第四話 我慢
きつい表現が多いです。
ボケていたんだ。
平和な時間に、思考が……
もっと、必死になるべきだった。
目の前で人が殺されて、あの黒い塊達、狂った街を目の当たりにして……
俺は、あがくことを止めてしまって呆然としてしまった。
あそこが逃げられる最後だった。
今、俺は、身ぐるみを剥がされ、足も縛られて地下牢に放り込まれた。
「あいつらは俺のことを殺すわけにはいかないんだから、足が自由なうちに暴れておけば……
もしかしたら逃げられた……」
甘い考えを口にする。
たぶん、俺が少しでも暴れれば、なんの躊躇もなく腕と足をへし折られたんだろう。
表情を変えることもなく、めんどくさそうに簡単に……
いつまでも前の常識で考える温いボケた思考を、怒鳴りつけたくなる。
「俺は悪くないんだ……俺が何をしたっていうんだ……」
くだらない、そんなことを考えても何も解決にはならない。
口から出る弱音、同時に、俺の脳味噌の一部は冷え切った石打ちの地面の性で冷静に現状を理解している。
「俺は、死ぬのか……はは、もう、死んだじゃないか……」
よく考えれば、死んだ先でまた死ぬんだな。
「はは、ははははははは……」
乾いた笑いが勝手に溢れてくる。
「もういいや、どっちにしろ死んでたんだ……」
不条理な死は、すでに一度味わっている。
「それにしても、糞みたいな世界だな。
前の世界の糞どもが聖人に見える」
やはり、人間は嫌いだ。
しかし、この世界の人間と比べれば、比較対象にもならない。
「なんなんだ、この世界は……」
どうしてこんな世界に俺は呼ばれた? 呼ばれたのか?
どこのどいつだ、わざわざ死んだ俺を、さらに酷い場所へ呼んで、そしてまた殺すのか……
ふざけやがって……
結局、そんな状態で7日が経過した。
体は糞尿まみれになり、檻の外から水をぶっかけられて、一日に二度、堅いパンのような塊を投げ込まれる。なんだかわからないが、檻の中や部屋全体には黒い靄のようなものがかかっているし。
俺は正気を保つのもギリギリになってきた。
「俺が、俺が何したって言うんだ!!
俺は助けたかっただけだ!! いつだって、いつだって動物を助けて、救うために一生懸命やってるだけだ!! 文句を言ってくるのはいつも自分勝手な奴らだ!
犠牲になるのはいつも動物だ!!
死ね!! 死ね!! エゴの塊ども!! 死んじまえよおおおおおおお!!!」
このところは、働きだして出会った糞どものことを思い出して、腹の底に貯めてたものをぶちまけることで、少しだけ理性を取り戻すようになっている。
「絶対に呪ってやる!! 俺を殺したやつも!! 俺をこんな場所に呼んだやつも!!!!!」
「なんだ、今日は一層元気だな。いいぞいいぞ、感情の高ぶりはマナを高めるらしいからな。
喜ぶんだ、旦那様が獣と獣人を沢山狩って明日にはお帰りになるらしいぞ」
「その旦那様も殺してやるよ!! 獣、獣人が人を殺す!?
当たり前だろ!! お前らは生きる価値のない糞野郎だ!!
死ね!! すぐに死ね!!」
「そうだな、死ぬときは死ぬ。
もしかしたらお前よりも先に死ぬかもしれない。
でも、旦那様の魔法がもっとすごくなれば救われる人間も増える。
そのためにならおまえさんの血もたくさんの人の役に立つんだよ」
「ふざけんな!! 勝手に決めるな!! 俺の命は俺のもんだ!」
「いつ死んでもおかしくない世界で、たくさんの人の役に立つんだ、野垂れ死ぬよりいいだろ?」
「おんなじだ! 死に差なんてない!!」
「そうだな。どんな死に方にしろ、明日には死ぬんだからもう考えなくていいわな。
ほれ、最後の飯だ。せいぜい味わえよ」
「うるせぇ!! 殺してやる!!」
「はは、殺さなくたって、そのうち死ぬよ」
「クソっ!! くそくそくそくそ!!!!!!」
糞みたいにまずい塊を前にして、身体はそれを欲する。
俺の体までもが俺を裏切っているような、そんな気持ちになりながら、その塊に芋虫のようにかじりつく。
「殺してやる、殺してやる、殺してやる」
雑に置かれた皿から最後の一滴まで水を舐めとる。
人間を一人残らず殺す。
そのためにも、この縄を何とかしなければいけない。
俺は、飯を持ってくる奴が完全に居なくなったのを確認して、排泄物によって生じた悪臭を思いっきり吸い込む。すでに悪臭にも慣れてはいるが、強烈なアンモニア臭が俺の嘔吐中枢を刺激する。
「おええええ」
胃酸を吐き出す。そしてそれに手を縛る縄を漬ける。
胃酸は、結構強い酸だ。
そして、天然の縄なら、腐食にそこまで強い耐性はないはずだ。
事実、この作業を始めてから、明らかに縄は劣化している。
それを爪でガリガリと削る。
人差し指の爪ははがれた。
今は中指を使って削る。
ガリガリガリガリ、石畳にもこすりつける、ゴリゴリゴリゴリ。
俺は毎日毎日この作業を行っている。
すぐに旦那様とかいう魔法使い野郎が帰ってきたら間に合わなかっただろう。
一週間という時間が、俺を味方してくれた。
今日は手ごたえがいい、明らかに縄は柔らかく、ぶちぶちと繊維が切れるのを感じる。
そして……
「……取れた……取れた……!!!!!」
大声が出そうになる口を自分の手で抑える。
「-----------っ!!!!!!!!!!!!!!!」
急に腕を動かして肩の関節が今まで味わってなかったような痛みを感じる。
一週間もまともに動かせなかったんだ、そりゃそうなる。
悶絶しながら、ゆっくり、少しづつ、少しづついろんな関節を動かしている。
動かせる場所は出来る限り動かしてきた。
肩は一番動きを制限されていたので痛みを発した。
それから足の縄を外して、寝っ転がりながらゆっくりとストレッチをしていく。
リハビリのようにゆっくり、ゆっくりとだ。
時間は明日、旦那様が帰ってきて牢から出される瞬間まで……
旦那様とやらには遇ってはダメだ!
