6話 酒宴
朧と輝夜が風呂を入ってから半刻程後……
朧は、 輝夜と一旦分かれ呼び出されていた女将の元へと赴いていた。
-さて彼女の様は一体どのようなものかそして何よりも彼女の正体を確かめねば……
朧はそう覚悟を決め、 彼女の部屋の前でノックをする。
「左衛門です。 中に入ってもよろしいでしょうか?」
この左衛門というのは、 彼の偽名だ。
忍は、 姿だけでなく名前も時として偽る必要がある。
特に宿の宿泊など記録に残るものの場合は特に注意しなければならない。
ここでうっかり自分の本名を書こうものならばたちまち自身の正体がバレ、 自身の主が一体何をしようとしているかバレてしまう恐れもあるからだ。
「どうぞ」
朧の声に女将が返答する。
返事を聞き、 朧は部屋の中へと足を踏みいれる。
するとそこには、 先程の装いとは大きく異なる女将の姿があった。
「その衣服一体どうかなされたのですか……?」
「ふふふ。 お客様をお迎えするんですもの。 女性としておめかしするのは、 当然ではなくて?」
「むぅ……それはそうですが……」
朧がそう渋るのには、 当然理由があった。
何せ今の彼女の装いは、 まるで遊女の様であったのだ。
紺色の着物に、 金色の帯が結ばれており、 それによって彼女の色気がより引き立っていた。
実際女性にかなりの耐性を持つ朧ですら今の彼女の美しさには、 釘付けにされてしまうほど今の彼女からは、 不思議な魅力が醸し出されていた。
-いかんいかん……このようなことでどうする……‼
ただそこは朧。 その場の雰囲気に流されず冷静さを取り戻す。
そんな朧の様子を女将は、 ただ楽しそうに見つめる。
そんな彼女の笑顔が朧には、 不気味に思え、 つい懐に忍ばせた忍び刀に手を伸ばしそうになるが理性でそれを何とか押さえつける。
「して要とは一体何でしょうか?」
「お酒……」
「は……?」
「お酒を一緒に呑んでいただきたいのです……」
「はぁ……別に構いませんが……」
朧は、 酒に強い自信がある。
それは偏に彼の主がよく彼に酒をふるまってくれるからであり、 彼の主はそんな彼の酒の飲みっぷりの良さが堪らなく好きで、 彼は自身の主が満足するまで酒を飲ませ続けられるのだ。
その為彼は、 そんじょそこらの酒を飲んだところで全くつぶれることはなく、 それこそ水の様に飲むことができるようになっていた。
「ふふふ、 それはよかったです」
「あの……女将殿は……」
「牡丹……」
「……?」
「私の名前です。 出来れば女将ではなくそう呼んで欲しいです」
「はぁ……それぐらい構いませんが……」
「それはよかったです。 ではこちらを……」
「ありがとうございます」
女将改め牡丹から朧は、 おちょこ……ではなく升を受け取る。
ー何故升なのだ? そんなに飲ませるということなのか……?
