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第187話 唯一神と唯一神(2)

 いつ見ても、何度見ても、どれほど見つめても、よくわからぬ姿形をしている。

 だが『天使』以外には名付けようがない、とシェファ・ランティは思う。

 空を飛び、天空から破壊をもたらす存在であるからだ。

 無数の天使たちが、カラスの群れの如く飛翔・旋回しながら叫んでいる。いや、歌っている。

 その歌声が光に変わり、一斉に降り注いだ。

 シェファの周囲あちこちで地面が砕け散った。噴出する土と一緒くたになって、黄銅色の金属片が飛散し、キラキラと消滅してゆく。

 ブレンの分身とも言える鎧歩兵たちが、ことごとく粉砕されていた。

 このままでは自分も、彼らと同じ運命を辿る。

 ゾルカ・ジェンキムの形見である『吼竜の杖』を掲げながら、シェファは防御を念じた。

 杖の先端で、竜が吼えた。そして炎を吐いた。

 その炎が、青く武装した少女の全身を取り巻いて渦を巻く。

 炎の渦が、シェファを防護しながら荒れ狂い燃え盛り、天使の光を全て灼き砕いた。光の破片が、炎に煽られながら舞い散り、消滅する。

「あたし、じゃなくて……この杖が凄い、のよね。やっぱり」

 言っても仕方のない事を、シェファは呟いた。

 ある物は全て利用する。それが戦いなのだというメイフェム・グリムの言葉は、まあ正しいと思うしかない。

 だが1人、いる。

 シェファよりも何年かは長く生きているくせに、何かを利用する、という事を学習する機会に全く恵まれなかったのであろう男が。

 赤いマントのような皮膜の翼が羽ばたき、赤い大蛇のような尻尾が獰猛にうねる。

 降り注ぐ天使の光が、翼に払われ、尻尾に打たれ、ことごとく砕け散った。

 光の破片が、赤き魔人の周囲で粉雪の如く舞い消える。

 翼、尻尾に続いて手足が動いた。頑強な筋肉の上から鱗と甲殻をまとう四肢が、凶猛に躍動する。

 天使たちが、急降下襲撃を仕掛けてきたところである。

 鉤爪か、牙か、手持ちの剣あるいは槍なのか、判然としない凶器を、天使たちがギラリと閃かせる。赤き魔人に向かって、一斉に。

 その襲撃が、全て粉砕されていた。

 赤き魔人ガイエル・ケスナーの、隕石にも似た拳。前腕から生え広がった刃のヒレ。凶器そのものの爪を備えた、斬撃の蹴り。

 全ての動きが、天使たちを殴り潰し、斬り砕き、飛び散らせる。飛び散ったものたちが、キラキラと消滅してゆく。

 シェファは改めて思う。このガイエル・ケスナーという男は、何も利用せず、己の暴力のみで身の回りの物事を片付けながら生きてきたのだと。

 片付けられるものの中には当然、人命も大いに含まれる。

 そのような怪物を生かしておけないという女王エル・ザナード1世の主張は、そう理不尽なものではないともシェファは思う。

 女王はしかし今のところ、その主張を押し通す事も出来ず倒れている。肘をつき、上体を僅かに起こしているようでもある。

 赤を基調としながら黄金色に縁取られ、黒色の紋様を描き込まれた魔法の鎧。そんな豪壮な装いをして素顔を見せず、だが身も心も打ちひしがれた様子を隠せてはいない少女が、赤き魔人によって守られている。

 誰がどう見ても、そんな有り様でしかない。ガイエルが、ティアンナを守っているのだ。

(……悔しい、でしょうね。女王陛下)

 心の中で、シェファは語りかけた。

(だけど……本当、今更だけど……守ってもらう事を、もっと受け入れてれば……今頃もうちょっと違う道を、歩いていたかもね)

