こい!ゆうしゃよ!
勇者が勇者たる所以。
それは神託が下されたからではない。勇者だと呼ばれるからではない。
凡その人間共が太刀打ちのできない『理性なき魔獣』に立ち向かうことの出来る者こそを『勇者』と呼ぶのだ。
かつて全ての人間と、そして魔界をもを蹂躙せしめた大いなる災い。その副産物とも呼べる理性なき魔獣は、人間が何度生まれ死ぬ時が流れても、こうして彼奴等を脅かしている。
勇者が勇者たる所以、それは「全てが人を超えしものである」という事、である。
荒涼と広がる乾いた大地に吹きすさぶ風、踊る枯れ草程度しか面白みのない荒野に、いくつかの黒い点がある。それはまるで狩りのようであった。獲物を囲み、今にも息の根を止めてしまう。
それが、本来とは逆であることを除けば、特におかしくはない光景であった。
黒い靄をまとった不定形の獣が爪をきらめかせ、腰が引けた勇者見習いを今にも切り裂かんと飛びかかる。青瓢箪から少し脱した勇者見習いはとっさに剣を目の前に構え、獣の爪を防がんとした。
「ひぃっ!」
剣は爪を押し返したが、全身の統制が取れていないその攻撃に、攻勢は瞬く間にひるがえる。ぶるぶると上腕が震え、結局は力負けして刃がはじかれた。その勢いに握力が開放され柄を持つ手が緩む。獣はその隙を逃さない。獣は追撃の一手を勇者見習いに加えようとし──横からの斬撃に体を吹き飛ばされた。
その斬撃の主、魔王である我輩は軽く勇者見習いをねめつける。
「勇者見習い殿、あまりにも腰が引けすぎている。いくら体を鍛え型をなぞっても実戦で使えねば意味がない」
「う……」
「その様子では続かんな、少し休むがよい」
もごもごと口先を動かしながら剣を持ち直し、勇者見習いは結局肩を落とすだけに留まった。
言い返しもしないその素直さは、面倒くささが無いという部分のみ評価しうる箇所でもある。ただ先程の様子を鑑みるに、単に軟弱なだけなのであろう。
その証拠に、勇者見習いは足元をふらつかせながら剣を引きずり歩き、近くの巨岩に凭れるとすぐに力尽きたように膝を折って、ずるずると滑り落ちてへたりこんだ。そのまま剣を抱えて上半身を折り重ねるように蹲り、深い息を吐く。数秒も経たないうちに意識を失ったようだった。
それにしても、と、我輩は巨岩の背後を睨みつけた。単なる風に削られた岩しかないように見えるが、しばらくにらみ続ければ巨岩の影からもぞもぞと足先が現れた。
「イレシアの勇者殿、我輩はうぬに勇者見習い殿の補助を『お願い』した筈だが」
呼びかけの応えは、ふあ、と噛み殺しただらしのない欠伸であった。
即座に岩陰からのっそりと人影が起き上がる。それは一人の男だ。
体躯はすらりと高い輪郭の割りに無駄に筋肉質である。筋肉なぞ創られてより付いても減ってもいない我が身としてはそのような身体になるまで如何程の苦労があったかは知らぬが、のっそりしながらも無駄のない体運びで立ち上がる男からは、紛れもなく練度の高さが伺えた。
男──イレシアの勇者は紛れもなく、現時点で最高峰の勇者である。
「魔王サンよう、『お願い』なら聞かなくたっていいんだろ? それに魔王サンがいるんだから俺なんて居なくてもいいじゃないか。転送陣が閉じて久しぶりの休暇だってもんで、ウキウキ寝倒す準備までしてたってのに、火急の頼みがあるって魔王サンが言うからわざわざココまで来たんだぜ?そしたらなんだ、魔王サンがいるのに新米勇者のお守りってんだから……」
イレシアの勇者は全身から不満を滲み出しながら髪を掻き上げ、くしゃくしゃと握る。岩陰を通しても分かる熟練の狩人のような隙のない気配からは、すでに眠気に当てられていないが、寝足りなさそうな雰囲気は感じ取れた。
「我輩が携えるのは勇者らの下ごしらえが終わるまでよ。それより先は我輩の関知するところではない」
「だからって何で俺なんだよ。他にも勇者はいるだろ」
「情けない話だ。転送陣がなくともここまで来れるのは、貴様しかおらぬからな」
そう言って更に目を細めれば、イレシアの勇者は悪気のなさそうに笑った。
「へえ、一応期待はされてるんだ」
