きるために、人の死をも利用するなど、腐っていると言われても反論できない。

たぶん、自分は地獄へ落ちる。

でももし、万が一にも生まれ変われるのならば、神様にお願いしたい。

葛貫様のように死をも賭せる強さが欲しい。

淑貞様のように誰をも愛せる清廉さが欲しい。


ああそうだ。

二人に嘘をついたと謝れなかった。

それから、

淑貞様に、もっと良い人を見つけなさいって、忠告することが――


初衣の意識はそこで永遠に途切れた。

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