表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/15

第一章 オーク商店⑧

※未成年が飲酒している描写がありますが、エリカたちの世界では飲酒は十六歳から認められていますので、ご容赦ください。

 五時半。村の食堂ではエリカの歓迎会が始まろうとしていた。

 と同時に、主役であるエリカは猛烈な恐怖に襲われていた。


(これを……食うのか……?)

 村一番の食堂というだけあり、オークたちが詰めかけてもまだ余裕があるほどの広さだ。それはいいのだが、テーブルには肉や野菜をふんだんに使った料理がずらりと並べられていた。

 その料理が問題のうちのひとつだ。

(イノシシに熊だと……!? そんなもの食えるのか!?)

 どう見てもイノシシの丸焼きにしか見えないものから肉を切り分けているのが厨房の奥に見えたり、そこかしこからこの熊肉は美味そうだなというような会話が聞こえてくる。外見からはわからなかったが、どうやら煮物に使われている肉は熊のようだ。


 エリカは今まで肉といえば牛や鶏、豚、あるいは珍しいものだと鹿くらいしか食べたことがないくらい、実は割と育ちがいい。

 目の前にある肉が果たしてどんな味がするのか想像もつかないし、はたまたそれともこれはオークたちのために用意されたもので人間は食べたりしないものなのではないかとも思ってしまう。

 周りを見れば、オークたちはわいやわいやと談笑している。彼らにとっては見慣れない食材ではないのだろうか。というか、よく考えれば……いや、よく考えなくともこの肉は彼らが狩ってきた獲物か。それならば特に動揺もしないのも納得できる。

(しかし……食うのか? これを? 本当に?)


 エリカが切り取られたイノシシ肉とにらめっこをしているうちに、

「よう、すごいだろ」

「ガイ……じゃなかった、社長」

 すぐそばにガイアがやってきていた。手には麦酒がなみなみと注がれたジョッキが握られている。

「今日は一等いい肉と野菜を出してもらったからな。ここのコックはいい腕してるし、きっと美味いぞ」

 どうだと言わんばかりの表情を浮かべるガイアだが、エリカの心はやっぱりこれを食べるのか……という思いでいっぱいだった。


「だいたい揃ったか?」

 そんなエリカの心境など構わず、ガイアはうるさいとは感じない、しかし食堂中には聞こえるほどの声量で問いかける。すると、オークたちが一斉に揃ってまーすと答えた。

「よし……コホン」とガイアは軽く咳払いをしてから「今日は新しく我がオーク商店で働くことになったエリカの歓迎会ということで、各自親睦を深めてほしい」

 そう言うとガイアは次にエリカのほうを向き、

「エリカ。いきなり全員の名前を覚えるってのも難しいとは思うが、できるだけ多くのやつと話して仲良くなってくれな。あと、料理も酒も遠慮なく食って飲めよ、ここは俺の奢りだ」

 どこからか、オークなだけに多くってか、という陽気な声が聞こえたが、二人は無視をした。


「それじゃ、新たな仲間を歓迎して、乾杯!」

 ガイアの声に続いて、乾杯、とオークたちが唱和する。

 乗り遅れたエリカも口の中でそうつぶやいてから、あらかじめ持たされていた赤の葡萄酒をくいっとあおる。

「んっ……!?」

 美味しい。

 一口飲んだ途端、すっきりとした味が口いっぱいに広がり、思わずハッとグラスの中の半透明の赤い液体を見つめてしまう。


(美味しいというか、飲みやすい……? 酒が苦手な私でも飲める! 葡萄酒はあまり飲んだことはなかったのだが、こんなに美味しいのか!?)

 エリカも十八歳。学校の友人と付き合いで酒を飲むことはあったが、この葡萄酒ほど美味いと思ったことはない。むしろ、やたら苦かったりアルコールの感じがきつかったりで苦手な印象を抱いているほどだったのに。


(これが酒!? 私が今まで飲んでいたものは何だったんだ!?)

