第190話 唯一神と唯一神(5)
違う、とセレナ・ジェンキムは思った。
「違う……そんなの、魔法の鎧じゃないってのよ……リムレオン様……」
左半身は白色の甲冑、右半身は鱗ある魔人。
今のリムレオン・エルベットは、魔法の鎧を、着ているのではない。
魔法の鎧と、ほぼ一体化を遂げている。
身体の半分を、魔法の鎧に侵蝕されている。
生身の人間でなければならないはずの、もう半分は、ガイエル・ケスナーの亜種とも言うべき怪物と化している。
魔法の鎧の暴力性に身も心も呑み込まれ、魔獣人間よりもおぞましい人外のものと成り果てる。
それは父ゾルカ・ジェンキムが、最も警戒していた事ではないのか。
「魔法の鎧の力で、暴走する……それを、あんなに恐がってたリムレオン様が……ねえ一体、どういう様なわけ? それって」
セレナは、涙を流していた。
「親父はね、絶対そんなふうにならないって信じて、魔法の鎧をリムレオン様に託したのよ! わかってるの!? この裏切り者!」
「リムレオン……とは、僕の事か……?」
白い悪鬼と化した己の身体を、見下ろし見回しながら、リムレオンは言った。
「魔法の鎧を、僕に……そうか。僕もまた、魔法の鎧か。ならば……この世から、消えなければならない……」
左半分は白い面頬、右半分は悪鬼の頭蓋骨。
そんな顔面をリムレオンは、正面に佇む巨大な敵に向けていた。
「魔法の鎧は、災いをもたらすもの……今あなたが何をしているのか、よくはわからない。だけど……魔法の鎧の力で、災いをもたらしている最中なのはわかる。だから滅ぼす……共に、滅びよう」
『リムレオン……いえ違うわ。貴方は、単なる怪物』
魔法の鎧そのもの、とも言える4色の鎧巨人。その中から、ティアンナ・エルベットが声を発した。
『人間の守り手たるリムレオン・エルベットは死にました。貴方は……貴方こそが、世に災いをもたらす怪物』
少女の細身を内包する、金属製の巨体。その周囲に無数、光の矢が生じて浮かび、一斉に発射された。
『リムレオンの声で、喋らないで……どうか、お願い』
全て、白い悪鬼に命中した。
光の爆発の中で、リムレオンがゆらりと右手を掲げる。魔人の鋭利な五指が、掌が、淡く白く輝きを発する。
その手を、リムレオンは横薙ぎに振るった。
白い光が膨張し、空中にぶちまけられ、巨大な白色の波動となってティアンナを襲撃する。
鎧巨人の眼前で、聖なる不可視の防壁が砕け散り、光の破片となってキラキラと舞い散った。その煌めきの中で、4色の金属巨体が揺らぎよろめく。
リムレオンが、地を蹴った。砕けた土が舞い上がった。
それは、高速飛行にも等しい跳躍であった。白い悪鬼の身体が、まるで地上から射出された隕石の如く、宙を裂いて鎧巨人に突っ込んで行く。
ティアンナは、それを右拳で迎え撃った。巨大な金属の五指が、激しい電光をまといながら握り固められる。
落雷そのもののような、巨大な拳の一撃が、白い悪鬼の体当たりと激突した。
その拳が、いや鎧巨人の右前腕が、潰れて消え失せた。
パリパリと帯電する金属片を全身にまとわりつかせながら、リムレオンが着地する。
右腕を失った鎧巨人だが、こんなものはすぐに再生する。再生の間に、白い悪鬼の小さな身体を蹴り潰す事は容易い。
セレナは、そう思った。
鎧巨人の右足が、小さな敵を蹴り潰す動きを始める前に、しかしリムレオンの右足が一閃していた。
その小さな蹴りが、金属製の巨大な右足をグシャアッ! とへし曲げた。
4色の鎧巨人が転倒し、地響きを立てる。
ひしゃげた右足を、リムレオンが両腕で抱え込み、無造作に引きちぎった。
「この巨大な足で……貴女は一体、どれだけの何を踏み潰すのか……」
金属屑に変わった巨人の片足を、リムレオンは放り捨てた。
「これから貴女に踏み潰されるであろうものを、僕は守りたい……」
言葉と共に白い悪鬼が、左拳を握った。白色の手甲が、気力の光を発し燃え上がらせ、輝ける拳となる。
光の左拳が、倒れた鎧巨人の胴体……脇腹の辺りに叩き込まれていた。
巨人の、失われた右腕右脚の断面から、大量の液体金属が滴り落ち、手足の形に固まってゆく。
その再生の最中、巨人の胴体は真っ二つにちぎれ飛んでいた。
リムレオンの左拳から、光が迸っていた。白色光の奔流が、鎧巨人の脇腹から下腹部にかけてを破裂させたのだ。
