第六話 マナ、魔素
弟君の話を聞くと、森の奥に獣人と動物たちが集まっている集落があるそうで、彼の姉も彼自身もその村落から目をそらすためにあの魔法使いとやり合ったせいで捕まってしまったらしい。
「ただ、そこまではかなりの距離がある……
馬車が通れるような道もない」
昨日の処置を思い出して、それが不可能なことだとすぐに理解してしまう。
現状でまともにその道程を進めるのは、ここにいる半分程度だろ。
狩りとかいう胸糞悪い所業の性で、みんなボロボロだ……
「待ってくれ、ここにいるほとんどの者はその移動に耐えられないと思う」
「……わかっている」
「見捨てるのか?」
「仕方がない、このまま馬車が行けるような道を進めば、必ず追いつかれて、今度は絶対に殺される」
すぐに返答が出来なかった。
俺は、こっちの世界の常識に、まだ慣れていない。
単純な数の理論から言えば、彼の言っていることは正しい。
というか、普通に猫が話していることを受け入れているな、色々あったからな……
手に残る人を殺したという感覚、もし昨夜、皆に包まれて眠っていなかったら悪夢にうなされていただろう……
「いいんだ、俺たちは最後に身を清めて、あんなにも旨い物が食べられた」
「それに、兄ちゃんは俺たちを治療してくれた。まさか人間が俺たちを治療するなんて考えたことが無かった。焼けるような痛みもすっかりなくなったし、本当に感謝している……」
「……痛くない? いや、あんたの傷はそんな軽い物じゃないぞ?」
豚さんは皮膚を焼かれ広範囲な皮膚欠損が起きていた。
衛生状態も悪かったせいで完全に膿んでいた。
豚の皮膚は犬や猫のようにルーズではないので、下部の脂肪組織を含めて著しい除去を行う必要があった。創傷が臀部であったために腰椎ブロックでなんとかデブリートメントを行って少し感染の危険性もあったが湿潤療法で処置を行った。
皮膚が出来ると言っても、たった一晩でそこまで変化は起きない、まだ激しい痛みを出していてもおかしくない。
「ちょっと見ていいか?」
包帯を外して、非固着性のドレッシング材を剥がすと驚きの光景が現れる。
新鮮な肉芽が出来て欠損部分を回復しているだけではなく、たった一晩でかなりの範囲が上皮化している。ありえないスピードだ。
「な、なんて回復力だ……この世界の動物や獣人はこんな速さで傷が治るのか?」
「いや、昨日ちらっと見てしまったけど……あんな傷を負ったら普通は死んでしまう……
一晩でこんなことにはならない」
「ま、待ってくれ。他の皆も診察させてくれ!」
とりあえず残りの上皮化のためにももう一度ドレッシング材を使って包帯で保護する。
それから昨日処置した動物たちの診療を開始する。
驚くべきことに、たった一晩で多くの動物、獣人達の傷が信じられないほどに回復していた。
「凄いなあんた……」
凄いと言われても、俺は普通に現状で出来ることをしただけで、別段特別なことはしていない。
「良く考えれば、君のおねーさんを治療してもこんなに回復しなかったぞ……」
「昨日あんちゃんと一緒に寝てたら妙にぽかぽかして心地よかっただけど……」
「それは皆で寄せ集まったからじゃないのか?」
「いや、痛いはずの傷が落ち着いてぽかぽかしていた」
そんな不思議能力……むしろみんなが集まってくれてぽかぽかしてたぐらい……
ふと思い、自分自身の体を確かめる。
体中にあったあざが綺麗に治っている。
「たくさん人が集まると怪我が治るとかあったりするのか?」
「聞いたことは無い……」
「ちょっとまってくれ、今はそれよりも移動しないか?