勘違いであろう、期待はしているがその質の期待ではない。
「否、順当な人選である」
「そうですかとは納得できないな、それこそ俺が敷いた転送陣があるだろ? 何もわざわざ閉じなくたってこんな事出来る訳だし。ってなったら、なあ?」
「全く不甲斐ない。もう少し洞察力を磨くがよい。そうでなければ今すぐにでも我輩に奉仕を誓っても良いはずだが」
そうだ、先程イレシアの勇者が口にした通り、我輩が設置した陣を勝手に改造したのは此奴なのだ。
此奴のせいで我輩の気煩いの種が増えたと言っても過言ではない。
それは、これまでの生涯にあるかないかの休暇をもらい、それまで指折り数えておった頃合であった頃の話である。もう、23年以上前になるか。
ある日、イレシアの勇者が転送に失敗し、我が城に転移してきたのだ。
此奴は勇者にしては極めて稀に話の通じる人間で『あった』し、その実力や経験も歴代の最高峰に勝るとも劣らぬ。界王の覚えもめでたく、自ら志願してまでイレシアの勇者は常に前線におった。
そう、我が魔界に。
魔界は我輩や陣の制御にも予期できぬ魔力溜まりが発生することがある。その為前線である魔界にて武勇を奮う勇者が転移に失敗することも無い訳ではなかった。
それゆえ、はじめ転送に失敗して我が城に来ても何も言うてやらなかった。
二度目に一つを転送陣に改造した事に気付いた時も制裁を兼ねた警告にとどめた。
それに話の通じる相手だからこそ、そして極めて稀な、魔界の魔獣を討伐可能であるイレシアの勇者を、我輩は信頼したのだ。「悪しき事に使う筈がない」と。
だが此奴のせいで数多の勇者共が我輩の休暇の間、好き勝手してくれたと言うのだ。
底の浅い復讐心に駆られるなど有ってはならぬと分かっていても、言うてやりたことは山ほどある。
『我輩とてこの場に呼べるのならば後数人は呼んでやったわ。だがな、我輩と魔界頼りに界単位で魔獣討伐体制を取るからこの様な無様な事態に陥るのだ。何が「転送陣が閉じたから休暇」だ。魔獣に休暇などないぞ、嘆かわしい。今後開けるつもりなぞ無い事に考えも及ばぬか。我輩が骨休みしているこの短き間に、恐ろしく急に軟弱になったものよの。たったの20年そこらではないか。ふむ、そもそも転送陣などという悪辣な陣を『改造』したのはどこのどちらだったのか。その輩は休眠の間動けぬ我輩に付け入って散々と利用してくれたな。我が休眠の最中にも一々と顔を出しては我輩の休眠の邪魔をしてくれたり、ああ、客間が妙に改装された上にひっきりなしに人気が絶えんのは何故であろうな? 果たしてその改装や維持や接待にかかる費用がどこからでてきたのだろうな? 宰相がおかしな冗談を言い始めるようになったのは何故だ? 一つだけ改造されたはずの転送陣があちこちにあるのは、どの輩が技術提供したのやら? のう、イレシアの勇者殿?』
と、頭の中で大量の恨みつらみが爆発するも、「ダメだ、言うてはならぬ」「このような些事で言うてはここまで培った魔王としての度量の広さが疑われる」と何度も唱えて腹の奥に沈める。
今こうして怒りを爆発させたとて、この勇者だけが一瞬は反省するであろう。しかしそれではならぬのだ。この勇者だけではない、もはやこの陣を悪用する全ての不届きものに自省させねばならぬ。
怒りを爆発させ、イレシアの勇者が反省し、我輩の気分がよくなったとて、結局長い目で見れば「魔王などこの程度」と侮られるに違いないのである。元の木阿弥だ。
怒りとは、あるべき時に、あるべき手段で示すべきだ。決して一度に爆発させるべきではない。そうだ、転送陣を閉じたことはその布石にすぎぬ。
とにかくまずは此奴をこきつかってやるのだ。我が溜飲を下げるためだけに身を削るほど働かせるのである。
「ほっ、奉仕とかいやそれは言いすぎじゃないか……って魔王サン?」
「ふ……そうだな、言いすぎた。我輩の奴隷の言い間違えであった」
「更に下がってる」
「そもそも勇者を人間と思うのが間違いであったな。許せ」
「それは色々マズいって!」
困惑を顕にした表情がなんとも小気味よい。ふふん、もっと惑え。
