休日出勤
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今日は日曜だ。だけど、会社に出勤しないといけない。休日出勤というやつである。手当は付くのだけれど、嫌だった。平日こなしきれなかった分を穴埋めするのである。日曜を使って、だ。
朝起き出し、キッチンでコーヒーを淹れてから飲んで、いつも通り、自宅最寄りの駅から電車に乗る。通常通り出勤し、デスクのパソコンの電源ボタンを押して起動させた。立ち上がる前にフロア隅のコーヒーメーカーへと行ったのだけれど、休みの日で出勤する人数が限られていたので、セットされてない。仕方なく自分でセットして、カップに一杯淹れた。
デスクでパソコンに向かい、作業していると、
「おう、木川。おはよう」
と上司で課長の梅村が挨拶してきた。マシーンから目を上げて挨拶する。
「あ、課長。おはようございます」
「君も課長代理で大変だな。もうすぐ課長になるとは思うけど」
「でも、梅村課長も上に上がられるんでしょう?」
「ああ、まあな。そのうち、次長ぐらいにはなれるだろう。俺も万年課長かと思ってたけど、どうやらそうじゃないみたいだ」
「そうですか……」
幾分言葉尻に含みが残ったのだけれど、他意はない。単に会社員生活に慣れてしまっていたので、自然とそうなるのだった。またパソコンに目を戻し、キーを叩き始める。平日出来なかった仕事をこなしていた。淡々とではあるのだけれど……。
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「木川、飯でもどうだ?」
「もしかして奢ってくださるとか?」
「ああ、そうだよ。ご馳走してやる。繁華街に年中無休の蕎麦屋があるんだ。美味いんだよ、そこの温蕎麦が。今から食いに行こう」
「お供します」
そう言って、作業中の画面に保存を掛け、席を立つ。そして梅村に付いていき、歩き出した。ボクもいくら課長に昇格する用意があったとしても、金はあまりない。だけど財布の中に万札がジャラジャラ並んでいたら、返って怖い。金は必要な分以外、ない方がいいのだった。
「課長、その店、お高いんでしょう?」
「まあ、五十年以上続いてる老舗だからな。掛け蕎麦が一杯で千円ちょっとぐらいだよ」
「じゃあ、何をお頼みになるんですか?」
「俺?俺は天ぷら蕎麦だよ。いつも食ってる。これは一杯が千七百円だな」
ふっと思った。梅村の生活感や金銭感覚のなさを、だ。多分、目の前でコートに身を包んでいる男にとって、金などいくらでも回ると思っているのだろう。ボクも真意は測りかねた。金を使う際、節約するということがまるでないようなのである。
社のあるビルを出て、繁華街まで歩いていき、蕎麦を食べに行く。始業時刻まで丸々一時間あった。ある程度ゆっくり出来る。蕎麦屋で蕎麦を啜り、蕎麦湯も頼んで飲めるぐらいの時間があった。店の前まで行き、
「ここだよ、ここ。ここの蕎麦が美味いからな」
と言って入っていく。店内はあまり客がいなかった。まあ、この手の店は商社などでも上役の人間たちが来る店だ。ボクのように課長代理ぐらいなら、まだ安易に入れる場所じゃない。そこに入らせたということは、あえて梅村がいろいろとボクの将来のことを考えてくれているということである。出世したんなら、相応に振る舞えという。
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「大将」
「ああ、梅村さん、いらっしゃい。……お連れの方は?」
「ああ、俺の部下で課長代理の木川だ」
ボクもふっと振り返り、
「営業一課課長代理の木川圭介と申します。よろしくお願いいたします」
と挨拶した。
「ああ、こう言っちゃなんだが、まだ青侍だな。二十年ぐらい前の梅村さんと全く同じだよ。あの時は確か、以前課長だった瀬川さんが来てたよね?」
「うん。大将よく覚えてるな」
「当たり前ですよ。客商売である以上、覚えてない方がおかしいですから」
「まあ、確かにそうだね。でも新しい客がどんどん来るんだろ?」
「うーん、最近は固定のお客さんが多いですけどね。ここは年中無休なんですが、私も一日が終わったら、風呂入ってすぐに寝ますよ」
「そんな年になったんじゃないの?」
梅村がそう言って笑う。ボクもおかしいのを堪えながら、じっと二人の方を見ていた。
「大将、木川には月見蕎麦の大盛りを一杯、俺には天ぷら蕎麦を一杯くれ」
「あいよ」
大将が目の前で蕎麦を茹で始める。ボクもその様子をじっと見つめていた。梅村は店内が禁煙じゃないのをいいことに、タバコを取り出して銜え込み、ジッポで火を点けて吸い始める。いつもは会社でも喫煙コーナーで吸っているのだった。
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「課長、私、本当にこんな豪勢な料理ご馳走になっていいんでしょうか?」
「俺も昔、瀬川さんにここに初めて連れてきてもらった時、今の君と全く同じこと言ったよ。でも気にするな。俺だって当時はまだ課長代理か、係長ぐらいだったからね。今は瀬川さんも専務職だけど」
梅村は昔話をするのが好きらしい。ボクも感じているのだった。この人はそういったことを考えながら、今まで会社員生活を送ってきたんだなと。食事を取りながら、意見交換できればいいと思っていた。別に気にすることはない。白髪がだいぶ混じった禿頭にヘアワックスを付けて整髪しているのだけれど、今まで相当な労苦があったんだなと思う。
「それにしても休日出勤ってのは厄介だね。俺もそんな風に思ってる」
「いつも課長は仕事で根をお詰め過ぎです。たまにはゆっくりしてくださいよ」
「ああ。俺も適当にガス抜きしてるけどな」
「食事時ぐらい、気を抜いてくださいね。料理は逃げませんから」
「ああ。俺だって百戦錬磨だ。今まで絶えず戦ってきた。ここに骨を埋める気だから、しっかりやるよ。もう数えるほどでお払い箱だからな。それまでに君を新たな課長にする責任がある。俺の使命だ」
梅村がそう言って、差し出された天ぷら蕎麦の丼を受け取り、啜る。ボクも月見蕎麦を啜りながら、合間に「失礼」と言って持っていたティッシュで鼻をかむ。熱々の物を食べると、鼻水が出るのだ。これは生理現象である。気にしてない。この季節、蕎麦は本当によかった。ちゃんと食べられるものがあるので、それでいいのだ。これから梅村は何度ボクをここの店に連れてくるだろう……?おそらく何度も誘ってくるだろうと思う。こういった会食が、案外いい勉強になるのだ。そう思っていた。
そして仕上げに蕎麦湯を啜る。体が温まった。ポカポカしていて、とても心地いい。だけど、また外は寒いだろう。覚悟していた。冷える時季は辛いのだけれど、それも人生だと。
何か一つの経験則のようなものを得た休日出勤だった。そう思える。別にこんな時間も無駄じゃないと感じていて……。
(了)