13.唾棄
惟茂にとっては最悪の事態である。
蛇が一匹死ぬか、浪人が一人死にさえすれば良い話のはずであった。
だというのに、霞谷の領民がこのまま池田の諸郷に四散し、霞谷郷全体が棄損されたとするならば必ず郡家の責任が問われる。
下手をすれば、郡司の職を解かれることもあろう。
なにより最も恐れるべきはかつて池田郡をおそった疫病の災禍の再来である。
彼らを絶対に池田の里に降ろしてはいけない。
「誰やある。馬を引けい」
惟茂は老体に鞭打つように声を荒げた。
数刻もしないうちに惟茂は郎党五十騎を引きつれ、霞谷の玄関口である小島郷へとたどり着いた。
惟茂は霞川の南北に兵馬を縦列に展開させて往来を閉ざした。
すぐに山から霞谷の領民たちがぞろぞろと現れると、封鎖された街道の前で郎党たちと対峙する格好となった。
惟茂は郎党達の前に馬を出すと霞谷の領民たちを見下ろして口を開く。
「よいか。逃散は大罪である。すぐに元の郷へと戻るべし」
しかし、霞谷の民たちは引く気配がない。
大蛇との戦いの為の一時的な避難だという説明を繰り返して、郎党たちと押し問答を始めた。
「郷主はどうしたのだ。霞谷和比人はいずこか」
惟茂の問いに、霞谷の民が告げたのは驚くべき事柄であった。
郷主和比人とその一族は大蛇に舘を襲われ、皆殺しにあったのだという。
一人生き残った娘は都へと向い、大蛇討伐を依頼された葛貫という男がただ一人谷に残っているのだという。
「あの男か」
惟茂の口から笑みがこぼれた。
これは面白い。
「ならばお前達は、その葛貫という賊に郷を追われたのか」
否。追われたわけではないと領民は答える。
「ではお前達はその賊と結託して池田の里を侵略するためにここに現れたということだな」
惟茂はさも当然のように、ありもしない曲解による解釈を断定する。
領民達のざわめきが心地よい。
さて、これでとどめだ。
惟茂は領民達へと大声を上げた。
「今より池田郡司の名を持って、逆賊・葛貫九郎とその一味を捕縛する。従わぬものは矢的になると心得よ」
続けて左右の郎党達に目配せをした。
「全員捕縛した後は霞谷へ向い、賊の首領の首級を挙げ、この混乱の全てを我らの手で鎮圧する。全員、矢を番えよ」
言われて郎党達は大弓に矢を番えると、矢尻の先端を領民達へと向けた。
「では、回答せよ。服従かそれとも死か―――」
ぴゅううううううん
惟茂が言い切らないうちに唐突に頭上を激しい矢鳴りが通過した。
惟茂は鏑矢が放たれた方へと視線を向ける。
そこには十数騎の騎馬の一団。
その先頭を行く若武者は見覚えのある者であった。
惟茂は眉を寄せて苦々しい表情を浮かべる。
あれはそう。
かつて、自分から所領の大半を奪い取った宿敵・源頼信の血族だ。
「またか。お前達はまたわしから全てを奪うというのか」
そう吐き棄てた。




