第191話 唯一神と唯一神(6)
燃え盛る闘気が、右拳を包み込む。
火球のようになった拳の一撃を、ガイエル・ケスナーはリムレオンに叩き込んでいった。
命中した、ように見える。
左半身は白色の甲冑、右半身は白き鱗をまとう魔人。そのような異形となり果てたリムレオン・エルベットの身体が、弱々しく揺らぎよろめいた。
そこヘガイエルは、続いて蹴りを喰らわせた。大地を掴み裂くかの如き爪で、斬撃を放っていた。大振りの後回し蹴り。
あっさり命中した。傍目には、そう見えるだろう。
白い悪鬼、とでも呼ぶべきものと化したリムレオンの身体が、グシャリとヘし曲がりながら錐揉み状に吹っ飛んで地面に激突する。
弱い、とガイエルは思った。違和感を覚えさせるほどの弱さである。直撃したはずの拳にも足にも、弱々しい感触しか残っていない。
直撃していない、に等しいのではないか。
「貴様……俺の攻撃を、全て逃がしているな?」
ゆらりと立ち上がったリムレオンに、ガイエルは声を投げた。
純白の鎧と鱗……白い悪鬼の体表面は、全くの無傷である。
「何だろう……僕の身体が、覚えているんだ……」
リムレオンが、白い悪鬼たる己の姿を見下ろしている。
「敵の攻撃を、いなして受け流す……衝撃を、殺傷力を、自分の体内に流れ込ませず外へ逃がす……その動きを、僕の身体は覚えている。きっと、どこかで訓練でもしたのだろう。もう少し、真面目にやっておけば良かった……」
「……くそ真面目にやってたじゃないのリム様。ブレン兵長に、殺されそうになりながら」
シェファ・ランティが言った。
セレナ・ジェンキムが、それにティアンナが、地に座り込み俯いている。
完全に心の折れた少女2人を背後に庇って佇んだまま、シェファはなおも言う。
「あたしたちの事なんて忘れていいけど、ブレン兵長の事だけは忘れちゃ駄目」
「その通り。そして、そのブレン・バイアスを殺して喰らったのがこの俺だ!」
ガイエルは吼え、そして踏み込んだ。
「さあ思い出せリムレオン・エルベット、貴様は復讐をしなければならんのだぞ!」
闘気の燃える拳を白い悪鬼に打ち込みながら、しかしガイエルは血を吐いていた。鮮血の飛沫が、空中で発火した。
リムレオンの右肘が、ガイエルの鳩尾にめり込んでいる。
「……ありがとうガイエル・ケスナー。僕に、本気で攻撃を仕掛けてくれて」
炎の飛沫を吐き散らし、よろめくガイエルに、リムレオンは続いて蹴りを見舞った。白い鎧状の左足が、赤き魔人に鉄槌の如く叩き込まれる。
「貴方の、凄まじい攻撃……その間合いも、呼吸も、直撃の頃合いも、全て……見切る事が出来た」
リムレオンの言葉を聞きながら、ガイエルは吹っ飛び、地面を削りながら倒れ込んだ。
この激烈な衝撃を、いなして受け流す技術は自分にはない。魔獣人間数体を一撃で粉砕するであろう、この殺傷力をまともに受けながら耐えるしかない。
土煙の中、よろりと立ち上がろうとするガイエルに、リムレオンが右手を向ける。
竜の鉤爪を備えた五指が、掌が、白く光り輝いた。破壊の光だ、とガイエルは思った。
その右手を、白い悪鬼が振り下ろす。
光が空中にぶちまけられ、奔流となってガイエルに押し寄せる。空間を、白く塗り潰しながらだ。
ガイエルは口を開いた。上下の牙が、顔面甲殻の破片を飛び散らせながら離れてゆく。洞窟のような口腔が露わになる。
そこへ、白い光が流れ込んで行く。吸い込まれてゆく。
恐らくは町1つを消滅させるであろう破壊の光を、ガイエルは全て吸引していた。凄まじい熱さが、食道から胃袋へと落ちて行く。
空中を塗り潰す白色が、やがて消え失せた。
頑強な腹筋を軽く叩きながら、ガイエルは笑う。
「……はらわたが灼けちぎれる美味さだ。貴様の身体は、もっと美味いのだろうなあ」
「……なるほど……飛び道具で貴方を仕留める事は出来ない、というわけか……」
リムレオンは拳を握った。その拳で、白い光が燃え上がる。
「ガイエル・ケスナー……貴方の、その最強の肉体を、白兵戦で粉砕しなければならない。実に……難儀な、話だ……」
「難儀さに耐えろ。ブレン・バイアスの仇を討つために!」
ガイエルは地を蹴った。土を粉砕し舞い上げながら、猛然と駆けた。光の拳を構える、白い悪鬼に向かってだ。
闘気まとう拳を、赤熱する刃のヒレを、ガイエルは立て続けに喰らわせていった。