 口にせずとも、立ち込める香り――これはにおいと言うよりも香りと言う方がふさわしいだろう――が嗅覚を刺激してくる。

 さっきは味わう暇もなく飲んでしまったので、今度はしっかり味わおうともう一口。

 すると、やや辛めではあるものの口当たりのよい酸味が舌を打つではないか。今まで飲んできた蒸留酒のようなアルコールくささも、麦酒のような苦み全くない。心地よい味だ。

 葡萄といえば甘い果物だからそれから作られる葡萄酒も甘いと思っていたが、どうやら違ったようだ。

 エリカはもう一口、もう一口と、あっという間にグラスを空にしてしまっていた。


「気に入ったか」

「――っ! ち、違っ……」

 反射的に答えてから、何も違わないことに気づき、

「……ただ、葡萄酒は初めて飲んだからこんなに美味しいものなのかと驚いただけだ」

 と、言い直す。


「これはこの村で造られたものなのか?」

「そうならいいんだがなぁ、違うんだ」

 これが村で造られたもんならもっと気軽に飲めるんだが、と付け加えてから、

「これはコーラル商会から買ったもんだ。何でもかなり有名な酒蔵の上物だそうだ」

「そうなのか……」

 上物と聞き、道理で美味しいわけだとエリカは納得する。


 エリカ自身、実はこういった飲み会というものが苦手ではあった。ガイアに歓迎会と言われて気が引けてしまったのはそういった苦手意識からなのだが……。

 それもひとえに、酒がどうしても美味しいと思えないということが大きな要因のひとつだった。

 今まではまぁ付き合いだと思って最初の一杯だけを飲み、あとは水などを飲んでいたのだが、

(ああいう場の、酒を飲まなければならないという空気はいったい何なんだ!? 何が「エリカちゃん、飲まないのー? ノリ悪くなーい?」だ!)

 軟派で有名な同級の男子騎士見習い(ちなみにすでにいくつもの騎士団から内定をもらっているらしい)を思い出し、顔をしかめてしまうエリカ。


 正直、この歓迎会でも最初にグラスを渡されたときはどうしたものかと思ったのだが、これほど飲みやすいのであれば酒も悪くないと思える。

 ちなみにだが、学生である彼女たちはもちろん自由に使える金銭が少ないため、安い店でしか飲食ができず、えてしてそういった店は出すものの質も高くはなく、酒が美味しくないのも当然といえば当然だったということを彼女はまだ知らない。もっとも、その場でよく飲まれていた麦酒や蒸留酒は背伸びをした子供が飲むことの多いもので、実際は他の子たちも「あんま美味しくないな」とは思っていたのだが。

