第189話 唯一神と唯一神(4)
噴火が起こった。マディック・ラザンには、そう見えた。
ここは山ではなく原野であるから、噴火と表現するのは適切ではないかも知れない。
とにかく、地中から溶岩が噴出する様に似た光景である。
否、溶岩ではなかった。
赤く、禍々しく猛々しく燃え盛り渦を巻く、炎よりも濃密な紅蓮の闘気。
その奔流が地中から溢れ出し、4色の鎧巨人を下方から直撃したところである。
女王エル・ザナード一世……ティアンナ・エルベットを内包した、巨大なる魔法の鎧。
光の当たり方によって真紅にも黄金色にも黒色にも緑色にも見える金属製の巨体が、後方に大きくよろめき、地響きを立てて後退りしながら、辛うじて体勢を立て直す。
溶岩の如き紅蓮の闘気の発生源が、ゆらりと羽ばたいて地中より出現し、上昇し、4色の鎧巨人と対峙していた。
「……違う……やはり違うぞ、ティアンナ……」
赤き魔人。ガイエル・ケスナー。
その全身で甲殻がひび割れ剥離し、鮮血が噴出しながら発火している。いくつもの小規模な爆炎が、紅蓮の闘気と一緒くたに渦を巻き、赤き魔人の周囲で荒れ狂っている。
ガイエル・ケスナーが最後の炎を燃やしている、とマディックは思った。
「それは、魔法の鎧の正しい使い方……では、ないような気がする。俺も、上手くは言えんのだが」
ガイエルの、そんな言葉を、しかしティアンナは聞いてなどいない。
4色の鎧巨人の周囲に、いくつもの光の矢が生じて浮かび、発射された。
ガイエルは、左腕を振るった。
「もっと何か、あるはずだ。魔法の鎧の力を、もっと効果的に引き出して俺と戦う。その手段、ないはずはなかろう? 考えろティアンナ」
爆炎と闘気の渦が、光の矢の雨を薙ぎ払い、爆砕した。
爆発を、光の破片を、蹴散らすようにガイエルは羽ばたき、空中を駆けた。疾駆のような飛翔で、4色の鎧巨人にぶつかって行く。
その様を見つめながら、マディックは呟いた。
「その手段は……永遠に失われてしまったんだよ、ガイエル・ケスナー」
先程と同じだ。鎧巨人の眼前に、聖なる力の防壁が出現している。唯一神の加護の、物理的発現。
そこにガイエルは、右腕による斬撃を叩き付けていった。
赤熱・発光する、刃のヒレ。
爆炎と闘気を帯びた、横薙ぎの一閃であった。
「装着者たちが力を合わせ、心をひとつにしてデーモンロードを斃した……あれが魔法の鎧の力の、最高の状態だ」
間髪入れずにガイエルは、右足を振り下ろしていた。真上から真下への踵落とし。凶器そのものの爪が、赤く発光しつつも爆炎と闘気を宿して縦に一閃する。
横一直線の斬撃と、縦一直線の斬撃が、交差していた。
赤熱する光の十文字が、聖なる防壁に刻み込まれている。
その交差点に、ガイエルは激突した。
背中の翼から、紅蓮の闘気が真後ろへと噴出して推進力となる。
赤く燃え盛る流星のような体当たりを眺めながら、マディックはなおも呟いた。
「ティアンナ・エルベットが、たとえ全ての魔法の鎧を己1人の身に結集したところで……あれと同じ事をするのは不可能だ。貴方を討ち滅ぼす事など出来はしないよ、ガイエル・ケスナー」
聖なる防壁が砕け散り、光の破片と化してキラキラと舞い散り、消滅してゆく。
その煌めきの中で、紅蓮の流星が鎧巨人を直撃していた。
4色の金属巨体が、赤き魔人の体当たりで前屈みにへし曲がり、後方へと吹っ飛んで大地を掘削する。
大量の土が、無数の金属片と共に舞い上がった。
金属製の巨大な手足が、宙を舞っていた。
立ち込める土煙の中で、鎧巨人は半ば地に埋もれつつ、巨大な金属残骸となりかけている。
四肢はちぎれて失せ、胴体はひしゃげて凹み、胸板の辺りが破損して内部を露出させている。
ティアンナが、そこにいた。
下着のような甲冑をまとう半裸の細身に、金属製の臓物としか表現し得ぬものが絡み付いて、少女を鎧巨人の体内に拘束しているのだ。
巨人のひしゃげた腹部にガイエルは立ち、そんなティアンナの有り様を見下ろしている。
「どう……なさったのですか、ガイエル様……」
ティアンナは呻いた。
「今の貴方は、満身創痍……」
「……その通りだティアンナ。まさか貴女が、俺をここまで追い込むとは」