あんな凶悪な魔法に立ち向かって勝てるはずがない。
他の兵士も一切の慈悲を与えてはいけない、相手は一切の躊躇なく俺の行動を止めに来る。
死ななければ何でもしてくる。
旦那様がいれば四肢も落としてくるだろう、確実にこっちも殺さなければいけない。
芋虫のように這いつくばりながらも、動かせるところは出来る限り動かした。
関節の拘縮でも起きたら何もできない、それでも節々が痛い。
大丈夫、やれる。俺は、殺る。
思い出せ、俺がされたことを、この世界の人間のやっていることを……
ようやく鈍い痛みだけで肩が回せるようになってきた。
立ち上がって歩くことも、走ることも、取り戻した。
簡単な空手の型を行い、身体の動きを取り戻していく。
同時にぐつぐつと怒りの炎が沸き立っていく。
巨大な猫と戯れて夢のような時間から叩き落されたせいで、余計に燃え上がる。
「……あいつ、捕まっていないといいな……」
他人の心配をしている場合じゃないことはよくわかっている。
それでも、どうしても俺はこの世界で出会った唯一の害意のない存在のことを思い出さずにはいられなかった。
それから夜通し、身体を動かして、戦いに挑む準備を整えた。
翌朝、縛られた振りをして牢屋で待機する。
カツカツと足音が牢屋に響く。
そーっと様子を伺うと二人の兵士がズタ袋のようなものを持って近づいてくる。
なるほどね、最近俺はかなり攻撃的な言動を繰り返していたからそれに突っ込んで運ぶつもりなんだな。しかも、まぁまぁガタイの良い男二人だ……
俺は、自分に最後の問いかけをする。
殺すか、殺されるかだ、殺せるか?
ガチャリと重い金属の音がして、ギギギ、扉が開く。
(……イエスだ!!)
二人目が身をかがめて扉を抜けようとした瞬間に立ち上がり、無防備な背中を晒している一人目の背後に立ち、首と頭に手をかけて、全力で頭を捻った。
ベギィごぎぃん
嫌な手ごたえが腕全体に伝わる。
あらぬ方向に歪んだ頭部、ガクンと腕に全体重がかかり、腕を離すとどさりとその場にうつぶせに倒れる。
殺した。
俺は今、人を殺した。
覚悟を決めていたが、それでも胃酸が食堂あたりまで上がってむせかえりそうになる。
それをぐっとこらえて腰の刀を抜き去って、立ち上がりながらこちらの異常に気がつきそうになっていたもう一人の兵士の首を力いっぱい刀を横なぎにフルスイングした。
ごっ
少し硬い感触が確かに手のひらに伝わったが、剣は振り抜けている。
ごとり……ブシュー……
何かが地面に落ちて、一拍して大量の液体を吹き出しながら男の体が倒れていく。
「おうえぇぇぇぇぇぇ……」
我慢できずにその場に胃の内容物を全て吐き出す。
しかし、時間はない。
急いで最初の男の体から衣服をはぎ取って着る。
少しきついが、久しぶりに人間らしい格好が出来たことに安堵する。
運のいいことに、首を切り落とした男の靴が履くことが出来た。
微妙にきついが、文句はない。
すぐに牢屋の外に出る。
今のところ次の人間が下りてくる気配はない、しかし、もしかしたら階段の上では大量の人間が待ち構えているかもしれない。
こちらの武器は剣が二本、近くの照明用の松明を外して持っていく。
ふと囚人を監視する席の脇に、明らかにこの場に似つかわしくないものが置いてあることに気がつく。
白衣だ。
なぜかそのまま綺麗にかけてあった。
縋り付くように近づいて、掴みとって、すぐに袖を通す。
「これさえあれば……」
想像し、ポケットに現れた物を見てにやりと口角があがる。
「行くぞ」
目的はただ一つ。
「逃げ切ってやる!」