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小説・魏志倭人伝

作者: 屯田水鏡

悌儁ていしゅんは玄関脇に置かれた安楽椅子に深く沈みこんで眼を軽く閉じ、心地良い瞑想に耽っていた。

口元がわずかに緩み、笑みが浮かんだかと思うと、突然、喉の奥から嗚咽が漏れだして、目尻に涙がにじみ、時々ぴくりと指先が動いて喘ぐように頭が左右に揺れた。

夢と現の狭間を行き来している悌儁の身体を撫でる仄かな風は年老いた彼を遥かな思い出へと誘うのであった。

ゆったりとした波のうねりと心地よい飛沫を浴びながら群青の海原に漕ぎ出した若き日の旅路の記憶が影絵のように老人の瞼の裏に浮かんでいた。

夜の帳が静かに下りて全天に星が瞬き始めている。

「旦那さま、御酒でございます」

しゃくという青銅の酒器と杯を持った初老の男が近寄って老人の肩をそっと揺すった。

「おお、おつか、わしは夢を見ておったわい」

焦点の定まらない潤んだ目で老人は男を見上げた。

「左様でござりましたか、それは、お眠りのところをお邪魔して申し訳ございません。ですが旦那様、外は少し冷えて参りました、どうぞ中へお入りください。このままではお体に障ります」

「まあ、そう申すな。良い気持ちなのだ。もう少しここにいて、思い出に浸っていたいのじゃよ。それに乙よ、そなたの抱えておる爵には程良く温まった酒が入っているのであろう」

杯を受け取って、爵から注がれる濁り酒の白い色と香ばしい匂いを楽しんだあと、ゆっくりと唇を杯に近付けて空を仰ぐようにぐっと一息に飲み干して大きく息を吐いた。

「美味い、米の酒は喉を優しく潤して胃の腑に流れ落ちて行く。甘露、甘露、まるで南の地に降り注ぐ暖かい春の雨のようだわい」

悌儁の眼には、星屑を集めて天空の大河となり、何十億光年もの時空を滔々と流れていく天の河の銀の筋が映っていた。

「ああ、こうして空を眺めておると、倭国わこくを旅したあの頃が無性に懐かしい」

杯を重ねるごとに老人の青白い頬に赤みが射して生気が蘇るようであった。時々長く伸びた白い顎鬚を撫で、唇を舐めてはまた酒を飲む悌儁は次第に饒舌になっていく。

主人のそんな様子を眺めながら、乙は主人に気づかれぬように舌打ちをした。

やれやれ、こいつは参ったぞ、これから、うんざりするほど長い話が始まる。今夜も遅くまで、いや、ことによったら、あの星雲が朝の陽光の中に輝きを失って消え入るまで、この老人の話は止まることはあるまいて。どうやら俺は今夜も眠れそうもないぞ。いやはやこの我が儘老人には困ったものだ。

悠久の時空を流れる天の河を恨めし気に見上げて、主人に悟られぬようにそっと漏らした溜息が白い吐息となってその口から漏れ出た。

悌儁老人は遥か遠くを見るように潤んだ目をますます輝かせて、菓子のように甘い記憶の痕跡を口の中で転がしては噛みしめて楽しんでいた。

「なあ、乙よ、そんなに嫌がらずにこの老人の戯言を聞いてくれぬか。あの頃のことを思い出す度に、懐かしく、この身が熱く火照ってどうしようもないのだ。こうして目を閉じると、今もわしの瞼にあの時の出来事が回り灯籠の中の駿馬のように鮮やかに蘇るのだ」

「旦那様、何をおっしゃいますか、この乙めは、旦那様の話をお聞きするのが何よりも楽しみでございます。嫌がるなどめっそうもございませぬ。ですが旦那様には明日、大事なお勤めが御座います。そのことを思いますと、そのお身体が少しばかり心配なのです。ですから・・」

「心配いたすな、乙よ。この身はすっかり老いた。いつ冥途へ旅立っても良い覚悟はできておる。明日はこの年寄りの最後のお勤めになるやもしれぬ。だからこそ、今夜は心置きなく話しておきたい気分なのじゃよ」

「旦那様、冥途に行くなどと不吉なことは口になさらないでください、旦那様あっての乙でございます。身を粉にして一生お仕えしても、旦那様から頂いた御恩に報いることは叶いませぬ。だから、お身体には十分お気を付けください。分かりました、旦那様がお望みならば、乙めは、いつまでも喜んで旦那様のお話をお聞きいたしましょう」

悌儁ていしゅん老人は乙の手を取ってにっこりと微笑み、時々目を閉じて歌うように、またある時には、遠い記憶を彼方から引き戻すように、額に皺を寄せてゆっくりと話し始めるのであった。

乙よ、あれは景初三(二三九)年も暮れようとする頃であったわい。

その当時、わしは魏国の東方支配の拠点であった朝鮮の帯方郡で建中校尉けんちゅうこういという職にあったのだ。

帯方郡の北には高句麗、南には馬韓や辰韓という蛮族どもの国があって、隙さえあれば郡を我が手に入れようと虎視眈々と狙っておった。

建中校尉であるわしの任務は、二百ほどの兵を率いて蛮族どもの動きを監視し、少しでも謀反の動きが見えた時は速やかに鎮圧することであった。また、民衆を監視して郡内の秩序を保ち、治安を維持することであった。

年の瀬も迫ったある夜のことであった。わしは郡の太守、弓遵きゅうじゅん様から、急な呼び出しを受けたのじゃ。夜半に呼び出しを受けるなど、何事であろうか、今までこのような異例な時刻に呼び出された記憶がない。とにかく良い知らせではあるまい。急を要する事件が発生したのか、いや、もしかしたら、わしの不正が発覚したのではないか。そう思った途端、身震いするほど強い胸騒ぎを覚えたのだが、今思い出しても冷汗が出るわい。

弓遵様は、つい先ごろ都、洛陽からやって来られて太守に就任されたばかりであったせいか、郡の統制の乱れを危惧されており、綱紀粛正と信賞必罰にはことのほか峻厳な方であった。取り分け不正には厳しく、何人もの武官や官吏が職務の執行に手心を加えて賄賂を受けた為、その逆鱗に触れて死を賜っていた。

わしとて一から十まで清廉潔白という訳ではない。蛮族からの税の徴収に手心を加えて時には賄賂や淫楽の接待を受けたことがある。

明日の命の約束もない戦乱の世を、しかも故郷洛陽を遠く離れた異国の地で生き抜くためには、英気を養い、我が身を慰めることなど、多かれ少なかれ誰もがやっていることなのだ。とは言うものの、心は落ち着かず、身の縮む思いで駆けつけたのだ。

弓遵様のお屋敷へ上ったわしは事務官の案内で大きな部屋に通された。

「梯儁、只今参りました」

太守様の前に跪くわしの心の臓は早鐘のように打って、もう生きた心地がしなかったわい。

「おお、梯儁、参ったか。夜分遅く呼び出して済まぬ」

案に相違し、弓遵様はにこやかに客人と話をされておった。

この様子に、先ずはほっとして密に胸を撫で下ろしたわしは、その場で、見知らぬ二人の客人に引き合わされたのじゃ。

外見は、魏の朝廷に使える官吏の服装をしておったが、彼らの横柄な態度と片言の言葉から、異国からやってきた貴族に違いないという確信を得た。

その年の夏に郡の前太守劉夏りゅうか様が郡を訪れた倭国の使節を魏の都、洛陽まで送り届けて、皇帝陛下に引き合わせたということは人づてに聞いておった。

その使節が帝に謁見を終えて、つい先ごろ洛陽から帯方郡に戻ってきたということも聞き知っておった。従って、眼前に居る二人が倭国の使節であろうという察しもすぐに付いたのじゃ。

難升米なんしょうまい殿、牛利ぐり殿、この者が先ほどお話しした梯儁と申す武将でござる。何なりとこの者に申し付けてくだされ、遠慮はいりませぬ」

客人と話していた時のにこやかな顔を跪くわしに向けながら、弓遵様は静かに申されたのじゃ。

「梯儁、そなたに命ずる。ここに居られる倭国の使節は近く帰国される。そなたは無事倭国まで送り届けてまいれ。良いか、人命と帝から下賜された財物に万が一にも事故があってはならぬ。心して励め」

射るようなその眼は、異議を唱えてはならぬという冷ややかで鋭い凄みがあった。

「はっ、梯儁、命を懸けて太守様の命令を遂行致します」

わしは倭の使節を見も知らぬ異国まで無事送り届けよという難儀なお役目をその場で拝命したのだ。やれやれ選りによってなぜこのわしなのかと内心舌打ちをしたのだが、命令とあれば致し方がない。もしも太守の命に背けばたちどころに反逆の罪でわしの首は飛んでしまう。

「梯儁殿よろしくお願い致します」

二人の客人はわしに向かって深々と頭を下げたが、その身振りは必要以上に慇懃であった。

中華帝国である我が魏国から見て文明の恩恵を受けていない四方の蛮族を東夷・西戎・北荻・南蛮というが、倭国は東の最果ての国であるが故に東夷に当たるのじゃ。

その時、わしはさすがに思慮深い弓遵様だわい、と思わず唸ってしまったのだ。考えても見よ、わしには妻も子もなく、例え遠い異国の地で死に果てようとも、悲しむ者は誰もおらぬ。従って、弓遵様は恨みを買うこともない。成程、使い捨てるには、間違った人選ではないのだ。