「ですが、この状態の私を殺すのは容易いはず。何故それをなさらないのですか」
ティアンナの言う通り、ではあった。
ガイエルのひび割れた全身から、尽きかけた蝋燭のように弱々しい闘気が立ち昇っている。今にも消えそうである。
ガイエルは、ほぼ全ての力を使い果たしたのだ。
それでも、生身の少女1人を殺害するのは容易であろう。魔人の足で、踏みつければ終わりだ。魔人の拳を、叩き込めば終わりだ。
それをせずに、ガイエルは言った。
「……ゼノス・ブレギアスの、最後の言葉だ。奴は俺に言った。ティアンナを守れ、と」
「それが……私を殺さない理由になると、お考えですか?」
「何故だ……ティアンナよ、何故このような事を始めた……」
ガイエルの声が、重く震えた。
「ゼノスの阿呆めと、くだらん事をしながら面白おかしく平和に暮らす……その未来も、あったはずだ。貴女が今している事は、それを捨ててまで押し通す価値のあるものなのか」
「ガイエル・ケスナー……貴方が、これほどの愚か者であったとは」
ティアンナは、微かに笑ったようだ。
「いえ……わかってはいましたけれど、ね」
「ティアンナ……!」
巨人の腹上から、ガイエルは弱々しく転がり落ちた。
4色の鎧巨人が、立ち上がっていた。ちぎれ飛んだ両足がドロリと再生し、大地を踏んでいる。
ひしゃげ破れていた胴体の各所が、液体金属を蠢かせながら自己修復を遂げてゆく。両腕も、生え替わっていた。
「ふふん、あたし言ったよね? 今の女王陛下は、攻撃も防御も再生回復も思いのままだって!」
セレナ・ジェンキムが、笑っている。
「人の話聞かないバケモノ野郎! まあでも、しょうがないのかもね。あんた今まで、他人の意思なんか気遣う必要もなく、自分の暴力だけで何でもかんでも押し通して生きてきたんだもんね」
『そのような生き方にも限界がある、という事ですよガイエル様』
鎧巨人の胸部でも、4色の金属装甲が再生し、ティアンナの姿を包み隠してしまう。だが、声は聞こえる。
『正々堂々、暴力のみで全てを解決する。卑怯な事はしない。人質は必ず助け、そのためならば自身の負傷も厭わない……それで、誰も彼もを守る事が出来るなどと……』
ティアンナは再び、ガイエルを踏みつけていた。
『あまつさえ、敵である私までも守ろうなどと……!』
巨大な金属軍靴が、バリバリと電光を帯びつつ赤き魔人を直撃し、地面にめり込ませる。隕石衝突と落雷が、同時にガイエルを襲ったようなものだ。
『貴方はただ格好を付けているだけ! その自己満足で、殺戮が起こる。虐殺が行われる! そう、貴方たちが道を歩いただけで人が死ぬ! そのような存在に……与力する事は許しませんよ、マディック司祭』
光の矢が何本も生じて浮かび、マディックの方を向く。
天使たちが、空中からマディックを取り囲んでいる。
『……どうか、何もなさらないで下さい』
「ガイエル・ケスナー……そうだよな。貴方に、ティアンナ・エルベットを殺せるわけがない」
唯一神という力が、おぞましく具現化を遂げたもの……天使。
その1体をマディックは見据え、念じた。
「貴方は、それでいい。他者の言葉に惑わされず、己の道を歩いて欲しいと俺は思うよ」
「ちょっと、マディックさん……!」
シェファ・ランティが、マディックを護衛する形に立った。
「何やろうってのよ……」
「俺に出来る事など、これしかない。シェファは、自分の身を守る事だけを考えてくれ。リムレオンと仲良くな」
「はあ!? 何バカ言って」
「さあ天使たちよ、唯一神の力たるお前たちが、そのような歪んだ有り様を晒していてはいけない」
マディックは、両腕を広げた。
「神の力として、ふさわしいものに戻るがいい……そう、癒しの力に」
『お見事……』
ティアンナの言葉に合わせ、光の矢が一斉に放たれた。
群れを成す天使たちの何体かが、消滅した。
唯一神という、純然たる力の一部に戻ったのだ。
そして癒やしの力に変換され、ガイエルへと向かう。
他の天使たちがマディックを襲い、シェファに迎撃される。青い魔法の鎧の全身から、吼竜の杖の先端から、無数の火球が放たれて天使たちを爆砕する。
それら爆発を切り裂くように、光の矢の雨が降り注ぎ、シェファを直撃する。
