第188話 唯一神と唯一神(3)
ティアンナの細身を包む魔法の鎧が、融解して液体金属と化し、波打ち、うねり渦巻きながら膨張してゆく。
それは、何か禍々しいものが少女の身体を喰らい、呑み込み、栄養分として、さらに禍々しきものへと生長してゆくかのようであった。
「ティアンナ……姫……」
シェファが呆然と呟いている、その間にも、荒れ狂い波打つ液体金属が、ティアンナを呑み込んだまま急速に固体化してゆく。溶岩が冷え固まって巨岩と化す様にも似ていた。
やがて、巨大な鎧が、そこに出現した。
魔法の鎧の量産品が変異した、あの金属の巨人とは違う。あれよりも一回りは大型で、しかも醜悪である。甲冑ではなく、狂気や悪夢を題材とした、巨大な金属芸術品のようでもある。
狂気、悪夢……と言うより、憎悪か。だとしたら、何者に対する憎しみか。
ともかく。醜悪に歪んだ巨大な全身甲冑が、ねじ曲がった金属製の剛腕を振り立てて叫ぶ。
叫び声など聞こえない。だがそれは、無音の咆哮であった。
内包されているティアンナの肉体が今、どのような状態であるのかはわからない。そんな巨体を、シェファは面頬越しにじっと観察した。
鮮血あるいは猛火のように、赤い。いや、夜闇の如く黒い。
限りなく黄金に近い黄銅色、にも見える。
自然の草葉と比べて、いくらか毒々しい緑色をしている、ようにも感じられる。
光の当たり具合によって様々な色彩を見せる、それは異形の巨大甲冑であった。
その周囲を、天使たちが取り巻いている。滞空あるいは旋回しながら。
異形のものと化したティアンナを、包囲攻撃しようとしている……わけでは、ないようだった。
ティアンナを、護衛している。
唯一神という絶大な力の一部である天使たちが今、ティアンナに従属しているのだ。
「さすが……さすがね、マディックさん……」
セレナ・ジェンキムが、震えながら笑っている。
こんな笑い方をする少女ではなかった、とシェファは思った。
「貴方が育てた、魔法の鎧……そのおかげでね、女王陛下は今! 唯一神という最強の力と接触し、それを操る事が出来るようになられたのよ。もう恐いものなんてないわ!」
「セレナ・ジェンキム……君は……」
震えながら、マディック・ラザンは激怒している。
「自分たちの女王を、こんな……おぞましいものに変えるのが、目的だったのか……! それでいいのか君は!」
「おぞましいとは言ってくれるわね、でも見てくれはどうだっていいの。要は力よ! これがね、親父とあたしが追求し続けた最強の力!」
セレナの叫びに応じるかの如く。4色の鎧巨人が、天空に向かって片手を掲げた。
巨大な金属の五指が、雷鳴を発し、光を放つ。
電光。それはまるで、地上から天空への落雷であった。
白銀の竜が、その電光に打たれた。
6枚の翼で、その巨体を宙にとどめていたエミリィ・レア。怪物の頭部の代わりに美少女の上半身を生やした、異形の竜。
その白銀の巨体が、電光に灼かれて墜落し、大地に激突して地響きを発した。
同じような地響きを轟かせて、ティアンナがそちらに踏み込んで行く。
白銀の竜が、即座に身を起こし、それを迎え撃った。何本もの甲殻の触手が、超高速で伸びながら群れを成し、ティアンナを襲う。
凶暴な百足の群れ、を思わせる襲撃を、4色の鎧巨人は無造作に掴み止めた。帯電する金属の五指が、甲殻触手の群れを引きちぎってゆく。
その五指が、握り固められて拳を成した。
王都の城壁を粉砕するであろう巨大な拳が、白銀の竜の顔面に叩き込まれる。
エミリィの巨大化した美貌が半分、潰れた。左の眼球が破裂し、大量の涙と一緒に飛び散った。
悲鳴を上げ身をよじる白銀の竜を、金属製の剛腕が容赦なく捕える。
6枚の翼の何枚かが、引きちぎられていた。
「ちょっと……!」
理由はわからない、だが止めなければならない。
そう思い、そう動こうとしたシェファに、天使たちが襲いかかった。爪牙か武器か判然としない凶器を振りかざし、あるいは歌いながらだ。
聞き取れぬ歌声が、光に変わり、降り注いで来る。
吼竜の杖を掲げながら、シェファは念じた。
全身を包む、青い魔法の鎧。その各所で、魔石が赤く燃え上がる。
シェファの全身から、いくつもの火球が放たれていた。
天使たちの吐き出す光が、それら火球と激突し、片っ端から爆発に変わる。
爆炎を蹴散らすように、天使たちが斬りかかって来る。爪のような牙のような得物のような、刃でだ。
それら斬撃をシェファに届かせる、寸前で天使たちは砕け散った。2体、3体と立て続けに。
