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ゆうしゃよ わがなは まおうである

 奴らの名前は勇者である。

 またの名を、話の通じぬ迷惑者とも言い、人間社会をして曰く「魔獣を蹂躙せし英雄」である。

 神託を下され魔獣を打ち倒す英雄。その蛮勇さは気高く、何にたいしても媚びへつらない、それが勇者である。

 勇者に選ばれし者は姿も美しいと聞くが、我輩にとっては風の前の塵にも等しい存在であるからに、特に感動に打ち震えたことはない。


 話は変わるが我輩の行うべき執務は大体がこの『魔界』と呼ばれる土地及び地域の管理である。何層にも積み重なる構造をしたこの箱庭の、その澱みの終着点にあったここ魔界は、遥かな昔に起こった天地戦争の後遺症を未だに引きずっている。

 暴虐の主たるあの俗悪な戦犯どもの食い散らかした残骸が澱みに汚染され、構成し直されてしまうのが理性なき魔獣、それが増えぬよう魔界の磁場と魔力溜まりを制御する事が一つ。他層界に大きな影響を及ぼすため、ある程度悪影響を与えぬ程度に次元を切り取りつかず離れずを維持する事がもう一つである。

 そして更にもう一つ、無視したくとも無視する事のできぬ重要な業務がある。


 それが、神によって信託された『勇者』共の教育・育成である。

 いわゆる、神託というものは、我輩に下されるものなのだ。




「あの……ここ、どこですか?」


 我が城の謁見の間に、おどおどとした男とも女ともつかぬ人間が途方に暮れて立ち尽くしている。つい先程下準備を終わらせた頃合を見計らってか、狙いすましたかのように神はその人間を転送してきたのだ。

 我輩には人間を観察するような趣味の持ち合わせがないが、いくつか我が琴線に引っかかった。この勇者、神の創造物の匂いはするがこの箱庭に生ける者の匂いがしない。それにこのような容貌には見覚えがある。

 やけに休暇を取らせてもらえると思ったら、神の奴め、七面倒な勇者をこちらに寄越してきたらしい。いかな我輩の創造主といえども、ここまで悪趣味なことを仕出かしてくれるとは思いもしなかった。

 まさか、『また』自らの手がける別の箱庭から勇者を連れてくるとは。


「ここは魔界ぞ」


 きょとんとした瞳を慌ただしくこちらに向け、子供のような顔をした勇者は悲壮感を綯交ぜにした驚愕の表情で口を結ぶ。普通ここに初めて来た勇者と言えば魔界と聞いてもそんな反応はしない。

 魔界は天地戦争における最大の被害者であり功労者である。その魔界に対して畏敬の念を持たないのは結局他の勇者も一貫しておるが、大体の勇者は「ここが魔界!? スゲー! 勇者しか立ち入れない伝説の場所じゃん! あ、俺勇者なんじゃん!」などと口やかましかったり、そうでなくとも多少顔が輝いたりするものだ。

 つまりはこちらの常識など一切知らぬのだ。神も知らせるつもりは無いと言ったところか、もしくは我輩の執務内容に『常識を教える』事が相当するとでも言いたいのか。


「うぬは勇者殿か」

「え?」

「神より勇者たれと告げられなかったのか」

「え、っと……神って」

「うぬをここに連れてきた力よ。何も告げられなかったのか」


 23年ぶりの執務である。いかにこの勇者が愚鈍で愚昧であろうとも、腰を据えて付き合ってやらねばならぬ。であるから、この勇者の反応が驚く程鈍いものであっても決して急かしたり頭ごなしに罵倒することはならぬ。

 我輩は完璧な表情筋の操作により、この呆れともいらつきとも分からぬ衝動を押し堪え、魔王たる表情で勇者を見下ろした。

 勇者はびくりと体を震わせ、今にも泣きそうな顔で我がまなこに視線も合わせることができず、うろうろと視線をさまよわせ、ようよう否定の言葉を呟いた。


「では、勇者殿なのだな」

「はい」


 今度ははっきりと肯定する。今度の勇者もある意味話の通じぬ人間だと思ったが、少しはそうではないようだ。


「神からは何と聞いた」

「ゆ、勇者になれと、この世界を救えと」

「……それだけか?」

「は、はい」


 勇者は首をぶんぶんと縦に振る。まこと、溜め息しか出そうにない。

 我が創造主たる神の杜撰さには、我輩を創りたもうた時から身にしみて感じるものだ。

 我輩に感情を与えたり、話の通じぬ人間を勇者にしたり、そもそもこの箱庭を不完全な状態のまま完成と言い切ったりと、いっそ悪意しか感じぬ時もある。それなのに、完成と言い切る割にはちょくちょく余計な手を入れてくれるものだから、最終的には全て中間管理を任されている我輩に返ってくるのだ。勇者に魔獣にその他もろもろ、澱みの溜まり場に引き寄せられるように集まってくる。

