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その1「起」

私信

もしも、李仁古なる人に会うことがあったら伝えてほしい。

「約束通り、書いた」と。

 俺がその男を初めて見たのは、サルーンで一人、酒を飲んでいた時だった。

「ジョー、お前、飲み過ぎだよ」

 そんなマスターの呆れ声を浴びながら真昼から飲むラムの水面が光る。へっ、と笑いながら、マスターの呆れ顔を肴にラムをちびちびと飲む。

「そんなこと言わないでくれよ。飲まずにいられるかってんだ」

「あのなあ、お前、自分の立場を判ってるのか」

「おう、判ってるさ。だからこそ、飲まずにいられるかってんだ」

 胸に飾られている金色の星マークを見て、気分が悪くなる。

 シェリフ。この町の治安を守る、皆が憧れるヒーロー、保安官だ。

 だが――。

 後ろで喧騒が聞こえる。酔いどれ気味にふと後ろを見遣ると、屈強な男たちが煙草をくゆらせながらカード遊びに興じている。賭けでもやっていたのだろう。大の大人がカードゲームごときの勝敗で熱くなって、掴みあいの喧嘩をしている。お前、イカサマしやがっただろう、何をお前こそ、という言い合いがサルーンの中一杯に響く。

 本来なら、こういう騒ぎを収めるのが保安官の仕事だ。

 だが、その喧騒を聞かなかったことにして、俺は帽子を深くかぶり直してラムをあおった。

「はあ、まったく……。ジョー、あんたはいつからそんな男になったんだよ」

「うるさい。俺は元からこうなんだ」

 やかましかった。後ろのガラの悪い男たちのいざこざも、マスターの言葉も。

 と、そんないつもと変わらない日々の中、あの男が、このサルーンに現れたのだ。

 ぎい、と壊れたヴィオラのような音と共に開いたドア。その向こう、逆光の中にその男は立っていた。

 何しろ異相だった。全身黒ずくめ。帽子やズボンが黒なのはいいとして、チェストやシャツまで真っ黒だった。腰にはやはり黒色のガンホルダーがぶら下がる。そして、背中に細長い包みを背負っている。どう見ても長銃である。そう、ガンマンだ。

 だが、何より、この男が異様だったのは、この男が持つ空気だった。

 あれほど騒いでいたアウトローたちも、この男の威圧に呑まれ、ママンに怒られたガキのようにしゅんとしてしまった。この乱雑な中にあって、この男の持つ空気はどこか清涼じみていた。多分、俺とそこまで年齢が変わらないだろうが、俺よりもはるかに遠くを見ている、そんな雰囲気を宿している。

 その若い男は、俺の横に座った。そしてマスターに、

「何でもいい、飲み物を」

と注文した。

 マスターが頷いた瞬間、その男の視線は俺に向いた。冷や水が浴びせられたような感覚が襲う。

「おい、あんた、シェリフか」

「それが」

 どうした、と返そうとして、思わず言葉を失った。

 横に座った男はいつの間にか帽子を脱いでいた。黒髪を後ろに撫でつけて薄く笑うその男には、左目がなかった。この辺りに流れてくるガンマンたちと同様、銃創だろう。火傷跡が痛々しい。

 南北戦争帰りか。数年前に終結した南北戦争。西部にあるこの州ではさして戦火はやってこなかったが、東部ではそれはひどいものだったという。恐らくこの黒いガンマンも、南北戦争に参加して名誉の負傷を負ったのだろう。

 しかし、男はそんな俺の反応を楽しんでいるようであった。口角を上げた。

「いや、この町はいい町だな。治安がいい」

「は?」

 何言ってやがる。そんなわけはない。そんなこと、シェリフである俺が一番知っている。

 と、ここまで考えて、男の言うそれが、一種の皮肉であることに気づいた。それは、男が右目を濁らせてくつくつと忍び笑いをする様からも分かる。

「おい、それは侮辱か」

「侮辱というのは」男は言った。「矜持のある男にしか向けられないものだろ」

「どういう意味だ」

「さあな、自分で考えろ」

 男の前にラムが置かれた。それを取り上げると、男はそのグラスに口をつけた。口の端を曲げながら「まずいな」と一言口にした男は、眉間にしわを集めながら俺に向いた。

「しかし、噂には聞いていたが、西部のシェリフっていうのはずいぶんとまあ弱腰なんだな。――あんな奴らをのさばらせてるとはね」

 そう言って、男は後ろの方でたむろしているアウトローたちを指した。

「馬鹿野郎。そうことは簡単じゃねえんだ」俺は言った。「あいつらはただのアウトローじゃねえ。あいつらは――」

 しかし、そんな俺の言葉が終わる間もなく、男は立ち上がり、そのアウトローたちの輪の前に立った。

 さっきまで賭けカードゲームに興じていた男たちは、皆一様に男を見上げた。まるで、群狼のような目つきで。

 その中の一人、いかにも恰幅のいい大男が、黒い男の前に立った。黒づくめの男も相当に背が高いが、大男はそれに輪を掛けて大きい。まるで押し潰すようにして大男は泰然としている。