 酒の美味しさを知ったエリカだが、彼女の試練はまだ去ったわけではなかった。


「ほらほら、酒もいいが、飯も食え。何か食いたいものはあるか?」

「うっ……」

 そう、料理である。

 熊やイノシシの肉が使われた料理である。

 周りの様子をチラリと窺うと、仕事の後の飯はうめぇなぁとオークたちはむしゃむしゃ料理を食べていた。もちろん、例の肉もだ。

 その姿を見ても、やはり熊やイノシシといった見慣れぬ食材のせいか気後れしてしまう。

 そんなエリカに、救いの主が現れた。


「エリカさん、どうですか? 楽しんでますか?」

「レイ……!」

 オーク商店でエリカ以外の唯一の人間であるレイだ。

 彼ならエリカの苦悩もきっと理解してくれるはず! そういえば彼は何を食べているのだろうか。私も同じものを食べよう! そう思って彼の手に持つ器を見れば……

「熊肉の煮物、美味しいですよ」

「…………へぇ」

 よく考えたらレイはこの村の出身だ。であれば、熊肉の料理もそう珍しくはないのかもしれない。


「……なぁ。それ、本当に美味しいのか?」

 それでもオークよりは人間であるレイのほうがマシだろうといちおう聞いてみると、

「え……? ええ、美味しいですけど……?」

 不思議そうな表情でそう返される。

「いや、実は……」エリカは声をひそめ、「恥ずかしながら私は熊の肉というものを食ったことがない。だから、どんな味なのか不安でな……」

「ああ、それなら大丈夫ですよ。グラントさん――ここの料理長は熊肉の調理に慣れてますし、普通のお肉とあまり変わらないと思います」

「そ、そうなのか……」

 オークならいざ知らず、同じ人間であるレイに言われれば「じゃあ食べてみようかな」となるエリカ。グラントという料理長が熊肉の調理経験豊富(とは言っていないが、エリカにはそう認識された)というのも手伝い、近くのテーブルにある鍋からひと掬い、熊肉の煮物を取ってみる。


「夏の熊はちょっと痩せてるから冬とかが旬なんですけどね」ボソッと何か聞こえた。

「……今何か言わなかったか?」

「いいえ、何も。熊肉はめったに取れるものではありませんし、村では特別な料理なんですよ!」

「おい本当か!? 本当は熊の美味しい時期は別なのに狩ってきちゃったし売り物にもなりにくいから在庫処理しようとしてるんじゃないだろうな!?」

「……ホント、在庫処理とか変な言葉はよく知ってるよなぁ、コイツ」とガイア。


 未だにぎゃあぎゃあわめくエリカに、「食わず嫌いはいけないぞ」「いったん皿に取ったらちゃんと食べるのがマナーですよ」と、ガイアとレイが説得しつつ食べさせようとする。

「美味しくなかったら吐きだしていいから」

「ひとまず食べてみてください」

「本当だな!? 美味しくなかったら食べないからな!?」

「めんどくせぇ奴だな……」

 と、まるで子供のように本気で怯えていたエリカだったが、ついに観念する。


 おそるおそる皿に載せられた肉をフォークで刺し、口に運んでいく。ガイアとレイはというと、その様子を固唾を飲んで見守っていた。

 あむっ。

 ついにエリカの口に味付けされた煮物熊肉が入る!

「もぐもぐ……もぐもぐ……っくん」

 やはりおそるおそるといった様子でエリカはしばらく咀嚼していたが、とりあえず吐きだすようなことはなく飲み込み、

「な、何だこれは……!?」

 驚愕したエリカの姿に、ガイアとレイは安堵の笑みを浮かべる。


 何と言うか、思ったよりも普通の肉の食感と味だった。熊の肉という未知の食材に怯えすぎたのかもしれない。

 煮汁――ほんのりとトマトっぽさがある――の味がよく染み込んでおり、かすかに加えられていた香草も良いスパイスになっていて、口の中に熊肉と煮汁の旨みが広がった。

 食感はというと、やはり今まで食べた肉に比べるとやや硬い感じがしたが、しっかり煮込まれていたからか噛み切れないということもない。むしろ歯ごたえがあって食べているという実感があってエリカは好きだ。


「これが熊の肉? 本当に……?」

 今まで食べた他の肉とも遜色のない味・食感に、自分が食べたものが本当に熊の肉なのかと疑うエリカ。熊と言いながら別の肉なのではないかと思ってしまう。

 もう一口。

 口に入れた時は煮汁と香草に意識が行くが、咀嚼していく度に肉自体から染み出てくる旨みに夢中になっていく。いっしょに煮込まれていた根菜も非常に美味だ。

 これは調理した者の腕が良いのか、それとももともとがそういう肉なのか……。

 ……もし後者であるならば、もっと広く流通されていても良いのでは?


