21.翼姫の決意
過去を忘れる。
自分のこれからを一番に考える。
今に至るまで、翼は色々な人に何度もそうたしなめられた。
他人から見れば十二歳の翼が立ち向かっている壁は、あまりに厚く、高い。
本当ならば、薄く低い壁から乗り越えて成長するべきなんだろう。
でも翼は、その選択をするには失ったものがあまり多すぎた。
そして今、最後に残された希望すらも奪い取られようとしていた。
だから、それを守るためにあらゆるものを賭けようと、そう決めていた。
「忘れることはできません」
翼は老年の大納言に向って反駁した。
「私は昨夜、夜襲を受け、たった一人残った家族と呼べる者を失いました」
「そして、私の大切な人は、呪いを受けその命は風前の灯です。それを忘れることは、私の今までの人生全てを否定することになります。ですからっ――」
翼はそこま一気にまくしたてると、はたと我に返って居住まいをただし、両手を突いて大納言に頭を深く下げた。
「ですから私にはもう、この罠の網を切り裂いて這い出るしか手は残っていないのです。どうか、私にそれを切り裂く刃をお貸しください」
「ふむ。なるほど。そうかそうか」
大納言は、翼の懇願に答えず、源三郎の方を見た。
「さて。香炉峰の意向はどうなっているのじゃ」
「可です。もし多田院が動くのであれば兄も直ぐ軍旅を立てるでしょう」
「代理戦争というわけか。御堂家も日嗣の御子も引かぬというわけじゃな。なるほど、なるほど。これは困ったの」
「あの――」
二人の会話についていけない翼はおそるおそる大納言に声をかけた。
「おおそうじゃった。童女。そなたの考えはわかった」
「そなたは思った以上に深みにはまっておるの。一介の土豪の姫にしては剛毅なものじゃ」
「助けては、いただけないのですか」
「うん。いや。そうじゃの。ではこうしよう。そなたの目的の、事が成った暁には、私に事の顛末を全て語りに来い。どれほど時間がかかってもよい。余すことなく全て語りつくせ。それが条件じゃ」
「それだけでよいのですか」
「それが私には一番大切なのでな」
「分かりました。必ずお話に来ます」
「よし。では決まりじゃな。そなたの知りたい答えを、私が語って聞かせようぞ。先ずは――」
大納言がそう口を開いたとき。
たん
と、征矢が翼の目の前の床に刺さった。
「お」
とぼけた声をあげる大納言に対し、源三郎は立ち上がって庭の先の土塀に目を向ける。
そこには数人の侍達が土塀の上にあがってこちらに矢を番えているのが見て取れる。
「追手のようです。まさか、大納言の屋敷にまで奇襲かけるとは」
「源三郎様」
翼も立ち上がろうするが、源三郎は肩に手をかけてそれを制した。
「知るべきことがあるなら、今しかあるまい。大納言、お任せください。矢一本通しませぬ故」
脇に置いていた太刀を手に取ると、鞘からすらりと抜き放つ。
大納言はそれを見て、驚くことに、楽しそうに笑うのだ。
「これはこれは、なるほど、初めての経験だな。面白い、任せるとしよう」
大納言は悠然とした態度で脇息に肘をかけた。
ざざざっ
とその間も矢雨が部屋の中へ打ち込まれるが、源三郎の太刀は驚くほど正確にそれをなぎ払った。
「遅いな、雑魚共。こんな矢では鳥一匹落とせはしまい」
源三郎は叫ぶと、すばやく部屋の御簾を降ろす。
「いいだろう。お前らに本物の戦というものを教えてやろうぞ。いざっ」
叫ぶと源三郎は勢い庭へと飛び出していく。
「さて童女、始めるとするか」
一方の大納言はもはや源三郎の戦いなど意識にないかのように落ち着いた声で語り出した。