「なんだてめえは。俺たちに喧嘩を売るつもりか」

「喧嘩なんぞ売るつもりはない。ただ、聞きたいことがあるだけだ」

「あん? 俺たちに聞きたいことだと?」

「ああ、右頬に傷のある男を探している。年の頃は俺と変わらない。黒髪黒い瞳の東洋人。恐らく今でもコルトネイビーを使っているはずだが」

 すると、大男は腹を揺らして笑った。

「おいおい、もしもそいつを知ってたとして、俺たちが何の縁もゆかりもねえお前に何かを教えるとでも思うのかよ」

 へっへっへ、と仲間たちが笑う。

「教えてほしいんだったら、力づくで訊いたらどうだい? 一つ目(サイクロプス)さんよ」

 カカカ。下卑た笑みを大男が浮かべた。

 と――。

「ぶへっ!」

 次の瞬間、大男が鼻血を振り撒きながら地面に倒れた。

 見れば、男の右拳が赤黒い血で汚れていた。

「てめえ、何しやがる!」

 仲間たちがビービーと騒ぎ始めた。

 しかし、黒ずくめの男は意にも介さない。血だるまになって地面をのたうつ大男を見下ろしながら、冷笑的な顔を浮かべ、ぽつりと口を開いた。

「力づくで訊いたらどうだ、と言ってきた。だから力づくで訊いたんだが。ちょっと頬を払ってやっただけでおねんねする方が悪い」

「なんだと?」

 ガラの悪い連中がイスを蹴って立ち上がる。

 しかし、黒づくめの男はまるで動じない。むしろ楽しそうですらある。

 いきり立つガラの悪い一団。それを見遣る男は眠そうな目をしていたが、ある瞬間、指を一本立ててちょいちょいと手招きをした。かかってこい。その謂いだろう。

 そして――。

 ある瞬間、ガラの悪い連中の一人、いかにも喧嘩っ早そうな若いのが飛び出した。そして、その先鋒に引きずられるようにして大の男たちが飛び出した。

 が。

 次の瞬間、そんなごろつきたちは皆、地面に倒れていた。

 何をしたのか分からない。しかし、黒づくめの男は胸の前で拳を構えて、地面に倒れるごろつきたちの間に立っている。どう見ても、一斉にかかった数人を拳で殴り倒したとしか思えない。

 畜生(ガッテム)

 そう叫んだごろつきの仲間がさらに黒づくめの男に迫る。しかし、それより数倍層速く黒づくめの男が動いた。ぬらりと虚ろな足取りでごろつきとの間合いを詰め、稲妻みたいな拳の一撃を的確に相手の頬にめり込ませる。そして、その一撃をくらった奴らは面白いように倒れていく。

 す、すごい。

 はたから見ている俺は、ことの推移をひたすら見遣っていた。

 が。

 後ろの方に居るごろつきが、懐をまさぐって何かを取り出した。黒光りする小さな二連装の元込め銃。リンカーン大統領を暗殺した小型にして大口径拳銃、デリンジャーだ。

 しかし、黒づくめの男は気付いていない様子だった。殺到してきたごろつきを殴り倒していて、遠くの出来事にまで気が回っていない。

 や、やばい!

 だが、俺は何も出来なかった。

 そして、俺の目の前で、デリンジャーの銃口が黒づくめの男に向いた。

 乾いた音が、サルーンの中に響いた。

 瞬間、サルーンの空気は凍り、時間が止まった。誰しもが何が起こったのか判らずにいる。

 しかし、この止まった時間の中で、唯一、黒づくめの男だけが動いた。男の手には、口からヘビースモーカーのように硝煙を上げる拳銃が握られていた。

「おいおい、殴り合いの喧嘩に飛び道具はいささか卑怯だろ」

 黒づくめの男は、デリンジャーを構えていた男を睨む。その視線の先の、さっきまでデリンジャーを構えていたはずの男の手元には、既にデリンジャーがなかった。見れば、サルーンの床の端っこあたりに、そのデリンジャーが転がっていた。

「ガンマンが銃を抜く時っつうのは、相手を殺すと心から決めた時だぞ? 本当なら殺してもよかったんだがな、構えがなってなかったから許してやる」

 その啖呵が効いたらしい、地面を舐めていないごろつきたちは歯を鳴らして震え始め、地面に倒れる仲間たちを背負ってそそくさと出口に飛び出して行った。中にはひゃあああ、と悲鳴を上げて飛び出して行った者さえある。しかし、その中には、「俺たちを敵に回して無事だと思うなよ!」と遠吠えを吐く者の姿さえあった。