その事が朧を酷く不安にさせた。
ただそんな朧の内情を知って知らずか、 牡丹は朧の持つ升に酒を注いでいく。
「これはかたじけない」
「いえ、 お気になさらないでください。 当然の事をしたまでですから」
「ならば次は自分がお注ぎいたします」
「そうですか?」
朧は、 牡丹から酒の入った瓶を受け取ると牡丹の手にある升に酒をとくとくと注いでやる。
「ふふふ、 ありがとうございます。 では乾杯と行きましょうか」
「そうですね。 盃ではないので乾杯というかは怪しいところではありますが……」
「男がそんな細かな事を気にしてはいけませんわ。 でないと女の子に嫌われてしまいますよ?」
「むぅ……それは……」
「ふふふ、 冗談です。 では乾杯」
「……乾杯」
そう言って朧は、 酒を一口含む。
そしてその瞬間朧の舌に猛烈な激痛が走り、堪らずむせる。
「ゲホッ……ゲホッ……こ、 これは……」
「あら? お口にあいませんでした?」
そう言いながらたった今朧が吐き出した酒を平気な顔をして飲む牡丹。
「そういう分けではありませぬ。 ただ口に含んだ瞬間猛烈な激痛が……」
「ああ、 それはこのお酒の特徴です」
「特徴とは……?」
「ええ。 このお酒の名は、 竜泣き……竜でさえこの酒を飲んだらたちまち激痛に悶えると言われているほどとても強いお酒なんですの」
「な、 なんとそのようなお酒が……牡丹殿はその……」
「痛くはないか? ですか?」
「はい」
「そうですね。 私も最初は、 痛かったですよ。 ですが何度も飲んでいる内にだんだん慣れてきて、 このお酒のおいしさというものがわかるようになってきましたの」
「むぅ……」
「簡単な事を言ってしまえば飲み続ければいいのです」
「そう……なのですか……?」
「はい。 まあ騙されたと思って試してみてください」
「むぅ……承知」
そう言い朧は、 もう一度酒を口に含むがやはり再び激痛が彼の口を襲う。
けれど今度は、 吐き出そうことはなく、 何とか飲み切る朧。
その事に牡丹は少なからず驚きの表情を見せる。
「ぐぅ……」
「驚きました。 まさかもう竜泣きに慣れてしまうなんて。 左衛門様は、 随分痛みに対する耐性がお強いのですね」
「ええ、 まあ……」
「それで味の方は……」
「むぅ……そうですねぇ……痛みを乗り越えたのちに焼てくるほのかな甘みと酒特有の癖のある味が中々癖になる……と言った感じでしょうか」
「そうですか‼ お口にあったようで何よりです‼ では左衛門様も慣れたことですし、 どんどん飲んでください‼」
そう言いながら牡丹は、 どんどん朧の升に酒を注いでいく。
朧は、 それをただ一度も断ることなく、 ひたすらに飲み干していく。
その結果彼は、 呑み始めて半刻程して完全によっていた。
「むぅ……」
「左衛門様大丈夫ですか?」
「も、 問題ありませぬ……ええ、 全く……」
「そうおっしゃられても眼が完全に座っていらっしゃいますよ?」
「むぅ……そういう牡丹殿はまだまだいけるのですか……?」
「ええ、 まあ……」
牡丹は朧に酒を注いでいるだけでなく、 ちょくちょく飲んでおりその量は朧とあまりそん色はない。
にもかかわらず彼女は全くよった素振りは、 見えず、 その事が朧のプライドを傷つけた。
「むぅ……納得いかぬ……」
「そう言われましても私は普段からこのお酒を飲みなれていますから。 むしろ朧様の方こそ初めて竜泣きを呑んだにしては随分持っていられるほうだと思いますよ?」
「むぅ……むぅ……」
ただそんな彼女の声は、 今の朧には全く届いておらず、 朧の意識は半分以上刈り取られていた。
「左衛門様?」
「むぅ……」
「ふむ。 これは完全にもうダメそうですね……ですがこれもすべて計算の内……」
牡丹は、 意識をほぼ失った朧を抱きかかえるとそのまま自身の寝室へと運んでいった。
そして寝室の布団に朧を優しく寝かせると彼女は、 自身の身に纏っている衣服をするすると脱ぎだした。
「ふふふ……朧様……」
一糸まとわぬ姿の牡丹が妖艶に艶めかしい表情を浮かべる。
そんな彼女の瞳には情欲の類が浮かび上がっていた。
けれどそんな彼女の様子に朧は気づかない。 いや、 気づくことができない。
朧は殺意には、 非常に敏感だ。
その敏感さは、 例え酒に酔った今の状態でも未だ衰えることはなく、 今この場で牡丹が彼にナイフをつけ立てようとしても彼は、 それに反撃することができた。
だが殺意以外の物には、 途端に鈍くなる。
その為朧は、 今の自身の状況に全く気付けずにいたのだ。
「むぅ……」
「朧様……ああ……朧様……そこ……」
-何が……起こっている……?
朧はそう疑問を呈するが酒に完全にやられた今の朧の体は、 鉛の様に重く、 まるで動かすことができなかった。
ーああ、 ダメだ……体が鉛の様に重い……
そしてついには耐え切れなくなり朧は、 そのまま自身の意識闇の中へとを手放していった。
その間に牡丹が自身の体で何をしているか全く知らずに……