 いっそ我が力を圧倒した者にこの力だの仕事だのを押し付けようかと思ったのも、一度や二度ではない。

 今だってそうだ、などと思いつつ、我輩は思考を目の前の勇者に戻した。

 

「さて、うぬは勇者と何と心得る」


 勇者はぎくりと体を強ばらせる。ちらちらとこちらを見るのは、ゆえ有っての事だろう。


「そ、それは……」

「なんだ、言ってみよ」

「魔王を倒す……?」

「ほぉう」

「ヒッ、ご、ごめんなさい! 許してください! 魔界でこんなこと言ってごめんなさい! そもそも無理なこと言ってごめんなさいぃ!」


 我輩を倒すとのたまうこの勇者。なるほど、ここが魔界と言った時の驚愕はそのせいであったのだ。ここまで愚昧な勇者のせいで引きずってしまった疑問を解消できたことに、僅かに笑みが溢れる。

 それにしても、此処に宰相がおらず本当に良かったと安堵した。奴が居ればすかさず「やはり勇者は勇者なのですね」などと頭の沸いた事を言うだろう。その冗談は賞味期限切れだし、元々面白くもない。


「別段構わぬ。浅薄な勘違いを解消しただけであろ。幸い魔王を倒せばこの世界は共倒れになる。倒さなくとも良いという事だ。喜ぶがよい」

「ひぇ、え? え? ど、どういう事ですか?」

「うぬが倒すべきは魔王でなく『魔獣』よ。それも理性を食われた残骸だな。うぬら勇者はそれを殺すが使命ぞ」


 ころすんだ、と力なき声で勇者が呟く。男にも女にも判別がつかぬ年頃にしか見えぬ容貌を持つ人間を知っているが、それでも未だ子供なのだろう。魔王を倒すと言ったのも子供らしい口だけの言葉で本意だとは感じられなかった。

 神がどこの箱庭から拾ってきたかは知らないが、魔獣に相対してまともに戦えるとは思えない。

 心が脆弱すぎるにも程がある。強がりもせず情けない姿を隠そうともしない。虫も殺したことがなさそうだ。

 全くもって以前に存在した、似たような境遇の勇者とは似ても似つかない。あの勇者は特に際立って意図の通じぬ人間であったし、我輩の城に臣下を我が物顔で振り回していた。ひどく遠慮知らずで恥知らずの勇者であった。

 と言っても他の勇者の大半がそうであるので、特に印象に残っている訳ではない。ささやかに苦い記憶となっているだけだが。


「勇者殿、いくら恐ろしかろうが、逃げたかろうが神に選ばれ応えた限り使命は全うせねばならぬ。だが安心するが良い、うぬを一端の勇者に仕立て上げるが我が使命。魔獣の前でも腰抜けにならぬよう鍛えてやろう」

「え、は、はい……ありがとうございます」


 我が言葉に勇者は頭を下げる。心が追いつかないのであろう、形ばかりにも見えなくはないが、それでも魔獣を排除する事については理解したようであった。

 素直さは嫌いではない。全ての勇者がこうであれば我輩は何の苦労もないのだ。

 我輩が満足げに一つ肯けば、しばらく伏せた頭と視線をうろうろと床に這わせていた勇者はおどおどと顔を上げると、こちらを伺うように口を開いた。


「えっとすみません、あなたのお名前を聞いていませんでした。私はレイと言います」

「分からぬと申すか」

「すみません、そういう力は持ってないんです」


 勇者の名前には全く興味がないので聞くことを忘れていた。

 力がなくとも察することはできそうだが、ここが謁見の間だという事にすら気付いていないのだろう。なんとも愚鈍な勇者に、これからの育成方法に力が入るであろう事ははっきりした。

 しかし、まあ、そうだ。名乗りもせず話を始めたのは、やはり我輩の不心得でもある。ここは我輩の存在を認めさせ、侮られぬようにせねば。


「よろしい、では教えてやろう」


 我輩はしがない中間管理職でも、勇者に庭先を荒らされる者でもない。

 我が名は──。




「勇者よ、我が名は魔王である」



「へ」




 口をあんぐりと開け、声をなくした勇者の阿呆面は、なんとも傑作であった。

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