倭国へ向けて出立したのは年が明けた、正治元(二四〇)年の正月であった。

帯方郡を流れる大河、漢江には十艘ほどの舟が浮かんでいた。それぞれの舟に魏国の皇帝から下賜された倭国への土産を積み込み、その後に、わしらと倭国の使者は禹歩うほを踏む踊り手に先導されて川岸から乗り込んだのだ。

乙よ、この禹歩という奇妙な歩き方についてその由来を知っておるか。

それはのう、遥か昔のことじゃ、黄河や長江を初めとする中国の大河はその当時頻繁に氾濫を繰り返して多くの人民が命を奪われ、生き残った者も飢餓に苦しんでおった。

そんな時、禹という一人の若者がしゅん王の命を受けて大河の治水に立ち上がったのじゃよ。

彼は荒れ狂う大河に鍬や鋤を持って果敢に立ち向かった。立ちはだかる苦難に耐え、部下を引き連れて治水を行いながら中国全土を歩き続けた。そのうち、屈強な禹の身体はいつしか老人のように衰えてしまったのじゃ。それでも歩くことを止めなかった若者の足は疲弊して傷つき、いつからか片方の足は引きずって歩くようになった。十数年の歳月の後、禹は遂に中国全土の大河の治水を成し遂げ、国々は豊かな実りに恵まれたのじゃ。

足を引きずって歩く彼の姿は、何時しか禹歩と呼ばれて、災害や悪霊を祓い、瑞祥をもたらすと信じられるようになった。以来、重要な行事や旅立ちの時には禹歩が踏まれる様になったのじゃ。

禹はその後、乞われて王となった。彼こそが中国の初めの王朝である夏王朝の祖、禹王なのだ。

さて、太守様を始めとして多くの民衆の盛大な見送りを受けて、わしらは意気揚々と倭国へ旅立ったのだが、見送りの人々の姿が小さく遠くなっていくときの心細さは、何とも言いようがなかったわい。

漢江の静かな流れをゆっくりと下って河口から海に漕ぎ出した途端、潮の流れをはっきりと感じたのじゃ。ここから先は油断をすれば潮に櫂を取られ、風に流される厳しい旅になることが予感できた。漕ぎ手たちの盛り上がった筋肉に力が入るのが分かった。

海岸に沿ってひたすら南に向かう。ただ単にまっすぐ南に向かうのではない。

岸に近づき過ぎれば浅瀬に乗り上げてしまう。帯方郡を少しでも離れると、そこは既に蛮族の支配するところなのだ。浅瀬に乗り上げた瞬間、すぐに夜盗、盗賊の類が押し寄せて来るのだ。大事な積み荷と人命を奪われては一大事となる。

予定された岸以外に舟を寄せてはならない。かといって岸から遠く離れて沖に出過ぎると激しい潮の流れに櫂を取られて流される。

それだけではない、海には目に見えぬ岩礁が潜んでいる。岩礁に乗り上げてしまえば、船底に穴が開いて沈没し、人命と積み荷を尽く失ってしまう。

重りを付けた紐を海中に垂らして水深を注意深く計りながら進むのだ。

雲の流れが速くなると見るや風を避けるため、小島の陰に寄り添う。

一瞬たりとも気が抜けない。波が高くなってそれ以上進めないと判断した時は、あらかじめ調査をして安全を確認した、予定の入り江に逃げ込むのだ。

そこで風の具合を見て波の収まるのを待ちつつ、漕ぎ手には酒を振る舞って奴らの不満を和らげ且つ英気を養わせ、潮の流れを予測して月の満つるのを待って漕ぎ出すのだ。

西海岸を四千里ばかり南に向かって航行すると半島の最南端にたどり着く。そこから南は深い海である。そこで進路を東にとって、海岸に沿ってさらに三千里ほど航行して、ようやく狗邪韓国に到着した時は、郡を出て既に一月ほどが経過しており、舟を一艘と漕ぎ手と警護の部下合わせて五人ほどの人命を失っていた。

幸いにも積み荷は他の舟に積み込んで無事であったが、事故で命を失った者たちには気の毒であったが、遺体は海岸の砂浜の中に埋めたまま捨て置かねばならなかった。

帰国した折にはその家族に彼らのことを伝え、幾許かの金子を届けねばなるまいと思うと気の重いことであった。

狗邪韓国は既に倭国の北岸である。

そこで、漕ぎ手に活力を与えるために十分な休養を与え、不足する食料を補い、失った人員を補給しなければならなかった。

海岸伝いに航行して来たそれまでとは異なり、いよいよ大海を渡らねばならないのだ。

大海を渡るには大船を調達しなければならない。その上、航海術に長けた者が必要となる。風を読み、潮の流れをみて船を操る技量のある船頭が必要なのだ。

海神の機嫌を少しでも読み違えようものなら、たちまち船底は地獄参りの入り口となってしまうのじゃ。

無事に目の前の大海を渡るための準備を怠りなく進め、人員を補給するために二十日ほどを要した。次には天候の回復と潮流と風の方向と強さの具合が良くなるのを待つ。

いよいよ倭国の本拠地に乗り出すときが近づくにつれて難升米殿や都市牛利殿の顔に笑みが浮かんでくるのが分かった。

それとは反対に、わしや、郡からわしに従ってきた部下たちの表情には不安の影がよぎるのは致し方ないことであった。

夜の明ける前、わしは見張りの者から起こされた。

「梯儁様、星は冴え、雲はなく、風は微風にて、良き潮路で御座ります」

空は青く澄み渡り、緑の海は遥か彼方まで見渡せた。島影が霞のようにうっすらと遠い洋上に浮かんでいるのが見えた。

「あれが対馬国でござります」

部下の声に身の引き締まる思いがした。

「最上の海路日和だ。倭国の使者に声を掛けてまいれ」

「梯儁様、使者の皆さまは既に用意を済まされて、浜辺で待機されております」

「そうか、無理もない、使者の方々は望郷の念を抑え難いのであろう。それでは参ろうか」

小舟に分乗して使節と共にわしらは沖に停泊している帆船に乗船した。

荷は前日までに既に積み終えている。

いよいよ大海を渡るのだ。

「難升米殿、牛利殿、参りましょう、いざ、邪馬台国へ」

「梯儁殿、おいで下され、我が祖国へ」

海上すれすれに飛ぶカモメの群れが、我らが行く先の幸多きことを祝福している様であった。

「それ、漕ぎ出せ」

一斉に櫂を漕ぐ。漕ぎ手は交替しながら腕が折れんばかり懸命に漕ぐ。

船が沖合に出たところで頃合いを見計らい、帆を張る。うまい具合に北方からの順風であった。さしたる不運に遭遇することもなく船は快調に進んだ。

幸運であった。何もかもが気持ちの悪いくらいに順調に進んで、一日が終わり近くを迎え、夕日がまさに海に滑り込もうとする頃、船は対馬国の岸近くにたどり着いた。

「梯儁様、あれをご覧くだされ」

部下の指さす先に無数の松明の火が揺れていた。暮れゆく浜辺で灯る火は人の心に安堵の気持ちを齎すようだ。

「おお、あれは入り江ではないか」

対馬国の官吏が臨検するために小舟を横に着けて大声で何かを叫んでいる。

都市牛利殿が彼らに声をかけると、皆首を垂れて舟上で跪いた。

小舟に先導されて難なく津に辿り着くことが出来たのじゃ。

港に上陸すると、そこには対馬国の大官卑狗(ひく)副官卑奴母離ひなもりをはじめ大勢の国人が迎えてくれたのじゃ。

船から荷を下ろして入り江近くの宿舎に運び入れた。そこで暫く休息を取った後、我々は飲食の接待を受けたのじゃ。潮風の吹く晴天の海原を渡ってきた乾いた我らの喉は旨い倭国の酒で潤され、その胃袋は美味なる海産物で満腹となった。

その上、華やかな衣で装って舞う女性の接待を満喫したのである。お蔭でその夜は心地良い睡眠を貪ることができた。

狗邪韓国で調達した船並びにそこまで付き従った船頭と船乗りは、その役目を終え、郡や韓国に帰国する。

何故ならば、これから先、倭国の支配する海に彼らは不慣れであった。

これから乗り出す対馬国から壱岐国までの間には瀚海かんかいと呼ばれる果てしなく深く広い海が横たわっている。

南東からの強く速い海流が、一見平穏に見える晴れた日でも、白波を立てて渦巻きながら押し寄せて一年中止まず、船頭を悩ます海難事故の多い難所が幾つも潜んでいる海なのじゃ。