あいつらも俺たちを血眼で探しているだろう」
「そ、そうだな。この状態なら皆移動できるだろ」
「ぼくも行っていいのー?」
「ああ、来たいならついてきなよ」
馬車はその場に破棄するが、念入りに破壊しておくそして森の中へ隠す。
それから森に入っていく。
必要な獣人や動物たちにはギブスとかで少しでも楽になるようにしてあげる。
ポケットから次から次へと物を出す俺を不思議なものを見るような目で見られたが、仕方がない。
俺もよくわからないが、この白衣は凄いんだ。
「この辺りは広範囲焼け落ちてるな」
「あいつらに襲われた辺りなんだろう……好き勝手魔法を使いやがって、酷い魔素だまりになっている……」
「まそ……?」
「人間にはあまり見えないらしいな、あのあたりなんかは酷いぞ」
指さされた場所には、黒焦げのクレーターみたいなものと、たぶん何らかの骨が転がっている。
そして、そのあたりには黒い靄のようなものが立ち込めている。
これ、確かあの屋敷の地下、牢屋でも立ち込めていた……
そのことを思い出すと、腕に骨を折る感覚、人を殺す感覚が浮かび上がってきて、少し気持ち悪くなる。
「大丈夫か? 魔素は俺たちや人間にもあまりいい影響は与えない。
人間の側にいる奴らはこれが大好きらしいけどな……」
「ああやって魔法を使ったり、苦しみや痛み、無念、そして死などが起きると溜まるんだ……」
「なんか黒っぽく見えるのがそうなのか?」
「やっぱり見えるのか、なんとなくそんな感じがした。
じゃあ自分がマナを出していることは気がついているか?」
「まな? かな?」
「あんたの側にいると心地いいから少し視てみた。
あんたからは常にマナが垂れ流している。おかげで俺たちは楽になるんだと思う」
「た、垂れ流してる? 俺から?」
自分を見てみるが、何も垂れ流していないと思うんだが……
「マナは普通には見えないが、獣人や動物、それに本来は人間も助ける物だ」
「それを騙されてあんな魔法なんかを使ってやがるんだ!」
獣人や動物たちが次々に悪態をついている。
「魔法は、嫌われているのか?」
「魔法はマナを汚して魔素にする。魔素は世界の敵である魔人や魔獣の餌だ」
「魔素は生物を穢す……」
「魔法使いは限りあるマナを魔素に変える!」
「そのマナとやらを俺が出しているの?」
「そうだ! そんなことはあり得ない!」
皆も歩きながらうんうんと頷いている。
「マナを出す人間? そんなもの聞いたこともない……」
「いや、俺もわからないよ、俺は迷い人ってやつらしくて、こことは全く違う世界から来たんだ」
「迷い人は強いマナを持っている。それが漏れているのか?」
「漏れてたらヤバくないの?」
「……普通はマナは漏れたりはしない。血と共にある」
「なぁ、あんちゃん……なんか魔素が集まってきてないか? あんたに?」
「へ?」
気がつくと、黒い霧のようなものが、俺の側に、正確には白衣のポケットにゆっくりと流れ込んでいる。
「なんだこれ?」
ポケットを開いて覗いてみると、そこは見えないが魔素を吸い込む勢いが急に強くなる。
まるで掃除機みたいにその場に漂う魔素を吸い込んでいく……
「おお! 視える! マナが溢れ出している!」
右目を抑えた弟さんが俺を見て驚いている。
「温かい……体に染みわたる……」
「これほどの澄んだマナは……森の奥にも貴重だ……」
「この白衣は魔素を吸い込んで俺からマナを出してるのか?」
なんかよくわからんが、事実である以上、今起きていることを整理しておく。
メモに残しておくが、正直俺自身は何が何だか、どうやらこの身に着けていた白衣が凄いんだろう。
結局急いで先に進むことを優先して森をどんどん歩いていく。
獣人や動物たちは慣れた足取りで森を進んでいく、俺も不思議とそれほどつらくもなく悪路を進むことが出来ている。
「ここは……酷いな……」
目に見えてわかる。黒々と濃厚な霧のようなものが立ち込めている。
吸い込んでしまうと喉がイガイガする。
「私たちの村が……」
獣人が泣きながらそうつぶやいた。
その場は惨状の一言、建物は焼け落ち、残った残骸には生々しい出血の跡などがこびりつき、腐敗した死臭が立ち込めて悪臭を放っている。
虫が湧いている死体もあり、凄惨としか言いようがない。
【ゴアァァアァァェァァ……】
まるで黒板に爪を掻き立てたような不快感を感じさせる声がする。
図太く、低く、大地の下から生あるものを怨嗟するよな声。
「まずい! 不浄な者が沸いているぞ!」
べちゃ、べちゃ、べちゃ……
気色の悪い音と、むわっと沸き立つ腐敗臭。
目の前に、腐った死体が歩いて現れた……