【 えいゆうは わらっている 】
今回は英雄的勇者・アレクセイ視点。
イレシアの勇者、アレクセイ・イレスラート。
母国イレシアの名をを姓に持つ彼は、人間界第4層の、ただ一人の勇者である。
その力は並の勇者数人以上も凌ぎ、誰よりも長く生きて、立てた偉業は計り知れない。
後の世の歴史に刻まれる事が明らかであるこの勇者は、更に、魔王の友人としても伝えられている。
──こーんなに暇なんだが、大丈夫なんかね。
魔王城に滞在して数日。ぼちぼち本国の様子が気になるところで、浮き足立ってきた頃合だ。勇者の育成や管理を一手に担っている魔王が何も言わないのだから、おそらくは、大事には至っていないとは推察できるのだが。
と言ってもやっぱり気になるものは気になるもんだ。だがしかし、やることもない。
そもそも好奇心に惹かれたのが悪かった。なんたって魔王が勇者個人に興味を持つなんてことは殆どない。ゼロに近い。だから、魔王が俺の個人的な事情に興味があるような素振りをしたのがあまりにも新鮮で感動してしまったのだ。
多分それは、一定の習性しかないと思われていた動物がある日突然突飛な行動をし始めた、しかもそれは自分が原因だった、という感動に近い。
で、そんな馬鹿なマネをしたから異世界の勇者見習いの教師なんて引き受けてしまい、暇を持て余すようなはめになるんだ。
全くもってうららかな午後、そんな事を考えながら俺は暇を持て余して頬杖を付き、俺自身手ずから淹れた(と言っても、俺しか飲む人間はいない)アフタヌーンティーを啜りつつ、傍らで膝をついて作業をする魔王の横顔を眺めてることに終始していた。
でもって、その魔王は幽玄を体現したような仕草で転送陣をなぞっている。
髪も、鎧も、衣服も全て夜闇のように黒い。絶えず流動する闇にぽつりと浮かぶ面貌はやや細面だ。立場と容貌、魔力の兼ね合いが美醜の判断材料である人間の社会ではあまり美形とは呼ばれないだろうが、目鼻の造作やそのバランスから、驚く程端正な顔立ちだということは分かる。ちなみに、一般的に王という存在は他方とのパワーバランスのために権力に『力』を兼ね備えないのが人間社会での常識だ。
神に一番近いだろう力を持つ『王』でなければ、或いは力を持っていなければ、美しさを武器にする立場であれば魔貌とも呼ばれただろう。
本国が気になっている身の上だが、余りに暇過ぎて魔王の容姿をまじまじと観察してしまった。二度も言うような気がするが、本当に暇だ。
「なあ、魔王サン、俺は一体いつ帰れるのかな。暇だし帰って良い?」
「勇者見習い殿が仕上がり次第何時でも」
なんともそっけない返事じゃないか。
何時でもが本当に「何時でも」ではないことは分かる。少なくとも勇者お披露目まではレイに付いていなければならない。
分かってる、今が暇だったとしても帰ってはいけないって言うのは。
内心で溜息を吐いて、魔王を横目に更に茶を啜る。うん、うまいな。さすが魔界産の茶葉、魔力の含有量が多く、むらなく散じている。手酌で飲むには本当にもったいないほど上質な品だ。
とかなんとか茶葉にも思いを馳せていると、ふと気づけば、魔王はこちらをじっと見ていた。
その視線に、また一仕事増えそうな予感がする。
「分かっているな、イレシアの勇者殿」
「何がですかねえ……」
嫌な予感しかしない。
「我輩が勇者見習い殿から見習いを外す頃にも、あれは独り立ちなど出来ぬ」
「いやーはは、いやいや、彼女は優秀ですよ」
「わざとらしくはぐらかすのも大概にせよ。見苦しい。勇者見習い殿はまだ未熟だ、身体や知識のことではなくな」
あーやっぱり……。
いつも通りの皮肉に肩を竦める。傲慢さが伺える台詞回しだが、慣れてしまえば何のことはない。魔王はいつもこのように針で綿を包むような言い方をするので誤解されがちだが、言いたいことは分かる。たまには綿で針をくるんでほしい。
とどのつまり「新しく託宣を受けた勇者の少女の旅に同行せよ」、ということなのだろう。
それ以上言う気はなくなったのか、魔王ははっきりした明言をしないまま、顔面の筋肉があるのか分からない無表情な能面で、神経質に転送陣をひっかいている。──ああ、その文言を欠かすなんてもったいないのに。転送できない転送陣なんて矛盾も良い所じゃないか?