天気を少しでも見誤った途端、怒り狂う大海は、船と共に積み荷と人を悉く呑み込んで海の藻屑とする。

倭国の海を知り尽くした屈強な漕ぎ手と老練な操舵手が必要なのじゃ。

別れに当たり、我らは互いの無事を祈って細やかな宴を催した。

「ご苦労であった」

思えば、彼らのほとんどとは帯方郡を出てから苦労を共にした仲間である。杯を重ねるごとに胸に染みるものがあった。

船上で手を振る彼らの影は碧空と緑海の狭間に豆粒のように小さくなって消えた。

我らが停泊したのは対馬国の西海岸に位置する深く入り込んだ港であった。

我らはこの西側の湾岸から対馬国を横断して東側の海岸まで徒歩で進んだ。

船でぐるりと一回りして東の海岸に到るよりも早いからなのだ。

何故ならば、潮の流れや天候を見る必要がなく、汐待をすることもなく、さらには海難事故で積み荷を失うこともない。十分な警護さえ怠らなければ地上を行く方が安全に移動できるからなのだ。

対馬国から壱岐国に渡るには新たな大船と船乗りを調達しなければならなかったが、ここは既に倭国の真っ只中である、その手配については、倭人である難升米殿と牛利殿に任せれば良いことであった。

彼らの人脈と情報網をもってすれば人材と物資の調達力は我々の比ではない。

対馬国は四百里四方で起伏が激しく森林が多く、道は殆ど獣道のようであった。

国には千戸余りの人家があるが、良田は殆ど無く、民は海産物を主食としていた。

米などの穀類は北や南に船を漕ぎ出しては海産物と交換して手に入れている。

民は皆屈強であった。起伏の多い道路をそれぞれ背に荷物を背負いながらも何の苦も無く歩き続ける。息切れをして暫しの休息を取る我らを横目に、軽々と歩いて行く。坂道を歩くことの多い日々の暮らしの中で自然に足腰の鍛錬が身についているのだろう。

対馬国を横断して東岸の海に出ると白砂青松の砂浜が広がって、そこには既に大きな船が停泊していた。

船に荷を積み込んだ後、潮を待つ数日の間、月の満ち欠けを見ながら難升米殿、牛利殿と宴会を行っていたその時、不意に、数人の屈強な男たちが現れた。

その中でも一際精悍な面魂の一人を指さしながら難升米殿がわしに耳打ちした。

「梯儁殿、倭の海人の頭、アヅミでござる」

巧みな航海術で海上交易を支配するアズミという一族が倭国にいるということは知っていたが、その一族に会うのはその日が初めてであった。

「アヅミ殿、こちらが魏国の使臣、梯儁殿でござる、どうぞ掛けられよ」

アヅミは一礼すると着席して酒の注がれた盃を取り、高くかざしてぐいと飲み干した。

その男の射るような鋭い目つきに、一瞬、たじろいだわしの様子を察したのかアヅミは分厚い唇を少しほころばした。日に焼けた赤銅色の顔から白い歯が覗く。

「入れ墨でござるよ、梯儁殿。人はこの目をアズミ目と言うようでござる」

片方の頬に渦巻状の入れ墨がある。そして眉と目尻にも入れ墨を彫りこんでいる。

鋭い目はその所為であった。アヅミはからからと笑った。

危険な海で何度も死線をさ迷った経験を持つのであろう。この男の屈託のない、それでいて隙のない、豪快な飲みっ振りは、武将のわしとどこか相通じるものがあった。その夜は明け方まで飲み明かしたのじゃ。

その三日後、星明りがまだ残る有明の海は次第に青く輝きだしていた。

前日の夜までに必要な物資は全て積み終っていた。

「潮は満ちた。出立の時でござる」

わし等は船に乗り込んだ。

「それ、銅鑼を打て」

銅鑼の音が晴れた空に響き渡って、船はゆっくりと朝靄の立ち込める中を沖へ向かって漕ぎ出す。

「丁度良い頃合いだ。帆を張れ」

アヅミが大声で命じると、麻布で作られた白い帆が帆柱をするすると上った。

帆は風を孕んで大きく膨らんで、帆柱がぎしりと音を立ててしなる。

「アヅミ殿、船の舳先に座っているあの者はいったい何者でござる?」

わしは異様な出で立ちの男に目を奪われた。

「あの者は、持衰でござる」

「ジサイ?」

「持衰とは、海を渡って郡や中国へ行き来するときに航海の安全を祈る者にござる。あの者をご覧くだされ、頭は梳らず、蚤や虱も取らず、衣服は垢で汚れ、肉を食わず、婦人を近づけず、喪人の如くさせております。安全に航海できますれば、生口(せいこう=特殊技能を持った奴婢)や財物を与えるのでござる。しかし、若しも疾病や暴害に遭ったならば、持衰は殺さねばなりませぬ。なんとなれば安全に航海が出来ないのは、持衰が身を謹まないためであるからでござる。我らアヅミ族は身を慎まぬ持衰は船上から嵐の海に投げ捨てるのが掟となっております。さすれば、大方は嵐が収まり、凪になるものでござる」

その日の夕刻、船は無事に壱岐国いきこくに到着した。船は入り江に入り、それから川を上流に数里遡った所で碇を下ろした。

川の両岸には三千ばかりの家が川に沿って立ち並び、近くには田地が広がっている。

どうやらそこがこの国の都のようであった。

大官卑狗と副官卑奴母離が出迎えてくれた。

我らの通されたのは竪穴式住居の宿舎で、そこで歓待を受けた。高坏が並べられて、焼いたり似たりした魚や貝類、それに果物、その他見たこともない馳走が大盛りに盛られていた。

壺から白い酒が汲み取られ、杯になみなみと注がれた。すぐ前の広場には火が焚かれて美しい女の一団が舞を舞っていた。倭国の地に足を踏み入れ、邪馬台国へ向かう旅の始まりが上々の仕儀であることもあって、少し安堵したわしはその舞の輪の中に自然と入っていったのじゃよ。

壱岐国は竹木や叢林が多いが、地はなだらかで殆ど山というものが無い。

起伏が激しく、山の多い対馬国とはそこが違っていた。

広さは三百里四方ほどばかりで穀物は十分に育たず、民を養うには猶不足する。米穀を得るために、海産物を持って海を越えて交換しに行かなければならない。

その地で七日ほどの休養を取った後、壱岐国の民と別れを惜しみ、我らは出発した。

海も空も青く澄んで快晴の中を順風に押され、船は心地良い飛沫を浴びながら波を蹴って快調に進んだ。

ところが、船が壱岐国を離れてしばらく行った時、急に風が変わったのだ。

「これは何としたことか」

アヅミが空を見まわして唸った。

「梯儁殿、使臣の諸氏を安全な物陰に急ぎ導かれよ」

アヅミが言い終らぬうちに青空を瞬く間に黒雲が覆って閃光が走り、暫くして雷鳴が轟いた。

激しい雨が滝のように天から落ち来て、夜かと思うほど目の前が真っ暗になったかと思うと船は右に左に大きく傾き、波が船べりを乗り越えて打ち寄せて船荷を押し流そうとした。

「帝から倭国王に賜われた財物を守るのだ」

わしは部下に大声で命じて荷の流れるのを懸命に抑えた。

「持衰め、肉を喰らい、女を抱きおったな」

アヅミは舳で祈っている持衰を睨みつけた。次の瞬間、舳まで飛ぶように走って、驚いて逃げようとする持衰の襟首を掴み、そのまま両手で高々と持ち上げた。

「離せ、何をする」

悲鳴を上げて頭上でもがいている持衰をアズミは、顔色一つ変えず、荒れ狂う海中に放り投げた。

呪いの言葉を吐き、歪んだ恨みの形相でアヅミを睨みつけながら持衰は渦巻く波の中に呑み込まれた。海底に沈んでいく持衰の姿をじっと見つめながら立ち尽くすアヅミの眼は悲しげであった。

「身を慎まなかった持衰はその責任を取らねばならぬのでござる」

アヅミは、呆然と立っているわしを振り返り見て静かに言い放ち、天を指さした。

黒雲が切れ、青空が覗いていた。雷鳴と暴風雨が次第に遠ざかった。

船は何事もなかったかのように爽やかな風を帆に受けて青く輝く海原を南に向けて走った。

「あれが末盧国でござる」

難升米殿と牛利殿の顔が綻ぶ。

人々が海の中から物珍しそうに見上げている。彼らは海に潜り、魚や鰒を取っているのだ。

我々は伊都国を目指して、末盧国を横切って歩いた。国には四千余の家が海岸に沿って点在していたが、内陸は草や木が茂盛していて、前を歩いている人の姿が見えないほどであった。

山や野を越えて東南に五百里ほど歩いたところで我々は伊都国に到着した。

「無事に帰国されて、何よりで御座ります、難升米殿、牛利殿。して、首尾は如何でありましょうや」

爾支にし殿、泄渠觚せここ殿、それに柄渠觚へここ殿、お迎え下されて痛み入ります。こちらに居られる方は帯方郡から我らをお送りくだれた梯儁殿でござる」

「おお、使者の方で御座りまするか。遠きをお渡りいただきまして誠にご苦労で御座ります」

大官爾支殿と副官の二人がわしの手を取って歓迎してくれた。

伊都国には千余戸の住居があるが、女王国から派遣された官吏の家が殊の外多い。

邪馬台国は、ここに一大率いちだいそつという官吏を設置している。

一大率とは中国でいうところの刺史ししのように諸国を監察して、それを女王国に報告することを職務とする役所なのだ。それだけに、倭の諸国は一大率の官吏を極端に恐れる。また、政治や外交施設も伊都国には多く所在する。

