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第一章 オーク商店④

「契約社員が有期雇用……ということはわかった。だが、それ以外に正社員と違うところはあるのか?」

 実のところ、騎士団にも正規と非正規というものがあるとはエリカも聞いていた。当然、誰に聞くまでもなく非正規よりも正規のほうがいいということもわかっていた。


 では、正規は非正規よりも何が優れているのか。

 漠然と正規のほうがいいというのがエリカの認識であり、なぜ正規でなければいけないのかということは全く知らない。

 なぜかオークのくせにこういう知識に詳しいこの男なら、答えてくれる気がして、エリカはそういった事情を思いきって打ち明け、尋ねてみた。


「ふむ……そういうことか」

 しかし、ガイアの表情は苦虫をかみつぶしたようなものだった。

「難しい質問ですね」

「な、何!? そんなに難しいことなのか!?」

 総務経理のオークの言葉に、エリカは驚く。


 認めるのは癪だが、このオークたちは明らかに自分よりも労働という仕組みに対して物知りだ。そんな彼らが唸るほど、これは難しい質問だったのだろうか。

「まずはうちの例で教えたほうがいいか?」

「そうですね。そのほうが早いと思います。……いいですか、エリカさん。この会社での正社員と契約社員の差……それは――」

「それは?」


「有期雇用か常用雇用であるかの違いだけです」


「……………………何だと?」

 あまりにも拍子抜けな答えに、エリカは戸惑いの声を上げた。


 だってそうだろう。

 正社員と契約社員の差が、雇用形態の差だけだと? これの何が難しい質問だったんだ?


「それでは、正社員でも契約社員でも、待遇は全く同じということか!?」

「はい。その通りです。給料も、制度も、福利厚生も、うちでは全て同じ待遇となっています。ただ、あなたの場合はそこからトォルくんたちの治療費が引かれますので、給料面で多少の減額が発生しますが」

 事もなげに、総務経理のオークが告げる。これにはエリカも混乱してしまう。


 今まで正社員と契約社員の間には越えられない壁のような違いがあると思っていた。しかし、その違いは雇用形態が違うだけだと? 今日何度目かもわからないが、これまで信じていた自分の常識のようなものがガラガラと音を立てて崩れていくような錯覚をエリカは感じている。

 しかし、そこに救いの手が差し伸べられる。


「慌てるな、まぁ待て。結論を急ぎすぎるのはいけないぞ。今のはこの会社の例だと言っただろう」

 エリカと総務経理のオークとのやり取りを見守っていたガイアだった。

「……どういうことだ?」


「つまり、正社員と契約社員の待遇の違いというのは、会社それぞれで違うんだ」


「何だと!?」

「例えば契約社員だと正社員よりも給料が低いとか、福利厚生に差があるとか、その会社によって変わってくる。もっと言うと正社員だと固定給だが、契約社員だと時給だって会社もある」

「では、正社員と契約社員だとどっちがいいとかは……」

「まぁ人によって違うだろうが、一般的には、やはり正社員と契約社員だと待遇は正社員のほうが上だろうな。騎士団がどういう雇用をしてるかは知らないが、正規と非正規があるなら同じ感じじゃないか?」

 なるほど、とようやくエリカは納得できた。


 このオーク商店とやらでは正社員も契約社員も同じ待遇ということで多少混乱したが、言葉の印象通り、やはり非正規は正規に比べて待遇が劣るようだ。

 待遇はもちろんのこと、さらにつらいのは、有期雇用ということは契約で定められた期間が過ぎると、有無を言わさず辞めなければならないのだろう。そうすると次の仕事を探さなければならない。

(今やってる就活を、またやるのか……?)

 今まで味わってきた艱難辛苦がエリカの脳裏を過る。


 履歴書を送る度にやってくるお祈り手紙。セクハラまがいの圧迫面接。

(嫌だ! またこんなことをやりたくはない! 一回で十分だ!)

 だいぶ慣れてきたとはいえ、エントリーシートを書くのにも時間はかかるし、それなりに疲弊もする。地方の騎士団に面接に行く際の交通費だってバカにならないのだ。面接だって緊張で毎回疲れる。

 そんな苦労をして、正社員になれたならまだしも、また待遇の悪い契約社員では割に合わないではないか!