 そんなエリカの疑問に答えるように、

「グラントに感謝しろよ。普通に作ったらこうはいかないからな」

「……そうなのか?」

「ええ」

 ガイアの言葉を引き継ぐようにして、レイが頷く。

「熊だけに限りませんが、野生の獣の肉というのは臭みが強いんです。もちろん、捕まえてきたガイアさんたちが手早く処理を行ったというのも一因ですが、その臭みが出ないようにグラントさんが調理していることが大きいです」

 などとレイが解説していると、

「社長~。エリカちゃんを独り占めなんてずるいわよぉ」

「――っ!? ナタリー、か!?」

 メイド服を着たオークが現れた。未だにオークの顔など見分けがつかないエリカだが、メイド服を着ているなどという大きな特徴があればさすがに彼女が誰かはわかる……とは思うが、それでも万が一間違っていたときのためにちょっと探り気味に問いかける。


「そうよぉ、ナタリーでーす。エリカちゃん、社長たちばっかりじゃなくて私たちとも喋りましょうよぉ~。ね、もうこれは食べた?」

「い、いや……まだだ」

 そう言って彼女が差し出してきたのは切り分けられたイノシシ肉が載った皿だった。

 先ほどの熊肉は美味しく調理されていたが、こちらはどうなのだろうか? いや、正直に言おう。この肉がどんな味なのか、ちょっと楽しみにしている自分がいることにエリカは気づいていた。


「しかし……先ほど、君は野生の獣の肉は臭みが強いと言っていたが、イノシシはどう――」

 と聞こうとしてチラッとレイを窺えば、「いけますいけます」と言わんばかりにむしゃむしゃと頬張っていた。

(こいつ……)

 初めて会った時は知的で礼儀正しい青年かと思ったが、少なくとも食事の時はそうでもないようだ。


 まぁいい。レイが食べているということは、熊肉同様、人間が食べられないものでもあるまい。

(ええい! 女は度胸だ!)

 ぱくっ。

「んんっ!?」

 食感は豚肉に近い。しかし、豚肉に比べるとやや脂身が少ないだろうか。脂が大好きな男子たちならばともかく、女のエリカにはこちらのほうがすっきいりとしていて食べやすい。

 トマトベースの味付けだった熊肉の煮物と違い、こちらのイノシシ肉の味付けは塩と胡椒というシンプルなもので、それなだけにイノシシ肉という素材自体の旨みが引きたてられていた。


「葡萄酒もいっしょに飲むと美味しいわよぉ?」

「何……?」

ナタリーに言われ、エリカは空になっていたグラスに葡萄酒をそそくさと注いでもらう。

「こ、これは……!」

 さっそく新たに注がれた葡萄酒を口に含むと、未だ舌に残ったままのイノシシ肉の旨みと葡萄酒の濃厚なテイストが絡みあい、何とも奥深い味わいが生まれるではないか!


 今までエリカは食事の際の飲み物は、水だと決めていた。飲み物の味で料理の味が邪魔されると思っていたからだ。なぜ大人は酒を料理を食べながら酒を飲むのだろうといつも不思議に思っていた。騎士学校の同級生たちとの飲み会の記憶が決して楽しいとは言えないものだったのも、エリカが酒を嫌う一因でもあっただろう。

 しかし、今日、料理と飲み物――互いの味が互いの旨みを引き立てあうという、今まで生きてきた中で初めての経験を味わった。今なら大人たちが酒を飲みながら食事をする理由もわかるような気がする。


「これが……本当の食事なのか……」

「どうだ。美味いだろう?」

 葡萄酒に含まれていたアルコールの影響で、ほうっと身体が火照るエリカにガイアが自慢げに話しかけてくる。

「ああ。申し訳ないが、熊やイノシシと聞いて侮っていた。獣の肉でもこんなにも美味だとは……。世の中は広いのだな……」

「そりゃよかった。熊もイノシシも夏に捕るとあんま美味くねぇから、どう処理しようか悩んでたんだ」

「おいやっぱり在庫処理じゃないか!?」

「まぁ美味かったんだからいいじゃねぇか」

「よくない!」

「まぁまぁ、それよりエリカちゃん。野菜も食べましょ。この村の野菜は無農薬なのに美味しいのよ」

 と、ナタリーがエリカの皿に野菜を盛ろうとした時だった。


「おう、嬢ちゃん。飲んでるか? 俺は社長たちとは別の狩猟班のベルゼだ。お前、トォルたちをのしちまったんだって? 最近あいつらちょっとたるんでたから良い薬だぜ。よろしくな」