倭国が使者を帯方郡や諸韓国に派遣する場合や反対に郡や諸韓国の使節が倭国を訪れる場合には、使臣は常にこの伊都国に駐在するのが通例であった。そしてまた、伊都国の港ですべての文書や贈り物を厳しく臨検して、間違いの無いように調べた上で、女王に送致されなければならなかった。

その夜は遅くまで宴席で飲み明かした。

「梯儁殿、しばしの別れでござる」

翌朝早く、部下を引き連れてアヅミが訪ねてきた。

「左様でござるか、それは名残惜しい。女王国まで同行されるかと思っておりましたものを」

「それはありませぬ。我らアヅミ一族が主と仰ぐのは邪馬台国の女王ではありませぬ。我らが主は奴国王でござる。」

アズミは胸を張って答えた。

その姿には誇り高い奴国の民という自負が垣間見えた。

奴国はかつて大陸との政治と外交の拠点であった。その王は後漢の光武帝の建武中元二(五七)年に都洛陽に使者を遣わして『漢委奴国王』の金印と紫綬を拝受している。

後漢の力を背景に盟主として倭国の国々を指揮していた大国であったのじゃ。

後漢帝国が衰亡に向かい、その影響力が影を潜めて奴国の求心力が無くなって、長い倭国大乱の時を過ぎた後、新たに台頭してきたのが卑弥呼を女王として戴く邪馬台国なのだ。

卑弥呼は鬼道を用いて日月星辰の動きを正確に読み、季節の推移と風の流れと雨の量と時期を予測した。鹿の骨を焼いて卜占し、豊穣を祈って豊作と凶作を尽く言い当てて人民の心を鷲掴みにしたのだ。武力をもって支配しようとする諸国の男王にはできなかった神秘の力を駆使して天の神、地の神の偉大な力をその支配に利用した。

倭の国々は揃って邪馬台国の卑弥呼の前にひれ伏したのじゃ。

奴国の地位を簒奪して倭国の盟主となった邪馬台国に対する反発と口惜しさがアズミの表情に見て取れる様な気がした。

奴国は強大な国ではあるが、今では邪馬台国に従う倭の国々の中の一つに過ぎない。

王家の一族と噂されるアヅミには奴国の凋落が口惜しく、また、邪馬台国の倭国支配が面白くないのだろう。

アズミとその部下は帆船に乗り込んでわしらにあの鋭い眼差しを送って小さく頷くように頭を下げると手際よく巧みに船を操り、沖に漕ぎ出して風のように去っていった

奴国は官を兕馬觚しまこ、副を卑奴母離と言い、ここ伊都国から東南に向かって百里ほどの所にある二万余戸の民を有する国であった。

さらに伊都国の百里ほど東には千余家の民を有する不弥国ふみこくがある。官を多模たも、副を卑奴母離といった。

そして伊都国の南に水行して二十日行けば、投馬国つまこくがある。官を弥弥みみ、副を弥弥那利みみなりという。そこには五万余戸の民が暮らしている。

倭国には凡そ三十の国があったが、倭国の中でも盟主邪馬台国が重きを置いている主な国は末盧国、伊都国、奴国、不弥国なのである。重きを置く国とは、二通りの意味がある。

重要で頼りにする国という意味と、油断のならない国であって常に用心し、監視を必要とする国という意味である。

投馬国は邪馬台国のすぐ隣にあるため、常にその様子が分かり、容易に支配することが出来る。

重きを置く国のうち特に注意を払うべきは奴国であった。先程話した通り、かの国は、かつて倭国の盟主国であったという誇りを持ち続けている。倭国の盟主に何時の時か返り咲きたいと思っていたとしてもおかしくはないからである。

我々が目指す国、女王が支配する邪馬台国へ至るには、伊都国から南へ、水行すれば十日、陸行を選択すれば一月の行程であった。

水行を選べば風の具合と潮の流れと満ち引きを勘案する必要がある。

それに比べて陸行は夜盗や強盗の危険はあるものの、その危険を避けるためには兵を随行させれば事足りるのであって、さしたる問題もない。水行に比べれば余程安全である。

伊都国を発っていよいよ女王卑弥呼の統治する邪馬台国を目指した。勿論、その行程は最も危険の少ない陸行を選択したのだ。

伊都国と末盧国から徴用した下戸に荷を背負わせて、海岸を通り、川を渡り、野を横切って険しい山を迂回しながら進む我らの姿はまるで蟻の行列のようにであったわい。

荷を運ぶ下戸たちは皆裸足であった。倭国では貴族を大人と言い、一般の庶民を下戸と言うのじゃ。

帝から下賜された貴重な物資を守るための兵は矛と楯と弓で武装していた。その矢じりには、金属や動物の骨を使っている。

海沿いの道を歩くと、倭国の民が盛んに海に入り潜水している姿が目に入った。

「梯儁殿、一服いたそう」

難升米殿の申し出に従って、我らの一行は手ごろな大石を見つけ、腰を掛けて休息した。

料理した魚介類を高坏に一杯に盛って漁師達がやって来て跪いた。

「是は有り難い」

遠慮なく、わし等はその料理を腹いっぱい食べたが、美味であった。

一服の後、我等はまた歩き始めた。

川を渡り、野を横切り、森の中の険しい道を歩いた。

大猿が不意に現れては木々を揺らした。兵士の捕えた雉を野営の食料とした。

馬があれば荷物をもっと容易く運べるのであろうが、倭の地には牛馬はいないようだ。

中国や朝鮮に生息する虎・豹・かささぎ等は見かけない。

森の中に沢が現れ、清らかな水が流れていた。沢を伝って下ると水量は次第に多くなり、川となった。川は流れるに従って広くなり、大河となろうとしていた。

「着きましたぞ、梯儁殿」

難升米殿が振り向いて微笑んだ。

森が突然開けて、高くそびえ立つ高殿が現れた。周囲は頑丈な城柵が幾重にも張りめぐらされてその外側には深い水濠が掘られて溢れんばかりの水が湛えられている。

「やっと帰ってまいりました。悌儁殿、我が邪馬台国の都でござる」

牛利殿が目を細めて感極まった震える声でわしの手を取った。

川の浅瀬を徒渡り、濠に差し渡された橋を渡り切ると、太い木柱の門があってその前には矛と剣で武装した警護の門兵が立っている。

「我等は、魏国から戻って来た難升米と牛利である。通るぞ」

門兵が門の両側に整列をして頭を垂れた。

門を潜って城柵の中に入ると城柵の内側にも濠が掘られていてその土手には逆茂木が一面に設置されている。侵入者は城柵の内外の環濠と逆茂木に阻まれて立地往生するであろう。

城柵の内側にも一定の間隔で警備の兵が立っていた。

流石に邪馬台国の女王の居城、その厳重な警備ぶりはまるで隙の無いものであったが、一方で、その警戒ぶりは敵対する何ものかの存在を予感させた。

門兵の指揮官が伝令を走らせたのであろうか、道路の両脇には既に大勢の民が列をなして歓声を上げ、我々を出迎えてくれたが、夥しい好奇の眼がわしと部下に容赦なく注がれた。我ら異国からの使節の様子が彼等にとって始めて見るものであって物珍しかったのであろう。

倭国の民の姿は、男は皆髪をみずらにして木綿の布を頭に巻き、衣は幅広い布をその身にまとい付けていて殆ど縫っている様には見えない。

女はと言えば頭は垂れ長の髪か、もしくは結い髪かあるいは束ねている。衣は単衣でその中央に穴を空けて貫頭衣として着ている。

男が数人、道の向こうから道路の真中をにこやかに笑いながらやって来る。その姿は、頭はみずらではあるが身につけているものは中国の衣服に似ている。絹で織られた高価なものであろう。してみると大人であろうか。

男達は我らのすぐ前で立ち止まり、深々と頭を垂れた。男の一人が口を開いた。

「危険を顧みず、女王の命によって遥々と魏国まで出向き、その任を見事に全うされて帰国なされた。まことにお目出度う御座ります」

「これは、副官の皆様、弥馬升みましょう殿、弥馬獲支みまかし殿それに奴佳鞮ぬかと殿、お出迎え恐縮でござる。只今戻って参りました」

「難升米殿、牛利殿、その方は帯方郡からの使者殿でござるか」

「左様、梯儁殿でござる」

大人に先導されて女王のいる北の祭殿へと向かった。

下戸どもが背負っている女王への土産物を物珍しげに近づいて触ろうとする民を警護の兵が大声で追い払っていた。

道の左側には高床倉庫がずらりと立ち並んで城柵内には豊富な食料が蓄えられていることが窺い知ることが出来る。その遥か向こうには田園が広がって、春の種を播いているのだろうか、忙しく動く民の姿が見える。