我輩の信頼を裏切ったのだ。まずこの位はしてもらわねばな。
しかしまあ、此奴は元々話は通じた勇者であったのだ。いつもの「何を言っても脳内変換」とは違う反応に、少々嬉しく感じているのは口が裂けても言えぬし顔にも出せぬ。
「まあ、それはどうでも良い、ともあれ転送陣は開かぬ。我輩とて管轄外で触れてはならぬ箇所がある。それを果たせるはうぬのみ。順当な采配であろ」
「ぬ……、はあ、分かったよ。何だか知らないけど怒ってるんだろう?」
ぶつくさと言いながら了承を返すイレシアの勇者に、我輩は我が意を得たりと頷く。
未だ気絶している勇者見習いの介抱をするよう言いつければ、しぶしぶながらも悪くない仕事ぶりを見せた。練熟した手つきで体を起こし、勇者見習いが抱えていた剣を器用に避けて置き、軽く襟元を緩める。請われて水筒を投げてよこせば、小分けの袋が連なる腰下げ鞄から清潔な布を取り出して水を含ませ、唇を湿らせた。
勇者見習いはそれで意識を取り戻したようだ。イレシアの勇者は勇者見習いがささやかに水を嚥下出来たのを見てとって、少しずつ水を口に含ませては嚥下を確認する行為を辛抱強く繰り返す。いくらか繰り返した後、湿らせたままの布で顔を首を拭い、勇者見習いの体を横たえた。
足を持ち上げ、下に外套で巻いた鞄を差し込みながら、何を思ったかイレシアの勇者がポツリと呟く。
「……そうか、だからか」
「どうした」
イレシアの勇者は我輩を見上げた。瞳の奥に見える久方ぶりに見る知的な光に、不意を突かれる。思わず首を傾げ、
「魔王サンが怒ってる理由、俺の洞察が足らないって」
イレシアの勇者が続けた言葉に「ほう?」と声が漏れた。一体どういう事だ?何かそれで判じることでも有ったのであろうか。急に理解されては気味が悪い。
イレシアの勇者はためらいがちに一度俯き、もう一度顔を上げると、へらりと笑った。
「こいつ、まだ小さいけど女の子だもんな」
ん?
「なるほど、だから順当な。あいつらの中じゃ、俺が一番小さい女の子に甘いって分かっててそう言う事するんだもんなぁ、陣まで閉じて。ある意味卑怯だって。ったく」
何の話だ。
「いや、魔王サンの事悪く言ってるわけじゃない。そういう信頼がちょっと弱みを握られてるみたいで嫌なだけでさ。別にどうって訳じゃないけど」
勝手に言い訳をされても我輩の知ったことではない。
しかもその弱みとはなんだ。知っているなら最大限利用させて貰いたいものだ。
そう思いつつ返答はせなんだ。イレシアの勇者は眉根を寄せて瞳を揺らし、それでも笑みを浮かべようとして上手くいかぬような、そんな複雑な表情を浮かべた。
「……確かに、死んだ妹に似てるよ……」
それは。
それは弱みというよりも、心の傷ではないのか……?
そしてその心の傷を利用したと思われている我輩は、我輩は一体どれだけの残酷さで見られていると言うのだ。むしろ大方の被害者は我輩の方ではなかったのか。
「何を理解したかは知らぬが、我輩はそのような卑劣な人心掌握はしない。あるべき者があるべき事をなす様に動いているまでの事。勘違いするな。うぬの過去など、我輩が知っているのはうぬが我輩と共にある時のみよ。それだけで十分であろ。それだけで我輩はうぬに順当の采配をした。それに不満など言わせぬ」
心中の焦りを一切見せぬよう、噛み締めるよう一息で言い切る。
魔王に涙は流せぬ。だが心の中では流してもよかろう。何故我輩が悪者扱いされねばならぬのか。あろうことか此奴の勝手な勘違いで!
イレシアの勇者ははっと我が眼を見据えた。
「魔王サン……」
なんだ、その「感激しました」のような面は。
ええい照れたように笑うのではない。
数少ない我との時間を思い出しても、そのように思う場面はなかろうが?
よく思い出せ、そして恥じよ、省みよ!
そして我輩の前に這いつくばって頭を垂れ、許しを請うのだ!
ああ、もう、勇者め、やはりこいつも「何を言っても脳内変換」か。
人を超えても、我が想定まで超えることはないだろうが!
そして話が通じていた頃に戻ってくれ!