「エリカさん、初めまして。加工部のリリーです。これからよろしくお願いしますわ」

「どうも、総務経理部のスウェンと言います。事務関連を担当してますので、必要なものがあったら遠慮なく僕に言ってくださいね」

「こんばんは、加工部のアンリでーす。ナタリーさんのメイド服も可愛いけど、エリカさんの服も可愛いですね、洗練されてるっていうか……私も着てみたいなぁ」

「え、ちょ、わっ……」

 今までエリカに話しかけるタイミングを見計らっていたオークたちが、痺れを切らして一斉にやってきたのだ。


 何せ誰も彼もオーク。顔立ちや身体つきにかすかな違いは見受けられるが、オークの顔を覚えるといった経験のないエリカには、いっぺんに自己紹介をされてもとても覚えられない。

「おいお前ら……エリカが怯えてるだろ。少し落ち着け」

「っつっても社長たちばっか嬢ちゃんと話しててずるいぜ!」「そうですよー!」「この歓迎会はお互いの親睦を深めるのが目的ですよ?」「アンリたちだってエリカさんとおしゃべりしたーい!」

 混乱を鎮めようとするガイアだったが、詰め寄ってきたオークらに迫られて「うっ……」と言葉を詰まらせてしまう。こうなっては社長でも形無しだ。


「仕方ない。エリカ」

「え? な、何だ……?」

「がんばれ」

「おい!? 投げ出すな!?」

「まぁいっぺんに覚えられないとは思うが、追々覚えていけばいいからな」

 と、ガイアが言ってくれるものの、次々とオークたちが殺到してきてエリカはその対応にかかりきりになってしまう。皿に盛られたサラダを食べるどころか視線を向けることすらできないほどだ。


 ただ救いだったのは、話しかけてくるオークたちは誰も非常に友好的だったということか。エリカは彼らの仲間を怪我させてしまったわけだが、それでも明るく話しかけてきてくれる。良い人……ではなかった。良いオークたちだ。エリカは飲食をいったん忘れて彼らとの会話に集中し始めた。

 人間の社会と言ったらこの村のことしか知らないオークたちにとって、エリカの存在は物珍しいのだろう。村の外――エリカの故郷や暮らしている街、学校などの様子を問われ、エリカは丁寧に答えていく。

 まだ少しぎこちないながらもオークたちと新入社員が打ち解け始めたところで、それは起こった。


「おい……」

 エリカのもとに新たに一体のオークが現れたのだ。身体はオークたちの中でもひときわ大きく、エリカも人間の女性にしては上背のあるほうだが、そのオークの顔を見るためには見上げる必要があった。その後ろには、さらに数体のオークが控えている。

「お前、トォルたちをひとりでやったらしいな?」

「ザクイー!」

「ガイアさんは黙っててください!」

 ザクイーと呼ばれたオークはエリカを見下ろし、

「エリカとか言ったな、人間のメス。俺と勝負しろ!」


「勝負、だと……?」

「ああ。トォルたちを倒したって腕前、気になってな。……言っとくが、別にトォルたちの仇討ちってわけじゃねえぜ?」

「何!? ならばどうして……」

 てっきり仲間をやられた報復かと思っていたが、どうやらそれは違ったらしいと知り、エリカは驚く。

「どうしてって? 簡単なことだ! 俺は強い奴と戦うのが大好きなのさ!」

 何をそんなに気になるのかと言わんばかりにザクイーは不敵に言い放った。


「正直言って俺はトォルたちみてぇな軟弱もんが社長と同じ班だってことにずっとムカついてたんだ。いくら女騎士見習いだからってオークのくせに人間のメスなんざにやられちまうなんざ、オークの恥さらしだぜ」