「エミリィ……エミリィ・レア、なのか……」

 呻きながらマディック・ラザンが、呆然と空を見上げている。

 ガイエルによって幾らか虐殺された、程度では減ったように見えない天使の大群に護衛され、悠然と羽ばたきながら滞空している巨大なもの。

 それは、白銀色の竜であった。

 鉤爪のある四肢、優雅にうねる長大な尻尾、6枚の翼。

 そんな胴体から、竜の頸部ではなく、少女の裸身が生えていた。

 両腕のない、まるで美術品のような、裸の乙女の上半身。たおやかな胴をうねらせ、豊かな乳房を揺らしながら、潤んだ瞳で地上を見つめている。

「唯一神に……唯一神という力に、接触してしまったんだな。エミリィ……」

 マディックが、涙を流している。

「だが何故……一体何が、君をそこまで」

 エミリィを人ならざるものへと変えた、直接の原因と言えなくもない存在が今、白銀の竜の巨体に内包されているのだ。

 上半身のみ原形をとどめた少女の、下腹部。竜の左右前肢の間。

 その部分から、百足のようなものが何本も生え、荒々しく蠢き暴れている。鋭利な、甲殻質の触手の群れ。

 竜の体内にあるものを、防護しているのだ。

「……何かを守っているのだな、エミリィ・レア」

 天使の1体を引きちぎりながら、ガイエルが言った。

「1つ、俺は学んだ。お前たち人間は、何かを守るための力を常に渇望している生き物だ……良かろう、守るがいいエミリィ・レア。俺も力を貸す、だから大人しくしていろ。お前が何を抱えているのかは知らんが、そうして荒れ狂い、破壊と殺戮を行わなければ守れないもの、でもなかろう」

「……それが、そうでもないのよね」

 シェファは言った。

「エミリィさんが守ろうとしてるのはね、誰もが幸せに……特に赤ちゃんとお母さんが幸せになれる世界。それは今あるこの世界を全部ぶっ壊して造り直さないと実現しないもの……エミリィさん本人は、そう思い込んじゃってるから」

「……全てを破壊して、か」

「ガイエルさんと同じ。貴方だって、アレでしょ? 例えば1人の女の子が襲われていたら、助けるために百人くらい殺しまくってるわけだし。それが悪いって言ってるわけじゃないけどね」

「俺と同じ……か」

 ガイエルが拳を握る。その拳が、また1体の天使を粉砕する。

「今、生き残っているのは……そのような連中ばかり、か?」

 その言葉に応えて、というわけでもなかろうがエミリィが吼えた。腕のない裸身を柔らかく仰け反らせ、豊麗な胸の膨らみを悩ましげに揺らし、可憐な唇から咆哮を、絶叫を、迸らせる。