北に向かって暫らく歩くと道の左に城柵に囲まれた区画がある。

「難升米殿、ここは何で御座るか」

「ここは、我ら大人の居住する区域で南の内郭と呼ばれる所でござるよ」

「して、女王卑弥呼の住まわれる所は何処に」

「この先、この城柵の最も北に位置するところに女王の住まいと国の祭りを執り行う高殿がござる」

いよいよ城内の最北、北の内郭と呼ばれる区画に到った。

そこにも門があって周りを人の身の丈よりも高い柵で厳重に囲われている。門は矛や盾等の武具をもって装備した兵に守られている。

門から中に入ると、柵内には東西南北の四方に高い物見櫓が設置されていて、弓を手に持ち、背中に矢を何本も入れたゆぎを背負った見張りの兵士が全方位に目を光らせていた。

その中のほぼ中央に祭殿がある。わしはそこに招き入れられた。入口の階段を上って中に入るとそこにも警備の兵が控えている。更に階段を上って上階に行くと、広い居室になっていて大勢の大人が集まっていた。何やら協議を重ねているようであった。

一段高いところに男が胡坐をかいていた。男は鋭く射るような眼でわし等を見た。

「遥々ご苦労でありました。我は大官伊支馬いしまです」

威厳のある声である。わしは大官伊支馬の前に進み出た。

「女王卑弥呼様に拝謁して、我が魏国の帝の詔を渡さねばなりませぬ。何処に居られまましょうや」

恭しく奏上するわしに向かって邪馬台国の大官伊支馬は静かに言い放った。

「女王との謁見は叶いませぬ」

思いも寄らぬ大官の言葉に、最初はその意図が分からなかった。直接女王に謁見して魏国の皇帝の詔を伝えること、それがこのわしの任務なのだ。

「何故で御座りましょうや、それではこの梯儁、勤めを果たすことができませぬ」

憮然として見上げるわしの側に素早く走り寄ってきた難升米殿が衣の袖を取って耳元で囁いた。

「梯儁殿、女王の姿を見ることは我々には叶わぬこと、女王は祭壇室の外にお出にはならないのでござる。女王の傍によって直に話をすることが許されるのはあの大官伊支馬だけなのでござる」

「では、わしはどうしたら良いので御座るか、帝の詔を直接伝えよという命を受けておるのですぞ」

そんな押し問答をしている時であった。上階から階段を下りて来る密かな足音が聞こえた。衣擦れの音が微かにする。我らの眼は自然に階段に向けられ、そこに釘付けにされた。

まるで天空から舞い降りて来た天女のようであった。艶のある長い黒髪は、色鮮やかな絹の衣をまとったその麗人の肩まで垂れて、深く澄んだ黒い瞳がわしをじっと見ていた。直ぐ脇をすり抜けて行く姿に、思わずわしは息をのんだ。なんと美しいのだ。この世のものとは思われない。女の香りが仄かに残って、思わず抱きしめたいという制御出来ないほどの衝動に襲われたのだ。

卑弥呼なのか、いや、卑弥呼は年すでに長大で老醜を晒しているはず、あのように美しい筈がない。その麗人は気高くも優雅な身のこなしで伊支馬に近づき耳打ちした。

伊支馬が大きく頷いた。

「梯儁殿、女王が会見を許すと言われている。我が案内しよう、皆は来てはならぬ」

伊支馬は立ち上がった。女王には国の大人といえども直に会うことはできなかった。

大官伊支馬だけが女王の居処に出入りし女王の言葉を伝えることが許されているのであった。

暗い階段を上るとそこはかなり広い空間があった。その空間を埋め尽くすほど大勢の巫女達がいたが、静かであった。

「お連れ申しました」

伊支馬が深々と頭を下げた。一段高いところに設置された高御座たかみくらは四方を簾に覆われて、その向うで椅子に掛けているのが女王卑弥呼なのかどうか確認できなかったが女性らしい体型であった。何も言葉は発しなかったが、じっと此方を見つめている視線を感じたわしは倭の女王卑弥呼に拝謁したという確信を得たのじゃ

わしはおもむろに文書の封泥を解き、その場で恭しく帝の詔を読み上げたのじゃ。

「親魏倭王卑弥呼に詔する。帯方の太守劉夏、使を遣わして汝の大夫、難升米・次使都市牛利を送り、汝の献ずる所の男生口せいこう四人・女生口六人・班布二匹二丈を奉じて以て朕のもとに到る。汝は遥か遠きに居るにも拘わらず、朕がもとに使を遣わして貢献した。朕は汝の忠孝を甚だ哀しく思う。その功績を愛でて汝を親魏倭王しんぎわおうとし、金印と紫綬を与え、帯方の太守に届けさせよう。汝は汝の民を優しくいたわり、勤めて朕に好順をなせ。汝が来使、難升米・牛利は遠きをわたりて、朕がもとに来た。今、難升米を以て率善中郎将とし、牛利を率善交尉とし、それぞれ銀印青綬を与えて、会見し労った上で賜物を与えて汝がもとに遣わし還す。今、絳地交龍錦こうちこうりゅうきん五匹・絳地縐粟罽こうちすうぞくけい十張・蒨絳せんこう五十匹・柑青こんじょう五十匹を以て、汝が献ずる所の貢物に答えよう。また特に汝には紺地句文錦こんちくもんきん三匹・細班華罽さいはんかけい五張・白絹五十匹・金八両・五尺刀二口・銅鏡百枚・真珠・鉛丹各五十斤を与え、みな装封して難升米・牛利に渡しておこう。彼らが還り到ったならば目録通りに受けて、ことごとく、汝の治める国中の民に示して朕が汝を哀れんでいることを知らしめよ。故に心をこめて汝に好物を賜うものである」

詔を読み終ったその時わしの任務は概ね終了したのだ。

階下に降りて来た時には安どと緊張から解放されたためであろう、肩の荷を降ろした後のように軽くなったわしの身体はふら付いて足元がおぼつかなくなってしまっていた。

わしは帰国のその時まで城柵の中に留まることになった。城柵の外は獣や異国からの侵入者が居るかもしれず、危険なのだ。邪馬台国の南には狗奴国がある。

狗奴国の男王は邪馬台国に従わず、敵対して常に覇権を狙っているという。

わしの宿舎は北の内郭へ向かう途中で見た南の内郭と呼ばれる柵で囲まれた区域の中にある竪穴住居であった。地面を腰の深さまで掘り下げて上部に屋根を設置したもので、大官と副官の住居もわしの宿舎のすぐ側にあった。

大人たちが中国の話を聞きにわしの所に代わる代わるやって来た。

彼等が持参した酒を良く飲み、肴を食しながら話をしたのじゃが、毎日やって来ることには、流石のわしも少々うんざりしたものじゃ。どうやら倭国の民は生来酒を好むようだ。

わしは折を見ては城柵内を散策した。そこは環濠集落の様相を呈していた。

城柵の周りには、人の長け以上に深い環濠が掘りめぐらされて、常に水が湛えられている。

城柵の入り口は東と西に設けられており、そこは左右に二本の巨大な木柱が立てられて、その上に大木が差し渡されている。入口には常に矛や弓で武装した兵士がいる。

わしが城柵に入るときに潜ったのは東の門であったことが後から分かった。

城柵は南北に細長い楕円状の地勢であった。

南には集落が広がって、そこには下戸が暮らしている。その西側の湿地には田園が広がって、春と秋に種を蒔き、春と秋に収穫をする。

集落から北に少し行ったところに柵に囲まれた大人達の住む南の内郭があり、わしの宿舎もその区域にあった。

更に北へ上るとそこに見上げるような巨大な高殿が現れる。北の内郭の中、女王卑弥呼と謁見したあの祭殿である。

四季折々、ことあるごとに女王卑弥呼が鬼道を用いて神の教えを乞い、その力を以て邪馬台国を支配する神聖な場所なのである。その地域は二重の柵に囲まれてしかも四隅には櫓が築かれてその上には兵士が常に待機し四方を隈なく監視していた。

その配置から察するに、最も神聖な場所が北に位置することを、北辰のある所こそが天子の居処であることを、どうやら彼等は知っているようだ。

最初にこの世は混沌という状態あった。やがて陰と陽に分かれて陽の気は軽く、上昇して天となり、陰の気は重く、凝り固まって地となり、木火土金水の五行の気が生じて、この世の森羅万象は陰と陽と五行によって循環するということを既に知っているのかもしれない。

我が中国の文化が倭の地に、少なくとも邪馬台国には、伝播しているということをわしは確信したのじゃよ。

最早、邪馬台国を東夷の蛮族どもと決めつけて見下す訳にはいかない、我が魏国の東方の国々の支配、つまり韓の国々の宗主国として君臨するためには倭国の協力が必要なのかもしれないとわしは思った。

