20.宇治大納言
世に宇治大納言という者がいる。
この大納言とは、源隆国のことで、西宮殿の孫で、源俊賢の次男である。
年をとってからは、暑さを嫌って暇を申し出、五月から八月までは平等院一切経蔵の南の山際にある南泉房という所に籠っていた。
そこから宇治大納言と呼ばれている。
さて、その宇治大納言であるが、南泉房にいる間は、都での堅苦しい生活から解放されたいのか、髪を結い上げただけの涼しげな格好のまま、屋敷の板床にむしろを敷いて、うちわを仰がせながら、屋敷の前を通りかかる人間をだれかれかまわず招きいれて、様々な話をさせ、それを大きな草紙に書き付けるのである。
歳を経るごとにその記録の量は膨大になり、古今東西のあらゆる説話口伝噂話が宇治の離邸に蒐集されていった。
また仏法に詳しく、和歌を良くし、その才を重用され大納言まで登壇した能吏という、まさに当世随一の賢人と呼べる大人物である。
しかしこの大納言、その事績に比べて、というかその性格ゆえの事績というべきか、とにかく性格破綻者としても名高い。
よく言えば豪放磊落。
細かいことにこだわらず、短気で、人付き合いが悪く、身なりをまったく気にせず、空気を読まず失言を繰り返す厄介者である。
毀誉褒貶の激しい人であるが、間違いないことは、長年にわたり国政の中枢に関わり、その裏を知る人物であり、今はまた国内の伝説や伝承を網羅しているただ一人の人物ということであった。
開け放たれた侍廊の上座でで源三郎と翼に対面する宇治大納言は、その節くれだった細い指をかたかたと震わせながら源三郎を指差す。
「なるほど。香炉峰の冠者と――」
続いて、翼へと指をむけた。
「童女か。面白い。なるほど」
そういうと大納言は、噂で聞いたとおり、そそくさと草紙を懐から出すと、筆を走らせた。
「こういうことしていると、私と同じ爺や婆ばかり相手にすることが多くて、若いのは本当に面白い。なるほどなるほど。それで二人は私にどのような話をしてくれるのかな」
問われて、源三郎と翼は顔を見合わせる。
源三郎に視線でせかされた翼は、あわてて口を開いた。
「あの、私は、濃州池田郡霞谷郷の領主、霞谷和比人の娘です」
「霞谷。確か、古今集の歌にあったかの。細石の里ではないか」
「はい。今日ここへ来たのは、その我が郷里、霞谷に降りかかっております呪いついて、東西の物語に詳しい貴方の御智恵をお借りしたいと思いまかりこしました」
「なんと」
宇治大納言はおおきく片目を開いて翼を見返した。それから、すぐに草紙に何事かと次々と書き込み始める。おそらく翼が言った言葉の倍ぐらいは情報が記されてるように感じられる。
「なるほど。ふむふむ。そういうことであったか――。おや」
そして手がぴたりととまった。
「またれよ。もしやそなたの知りたいことは蛇についてではないか」
「は、はい。そうです。それです」
「そうか、ならば。そうだな。わかった。それ以上何も語ってはならん」
「え。あの、なぜですか」
「去れ」
大納言は唐突に草紙を閉じると、筆を置きそそくさと片付けを始める。
一体どういうことなのか、混乱する翼はしかし、今この機会を逃すと、二度と機会は巡って来ないではないかという焦燥感で全身が震えた。
「お待ちください、亜相様。私達にはもう貴方を頼るしかないのです。どうか、お話を聞いてください」
「ならん」
「何故ですか」
翼は引かずに大納言へと詰め寄る。
大納言はそんな翼の態度にため息をひとつついた。
「よいか、童女。政事とはすなわち張り巡らせたはかりごとの網である。その網に嵌ったものは生きて行けぬ。私はそれを何度も見てきた。今、そなたが生きている事を幸運に思うのだ。命を、家族を守るのだ」
「私は」
「郷里のことは忘れて、よい人生を見つけるのだ」
「――――」
あの人と同じ言葉に、翼は返す言葉を失った。