全てが、ほぼ同時に起こっていた。
青い魔法の鎧が、砕け散って光に戻る。その輝きをキラキラと引きずりながらシェファは吹っ飛び、地面にぶつかる。辛うじて受け身を取ったのを、マディックは見て確認した。
そして。光の矢が、マディックの身体を粉砕していた。
その寸前。ガイエルへと流し込んだ癒しの力に、マディックは己の気力と生命力の全てを上乗せした。
そのつもりだったが、上手くいったのかどうかは、わからなかった。
地面の硬さが、生身に戻った少女を容赦なく襲う。
その痛みを呆然と感じながら、シェファは呟いた。
「死んだ……マディックさんが、死んじゃったわよ……ねえちょっとティアンナ姫……」
マディック・ラザンは死なずに済んだ。シェファは、そう思う。
赤き魔人など放っておいて、大人しくしていれば良かったのだ。
ティアンナに殺されたのではない。マディックは、自殺したようなものだ。
その自殺によって、赤き魔人は息を吹き返していた。雷まとう巨人の足を転がってかわし、立ち上がりながら羽ばたいて跳びすさり、間合いを開いて鎧巨人と対峙する。
その俊敏・剽悍な動きからは、充分な回復が感じられた。マディックがもたらした最後の、癒しの力。赤き魔人の身体からは、甲殻の亀裂も、そこからの流血も、拭い去ったかの如く消え失せている。
ガイエルの、少なくとも肉体は完全なる治療回復を得た。
一方マディックの肉体は、跡形すら残っていない。探せば、肉片の1つ2つは見つかるかも知れない。
「殺したのか……」
ガイエルは呻いた。
「マディック・ラザンを……殺したのか、ティアンナ……」
『貴方が道を歩いた結果です』
「俺が……」
ガイエルが、両膝をついた。
「俺が、ティアンナを……殺さなかったから、マディックが死んだ……そういう事なのか……」
赤き魔人の、肉体は確かに回復した。
だが心は死んだに等しいのではないか、とシェファは思った。
「……守る、とは何だ……誰かを守ろうとすれば、誰かが死ぬ……そういう事、でしかないのか……」
『ガイエル様……貴方の心が折れる様を、ようやく見る事が出来ましたね』
4色の鎧巨人が、片手を掲げる。巨大な金属の五指にバチッ! と電光が絡み付く。
『マディック司祭も、貴方と関わる事さえなければ』
「ティアンナ……俺は……」
気が滅入っている時のリムレオン・エルベット、よりも弱々しい声を、ガイエルは発した。
「ゼノス、それにモートン王子に続いて……マディックまでも、俺は……貴女に、奪われてしまったのか……」
『ゼノス王子はともかく。前王陛下もマディック司祭も、元より貴方のものではありませんよ。お2人とも人間です。こちら側の存在です』
ティアンナは言った。
『そちら側のガイエル様に、お2人を友と認識する資格など無いのですよ。死を悼む事すら、おこがましいというもの』
今のガイエルでは、今のティアンナには勝てない。シェファは、そう思った。
4色の鎧巨人が、帯電する五指を握り込む。電光の塊のような拳が、そこに生じた。
『……お別れですね、ガイエル様……』
ティアンナの口調が、金属の巨体が、そこで硬直した。
シェファでも感じられる、禍々しさの塊のような気配が、熱風の如く押し寄せて鎧巨人を圧している。
それは、静かに足音を響かせ、歩み寄って来ていた。
「守る……とは、何だ……何なのだろうか……」
言葉を発する口は、鋭利な牙の列であった。
凶猛な、魔人の顔面。その左半分だけが、白い面頬で防護されている。
「僕は、何を守ればいい……守るとは、何だ……わからない、僕には何も」
ガイエルと比べて若干、細めであろうか。無駄なく引き締まった体格は、17歳になってから慌てて鍛え始めた結果である。
その身体の、右半分は鱗ある魔人。左半分は、純白の甲冑。
赤き魔人ガイエル・ケスナーに対し、白い悪鬼とも言うべき姿の怪物が、今や魔法の鎧そのものとも言えるティアンナに眼光を向ける。
「1つ、わかる事がある……魔法の鎧は、滅ぼさなければならない」
禍々しく燃え猛る心が、そのまま露わになったかのような眼光。そして声。
「魔法の鎧が、この世にあっては……何も、守れない」