このことは帰り到って、太守弓遵様に報告をせねばなるまいと思い至ったのじゃ。

そんな思いで倭国を見ると、その地の風俗や文化がわしの胸に強く迫って来るから不思議なものじゃ。

城柵の西側では市が開かれて倭の各国は自国の産物を持ち込み、自国には無く他国が持ち込んだものと交換して、市はなかなかの賑わいを見せていた。

国々にはそれぞれ市が開かれてその交易品には税が課されるという。

中国においても同じように交易には税を徴収する。倭国ではその監視は女王から任命された大倭が行っていた。

大人たちの住居の側には見上げるような邸閣があってそれは徴収した税を集めるための高床式倉庫であった。

櫓に登ると向うに海が見え、さらにその向こうに山々の連なりが見える。

倭の地は海中に島々が点在して、平野も山も多く、遥か遠くには火を噴く山が見える。

その日もわしの宿舎には難升米殿と牛利殿が酒と肴を持ち込んで談笑をしていた。

「何かあったのであろうか」

牛利殿が外を覗き見て呟いた。外が妙に騒々しい、あちこちで走る足音がした。何事かと表に出ると、皆、南の集落の方に向かって急ぎ足で歩いていた。ある者は駆けている。

その後に続いて行くと集落の中にある広場は既に黒山の人だかりで埋め尽くされていた。

弥馬升殿と弥馬獲支殿そして奴佳鞮殿の姿が見える。その前で男たちが言い争っている。しかし、いつまで言い争っても判断が付きかねる様子であった。弥馬升殿が静かに言う。

「盟神探湯で決めよ」

人々のどよめきが上がった。二つの甕が用意されて、それぞれ川から汲んで来た水と泥が中に注がれた。火が焚かれて甕の中は煮え立った。

「クガタチとは何でござるかな、牛利殿」

「正邪を決する神判でござる」

どうやら自分の保有する穀物を相手が盗み取ったのだと互いに主張しているようだ。

弥馬獲支殿と奴佳鞮殿が下戸をそれぞれの甕まで導く。

「初めよ」

二人の下戸が沸騰する甕の中に同時に手を入れて泥を掴みあげて高くかざした。

「ぎゃあ」

すぐに悲鳴を上げて下戸は二人共にのた打ち回った。

沸騰する湯の中に入れた手が焼け爛れた方が邪なのである。

「双方とも焼けて爛れておる。従って双方に罪がある。兵よこの者たちを捕えよ」

弥馬升殿が言い放った。

倭国には異な審判の法があるものじゃ。

帯方郡から邪馬台国までは凡そ一万二千里ばかりである。

女王国から以北の倭の国々はその戸数やどれ程の距離に在るのか、ある程度は知ることが出来るが、その他の倭の国々は遥か遠くに散在するため、詳しくは分からない。

邪馬台国の東へ海を渡って千余里ほどのところにも幾つかの国々があるが、やはり全て倭種である。更に遠くへ行くと侏儒国や裸国・黒歯黒に至ると言う。

倭の地を訪ね歩くと海中の洲や島の上に連なったり絶えたり急に現れたりして、回り巡ると五千余里ばかりの範囲にある。

邪馬台国の南には、男王が支配している強力な国、狗奴国がある。

その大官は狗古智卑狗くこちひくといって、決して女王に従わない。

わしが倭国に赴くに当たっては密に命じられたことがある。

それは邪馬台国が倭国をどのような方法で支配しているのか、また、邪馬台国とその周辺の国との繋がりは如何なる按配であるかを調査して、その結果を帯方郡に持ち帰り太守弓遵様に報告することであった。

倭国の状況を調べる機会が訪れたのは、倭国の山々に自生する草が蕾を開き、美しい花が咲き始める頃であった。

女王卑弥呼が邪馬台国とその周辺の国との結びつきを強固なものとするため、国々を視察するということが決定されたのだ。

元来倭の国々は男王が治めていた。国々はその力と財物を蓄えるに従って、穀物や人民を奪い合い、覇権を争って戦さを始めた。こうして倭国の大乱が始まって長い月日が流れたが、一向に戦いは終わろうとしなかった。そこで、戦いに疲れ切った国々は共に一人の女性を立てて王とした。

女王の名は卑弥呼といい、天女のような美しい姿で衆目を集める一方で、天の神と地の神の御心をも、その掌の上で操る巧みな鬼道を使って王達と大衆の心を鷲掴みにしたのだ。

王位に就いてからは祭殿の近くに巨大な居を構えてその奥深くに住み、千人の奴婢をその周りに侍らして女王自身は民衆の前に顔を出すことは無くなった。

以来、伊支馬だけが、女王の居処に出入りして卑弥呼の言葉を伝えるようになったのだ。

邪馬台国は既に長く倭国を支配している。だが、倭国の連合は揺るぎだしている。

その兆候が新興国狗奴国の動きである。近頃、狗奴国の兵が倭国のあちこちに頻繁に出没しているらしい。狗奴国は邪馬台国の南にある強大な国である。その大官卑弥弓呼ひみきこは自ら甲冑をまとって戦いに挑み、強力な武力で敵をなぎ倒すという兵であるそうだ。

もとより倭国の覇王にならんとして虎視眈々とその座を狙っている狗奴国が倭国の盟主、邪馬台国に従う筈もない。

邪馬台国の地位が脅かされるのではないかと卑弥呼や伊支馬を初めとする支配者達は憂慮している。

こうした状況の中で、邪馬台国は倭の諸国との強力な連合を確認し、更に強い連帯のきずなを固めて揺るぎないものとする必要に迫られているのだ。

この事態をいかに解決するか、大人たちは祭殿に集まって何度も会議を行った結果、女王卑弥呼自身が倭の国々を巡回して指揮監督し、檄を飛ばして強い結束を図ることが最良且つ急を要することであるとしたのじゃ。

女王卑弥呼は数日前から祭壇場所に篭り、太占ふとまにを行った。太占とは、鹿の骨を焼いて占うことである。

骨を焼くと鹿の骨がボクという音を発して卜の形をした亀裂が生じる。その裂け目の形を見て吉凶を占うのである。中国で亀の甲羅を焼いて吉兆を占う法の如きものである。

太占による神託によって巡察に出発するに最適の日が決まったのだ。

わしにも同行して欲しいという依頼があった。

彼らにとっては魏国の使者を同行させることによって邪馬台国の権威付けができるからなのであろうが、わしにとっても渡りに船とはこのことであった、断る理由は何もない。

わしは二つ返事で了解したのだ。

朝早く東の門から出た時、日輪が山の端から鏡のように眩しく上っていた。

総勢百人ほどの数であった。

女王卑弥呼を護衛するにはやや少な過ぎる人数ではあるが、倭国を離れて未開の蛮族どもの地に足を踏み入れる訳ではなく、倭国内の巡察であることから、大した危険はないであろうというのがその理由であった。それに、甲冑をまとい、金属製の矛と楯そして弓矢で武装した警護の兵は皆精鋭であった。矢じりは、金属や動物の骨を使用している。

女王の座す神輿は屈強な若者が担ぎ、そばには伊支馬が寄り添うように歩く。女王卑弥呼の言葉を伝える為である。その前後を兵士が守る。わしもそのすぐ側で女王の警護に付いた。

神輿の四方は簾で覆われて卑弥呼の姿は誰も見ることが出来ない。女王の影を僅かに垣間見ることが出来るだけで、表情などは窺い知ることが出来ない。しかし、どういう訳かわしは、いつも簾の向こうからじっと見つめる女王の視線を感じていた。

「お変わりござりませぬか」

思わず声を掛けると、何故か、小声で笑う子どもの声がした様に感じた。

おやっと奇異に感じたその時、伊支馬殿が咎めるような眼でわしを見たのじゃ。

女王が城柵を出て遠く離れるのは近年では初めてのことであった。

邪馬台国の女王自らが諸国を視察する姿を目撃させることで、倭国の民に威厳と畏敬の念を植え付けることができる。女王の人心掌握の巧みさであった。

周旋五千里ばかりの倭の地を巡るに当たって、最も効果的に人民の目に付きやすい行程を行くため、一行は海岸に沿った平坦な道を選んだ。

視界が遮られることが少なく、遠くからでも、女王の行列を見ることが出来るからである。行列の先頭は難升米と牛利が受け持った。

邪馬台国と倭の国々との交流は外事を司る彼らの仕事であったからなのじゃ。

下戸たちはみな裸足で歩いていた。

倭の国々をいくつも巡るうちにわしは様々なものを見、また聞いた。

海沿いの道のそばでは、倭国の民が盛んに海に潜水している。魚や貝を素潜りで捕えるのであるが、彼らは皆、身体に入れ墨をしている。初めは大魚や水鳥からその身を守るためだったが、其の内に入れ墨は飾りとなって多くの倭人がその肌に彫る様になった。

倭の地は魏の都洛陽や帯方郡に比べると遥かに温暖であった。それ故、民は四季折々の生菜を食すことができたのじゃ。

大人も下戸も男は髪をみずらにしている。勿論手入れの行き届いていない下戸や奴婢どもは伸び放題の髪をただ束ねるか或はそのまま伸びるに任せている。

下戸が大人と道路に出会った時には畏まって脇に避けて跪き、大人と言葉を交わす時は跪くか蹲るかして、両手は地に置く。それが恭順を表しているようだ。

大人に話しかけられた時に対応する声ははいと言う。

噫とはどうやら承諾の意味らしい。

水田では稲を栽培し、畑では穀類や野菜を育てる。また、麻を育ててその衣とし、蚕を飼い、桑を育てて絹を紡ぎ出すこともやっているようだ。

大人は四人又は五人の婦人を持っている。下戸にも婦人が二、三人いる。それがこの地の風習なのだ。

婦人は身持ちがよくて嫉妬することもなく、男女関係で争いが起きることはない。

また、盗みや訴訟ごともない。それは法を犯したときの処罰が厳しいからであろう。

軽い罪の場合は妻子を没収され、重い罪の時はその一家ばかりではなく一族が滅ぼされる。

身分の上下は厳然たるものがあって、大人は下戸を綏撫し下戸は大人に服従するという規律は厳格に守られていた。

倭の海には白や青の真珠が育ち、山には朱丹しゅたんがある。

朱丹をその身体に塗るという習慣は中国で粉を用うるようなものであろう。

だんちょ・楠・ぼけ・くぬぎ・投橿とうきょう烏号うごう楓香ふうこうなどの木があり、竹には篠・簳・桃支等の種があって生姜・橘・山椒・茗荷があるが、倭人はそれらが滋味であることをまだ知らないようだ。

