23.目覚め
鬨の声が響き渡る。
葛貫九郎は、黒鹿毛の駿馬に跨り、手勢の一番前へ駆け出すと、前面の敵へむかって怒声をあげながら太刀を振り上げた。
頭上より葛貫をめがけて放たれた矢雨を太刀で払うと、返す刀で敵の雑兵を三人ほど束でなぎ払った。
鮮血と叫び声が響く。
葛貫は太刀にこびり付いた臓腑を払い落とす。
「よいか、常州の兵にこれ以上田畑を収奪をさせるな。一人残らず殺せ。命乞などを聞くな。奴らは野に逃れ匪賊となるだけだ」
葛貫の呼びかけに、手勢は「おおっ」と応じた。
「我らはこのまま鹿島にいる敵陣の背後をついて奇襲をかける。皆、遅れをとるな」
そう言って馬の手綱を引いたとき、
ざんっ
と一本の矢が葛貫の乗る馬の首を貫いた。
馬は、「ひひぃいいん」と大きく嘶くと、そのまま地面にどさっと倒れこむ。
葛貫も馬上で態勢を崩して、馬の背から投げ出されるように地面へどすんっと落下した。
「くっ。何事か」
葛貫は持っていた刀を地面へ突き立て、柄を支えに起き上がり、放たれた矢の元へと視線を向けた。
そこにはいるはずのない敵の本軍が馬首を並べて、葛貫の手勢に対峙していた。
「なんだと。敵軍がなぜここに」
葛貫は咄嗟に自分の背後にいる手勢を見返した。
するとそこにはいるはずの味方の姿が誰一人いない。
「なぜだ」
「すべてお前の所為ではないか九郎――」
聞き覚えのある声が耳元で聞こえて、もう一度敵陣の方へと振り向く。
そこには敵軍を従えるように、老年の鎧武者が立っていた。
「主殿なのですか。なぜ、主殿が敵といっしょにいるのですかっ」
葛貫はその鎧武者、平忠常に向かって叫ぶ。
「九郎よ。お前は殺しすぎたのだ。お前の所為でどれほどの命が失われたかわかるか」
「儂の質問に答えてください。主殿っ。もしや我らを裏切ったのですか」
「お前が戦功をあげる度に敵は田畑を十、二十と焼き払い、村人を切り殺す。もうこの国に、耕す畑は残っておらんではないか。すべてはお前の所為なのだよ」
「主殿っ。それは儂の所為ではない、敵の、国衙の受領共の暴虐だ。主殿もそう言ってたではないか。それを今更、裏切るのか」
「罪を償え、九郎よ」
忠常は太刀をすらりと抜き放ち、葛貫に向けて振り下ろす。
葛貫は、両手でそれを守ろうとするが、手が動かない。
視線を向けると、両手が肩から無くなってしまっている。
なんだこれは。
葛貫はあわてて逃げ出そうとするが、足に力が入らず、どさりと地面に転がり落ちてしまう。
「な、ん――」
振り向くと腿から下の足がすべて無くなっている。
もう葛貫にはなすすべがない。
見上げると忠常の太刀が、今まさに葛貫の頭上に振り下ろされそうになっている。
「くずぬうううきいいいっ」
激しい叫び声とともに視界が暗闇に覆われ、すべての音が消えて。
葛貫は目を。
ゆっくりと開けた。
「――」
目を開けて最初に見たものは、若い女性の姿だった。
「あっ」
濡れた布で葛貫の顔を拭いていたらしい女性は、葛貫が目を開けたことに気づくと驚いた表情で後ろを向く。
「わっ、若様。お目覚めになりました」
女性の呼びかけに、「まことか」という若い男の声が応じる。
たたたっ
という足音とともに、視界に若い身なり良い男が入ってきた。
「おお。本当にお目覚めになられたのですね。よかった。何日も意識が戻らず、もしやこのままと心配しておりました。我ら一同、お目覚めになることを、今や今やと待ち望んでいた故、こうしてここに詰めていた次第でして――」
「少し待ってくれ」
葛貫は若者の言葉を遮る。
「ここは何処なのだ。それにお前は誰だ。儂は一体どうしたのだ」
「おお、申し訳ありませぬ。先に説明せねばなりませんな。ここは霞谷郷の外れにある滾神社の社殿です。一度来られたことがあると聞きましたぞ」
「神社の、社殿」
葛貫は自分が寝かされている部屋を見渡す。
確かにあの神社の社殿のようだ。
なぜ自分はこんなところにいるのだ。
「そして私は、池田荘司・公貞の弟で淑貞と申します。この女性は以前、霞谷和比人殿お屋敷で働いていた郎党の娘だそうですぞ。我ら二人、兄より葛貫殿の世話を任されている身。何なりとお申し付けください」
「霞谷和比人――。そうか、儂は霞谷殿を殺した大蛇とやりあっていた筈」
「そうです。そこです、葛貫殿。我らも聞きたい事が一人あるのです」
淑貞は興奮気味に葛貫に近づく。
「滾山の蟒蛇は退治されたのですか」
その問いかけに葛貫は、目を少し閉じて記憶をめぐらせた。
「殺した。確かにこの手で」
「やはり。やはりそうでしたか」
「だが、あの時、儂は意識が朦朧として、何か、起きた」
「何か、とは」
「たしか、突然噛まれた腕が痛み出した。そしてそれを押さえようとした手が落ちた。次に反対の手が落ちて、すぐに両足が崩れ去った。儂は地面に倒れて、そこから先は、思い出せない」
「そうだったのですか――」
「若いの。聞かせてくれんか。どうやら儂は今、体が自由に動かせんようで、自分で見ることが叶わん。儂の両の手足だが、ついておらんのか」
「それは」
「―――」
「ついておりません」
言い淀む若者のかわりに、若い女が静かにそう告げた。
「やはりの」
葛貫はため息をつくと、静かに目を閉じた。