 祈りの叫び。シェファは、そう感じた。

 天が、その祈りを聞き入れた。そんな光景であった。

 空中に、無数の天使たちが出現したのだ。ガイエルがいくらかは数を減らした、その分は一瞬にして補充され、なおも増えてゆく。

 まさしく、地上の人間を皆殺しにせんという勢いであった。ガイエルが守ろうとしている、この地の民も当然、このままでは襲われ殺し尽くされる。

「いかん……!」

 ガイエルは、天空に向かって大口を開いた。顔面甲殻が砕け散り、牙が剥き出しとなる。

 上下の牙を押しのけるようにして、爆炎が噴出した。

 まるで噴火であった。爆発そのものが、赤き魔人の口から空中へとぶちまけられたのだ。

 地上への攻撃態勢に入っていた天使たちが、消え失せた。爆炎に灼き砕かれ、灰すら遺さずに消滅していた。

 綺麗に掃除された、ように見えた空に次の瞬間、新たな天使たちが満ちていた。

 これら天使は、生き物ではない。

 ここではないどこかで不気味に脈打っている『力』そのものを、エミリィが際限なく呼び寄せているのだ。

 再度、爆炎を吐こうとして、ガイエルは失敗した。口から、それに穿たれた胸板から、鮮血が飛び散って発火爆発し、火の粉に変わる。

 吼竜の杖を上空に向けながら、シェファは声をかけた。

「無理しちゃ駄目よガイエルさん。心臓近くに穴、空いてるんだから」

 杖の先端で、竜が炎を吐いた。球体状の火炎。

 小さな恒星のような火の玉が、空中に向かって立て続けに射出される。2発、3発。

 直撃を喰らった天使たちが、ことごとく爆散して燃え盛る破片に代わり、消滅する。

 他、圧倒的多数の天使たちが、一斉に歌った。

 歌声が光に変わり、破壊の雨となって降り注ぐ。

 シェファの全身が、赤く発光した。

 青い魔法の鎧の各部分に埋め込まれた魔石が、炎を発している。

 無数の火球が、シェファの全身から発射され、光の雨とぶつかり合う。

 相殺が、爆発が、空中の至る所で起こった。

 その光を赤い全身に浴びながら、ガイエルが叫ぶ。

「エミリィ・レア……わかった。俺は、お前が守ろうとしているものを最も脅かしている。俺だけがだ。他の者たちは関係ない、だから俺だけを狙え!」

「……そういうところが良くないんだけどなあ、本当に」

 シェファは言った。

 言わず、実行した者がいる。

 マディックだった。何も言わず、ガイエルの顔面に拳を叩き込んでいる。

 頑強な牙を剥き出しにした、魔人の口元にだ。

 痛々しい音が鳴った。

 マディックの右拳から、鮮血が散った。皮膚が裂けた、だけでなく骨まで痛めたかも知れない。

「……今は、やめておけ」

 ガイエルが、微笑んだようだ。

「後程……人間の姿に戻ったら、いくらでも殴られてやる」

「……怒る資格など俺にないのは、わかっている」

 言いつつマディックが、血まみれの右手をかざす。ガイエルの左胸に向かってだ。

 白く淡い光が生じた。

 ガイエルの、心臓近くの傷が、内部から癒えて塞がってゆく。

 赤き魔人の胸板と、マディックの右手。両方の負傷箇所に、治療が施されていた。

「いつもの事ながら貴方に頼るしかない。エミリィを救うために……シェファも、力を貸してくれるか」

「それはいいけど、マディックさんは」

 逃げた方が良いのではないか、とシェファは言いかけた。

「逃げはしない……少しは、役に立てると思う」

「癒しの力は確かに助かる、だが……」

 言いかけて、ガイエルが黙った。

 シェファも黙り込み、青い面頬の中で目を見張った。

 気のせい、ではなかった。

 破壊の雨を降らせる天使たちが、1体また1体と消えてゆく。

「この天使たちは……唯一神という力が、少量ずつ出現して物質化したものだ……」

 マディックの口調は、いささか苦しげである。

「俺たち聖職者は日頃、唯一神との接触を行っている。それが仕事であり使命だからな……俺程度の者でも……少量の力を1つずつ、追い返す……くらいの事は、出来る……唯一神という、力の源へと……」

 空を見据え、歯を食いしばりながら、マディックは言った。

「天使の群れは、俺とシェファで何とかする……その間にガイエル・ケスナー、貴方は……エミリィを……」

 止めて欲しい、助けて欲しい。マディックは、そう言おうとしたようである。

 だが、どうすればそれが可能なのか。

 あの白銀の竜に対し、何をすれば、エミリィを助け出す事が出来るのか。

「……とにかく、まずは地上へと引きずり下ろす」

 羽ばたき跳躍しようとしたガイエルの顔面に、今度は蹴りを喰らわせた者がいる。

「それは私の役目よ。彼女に用があるのは、誰よりも私だからっ」

 メイフェム・グリムだった。

 マディックの拳とは比較にならない衝撃に、ガイエルがよろめいている間。メイフェムの身体は、聖竜の衣をはためかせながら高々と空中に舞い上がっていた。赤き魔人は、踏み台にされていた。