「…………貴様」

 ザクイーとその後ろにいる取り巻きのような連中のニヤケ顔を見て、エリカの声が低く、冷たくなる。


 彼がけなすトォルたちはこの場にはいない。大事を取って自室で安静にしているとのことだった。彼女はトォルたちと仲が良いわけではない。むしろその原因を作ったのは他でもないエリカ自身であり、勘違いからこのようなことになってしまっては恨まれていて当然だろうと思っている。

 だが、トォルたちは訳もわからず襲ってきたエリカと勇敢に戦ったのだ。

 たとえ倒れたとしても、それでも最後にはガイアの勝利へと導いた。

 その勇姿を、その場にいなかった者にけなされていいわけがない。

 ここまで会社のオークたちと触れ合ってきたこともあり、種族は違えど、正々堂々戦った相手にエリカは敬意のようなものを持ち始めていた。もっとも、彼女の初撃と第二撃目は不意打ちもいいところなのだが。

 だからこそ、エリカはその挑発に乗ることにする。


「いいだろう、相手になってやる」

「そうこなくっちゃな。表に出ろ」

 のっしのっしと出口に向かうザクイー。エリカもそれに続こうとして、

「悪いな、エリカ」

「うちの班のザクイーが舐めた口利いちまってすまねぇな、嬢ちゃん」

 後ろから、申し訳なさそうな顔をしたガイアとベルゼに声をかけられる。

「アイツも悪い奴じゃないんだ。適当に相手してやってくれ」

「承知した」

「……ただ、ひとつ言っておく」

「ん?」

「あいつの実力に驚くなよ?」

「何だと……!?」

 ガイアがそこまで言うことに、すでにエリカは驚いていた。

 そんなにも奴は実力者だったのだろうか。


 実際、振る舞いや体格、言動は別としても、身のこなしなどを見る限りではエリカはザクイーをそこまで強いとは感じていなかった。騎士見習いとしてトップレベルの優秀な成績を誇るエリカだ。相手の力量を見誤るようなことはほとんどない。

 ガイアたちに敗北を喫したのも、オークが連係を取るなどという常識外れが起きたからこそだ。

 今はもう油断はしていないし、これから行う勝負だって一対一のものだろう。それなら連係が行われるとは思えない。そして連係がないのであれば、いくら相手の身体が大きくとも自分なら勝てる。そう思っていたのだが……。

(真なる強者は剣を見せずと言うが、実力を隠していたか? これは気を引き締めねばならんな……!)

 侮るつもりはなかったが、知らず知らずのうちに相手がオークだからと言ってまた侮っていたようだ。


 改めて自分を戒めたエリカが食堂の外に出ると、ザクイーが道の真ん中で仁王立ちをしていた。

「構えろよ」ザクイーが悠々と言う。「オークと人間じゃ力が違うからな。ハンデだ。剣でも何でも使えや」

「くっ……!」

 言われた通り、ザクイーと対峙して剣を構えるエリカ。さすがに身体が大きいだけあって凄まじい威圧感が襲ってくる。

 夜になったとはいえ夏の陽の暑さはまだそこかしこに残っており、汗がじわりとにじみ出てくる。しかし、エリカの背筋を伝うのは冷たいそれであった。

 オークは皆、腕や脚が太いが、ザクイーの四肢はひときわ太く逞しく見える。どれだけの筋肉がその太い腕に詰め込まれているのだろうか。いくら鍛えているとはいえ、華奢な人間の女の身体ではまともに攻撃を受けたらひとたまりもないことは想像に難くない。


「準備はいいか?」

「……何だと?」

 仁王立ちしたままザクイーが問いかけてきて、信じられないと言うようにエリカが問い返す。彼はまだ構えすらしていないではないか! それでも自分に勝てるとでも言いたいのか!?