と、魔王の感情がほとんど読めないのはいつものことだと分かっているが、今回は不自然すぎやしないか。
今回の魔王の采配は、半分以上は異論はないが、意図の掴みかねる何かがあった。勇者という存在は勇者なのだから基本を鍛えたら後は放り出したってうまくやれるのはわかっている。事実、この世界産の俺たちや、今まであの少女と同じ状況の異世界の勇者に関しては、魔王が他の地元勇者の召喚までしてここまで篤く面倒を見てやったという記憶はない。いや、俺が見ていないだけな分もあっただろうが、無表情を張り付けて一言「さっさと出てゆけ」と言っただけのようだったが。
確かに今回の勇者は中々に勇者らしくない勇者だろうか。人間社会の価値観で言えば大分美しくない、というところだ。勇者にふさわしいものは、容貌に滲む覇気と誰にもとらわれぬ精神と力の自由さだ。唯々諾々と従う柔弱さはふさわしくない。少女には「美しい方だ」とは言ったが、今となれば嘘は言っていないはずだ。魔王はそれを憂慮したに違いない。
その憂慮が功を奏したか、まだ数日しかたっていないものの、彼女は勇者に見合う容貌に近づきつつあった。気弱に俯いていた姿勢は正され、ぴんと筋の通った背筋が自信をうかがわせる。座学や組み打ちの覚えもいいし、流石勇者と言った所か驚く程早く実戦にも通用しつつあるようになった。偶に後進の兵士たちの面倒を見ている立場からすれば、これほどの練度にあっさりたどり着く勇者の素質が驚異的だと言える。
今までにない人間が勇者として選ばれた事に、魔王の采配の理由があるんじゃなかろうかと邪推はできた。が、なんにしろ、わざわざ綿を針でくるむような人なのだから、種明かしは単純ではあるまい。
「まあ、わかってるよ。頼られて光栄です、御主人様」
「何を言っている」
「(どの口が……)」
と言いそうになってやめた。
奴隷だとか奉仕だとか言ったのはそっちの癖につれない事を言う。まあ、冗談だけども。
一応人間社会的には不羈の象徴である勇者を奴隷に貶めることは、勇者そのものを殺す事に他ならない。が、奴隷も奉仕も口の悪い魔王ならではの語彙というだけだ。実際は俺に対してちっともなんとも思ってないに違いない。
本当に魔王のすることは分からない。今回だってそうだ。
わざと転送陣を閉じて俺を勇者育成に関わらせたり、俺個人に興味が向いたようなそぶりを見せるくせに、俺がちょっと近寄ればこの無関心だ。
……俺が何かしたんだろうか?
心の中で息を吐くと、開きかけた口をそのまま閉じるわけにもいかず、不審がられない程度に言いあぐねた言葉を変えた。
「あー、……そう言えば、今後、どうするの」
「今後もなにも。神託が下れば新たな勇者を教え導くまで」
「いや、違う、これだよ。今魔王サンがやってるやつ。転送陣のこと。なんで戻すのかなって。俺が改造してから随分魔獣も減ったし、勇者同士や界同士の連携も良くなった。今更戻すのは魔王サンだって骨が折れるんじゃないの」
暇だとか残してきた祖国だとか、色々と気になることは多いものの、目下一番気になるのは、現在魔王がこなしている作業だ。
転送陣を引っ掻いて修正している、魔王の印象とは全くそぐわないチマチマした作業の狙いは、俺が書き加えた『門』としての座標指定の文言の削除だ。
ここ魔界は魔獣との戦いの最前線で、この『門』さえあれば予想していた年数よりも遥かに短い年月で殲滅できるだろう。確かに勝手に改造したのは悪かったとは言え、元々魔王の代わりに澱んだ魔力を散らしているだけの陣だ。魔獣が殲滅できれば魔界にも平和がもどるし、勇者の必要もなくなって魔王の負担も減る。持ちつ持たれつ、いいことは有っても悪いことはないと思うんだが。
僅かに頭をひねって視線を向ければ、驚いたことに魔王は憮然とした様子を垣間見せて、目に入る者を無差別にねじ伏せそうな眼差しを一瞬俺に向けた。
「!!」
反射的に目が反れた。縄張り争いなら一瞬で決着がついている。俺の負けだ。
多分、可愛い女の子なら可愛い睨みつけだったんじゃないか。
魔王だからこそ、その眼光が、僅かな一瞬だとしても背筋を滅茶苦茶にぞっとさせた。
「そうか」
魔王が、一瞬キレてた。すぐに戻った能面顔でもあの衝撃が忘れられない。
いつもの変わらない語調で、いつもと変わらない語彙を使って、だけどあの一瞬、キレてた。
あの魔王がだ。仮面が喋っているとしか錯覚できないあの魔王がだ。
それこそ喋っている内容と声色だけ微妙に表情豊かな魔王がだ。
はっきりとした感情を俺に差し向けていた。
やっぱり俺は何かしたっぽい。でもなんか、なんかこう、あれ、なんだろう。
何か、思い出すような。
「よいか、イレシアの勇者殿」
「あっ……!? ああ」
何か引っかかってぼんやりしていたのを引きもどされる。視界の端で、すっかり怒気なんかどこかに行った無表情の魔王はじっと俺を見据えていた。
「天地戦争を人間自らの手で収める事に、魔界を、我輩の領地を巻き込むことは、争いを起こした種族として有るべき姿なのかを今しばし顧みるがいい。我輩は今、人間を愚かだと思うておる。それは目的の為の研鑽を合理だのなんだのと言って怠慢とすり替えているからだ」
「そりゃ……」
魔王を伺うように見下ろせば、なんの感情も映さない薄闇がこちらを見返してくる。
いつも通りの、言葉を発するだけの、人形のような瞳だ。
魔王の瞳は深い闇を宿して、それでも薄い。力の象徴ともいえる瞳の色は、俺が初めて会った時よりもずいぶんと褪せた。
神から100年の休眠を約束されたはずの魔王が、たったの23年で目覚めた理由は、休眠を約束したはずの神から与えられた、異世界の勇者と言うイレギュラーだ。
ぎちぎちに制御された鉄面皮から漏れた本能。
多分、精神は人間も魔族も変わらないはずだから、本調子でない体に引きずられたのかもしれない。
俺はさっき、そこに一瞬だけ強烈な感情を見たのだ。
「人間社会にもあるであろ、通すべき『筋』と言う物が。天地戦争が我らに何をもたらしたか忘れたのか?」
「……忘れてはいない、でもさ」
「ならば筋を通すべきではないのか、それ程我輩は難解な物言いをしているのか」
魔王が重ねて問いかける。まるで、すがっているような、責めているような。
駄目だな、何が駄目かは分からないけど、駄目だ。なーんか物足りない。
もう一度だけ、見てみたい。見て確かめたい。
あの魔王が本当にむき出しの激情をあらわにしたんだろうか?