獰猛な太股の、躍動する様が見えた。力強い胸の膨らみが、横殴りに揺れる様が見えた。むっちりと深い、胸の谷間が見えた。凹凸のくっきりとした身体の曲線が、竜巻の如く捻転する様が見えた。
子供を産む事によって、このメイフェム・グリムという女は、凶悪なほどの色香をむしろ増したようである。
彼女の蹴りが、拳が、手刀や貫手、肘打ちが、天使たちをことごとく粉砕する。
キラキラと消滅してゆく破片を蹴散らして、メイフェムは跳躍し、猛禽の如く襲いかかった。
白銀の竜を叩き潰し引きちぎっている、4色の鎧巨人にだ。
ティアンナが、片手を動かした。飛び回る羽虫か何かを、叩き落とす動きだ。
金属製の巨大な手が、メイフェムを直撃した。
血飛沫をぶちまけ、吹っ飛んで行くメイフェムを、もはや一瞥もせずにティアンナは片足を上げる。
弱々しく横たわり蠢く白銀の竜を、踏み潰しにかかっている。
一瞬、赤い光が見えた。
続いて、地響きが起こった。
4色の鎧巨人が、倒れていた。白銀の竜を踏みつけようとしていた巨大な右脚が、膝関節の辺りで切断されていた。断面がドロリと赤熱し、液体金属が鮮血の如く滴り落ちる。
そんなティアンナの姿を、赤き魔人が空中から見下ろしている。
「……いいだろう。思うさま、やってみるのだなティアンナよ」
赤い皮膜の翼を、ゆったりと羽ばたかせながら、ガイエル・ケスナーは空中に佇んでいた。
その左足では、凶器そのものの爪が、赤く禍々しく発光している。赤熱する斬撃の蹴りが、鎧巨人の右脚を叩き斬ったのだ。
「それで俺を殺せると思うのであれば、やるがいい。心ゆくまで相手をしよう」
「……調子に乗ってんじゃあないわよ、化け物野郎」
セレナが言った。
「あんたがね、そうやって格好つけてられるのは強いから。個人の強さだけが、あんたの拠り所……それが崩れた時、自分より強い奴が現れた時、一体どんだけの無様を晒すのか!」
叫んでいるのはセレナで、ティアンナは一言も発しない。4色の鎧巨人の内部で、苦痛の呻きを漏らしているのかも知れないが。
その巨人が、立ち上がった。
右脚の断面から大量に流れ落ちる液体金属が、急速に固まり、足の形に固体化し、新たなる右足となっていた。
「マディックさんのおかげ……今の女王陛下はね、唯一神という力を常に引き出しておられる。癒しの力が常時、発動してるというわけよ!」
セレナは狂喜している。
ティアンナは感情を露わにする事なく、猛然と地響きを立てる。巨体に似合わぬ高速の踏み込みに合わせ、攻城兵器そのものの拳が赤き魔人を襲う。
悠然と羽ばたき、空中に佇んだまま、ガイエルはそれを受けた。刃のヒレを生やした左右の豪腕を、がっちりと交差させる。
そこへ、金属製の巨大な拳が激突する。
防御の姿勢のまま、ガイエルは後方へと吹っ飛んだ。
赤いマントのような皮膜の翼が、バサッ! と大気を殴打する。
1度の羽ばたきで、ガイエルは体勢を立て直し、空中で踏みとどまった。
そちらへ向かって、ティアンナが巨大な左手をかざす。
鎧巨人の周囲に、幾つもの白い光が生じて浮かんだ。
ラウデン・ゼビルの、光の矢。それらが一斉に射出され、全てガイエルを直撃する。
光の爆発の中で、赤き魔人はよろめいた。鮮血が飛散し、空中で発火した。
小規模な爆炎を咲かせながら、ガイエルは墜落してゆく。
4色の鎧巨人が、拳を握った。
雷鳴が轟いた。巨大な拳が、電光を帯びる。
その拳を、ティアンナは地面に叩き込んでいた。
大地を粉砕し、大量の土を舞い上げ蹴散らしながら、電光が走る。
そして、ガイエルを直撃した。
電光の嵐が地中から噴出し、その中で赤き魔人の全身がひび割れている。甲殻の細かな破片が剥離し、剥き出しとなった筋肉が電熱で容赦なく灼かれてゆく。
「見てよシェファ……これが、これがね、女王陛下の御力。そして、あたしたちジェンキム家の力なわけよ!」
セレナが、喜び叫んでいる。
シェファは、何も言えなかった。
今のティアンナが、セレナに操られている、ようにすら見えてしまう。
あるいは、魔法の鎧に操られている。
「最初の頃、リム様が言ってたのが……この状態、なんじゃないの……」
シェファは呟いていた。
「魔法の鎧に、呑み込まれて……力に溺れて、おかしくなる……リム様はね、鬱陶しいくらい、それを警戒してた」
襲いかかって来た天使が2体、3体、光に変わって消滅した。
傍で、マディックが念じている。唯一神という力の大元へと、天使たち送還しているのだ。