巨大な上半身と下半身が、半ば金属屑に変わりながら吹っ飛んで転がる。
白い悪鬼が、上半身の方へと歩み寄った。
そして、4色の金属装甲を両手で無造作に引き裂いてゆく。
ティアンナの姿が、露わになった。
下着のような鎧をまとう細身に、外傷はないように見える。ほぼ無傷の肢体に、金属製の臓物のようなものが絡み付いて、ティアンナを鎧巨人の体内に拘束している。
その拘束を、白い悪鬼の両手が引きちぎった。
「貴女のような者たちを……僕は、大いに殺戮してきた……」
リムレオンの、魔人の右手が、ティアンナの細い首を掴む。
「魔法の鎧は、人を……おぞましい怪物に変えてしまう。貴女も……僕も、その最たるもの……なのだろうな……」
少女の細身が、鎧巨人の内部から引きずり出された。
「リムレオン……貴方は……」
頸骨もろとも声帯を圧迫されながら、ティアンナが辛うじて、声を発する。
「……殺戮を、行ってきたのね。きっと、誰かを……守るために……」
「守る、とは……殺す事、滅ぼす事……僕は、そう思っていた……」
語りつつ、リムレオンは歩いた。テイアンナを掴み捕らえ運びながら1歩、2歩と、鎧巨人の残骸から遠ざかる。
「だから僕は、大いに殺し、滅ぼした……それが、守る事に繋がると……思っていたから……」
「……守る事は、出来たのかしら?」
己の頸部を掴む魔人の手に、弱々しくしがみついて抵抗しながら、テイアンナは呻く。微かに笑った、ようでもある。
リムレオンは、笑ってなどいない。
「彼女は……」
左右分割された悪鬼の表情は、読み取れない。
だがセレナには、わかる。リムレオンは今、激怒している。
「僕に、守られる事を……拒絶した……自ら、命を絶った……」
それは、慟哭に近い激怒であった。
「わからない……守る、とは一体……何なのか……」
「……貴方には、永遠にわかりはしないわ。その方の、お気持ちも……」
テイアンナの口調が、蔑みよりも哀れみに近いものを帯びる。
「貴方は、もう……そちら側に、行ってしまったのだから……戻れはしない。戻って来る事は、私が許しません。戻って来るために、貴方が道を歩く……それだけで、大勢の人が死ぬのだから」
「……そうか、僕は……許されざる存在、なのか……」
巨人の残骸から、いくらか離れたところで、リムレオンは立ち止まった。
「存在の許されない、僕のような者を……この世から消すために、貴女は魔法の鎧を……使うのか……」
「その可能性を最初に見せてくれたのは貴方よ、リムレオン」
テイアンナは言った。
「人ならざるものたちと、戦うための力。一時的に、人ならざるものへと変わるための力。戦いのない時には脱ぎ捨てて、都合良く人間に戻る事が出来る。そんな力……」
「それの……どこが悪いって言うんですか、女王陛下……」
セレナは、泣き叫んでいた。
「それが親父の、ゾルカ・ジェンキムの理想なんですよ!? いいじゃないですか都合のいい力で! 戦わない時だけ人間でいられる、それで別にいいじゃないですかぁあああ!」
「……そこまでよ、セレナ」
シェファ・ランティが、いつの間にか傍らにいた。
「この場で、あたしたちに出来る事なんて……もう何にもないわ、逃げるわよ、さっさと」
「シェファ……ねえ、リムレオン様がいるのよ……?」
「何だかんだで結局、人の話聞かないのは昔からだけど……今のリム様は特にそう。ここで無理に説得する必要なんてないから」
「このままじゃ女王陛下が!」
ティアンナが、このまま白い悪鬼に殺される。
最強の状態にある魔法の鎧をもってしても、彼女を守る事は出来なかったという事になる。
それは、すなわち魔法の鎧の……ジェンキム家の、敗北を意味するのではないか。
「大丈夫」
シェファが言った。
「ティアンナ姫は死なない、絶対に助かるから。だってほら」
巨大なものが、よろよろと立ち上がったところである。
それは、巨人の腐乱死体にも見えた。
散乱した鎧巨人の残骸が、半ば溶解して液体金属になりかけながらドロリと這い集まり、融合し、人型を辛うじて取り戻す。
ティアンナを内包していない、巨大な魔法の鎧。
それが、溶けかかった巨体で覆い被さるかのように、白い悪鬼を襲う。
右手でティアンナを捕らえたまま、リムレオンは左拳を構えた。白い、鎧の拳。それが、襲い来る巨人に向けられたまま淡く輝く。