倭国でくつを履くのは大人を初めとする身分の高い者に限られている。

倭人の住居は竪穴式である。冬は暖かく夏は涼しく温暖な倭の地に適したものであった。

彼らが一堂に会するときはその序列に父子男女の別はなく好きなところに座り、飲食は高坏を用いて手を使って食べる。

倭人は総じて長寿である。八、九十歳までか或は百歳ぐらいまで生きるという。

家族が死ぬと十余日の間、喪に服し、その間、肉を食わない。喪主とその家族は哭泣するが、家族以外の親族や駆けつけた者達は歌を歌い、舞を舞って飲酒する。

その後、棺に納め、遺体を葬って埋めて塚を作り、その後に家中の者が水中に入って澡浴する。中国で行う練沐のようなものだ。

わしは倭の国々を巡るうちにこの地の政治や外交そして風俗を学ぶことが出来たのだ。

伊都国で休養を取った時には、邪馬台国を出立して数カ月を経過しており、旅ももう少しで終わりを迎えようとしていた。

その日の行程の報告を受け、明日の計画を打ち合わせて、ささやかな宴を催した後、わしは宿舎に戻り、一人寝屋で横になり、軽い眠りに就いていた。

帯方郡から倭の地に渡った記憶がまどろみの中を通り過ぎて行く。何故か夢現の中で爽やかな風と月明かりを感じたとき、夜具の間から黒い影がわしの傍に滑り込んで来たような錯覚に陥った。夢を見ていた。あの時の女性にょしょうであった。高殿で心地よい衣擦れの音をさせて上階から降りて来たあの天女のような麗人であった。あでやかな衣装と長い髪、そして黒い瞳であった。

「悌儁殿、我を抱け」

濡れた美しい瞳でわしを見つめ、切なそうに吐息を洩らす彼女の白いうなじが僅かに震えていた。紅い唇がわしのそれに重ねられた時、思わずその滑らかな肌をこの手で抱きしめると、麗人はわしの胸で悶え、わしはいつの間にか恍惚としていた。

朝の光の中で目覚めたわしは苦笑した。

「どうしたことだ、あの女性が夢の中に現れるとは、わしはすっかり心を奪われてしまっておるわい」

だが、どういう訳か、あの美しい黒髪の残り香を感じたのじゃよ。

我々は奴国に向かった。

海岸沿いの道は白い砂と青い木々が続き、そこからは遥かな大海が見渡せた。この海の向こうに帯方郡があるのだと思うと、危うく望郷の念に囚われるところであったが、それはともあれ、倭の地は見るもの全てが美しかった。

いつか我々は、山沿いの道に入っていた。林道は曲がりくねっていて、行列の先が見えない。道に迷ったのである。夜が刻々と更けてゆく、何やら様子がおかしい。あちこちで悲鳴が上がった。

矢が飛んでくる。明らかに女王の神輿を狙っている。

警備の兵が混乱している。

「伊支馬殿、何があったのです」

「狗奴国の兵だ、悌儁殿」

狗奴国の兵が倭の地に出没するとは聞いておったが、狗奴国は邪馬台国の南に在る筈、まさか北に遠く離れたこの奴国の地に出現するとは尋常ではない。事態は容易ならぬ状況になっていることが想像できた。

「兵士ども、我に続け」

伊支馬殿が兵を引き連れて敵らしき影を追跡した。

「なに」

わしは思わず唸った。どういうことだ。伊支馬殿と警護の兵が残らず神輿を離れて敵を追って行く。神輿の傍にはわし一人が残った。闇が視界を遮り、あちこちで剣の触れあう音と矢が飛び交って風を切る音と悲鳴が聞こえるだけで状況が分からない。

「悌儁殿」

神輿の中から小さな声が聞こえた。

「は、ご安心下され、傍に控えております」

わしは神輿のすぐ脇で跪いた。

「簾を上げて下され」

今度は、凛とした声が響いた。

「承知致しました」

邪馬台国の女王に直に拝謁できる。緊張のあまりわしの声は上ずり、手は震えた。

簾が上がった時、わしは腰を抜かさんばかりに驚いたのじゃ。何とそこには、あの麗人、いや、巫女がいるではないか。その膝の上には、まだあどけない女の子が抱かれていた。

神輿の中に居たのは女王卑弥呼ではなかったのだ。

「あなたはあの時の・・」

「そうです。わが名はウネメ、女王卑弥呼様に使えるもの、そしてこれは我が子、名を壱与と言います」

何ということだ。伊支馬殿がこの場を何の躊躇もなく離れたということにやっと合点が行った。女王卑弥呼は初めから神輿には乗ってはいなかったのだ。

良く考えれば至極当たり前のこと、女王は既に年老いて、長旅に耐え得る筈がないのだ。

誰も女王の姿を見た者がいないのを良いことに、身代わりを立てて国々を巡っていたのだ。常に神輿の上、而も簾の奥に居て、誰もその本当の姿を見ることは出来ない。

国々の大官たちは簾の外から女王の影を見ていたのだ。

「ウネメ殿、ここは危険でござる」

「はい、梯儁殿、この子を頼みます」

壱与という娘を背中に背負い、ウネメの手を引いて上へと逃れた。

いつか山の頂上に辿り着いていた。

「壱与は無事ですか」

「背中で寝ておられます」

壱与を大木の根元に横たえると、ウネメは衣を一枚脱いで掛け、あどけない我が子の顔をじっと見ていた。

月影が我らの姿を映し出していた。わしは我慢できず、ウネメの身体を抱き寄せていた。

無礼で、恐れ多いことは百も承知であった。だが一度で良い、夢にまで見たこの麗人に思いを伝えられたら、死んでも悔いはないと覚悟を決めたわしは、我慢が出来なかったのだ。ところがどうだ、何と、ウネメの口から熱い吐息が漏れていたのだ。

「あの高殿で初めてあった時から、我の身も心も悌儁殿、そなたのもの、そして伊都国で初めてそなたに抱かれた」

「おお、あれはやはり夢ではなかったのか」

ウネメは慎ましく笑い、そして、わしの胸で狂わしいほど悶え、涙を流して燃えた。柔らかな美しい胸が波打つように震えて、うなじの白い産毛は月の光に輝いていた。

我等はそこで一つになった。その瞬間、迫りくる危険さえも悦楽に思えたのじゃよ。

本当の意味で女性を抱いたのはあれが生涯で初めてのことであった。

倭国の月は美しい、特に望月の濡れたような月影は妖しく淫靡でそれでいて慎ましい。

「壱与、起きていたのか、安心せよ、我はここにいます」

ウネメは壱与を抱き上げてほほ笑んだ。

今まさに天の羽衣をまとった天女が舞い降りて我が子を抱き上げている。

月影に写し出されたその姿は、神々しく輝いていた。その気高い美しさにわしは思わず足元に跪かずにはおられなかった。

周りの木々が僅かに揺れて風の音が変わったような気がした。不穏な何かを感じてわしは思わず叫んでいた。

「ウネメ、木陰に身を伏せよ」

すぐそばに風の音を聞いたわしは何かを払いのけた。その時、腕に激痛を覚えた。矢が肉をえぐる痛みであった。

木立が揺れて、暗闇の中を人の波が静かにこちらににじり寄ってくる。恐ろしい殺気が充満していることが分かった。

恐らく狗奴国の兵士に違いない。わしは武将である。例え異国であっても戦いの中で命を落とすことは厭わない。武将ならば常に覚悟していることなのだ。

だが、ウネメとその子壱与の命は何としても守らねばならない。

殺伐とした戦いの中で生きてきたわしに暖かい肌のぬくもりを教えてくれた。

急に人の波が乱れてあちこちで悲鳴が上がって混乱がはじまった。

わし等は大きな木の陰にじっと息を殺して潜んでいた。白々と夜が明けだした頃、ようやく辺りは静かになった。

誰かが近づいてくる。大きな男であった。右手には血の滴りがまだ収まりきらぬ鋼の剣を下げている。

身構えながらわしは立ち上がった。

「梯儁殿、無事で御座ったか」

聞き覚えのある声であった。

「そなたは何者」

「アヅミでござる」

その体つきと歩き方、そして夜が明けるとともにはっきりと見え出したその鋭い目つきに、ようやくわしは得心がいった。

「おう、よう来てくだされた」

わしは立ち上がり、アズミの手を取った。まさに九死に一生を得たのであった。

「あの女性は誰でござるかな」

楠の木陰に身を隠して壱与を抱き寄せているウネメに気付いたアズミは探るようにわしの顔を覗き込んだ。

わしはこの男には嘘をつくまいと腹をくくった。本当のことを話してアズミという男の度量を見てみたかった。それに、この男はわしとウネメのことに既に気が付いているに違いない。わしと彼女のことを知った上で騒ぎ立てるようであれば、この男を生かしてはおけない、刺し違えても殺さねばなるまい。わしはそのように決心をしたのじゃ。

