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滾山の蟒蛇  作者: 木瓜庵
25/39

25.棚上の小刀

それからの葛貫の日常は、枯れた井戸の底に一人だけ放り込まれたように、鬱屈としたものだった。

丸く小さな枠から仰ぎ見る空は澄み渡るように真っ青なのに、自分ではそこへたどり着くことができない。

ただひらすらに、薄暗いその場所で一日を暮らすしかなかった。


それでも始めの方は、国衙や郡家の官人たちなど、誰かしらが尋ねてきていた。


彼らは葛貫に蟒蛇退治の話を何度もさせようとするのである。


そして口々に、葛貫にふりかかった災いを、死に際の大蛇の呪いだと恐れた。

時にはその呪詛を解くといって訪れた法師などもいたが、結局誰も呪いの一端にすら近づけた者はいない。


葛貫としてはこれが呪詛ならば、ひと思い命を絶つ呪いであって欲しかった。

元来、この先に希望など持てないからこそ命を賭して大蛇退治をかって出たのである。

だというのに何も出来ぬ身に成り果ててまで、生きることに意味があるのだろうか。


早く死ぬべきだ――


いつのまにかそう思うようになっていた。



この暮らしもしばらくすると、客はほとんど訪れなくなる。

毎日のように訪ねてくるのは、村の再建を任されている池田淑貞という若者と、葛貫の世話をしている初衣という村の女だけであった。


淑貞の方は明るい性格で、昼餉と夕餉たびに尋ねてきて村で起こった様々な出来事を話してくる。

仮にも領主なのだからと、外へ出て村を見回ることを薦められた。

自分が背負って案内すると言われたが、それについては丁重に断りを入れた。


一方の初衣という女は、葛貫に輪をかけて口数が少なかった。

初衣の父母は霞谷家に仕えており、館が襲撃された時に主人共々大蛇に呑まれている。

自宅に居て生き残った初衣は、領民が避難する以前に親族を頼って村を出たため、葛貫との面識はまったくといいほどなかった。


初衣がなぜ葛貫の世話係をしているのかわからないが、おそらく他に世話をする家族がいない未婚の女性ということで選ばれたのだろう。

実際、葛貫の世話は、それほど簡単な話ではない。

食事から、排泄の処理まで葛貫に寄り添い尽くさなければならない。

繰言の一つも吐きたくなるだろうに、必要な事以外は一切無言を貫いていた。


時々淑貞に、もう少し愛想を良くして欲しいと指摘されているようだが、それを聞いている態度からしてまったく愛想がないのだから、改める気はなさそうである。

葛貫からしてみれば、何も話さなくていいわけなので、気が楽でありがたいのであるが。


そんなある日の夜、帰り際の初衣が唐突に葛貫の不精髭の手入れを始めた。

葛貫は止めようとするが、


「御館様の身だしなみが宜しくないと私が罰を受けるのです」


と言って暫く小刀を使って髭を剃ってみたり、揃えてみたりを繰り返すと、ようやく満足がいったようで納得した顔で部屋の明かりを消し、立ち去っていった。


月明かりの中に一人残された葛貫はそのとき、()()に気づいてしまう。


初衣が棚の上に置き忘れた、抜き身の小刀。


葛貫に迷いはなかった。

全身を使って身体を動かし、ゆっくりと棚の下へ這っていく。

腹が粗い床板の棘に刺さり、痛みが走る。

体中の筋肉を使っているので目から涙、口から涎があふれ出て顔がどろどろで最悪な気持ちだった。


ようやく棚までたどり着いたときには、もう別の場所へ移動できる力など残っていなかった。

でも。きっと。

これで、全ての苦痛から解放される。


葛貫は壁を使って上体を起こし、棚の上に顔を近づけて、歯で小刀の柄を咥えると、それを床に落とした。


からん


と乾いた音がして、運よく小刀が床板と床板の間に刃が上を向いたままではさまった。


あとは、あの刃に向って倒れ込むだけだ。

痛みなど恐れるに足りない。


首が良いか、胸が良いか、腹にしようか。

そんなことを考えてしまった葛貫は、可笑しくて笑ってしまった。

いまさら己の死に方など選んでも仕方あるまい。


ただ飛び込めばいいだけだ。


そうれば全ての苦痛から逃れることができる。


葛貫は目を瞑ると、そのまま、小刀の刃にむかって倒れこんだ。


どん


と暗闇の中に歪な音が響く。

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