 跳躍の頂点で、メイフェムが天使たちの襲撃を受けている。牙か爪か、手持ちの武器か判然としない刃が、多方向から彼女を襲う。

 その天使たちが、ことごとく潰れ砕けた。

 むっちりと強靱・獰猛な太股が、聖竜の衣の短い裾をはねのけて躍動する様が、地上からも見える。

 様々な形の蹴りが、天使たちを粉砕していた。

 それは蹴りであり、跳躍でもあった。踏み台となった天使たちの破片をキラキラと蹴散らしながら、メイフェムはさらなる高度に達していた。

 そこは、白銀の竜の眼前である。

「ねえエミリィさん。私が真っ二つにされて死にかけてる間、それを守っていてくれて……本当に、ありがとうね。だけど、もういいわ」

 空中でメイフェムが、そんな語りかけをしている間。

 まだ大量に飛翔している天使たちが、破壊の光の雨を降らせてくる。

 シェファの火球が、ガイエルの翼と尻尾が、それらを片っ端から粉砕する。

 守られる格好で佇むマディックが、空を睨み歯を食いしばって念じ、天使を1体ずつ消滅させてゆく。

 援護するようにシェファは、空に向けた吼竜の杖に、己の魔力を注入し続けた。狙撃。射出された火の玉が、天使たちを灼き砕く。

 対空攻撃を避けるようにして、何体かの天使が急降下を敢行した。爪牙か得物かよくわからぬ凶器を振り立て、斬り掛かって来る。

 白兵戦は、しかしガイエルが全て受け持ってくれた。赤き魔人の手足あるいは尻尾が、何やら凶暴な動きを見せただけで、天使たちは粉々に消滅していた。

 蹴り終えた足を着地させながら、ガイエルが空を睨み、爆炎を吐く。空中にぶちまけられた爆発が、天使の群れを一掃してゆく。

 エミリィとメイフェムを避けて、である。

「それ、返してもらうわよ……」

 メイフェムが言った、その時。

 地上から空中に向けて、光が走った。

 光の矢。それが、メイフェムを直撃していた。

「ティアンナ・エルベット……! 貴女は、まだそんな事を!」

 マディックが怒り叫ぶ。

 両端から刃の生えた魔法の長弓が、ティアンナの手元でキラキラと再生を遂げていた。

 聖竜の衣がなかったら即死どころか原形すら残らなかったであろうメイフェムが、墜落して地面に激突し、よろりと立ち上がってティアンナを睨み据える。

 そちらを一瞥もせず、ティアンナは言った。

「マディック司祭……感謝いたします」

 光の窓枠が複数、彼女の周囲に浮かんでいる。

「貴方の、聖職者としての力。使わせていただきますよ」

「何を……」

 マディックが息を呑む。

 セレナ・ジェンキムが、いつの間にか近くにいた。光の窓枠を展開し、そこに繊手を走らせている。

「ごめんマディックさん。貴方の鎧、初期化しちゃうね」

 一瞬だけ砂時計が出現し、消えた。

「急ごしらえ、だけどね……今のあたしなら、このくらいは出来る。姉貴とは違うんだから!」

「やめろ……」

 マディックの声が、震えている。

「俺の魔法の鎧は、確かに俺が育て上げてきた。唯一神という力に接触し、それを利用して攻撃防御治療を行う戦い……全て、情報として蓄積されている。だが、それを貴女が利用したところで!」

「唯一神という、無限の力……その全てを、私が……」

 幾つもの光の窓枠が、ティアンナに輝きを集中させる。

「ガイエル・ケスナー……貴方を、斃すために……!」

「やめろと言っている!」

 マディックの悲鳴が、空しく響き渡った。

「聖職者としての修行を積んでいない、ただ力を渇望しているだけの貴女が! 唯一神と接触する! それが何をもたらすか想像もつかないのか! 今のエミリィどころではない、恐ろしい何かに成り果ててまで! 貴女は一体何を守ろうと言うんだあああああッ!」

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