勇者の蛮勇の血が、騒ぐ。
「はっきり言ってくれよ、じゃなきゃ分からん」
「頭の中まで怠慢に染まったか。愚昧は幾度も言葉を重ねねば理解せぬか。まさか、あえて理解しないのか? よくも知恵の回る事だ。我輩は、魔界や我らを巻き込むな、道理を曲げず、筋を通せと言っておる。それの何が分からぬと言うのだ」
言いたい事は、ある。そこまでした通す筋に意味なんかあるのかって。
そして魔王の心情も汲み取って、冷静にその言葉を組み立てる事だってできた。
それなのに、俺は、俺自身の好奇心に自ら膝を屈してしまった。
「……転送陣を使い始めてから、魔獣はかなり数を減らしたし、俺以外の勇者も魔界に遠征できて、魔界の被害だって減った。それを魔王サンが無くすって言うの? 俺にはその意味が分からないね。確かに利用したのは良くなかった、だとしても、魔界ばかりが被害者ぶって経過ばかりを責めるのはお門違いじゃないのか。大義ばかり気にして、実情なんか分かってないんじゃないのか、なあ?」
言い捨ててはっとする。まずい。こんなこと言うつもりは……けれど口をついて出てしまった。
後悔先に立たずだ。馬鹿だ、何年生きてるんだ、俺はガキか、子どもか!?
構ってもらうためにわざとわがままを口にして喜ぶのは、そういうのは、俺の年ですることじゃない。
変に魔王の腹を探るようなマネはしないよう心がけつつ、やっていくしかないなんて思っていたはずだったってのに。
瞬間、また、魔王の目に強烈な感情が宿る。
さっきとは違う、その感情。
「それが本音か」
失望と。
悲しみと。
堪え切れない諦観。
そして僅かににじみ、褪せていく怒り。
一秒前の後悔なんて、すぐに吹っ飛んだ。
「イレシアの勇者殿。どうか、分かってほしい。魔界の受けた傷は貴君らが考える以上に深いという事を。貴君らがあらゆるものを打ち崩し滅ぼして勝ち得た安寧は、戦火によって失われたすべての物の骸の上にある事を。勇者とは、この世界で唯一その骸を弔うことができる者である事を」
言葉は、出てこなかった。
まるでいつもと違う、魔王の口ぶりに、誰を相手にしているか、わからなかったのだ。
「人間も、魔族も同じく、揺らいでこそヒトだ。……分かってはいるが。変わってしまったな」
音もなく立ち上がり去っていく魔王の後姿を、俺は声も出せずに見送るしかなかった。
俺は、分かっていた。今までの経験上、それを知っていたはずだ。
怒ってもらえる内が、華だ。魔王はもう俺を見限って真摯な態度(には思えないが)を取ることはないろう。人間にも見られないのかもしれない。
次に会ったとき、どんな反応をされるのだろう。考えるとぶるりと震えた。
そう、多分俺が知っているすべての中で、ただ俺だけは、見限られた。
ほかの誰でもない、俺だけだ。
それが一級品の紅茶よりも、気になっていた本国の様子よりも、頭を支配する。
俺はすっかり冷めた紅茶を再度すする気にもなれず、暇どころか心まで持て余して、しばらくその場から動けずにいた。
だけど、脳裏に魔王の揺らぎを何度もしつこく思い浮かべては。
我知らず、唇は弧を描いていた。
アレクセイ47歳、彼の250年に及ぶ生涯から言えばまだまだ最序盤の出来事だ。
好奇心は猫を殺すという言葉があるように、その過剰な好奇心は、彼と魔王と異世界の勇者の、傍迷惑な腐れ縁の端を発することとなる。