「舐めた真似を……! 私はいつでもいい!」

「そうか。ならかかってきな!」

「ふん……剣を使わせてもらっているからな。ハンデだ。先に攻撃してくるがいい」

「――っ! いいぜ。なら遠慮なくいかせてもらうぜ!」

 くるか!?

 身構えるエリカ。そして彼女がその直後に見たのは信じられない光景だった。


「おらあああああああああああああああ!」

「何!? こ、これは……!?」

 ザクイーは拳を振り上げて一直線にエリカに向かってくる!


 ただし、のっしのっしと呆れるような遅さで。


「……………………………………………………………………………………………………」

 ようやくエリカを拳の射程圏内に捉えたザクイーは拳を振り下ろす。

 やはり、その速度は遅い。

 ハエが止まるのではないかと思うほどだ。


「……………………………………………………………………………………………………」

 エリカは無言でそれを避ける。

 するとどうだろう、ザクイーは拳の勢いそのままに体勢を崩し、挙句の果てにはすっ転んでしまうではないか。


「ああ! ザクイーさん、惜しいッスよ!」「野郎! すばしっこい奴め!」「ワンチャンありますよ!」「もう一発! もう一発!」

 取り巻き連中の声に背中を押されるようにして、ザクイーは「やりやがるな……」とつぶやきながら起き上がった。やるなと言ってもこっちは何もしていない。


 ……何だ、これは?

 いやいや待て待て。侮らないとついさっき気を引き締めたばかりではないか。きっとこれは自分を油断させる罠では……。

 もう一度、ザクイーが拳を振り上げてのっそのっそと迫ってくる。

 エリカはまたもそれを見ながら余裕を持ちながら避けた。

 再びそのまますっ転ぶザクイー。

 そしてまたもや取り巻き連中がやいのやいのと騒ぎ立てる。


 そういったやり取りが何度か繰り返され……。

「エリカとか言ったな……」

「ああ」

「今日のところはこの辺で勘弁してやるぜ! 次に会った時は覚えてろよ!」

「えっ」

「それまでせいぜい歓迎会の続きでもして楽しんでるんだな!」

「あっ、はい」

 終いにはそう言ってザクイーは取り巻き連中といっしょに食堂の中に入っていってしまった。結局エリカはザクイーの拳を避け続けただけで何もしていない。


 エリカはしばらくぼーっとしていたが、正気に戻ると彼らを追うようにして食堂に入る。そんな彼女をガイアたちが迎えてくれた。

「おう、おかえり。適当に相手してくれたようだな、ありがとよ」

「おい! 社長! これはいったいどういうことだ!」

「言っただろ。驚くほど弱いけど驚くなって」とガイア。

「あいつは我が社で最弱の男だぞ、嬢ちゃん」とベルゼ。

「驚くなってそっち!? あまりにも弱すぎるって意味!?」


 食堂の隅の方を見やると、ザクイーが取り巻きたちに「マジパネェっすよ!」「これ取ってきました!」などとちやほやされて満足げにしている姿が視界に入る。

 落ちついて眺めてみると、バクバク食っている様子を見る限り、彼の大きくて太い身体は実は筋肉ではなく贅肉ではないだろうか……。


「でもあいつ……狩猟班じゃないのか?」

「そうだな」

「うちの班には必要不可欠な人材だ」

「あんなに弱いのに?」

「あいつ、手先が器用なんだよ」

「……?」

 むしゃむしゃとサラダを食べながら言うガイアの説明に、訳がわからないという顔をするエリカ。


「獣の肉ってのは殺ったらすぐに処理しないと臭みが出ちまう。だから血抜きって作業や解体をその場でする必要があるんだが、それができるのは俺とザクイーと、もうひとり……ここにはいねぇが、もうひとつの狩猟班のリーダーしかいねぇんだ」