淡い光が、急激に強まり、放たれた。球形に固まりながらだ。
白色の光球が、リムレオンの左拳から発射されていた。2つ、3つと立て続けに。
装着者を内包していない鎧巨人は、聖なる防壁を一応は発生させているようであった。マディック・ラザンが育てた力だ。
それが、光球の直撃を受けて砕け散った。
光の破片をキラキラと蹴散らしながら、光球の雨は鎧巨人に降り注ぐ。まるで、白い流星雨であった。
液体金属が、飛び散りながら蒸発してゆく。
リムレオンは左肘を曲げた。流星雨を撃ち終えた拳が、天空を向く。
光球を全身に撃ち込まれた鎧巨人が、そのまま爆発していた。
爆炎に照らされながら、リムレオンはティアンナを解放しない。
細い首を掴み折られる寸前のまま、しかしティアンナは微笑んだ。
「リムレオンが育ててくれた、魔法の鎧を……私は受け継いで発展させた……つもりだったけれど。結局……無様な事にしか、ならなかったわね」
「それでも貴女は……魔法の鎧の可能性を、追究し続けるのか……」
「当然……貴方たちを、この世から消すために……私たち人間には、すがるものが他にはないのですから」
白い悪鬼の燃え盛る眼光を、ティアンナは正面から受け止めていた。
「だからリムレオン……貴方は私を、ここで殺しておかなければいけないのよ」
「そのようだ……が……」
リムレオンは、放り捨てるようにティアンナを解放した。
倒れ込み、喉を押さえて痛々しく咳き込みながら、ティアンナが声を震わせる。
「……何故…………」
それは、屈辱の震えだった。
「貴方までもが、私を……ッ!」
「……貴女を守る力が、どうやら働いている」
リムレオンは、もはやティアンナを一瞥もせず、ある者と対峙していた。
「それは……貴女の命を奪う前に、排除しなければならないものだ」
シェファは言った。ティアンナは必ず助かると。
それは、鎧巨人の残骸を見て言ったのではないのだ。セレナは、ようやく理解した。
「守る、とはどういう事か……」
赤き魔人ガイエル・ケスナーが、そこにいた。
マントのような翼を広げ、赤い大蛇のような尻尾を獰猛にうねらせ、甲殻をまとう剛腕で腕組みをしながら、佇んでいる。
「……奇遇だな。俺も、それがわからなくなっていたところだ」
その全身で、炎のような闘気が渦巻いている。素人であるセレナにも見て取れるほどの、闘気。
先程までの弱々しさが欠片ほどもない。
白い悪鬼リムレオン・エルベットが、この赤き魔人を蘇らせてしまったのだ、とセレナは思った。
「ここいらで1つ、初心に返る必要がありそうだな」
「まさか……そのために……」
ティアンナが、血を吐くような声を漏らす。
「私を……この期に及んで、私を守ろうと言うのですか……ガイエル・ケスナー……っ!」
「その通りだティアンナ。貴女は俺の自己満足で命拾いをする事になる。さぞかし無念であろうな」
ガイエルもまたティアンナを一瞥もせず、白い悪鬼と睨み合っている。
「……僕は、自分の名前も覚えていない」
睨み合ったまま、リムレオンが言った。
「だけど……何故だろうガイエル・ケスナー、貴方の事だけは思い出せたんだ。僕の身体に、貴方の血が流れているような気がする。貴方は……僕の、父親?」
「寝言は寝て言え。父親などであるものか。俺はな、貴様が今から全力で殺さねばならない敵なのだぞ。俺にとっての貴様もまた然りだ」
セレナは思う。この者たちは、人間ではない。
ガイエル・ケスナーは元よりそう。リムレオンも今や、魔法の鎧を脱ぎ捨てて人間に戻る事など出来ぬ身である。
「……駄目なの? 親父……」
セレナは、答えの望めない問いかけをした。
「都合良く、人間に戻れる……そんな力じゃ、この連中には勝てないの……?」
「よくぞ……」
赤き魔人の両眼から、燃え盛る眼光がそのまま流れ出したように見えた。
まるで溶岩のような、涙だった。
「よくぞ、戻って来てくれたなリムレオン・エルベット……さあ殺し合おう。守るとは何か、その答えは、もはやそこにしかない」
「ガイエル・ケスナー! 貴方は、どこまでも世迷い言を!」
ティアンナは叫ぶ。
ガイエルは、泣きながら笑う。
「黙って見ていろティアンナ。たとえ貴女でもな、俺からリムレオンを奪う事など出来はせん!」