攻撃を喰らったのは、しかしガイエルの方だった。顔面で、胸板で、全身各所で衝撃が弾け、甲殻の破片が飛散する。微量の血飛沫が、発火して火花と化す。
まるで自身の攻撃が、リムレオンの拳に変化しながら跳ね返って来たかのようであった。
白く輝く左右の拳を、流星雨の如くガイエルに叩き込みつつ、リムレオンは呻く。
「どうか……教えてくれないか、ガイエル・ケスナー。守る、とは……」
よろめくガイエルの身体を、光まとう蹴りでズドッ! とへし曲げながら、白い悪鬼は問いかけを口にする。
「一体、何なんだろう……守るとは、戦う事。殺し、滅ぼす事……僕は、そう信じていた」
へし曲がり、倒れかかったガイエルの身体が、とてつもない衝撃に叩き起こされ跳ね上がる。
リムレオンの左拳。鎧の五指をガッチリと握り固めての一撃が、下から上へと一閃していた。
「それは、間違っていたのだろうか? だけど、それならば……戦い、殺し、滅ぼす以外に一体……何をすれば良いのだろう……」
倒れる事も出来ぬまま揺らぎ、よろめく赤き魔人。その全身に、白い悪鬼はなおも打撃の流星雨を叩き込んで来る。甲殻の破片を、鮮血の飛沫を、火花を散らせながら、ガイエルは揺らぎ続けた。
揺らぎ、そして踏みとどまった。
「守るために、僕は一体……何をすれば……」
流星雨が止まった。白い悪鬼の身体が、硬直している。
その左胸。白い甲冑の胸板に、ガイエルの右拳がめり込んでいた。
「調子に乗って、連打を繰り出している真っ最中ならば……俺の攻撃を、いなし受け流す事など出来はせんだろう」
したたかな、直撃の感触。ようやく掴めた手応えを右手で握り締めながら、ガイエルは微笑んだ。
左の前腕で、刃のヒレが赤熱発光しつつ闘気をまとう。燃え盛る炎の刃が、そこに出現していた。
右拳を引くと同時に、ガイエルはその斬撃を繰り出していた。
否。振るおうとした左腕を止め、後方へと跳躍した。攻撃よりも、回避を優先させるべき事態が生じたのだ。
白い光が、下から上へと一閃し、ガイエルの身体を斜め一直線にかすめていた。
抜き打ちの斬撃。
リムレオンの右手に、抜き身の長剣が握られている。
「魔法の剣……」
ガイエルは呻いた。
「……俺の血を浴びて原形を失った際、それをも体内に取り込んでいたのか。貴様が今、それを身体のどこから抜き放ったのかは見えなかったが」
言いつつ、両手を斬撃の形に構える。
左右の前腕に広がる刃のヒレが、燃え盛る闘気を帯びながら赤く熱く発光する。
赤き魔人が、白い悪鬼が、同時に斬りかかった。
白刃の一閃と、赤熱する斬撃が、両者の間で激しくぶつかり合う。幾度も、幾度も。
「守る、とは何か……ふふ。俺もな、殺し滅ぼす事だと信じて疑いもしなかった」
拳と赤熱の刃を同時に振るいながら、ガイエルは言った。
「それを否定されては、もはや答えようがない。だがな」
繰り出す斬撃は、魔法の剣によってことごとく弾かれる。
防御が、即座に攻撃となった。リムレオンの斬撃あるいは刺突が、様々な方向角度からガイエルを襲う。
炎の塊のようになった両手で、ガイエルはそれらを辛うじて受け防いだ。凄まじい衝撃が、左右前腕の外骨格と内骨格を同時に揺るがす。
白い悪鬼の、異形の剣舞。速度も重量も兼ね備えた刃が、防御と攻撃をほぼ同時に繰り出してくる。
1歩、2歩と後退を強いられながら、ガイエルは言った。
「貴様にこうして叩きのめされている間、俺にも……いくらかは、わかりかけてきた」
左足を、超高速で離陸させる。右腕、左腕に続く第3の斬撃を、ガイエルは繰り出していた。
今度は、リムレオンが後方へと飛び退る。その眼前を、赤熱する爪が激しく通過する。斬撃の蹴りであった。
蹴り終えた片足を、ガイエルは油断なく着地させた。
「俺たちのような者は結局、こうして戦うしかないのだ。何故ならば」
「……力が、あるから?」
リムレオンの声が、微かに震える。
「力がある者は……戦うしかないと?」
「当然。貴様の力も俺の力も、戦い、殺し、滅ぼす以外には何の役にも立たんのだからな」
ガイエルは思う。
戦う。殺す。滅ぼす。生まれてから今までの20年間、自分はそれ以外の何かをしたのだろうか。
これから先、それ以外の何かを為し得るのだろうか。
「俺たちは、力を振るうしかないのだ。戦いたければ戦い、気に入らぬ者がいれば殺して滅ぼす。結果、誰かが運良く助かる事もある」