日輪が昇って周りの景色が次第に見えてくる。

「悌儁殿、御覧下され、この山の麓は海で御座る。左に見えるのが伊都国、右は不弥国で御座る。そして正面に見えるあの島は我がアヅミ一族の島で御座る。我等はあそこで底津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神を斎き祭り、航海術を以って生きる民で御座るよ。ここは奴国で御座る。身の安全は我らにお任せ下され」

アヅミは屈託なく豪快に笑った。そして、更に続けて言う。

「我はここで何も見なかった。それでよろしいか。ただ一つだけ、聞き知っていることを話しておこう。十数年前、不弥国の王は邪馬台国の女王から請われて幼い姫を生口として献上した。可愛く利発で幼いにも拘わらず姫には神託を伺うことのできる霊力が備わっていた。姫は美しく成長して、今では年老いた卑弥呼が鬼道を行うに際して、その姫の助け無くしては行えぬという。不弥国の王は嘆き、深く悲しんだ後、死んだそうでござる」

木陰に身を隠しているウネメの影をちらりと見て、アヅミはわしの肩に手を置き、大きく頷いた。

「帰るぞ」

アヅミの一言であちこちの木陰から兵士が次々に飛び出して跪いた。

「アヅミ殿」

わしは彼に心から礼が言いたかったが、その言葉が見つからなかった。

振り向いたアヅミの精悍な赤銅色の顔が綻んで白い歯が見えた。

ウネメと壱与は神輿の中に戻った。そして、わしは何事も無かったかの様にその傍に控えていた。

日が天中に昇る頃、ようやく事態は落ち着きを見せた。何人かの死者と多くの負傷者が出たが、難升米、牛利、伊支馬などの大人は皆無事であった。

そして、我等は倭の国々を巡り終えて邪馬台国に帰り着いたのである。

帯方郡への帰国の日が近づいた。

わしは伊支馬殿を通してウネメを伴って帯方郡に向かいたい旨を願い出た。

しかし、女王からの返事は無かった。

いよいよ明日は郡へ帰るという日、わしは太守様に報告する文書をまとめていた。

その時、背後に密かな風を感じて振り返ると、そこにウネメが立っていた。

「梯儁殿、きっと我を迎えに来るのだ。いつまでも待っている。これは我の命」

ウネメは玉で出来た緑の勾玉を一つ、わしの手に握らせた。

そして、わしの首に腕をまわしてじっと見た。青銅の釧が音を立てて白い腕を滑って月光に輝いた。次の瞬間、身を翻したウネメの姿は闇の中に消えていた。

郡へ戻る船の中でわしは振り返った。倭国とはなんと美しい国であったか、未開の蛮族どもの住む国だと思っていたが、いざ来て見てみるとその国の民は気高く美しい人々であった。思い出が次々と脳裏に蘇り、懐かしさに胸が震えた。 

「待っていてくれウネメ、必ずやそなたを迎えに来る」

わしの胸は張り裂けんばかりであった。

帯方郡に帰り着いたわしは、太守様に悉く倭国の状況を報告して、その場で再度、倭国への使者とならんとして働きかけたが、この世の全てのことは思うようには行かないものだ。

そうこうするうちに、わしは都洛陽に呼び戻されて、都とその周辺を警備するという新しい任務に就いた。

正治八(二四七)年、帯方郡の新しい太守に王頎おうき様が就任された。その年に、倭国と狗奴国の間に戦いが始まったのだ。

その当時、倭国と帯方郡の双方の使者が慌ただしく行き来をした。倭国から載斯烏越さいしうえつが郡に到って戦さの状況を説明し、郡からは塞曹掾史張政さいそうえんしちょうせいが倭国に出向いて魏国の皇帝の詔書と共に黄幢をもたらして難升米殿に下げ渡すと同時に檄を以って告諭したという。

遠く洛陽の地に居たわしは、その後の邪馬台国の諸状況について詳しく知ることができなかった。

そして、邪馬台国の女王卑弥呼が身罷ったことが分かった。

径百余歩の大いなる塚が冥府に向かう女王の為に作られ、百余人もの奴婢が殉死して埋められたと聞いた。

その後、新たに男王が立ったものの、倭の国々は互いに覇を競って戦乱が続いたと聞く。

わしは何度も使者として邪馬台国へ行くことを願い出たが、戦乱の続く倭国には行くことが叶わなかった。

そのうち、卑弥呼の宗女で十三歳になる壱与が女王となったという知らせがわしの耳に届いた。そして倭国は安定したことが知らされた。何と、あの愛くるしい壱与が新たな女王となって倭国を統一したのだ。

しかし、そのすぐ後に、わしは胸の張り裂ける悲しい知らせを聞いたのだ。

ウネメは女王卑弥呼に殉死して既にこの世にないという知らせであった。

ああ、何としたことか、わしはなぜ思い至らなかったのだ。

ウネメはかつて不弥国の姫であった。見め麗しいだけではなく、神の意志を聞く稀有な才能を有していた。そしてウネメは奴婢では無く、生口として女王卑弥呼に使えた。しかも邪馬台国の新女王壱与の母なのだ。

そのウネメがまさか奴婢と同様に卑弥呼の塚に埋められて死の供をするとは。

彼女は生口である。奴婢では無いのだ。何という不覚なのだ。卑弥呼は一番気に入っていたウネメを死んで黄泉の国に行っても手放したくなかったのか。

ああ、あれから何年が過ぎ去ったことなのであろうか。最早、指折り数えることも出来ぬ。

そして、わしだけがおめおめと未だにこの空の下で生き恥を晒している。

ウネメよ、そなたがあの星々の一つになっているというのに・・・・。

うわごとの様に話を続けていた梯儁の眼から一筋の涙が転がる様に頬を伝って落ちた。

「ご主人様、おや、眠ってしまっている。やれやれ」

眠っている悌儁老人の目尻の深い皺に涙が滲んでいる。

「誰か来てくれ、ご主人様を寝屋まで運ぶぞ」

召使が数人、眠そうに目を擦り上げながら出てきた。

「おい、お前、お前は頭、お前は身体、お前は足を持って。静かに、起こさないようにゆっくり運ぶのだ。こら、落とすんじゃないぞ。やれやれ手の掛かる爺様だ」

召使たちが乙を見て、顔を見合わせ、くすくすと笑った。

「おい、お前たち、おれがご主人様の悪口を言っていた何てことを決して告げ口するんじゃないぞ。分かったな」

乙は召使たちを睨みつけた。

翌朝早く梯儁は目覚めた。

髪と顔を洗い、髭を整えて、良く磨いた銅鏡(内行花文鏡)をじっと見ていた。

「光陰は瞬く間に過ぎ去り、いつの間にか年を取った。何もせねば人生は長すぎる。何かを為そうとするにはあまりにも短い年月であった。だが、わしにはたった一つだが甘美な思い出が残った」

「旦那様、そろそろ御用意なさる時刻でございます」

急ぎ足で老人の部屋に入ってきた乙が背後から声をかけた。

「おお、もうそのような時刻か、乙よ、着付けを頼む」

支度を整え、甲冑を身に着けた梯儁はゆっくりとした足取りで玄関から外に出た。

外には旗がたなびき、夥しい数の兵士の群れと共に、波打っていた。

指揮官が梯儁の側に駆け寄って来た。

「梯儁将軍、出立の準備は既に整っております」

「して、敵の動きはどのようになっておる」

「はっ、匈奴どもは都洛陽のすぐ北まで迫っておる様で御座います」

「そうか、ご苦労。すぐに出陣じゃ」

老将軍は馬にまたがって背筋を伸ばし、指揮官を従えて閲兵をした。

舞いながら激しく太鼓を打ち鳴らす一団が先頭に立って軍を鼓舞し、兵士は足音高く進む。

梯儁は空を見上げた。

老人の眼には、昼の空では実際には見えない夜の天空に燦然と輝く天の河が見えていた。

その河原に天の羽衣をなびかせて手を振る懐かしい女性ひとが見える。

「ウネメよ、そなたが織姫ならば、わしは牽牛となろう。もうすぐそなたのもとへ参る。そなたは、あの時の美しい姿のままか。わしを見て、見苦しいほどに年を取られましたな、などと申すではないぞ」

梯儁の心は晴れ上がった新春の青空のように満ち足りていた。


(参考文献)

石原道博編訳『新訂 魏志倭人伝 他三篇―中国正史日本伝(1)―』(1994・11岩波文庫)

宮崎康平『まぼろしの邪馬台国』(2008・8 講談社)

王金林『古代の日本―邪馬台国を中心としてー』(1986・1 六興出版)


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― 新着の感想 ―
[一言] このサイトで、これだけの力のある小説を読めるとは思いませんでした。素晴らしい作品だと思います。
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