 そんな負け犬(アンダードッグ)たちの後ろ姿を見送った黒づくめの男は、銃口から上がり続ける硝煙を息で払ってホルダーに収めた。一つため息をつくと、何事もなかったかのように元の席に戻ってラムを口に含んだ。

「ああ、ようやくラムが美味くなった」

「おいあんた、人を探してるって言ってなかったか」

 そう俺が聞くと、黒づくめの男はくつくつと笑った。

「あんなチンピラどもじゃあ知るはずもないだろう。――ただ単に、チンピラどもが邪魔だったから追い払ってやっただけだ。っと。悪いなマスター」

 そう言って、黒づくめの男は懐から決して少なくはない金を出した。迷惑賃のつもりなのだろう。しかし、心から迷惑を掛けたとは思っていないのだろう。それが証拠に、彼はそのお金を払うや、「ラムを追加だ」と貌に皺を作りながら注文しているくらいだ。

「あんた、ナニモンだ」

 思わず口から疑問がついて出た。

「あ、俺かい」ラムのグラスから口を離した男は笑う。「俺はハミルトン」

 聞きたいのはそういうことではない。

 ごろつき数人を相手にしたあの立ち回り。明らかにデリンジャーの存在に気づいていなかったのに、ある瞬間、まるで全てを見下ろす全能なる神のようにその存在を見破り、さらにそこから瞬きほどの瞬間に銃の撃鉄を引いた。恐らくかつての南北戦争の従軍者だろうが、それにしても、これほどの手錬が。

 それを察したのだろう。ハミルトンは口角を上げた。

「賞金稼ぎだよ」

「賞金稼ぎ?」

「おう。最近、西部の方が程よくお気軽な賞金首が隠れてるっていうんでな。ちょいと収穫に来た」

 まるでリンゴの収穫に来た、とでも言いたげな気軽な口ぶりだった。

「ってことは、さっきあんたが聞いていた、『コルトネイビーの男』っていうのは、賞金首かい」

「いや、違う」

「じゃあ、そいつは一体――」

「ああ、そいつは」ラムを飲み下して、ハミルトンは言った。「俺の矜持にかけて追ってる。金じゃない。理屈でもない。あいつに鉛玉を喰らわせたい。ま、一種の趣味だな」

「趣味」

「ああ、生きるためでもない。ましてや生活のためでもない。それを趣味と言わずしてなんと言う」

 なんとなく、このハミルトンの言葉をずっと聞いていたい、そんな心持に落ちた。この隻眼のガンマンの言うことは、さながら騎士道物語のような悲壮感とまっすぐさが同居しているような清々しさがあった。あるいは、余りに自分と遠いところに存在する出来事――例えば遠くニューヨークに渡った移民の一人が今や億万長者になっていると御云った風なストーリー――が、ただの夢物語にしか聞こえないのとも似ている。俺には出来ない。そんな強い隔絶が、彼の言葉を殊更に純粋で綺麗な言葉のように思わせるエッセンスなのかもしれない。

 と。

「――ところでお客さん」

 マスターが会話に入ってきた。どうした、と言わんばかりにハミルトンが目を向けると、マスターは一つ頷いて、唇をわななせた。

「悪いことは言わないから、早くこの町から去った方がいいですよ」

「へえ、なぜだ」

「だって、それは……ねえ」

 マスターは俺に向かって同意を求めた。しかし、気持は判らんでもない。もしあいつらのことを何か言ったら最後、次の日には力なきマスターは、町の真ん中の大木から垂らされた縄に縊り殺された様を町の人々に晒すことになるだろう。

 仕方ねえ、か。

 俺は代わりに応えた。

「あんたが今ぶっ倒した連中、あれはカーペンターズファミリーだ」

大工の一家カーペンターズファミリー? へえ、割と平和そうな連中だな」

「名前だけはな」

「どんな連中だ?」

「ああ。一言で言えばとんでもねえな。アウトローから腕利きのガンマンまで囲ってる。相手にはしたくないな」

「へえ、アウトローか」

 ハミルトンの目が光った。しまった、と思ったがもう遅かった。胸の中に収まっている紙束を取り出したハミルトンは、一つ一つの吟味を始めた。

「へえへえ、こっちには確か『百人撃ちジェファー』とか『牢破りのモールド』なんかが逃げ込んでるはずだな。こりゃ大儲けできそうだ」

「おい、まさか――」

「そりゃそうだろう保安官さんよ」ハミルトンは立ち上がった。「賞金稼ぎの仕事の案内くらい、いくらやる気のない保安官さんでもやってくれるんだろ?」

 ハミルトンは満面の笑みを浮かべた。


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