「正社員と契約社員の違いと言ったらそんな感じだな。少しは参考になったか?」

「ああ……何が何でも正規の騎士として騎士団に内定をもらわなければと気を引き締めたところだ」

 そのためのオーク退治だったのに、なぜかオークといっしょに働くことになっているわけだが……。


「ちなみにだが、世の中には、正社員になりたがらないやつもいる」

「何? それはまたどうして?」

 話を聞く限り、たとえ待遇が同じだとしても安定性という意味で正社員のほうが絶対にいいはずだ。

「事情は人それぞれだからな」

 お前たちは人ではないじゃないか、という言葉は飲み込んだ。


「会社という組織に完全に属したら、周りとの協調や調和を考えなきゃならねぇ。そういうのをわずらわしいと思ったり、もっと自分の価値を高く買ってくれるところに移りやすくしたり、様々だな。騎士の社会にもいるだろ? 腕の立つ傭兵とか、そういうのが」

「なるほど、確かに……」

 傭兵については騎士学校でも教わっていた。


 ひとつの騎士団に留まらず、報酬次第で雇い主を変える正規の騎士ではない騎士。雇用形態についての説明を受けた今ならわかるが、彼らは頼まれた仕事が終われば雇用契約も切れる。これも一種の有期雇用というものなのではないだろうか。ならば傭兵とは、ガイアの言う通り、契約社員のひとつの形なのかもしれない。

(……腕の立つ傭兵が私のように就活でアタフタしている姿は想像しがたいが)


「まぁとにかく、契約社員ってのは正社員よりも待遇が悪い場合がほとんどだ。だからこそ、しっかりと雇用契約を確かめる必要がある」

「そうだな、理解した」

「よし。それならもう一度雇用契約書を読め。隅から隅までな。わからないところは聞け。そんで、全部納得できたら拇印と署名だ」

「いいだろう、望むところだ!」


 数分後、エリカは雇用契約書に一通り目を通して、すべて納得した上でエリカはサインを……しようと思って、しかし手が止まる。

 気づいたのだ。これにサインした瞬間、自分はオークの仲間になる。


「もう一度だけ、確認させてくれ」

「ん? どうした?」

「この会社の業務内容についてだ。確かに私は勘違いからお前たちの仲間に怪我を負わせてしまった。それは本当に済まないことをしたと思っている。彼らの代わりにここで働くこともやむなしだ。しかし、私には人を襲うことの片棒を担ぐわけにはいかない! そういうことをしないと誓っていただけないだろうか?」

 エリカの問いかけを、オークたちは静かに聞いていた。

 それが彼女の譲れないものだと彼らもわかっていたからだ。


「今まで村の人々たちがお前たちを快く思っている様子や会社の中を見せられてきた。それを考えれば、こんな心配は無用だとわかる。だが、今一度、言ってくれ。この会社は人を襲わないと!」


「オーク商店の企業理念は、人との調和だ!」


 だからこそ、ガイアは力強く答えた。

 嘘偽りのない自らの本心――そこから生まれた企業理念を。

 その迫力に、エリカは息を飲む。


「誓うぞ。決して人間は襲わない。俺たちはオークだが、それと同時に人間相手にビジネスを行う商人でもある。そしてビジネスで最も大切なものは互いの信頼だ。信頼を損なったら、それは商人として死を意味する」

 そう言うと、ガイアはエリカの前にある雇用契約書を指差した。


「お前が今交わそうとしてる雇用契約書だってそうだ。拇印と署名をしたら、オーク商店で働く間は契約書に従わなきゃならないし、雇用主は契約の範疇で働かせる。だが、いくら拇印と署名がしてあったって、ごまかそうとしたらいくらでもごまかしがきくんだ。契約書の写しを渡さないところだってある」

「そんな……それでは契約書の意味がないではないか!」


「だから、信頼が大切なんだ」


「――っ!」

「互いが互いに信頼しあって、もっと言っちまえば互いの良心に委ねられて初めて成り立つもんなんだ、商売も、雇用も。いや、社会ってもんは」

「…………」

「もし、目先の利益に目がくらんでその信頼を破ったら、一時は楽になるかもしれない。だが、そんな会社はいずれたち行かなくなる。ま、俺の持論だがな」

 ガイアの言葉に、エリカはしばし考え込んだ。


「信頼が大切であるが故に、自分たちは人間を襲わない、か……信じていいんだな?」

「それがなきゃ、ビジネスなんて成り立たない」

「いいだろう。お前の目に、偽りはないと感じた。それに、もし信頼を破ったら――」

「破ったら?」

「騎士として私がお前たちを斬る」

 断言するエリカに、総務経理のオークが絶句するが、ガイアはおかしそうに声をあげて笑った。


「いいぜ、エリカ。俺たちがもし人間を襲うようなことがあったら俺たちを斬れ。そんで、その功績で騎士になるんだな」

 数分後、エリカは雇用契約書に拇印と署名を行った。

 こうしてオーク退治にやってきた騎士見習いは、オーク商店に契約社員として雇用契約を結ぶことになったのだった。

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