彼には、身を守る術がない。天使たちの攻撃から彼を防護するのもシェファの役割であるが、今はそれを忘れかけている。
「ティアンナ姫、今の貴女は……そう、なっちゃってるのよ! わかってんの!? それじゃ駄目なんだってば!」
「……そう言ってやるな、シェファ・ランティ」
電光に灼かれながら、ガイエルは言った。
「ティアンナは、本当に強くなった……どのような性質のものであれ、力は力だ。ティアンナは俺を殺すために力を欲し、それを手に入れた。祝福すべき事だとは思わんか」
世迷い言と共に、赤き魔人のひび割れた全身が燃え上がる。
炎のような闘気が噴出し、荒れ狂い、電光を消し飛ばした。
「ふ……わかるぞ、ティアンナ。初めて出会った頃から貴女は心の何処かで、俺に対する殺意を育て続けていたな。この王国を、あるいは人間という種族そのものを守るために、ガイエル・ケスナーをいつかはこの世から消し去らねばならない、と。その信念を押し通して、貴女はここまで来た。そして、そのような姿を晒している。醜いとは思わん、それは俺を殺すための力なのだからな」
「ちょっと黙ってなさいよ化け物野郎!」
シェファは、暴言を投げつけていた。
「あたしはね、ティアンナ姫に話してるの! 人間と会話出来ない奴が口挟んでんじゃないわよ!」
「それはすまん、だが1つだけ助言をさせてくれ」
燃え盛る闘気を全身にまとったまま、ガイエルは流星となった。
羽ばたきと共に、闘気の一部が後方へと噴射されて推進力となり、赤き魔人を前方へと吹っ飛ばしていた。
「今のティアンナに、言葉は通用しない……!」
燃え盛る赤い流星と化したガイエルが、4色の鎧巨人に激突する。
……否。巨人のいくらか前方でガイエルは、目に見えぬものに衝突していた。衝突の瞬間、一瞬だけ、それは見えた。
白い、光の防壁。鎧巨人の全身を、死角なく覆っている。
「そんなものまで……!」
マディックが呻く。
セレナが笑う。
「言ったでしょ? いやまあ何度だって言うけれど! 今の女王陛下はね、唯一神の力を無限に引きずり出せるのよ! 攻撃も、防御も、回復も、思いのまま! これがジェンキム家の力、親父の力、あたしの力! あの無能姉貴は除外ね!」
防壁に激突し、跳ね返って宙を舞うガイエルを、鎧巨人の拳が襲った。電光をまとう巨大な拳。
まさに落雷そのもののような、その一撃が、赤き魔人を直撃し、地面に叩き落とした。
間髪入れず、容赦なく、ティアンナは踏み込んで行く。その巨大な足にもバチッ! と電光が生じた。
激しい電撃光を帯びた、巨大な金属軍靴が、ガイエルを踏み付け踏みにじっていた。まるで虫を踏み潰すように。
電光が散り、大量の土が舞い上がる。見えはしないが、赤き魔人の身体は地中にめり込んだのだろう。あっさり踏み潰されるとは思えない。
だから3度、4度と、鎧巨人はガイエルを踏み付けた。
地響きが連続する。舞い上がる土煙の中、電光の嵐が吹き荒れる。
落雷と天体衝突が、何度も何度もガイエルを直撃しているようなものだ、とシェファは思った。
天使たちの動きが、いつの間にか止まっていた。
赤き魔人を踏み潰そうとする鎧巨人。その周囲を、まだ一向に減ったように見えない天使たちが取り巻いて浮遊している。鎧巨人を、ティアンナを、護衛している。
「わかったでしょ? これがね、女王陛下の御心よ」
セレナが言った。
「ガイエル・ケスナーを滅殺する。その邪魔さえしなければ……シェファやマディックさんを攻撃する理由なんか、ないのよ。唯一神という力は今、完全に、女王陛下の支配下にある。この天使たちが、無差別に破壊や殺傷を行う事はもうない。言ってる意味、わかるよねえ?」
「……逃げろ、とでも言うのか。俺たちに」
マディックが呻く。
「邪魔しなければ、逆らいさえしなければ、俺にもシェファにも誰にも危害は加えない……どころか、守ってやると。まさしく神にでもなったつもりと言うわけかティアンナ・エルベット。それは貴女たちが散々に罵倒し責め立てた、ガイエル・ケスナーの強者としての傲慢さと! 一体どこが違うと言うんだ!」
「……そうね、どこも違いはしない」
シェファは、呆然と呟いた。
「ガイエル・ケスナー、あんたの言う通り……ティアンナ姫も結局、そっちへ行っちゃったのよね。リム様みたいに……あたしたちの言葉なんて、もう通じない所へ……ブレン兵長だって、最後はそっちへ行きかけたわけで。結局どいつもこいつも皆、そっちへ行きたがる……やっぱり、あんたがいるから? なの? 赤き魔人ガイエル・ケスナー……」