「戦力的にはあいつはぶっちゃけお荷物なんだがねぇ。どうにもああいった細々とした作業を覚えるのは苦手でな、あいつに頼る形になっちまってんのよ」

「そうなのか……」

 血抜きや解体というものが具体的にどんな作業なのかはエリカにはわからないが、彼らにもなかなか大変な事情があるようだ。彼女としては神妙そうな顔をしてそう言うしかない。


「では、あの取り巻きどもは……」エリカはふと気になり、「彼が強いから取り巻きをしているのではないのか?」

「からかってるだけだな」

「タチが悪いぞ!?」

「うーん、確かに俺もそう思うんだが……でもなぁ。本人は幸せそうだしなぁ」

 いじめはよくないけど、とガイアは言うが、

「だが、ああやっておだててくれるやつも必要っちゃ必要なんだぜ?」

「そうなのか?」


「見ての通り、ザクイーの野郎は自分が弱いってことにコンプレックス抱いちまっててなぁ。狩猟班に配属されたのはめちゃくちゃ喜んでたんだが、解体要員だと聞いて凹んじまったんだ」

「それは何と言うか……さすがにちょっと気の毒だな」

 彼としては、上げてから落とされた結果だろう。エリカだって、騎士団から内定をもらったものの行ってみたら事務員としての採用だったら泣く。


「今でも、たまーに解体作業の時にヘソ曲げることがあんだが、あいつらが上手くおだててくれるから解体してくれるってぇこともあんだぜ」

「本当はザクイーは俺の班に来たかったみたいだから、よくトォルたちといざこざ起こすんだよなぁ……」

「いや、社長にはうちの班の奴が迷惑かけちまって……」

「気にすんな。お前の班っつったってうちの社員には変わりない。俺の身内でもある」

 ぺこぺこと頭を下げるベルゼをガイアが慰める様子を見ていると、オークの会社でも中間管理職の人たち(オークだが)は何だか大変なんだなという思いがエリカの胸に込み上がってくる。


「あぁ、それとさっきもちょろっと言ったが、狩猟班は俺とベルゼの班の他にもうひとつある。そいつらは今日は夜の当番だからこの会には参加してないが、また明日にでも改めて紹介するからな」

「夜の当番……?」

 その言葉にエリカが首を傾げると、

「たまに村の畑を荒らしに、山から獣が来ることがあんだ。夜の当番はそういう獣を退治する役割なんだぜ」

「エリカもそのうちやってもらうからな」

「えっ……」

 エリカは思わず呻いた。今までの彼女にとって夜とは寝る時間であって、起きていられるかどうか不安なのだ。


(だが、騎士団では夜勤もあると聞く。それにこの夜の当番とは、害獣から村を守る――いわば騎士としての予行演習とも言える! がんばって起きよう……!)

 人知れずエリカが一大決心をしているのをよそに、

「そういや社長よぉ。さすがに社長でもエリカと二人じゃ厳しくないか? うちからひとり回すか?」

「いや、それには及ばない。こいつの実力はなかなかのものだ」

「社長はよくても嬢ちゃんがきついんじゃねぇか?」

「うーむ……言われてみれば確かに……」

 ガイアとベルゼは麦酒片手に仕事の話を始めてしまった。


「エリカちゃーん。こっち来ていっしょに飲みましょうよー」

「あ、ああ……今行くぞ、ナタリー」

 仕事の話をしているのであれば、自分が口を挟める余地はないだろう。それよりも他のオークたちと交流を深めようと、エリカはガイアたちのいるテーブルから離れる。

 その後の歓迎会は特に目立った騒ぎもなく進み、しばらくしたところでお開きとなった。


 余談だが、会の途中でエリカは気になっていたことを聞いてみた。

「なぁ……レイ。熊やイノシシの肉はめったに食わないと言っていたが、普段はどんな肉を食べてるんだ?」

「え? 採ってきた鳥とか鹿とか、あとは村で育てた牛や豚とかですかね」

「そっちのほうがよかった! いや熊とイノシシも美味かったけど!」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