頽れたままのティアンナに、ガイエルは一瞬だけ視線を向けた。
「守る、とは……それだけの事でしかないのだ」
「運良く……だと……」
リムレオンが、右手で魔法の剣を構え、その刃に左手の指を触れた。
白く発光する、鎧の指先が、刀身に光を塗り広げてゆく。
「ルネリア王女は、運が悪かった……とでも、言うのか……」
光まとう魔法の剣を、リムレオンは軽やかに振りかざす。そして。
「否……そんな事はない、彼女を守る手段はあったはずだ! 僕がその手段を誤った、僕が! 僕がぁああああッ!」
光の剣が、斜めに一閃した。
襲い来る斬撃に、ガイエルは右前腕を叩き付けていった。闘気を燃やす、赤熱の刃。
白と赤、2つの斬撃が烈しくぶつかり合う。
白い悪鬼と赤き魔人、双方が弾かれて後方へと揺らいだ。
揺らぎながらガイエルは、右足を跳ね上げ振り下ろしていた。踵落としと同型の斬撃。
赤く燃え輝く爪の一閃を、リムレオンが魔法の剣で防御する。
強固な守りの上から蹴り付け斬りつけた、その感触の残る右足を着地させながら、ガイエルは翼を開いた。
燃え盛る闘気が、翼から真後ろへと噴出する。
激烈な推進力を得たガイエルの身体が、よろめくリムレオンへとぶつかって行く。激突、そして斬撃。燃え上がる刃のヒレを広げた左前腕が、赤い光を引きずりながら白い悪鬼を直撃していた。
いや。リムレオンが防御の形に構えた剣を、だ。
守りの姿勢のまま吹っ飛んだリムレオンが、地面に激突して一転し、即座に立ち上がる。そして呻く。
「……僕が……何も、しなければ良かった……のか?」
「……なあリムレオンよ。俺にも貴様にも絶対、出来ない事が少なくとも1つはあるぞ。何かわかるか」
ガイエルは問いかけ、答えを待たずに言った。
「何もしない、という事だ。貴様も俺も、目の前で何か気に入らぬ事が起これば、介入し叩き潰さずにはいられん。力があるからだ。結果として、誰かが助かる事もある」
それ以上に、大勢の人間が死ぬ。
ティアンナとしては、まあ放置しておける事ではないだろう。彼女は正しい、としか言いようがない。
「……だがリムレオンよ、この世にはいるのだ。俺と比べて力は劣る、にもかかわらず気に入らぬ事には介入そして改善を試みずにはいられぬ者たちがな。マディック・ラザンがそうだ。そこにいるシェファ・ランティとセレナ・ジェンキム、そしてティアンナがそうだ。かつての貴様も無論そうだぞ、リムレオン。そういう連中を見れば、いらぬ世話であろうが助けてやりたくもなる。守ってやりたい、とも思う。だが……」
マディック・ラザンは死んだ。モートン・カルナヴァートも死んだ。
守ってやれなかった、などと思うのは自惚れでしかないと、ガイエルも理解はしている。
「俺たちは……何かを、誰かを、守りたいなどと思ってはならないのだろうな。きっと」
「……そんな事……ありません……」
声がした。
巨大な腐肉のようなものが、大量に散らばっている。
先程、4色の鎧巨人によって叩き潰され引きちぎられた怪物の、残骸。それらが腐り干からび、さらさらと崩れ消えてゆく。
そんな光景の中央に、少女は佇んでいた。
たおやかな細腕と豊かな胸に、1人の赤ん坊を抱いたまま。
「貴方たちは……これまで大勢の人々を、守って下さいました。その行いに、間違いなど何もありません。それに女王陛下だって……間違った事など、何もなさいませんでした。誰も、間違ってなんていないんです」
赤ん坊は産衣に包まれ、すやすやと寝息を立てている。
いや、産衣ではない。それは、どうやら翼だ。
人ならざる赤児が、己の翼にくるまっているのだ。
「誰も、悪くない……なのに人が死ぬ。お母さんと赤ちゃんが、幸せになれない……」
そんな赤ん坊を抱いたまま、少女は微笑み、涙を流していた。
「……世の中が、おかしいんです。こんな世の中、滅ぼして造り直さなきゃ……いけないんです……」
とっさに、ガイエルは空を見上げた。
目に見える変化は、まだ起こっていない。
だがガイエルは確信していた。力が来る、と。
力ある何者か、ではない。強大な、力そのものだ。
己の意思を持たない、純粋なる力の塊。ある意味、巨大な白紙のような存在。
そこに今、1人の少女によって、鮮明なる意思が書き込まれたのである。
破壊の意思、であった。