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滾山の蟒蛇  作者: 木瓜庵
24/39

24.失意

初衣(はつい)殿。あれでは、あまりにもはっきりと言いすぎではないか。もう少し配慮が必要であろう」


一人になりたいという葛貫を残して拝殿を出た淑貞は立ち去る女を呼び止めた。

女は伏し目がちに淑貞の方を振り向く。

「配慮。ですが嘘は貫けませんでしょう。あれが正しいあしらい方では」

「あしらうなどと、村を救った英雄に不躾ではないか」

「そうですか。申し訳ありません。英雄、ですからね。何分若様と違い敬い方を知らぬ下賎の身ゆえ、お許しください」

「誰もそのようなことは――」

「若様。その英雄様がお目覚めになられたとご報告に行かれるのでしょう。私もあの方のお食事を用意するゆえ、失礼いたします」

淑貞が次の言葉を発する前に女はさっと踵を返すと、神社の石段を足早に降りて行ってしまった。

「なんだ、あの女は。器量はともかく、あの気性では、嫁の貰い手などないであろうに」

淑貞はぶつぶつと一人ごちしながら歩き始める。


崩壊した霞谷郷で葛貫九郎を見つけてから五日経った。

靄が晴れたことで大蛇との戦いは終わったと悟った郷の領民たちは、こぞって村へ戻り、山崩れに見舞われた村の再建を始めている。

しかし、まともに建っている家の方が少ないぐらいで、再建には相当の時間と労力がかかりそうだ。


「問題は山積みだな」


そうつぶやいて、淑貞は立ち止まった。

そこはかつて霞谷家の館が建っていた場所である。

今は粗雑な仮屋が敷地の真ん中に建っている状態であった。

そこは、郷の再建の管理をするために一時的にに作られた仮の屋形である。

淑貞はため息をひとつついて、仮屋の開け放たれている戸口から中へと足を踏み入れる。


どんっと激しく台を叩く音。


「それはおかしいのではありませんか。郡司殿」


そして連日のように聞こえてくる兄の罵声である。

こちらもまた、なかなかに解決しない問題のようだ。


「何がおかしいか。国衙との先の約束は、あの男の方から反古にしたというではないか。それを恩情を持って遇するといっておるのじゃよ。感謝こそすれ、おかしい事はあるまい」


部屋の中には兄の公貞に、郡司伊福部惟茂、そして沙汰役として国衙の大掾殿が臨席していた。

彼らが話し合っているのはこの霞谷郷の処遇である。


以前に受領が約束したのは、蟒蛇討伐の暁には館と名田を葛貫九朗に与えるというものであった。


惟茂は開発領主が不在の霞谷を池田郡に収公し、葛貫には郡衙においてしかるべき役目に就かせるという形を提案している。

一方の池田公貞は、霞谷家の田畑が池田荘と領家を同じくする荘園だということを盾に、荘司として葛貫九朗を任じるのが筋なのだと反論している。

つまり利権争いなわけで、お互い一歩も引く気はなさそうである。


「淑貞、いかがしたのだ」


ようやく淑貞が入ってきたことに気づいた兄が声をかけて来た。

淑貞は、はたと我にかえると、自分がここへきた理由を思い出して慌てて口を開く。


「あの、実は、目を覚まされました」


「何っ」


公貞は驚いた声を上げて立ち上がり、惟茂は眉間の皺をさらに深くさせ、国衙の大掾殿はやっとこれで話がまとまりそうな事にため息を一つついた。


場所を滾神社の拝殿へ移した一行は、傷心の葛貫に対し今後の話し合いをしたいと告げた。

あまり興味を持っていなさそうな葛貫の態度を他所に、大掾殿がいままでの経緯の説明と、対立している処遇の案を伝えた。


無言でその説明を聞いていた葛貫は、話を聞き終えてから。めい一杯時間を空けて一言。


「儂はもう働けんよ」


と床をじっと見つめながら告げた。

大掾殿と公貞、淑貞兄弟の後ろでその葛貫を見ていた伊福部惟茂は、気が抜けてしまったような葛貫の態度を目の当たりにして少し驚いてしまった。


剛の者と聞いていたが、もはやただの抜け殻ではないか――


そう考えると、この男から霞谷を直ぐに奪い取る必要はないだろうと思いいたる。


「であるなら、葛貫殿がこの霞谷の領主となられることに、私としても異存はない」


惟茂はそう言うと、


にたり


と、悪意と狂気を孕んだような笑みを浮かべた。

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