第186話 唯一神と唯一神(1)
「……ガイエル・ケスナー……何を、している……!」
意識を取り戻すなり、マディック・ラザンは叫んだ。
「貴方が守らなければならないのは、俺の命などではないだろう! この地の民を、ほったらかしにするつもりか! 貴方がいなければ、この女王によって皆殺しにされてしまうであろう民を!」
首筋に魔法の戦斧を突き付けられながら、マディックは叫んでいる。
首を切り落とされるまで、この男は叫び続けるだろう、とガイエルは思った。
マディックを捕らえ、取り囲んでいた、黄銅色の鎧歩兵たち。
その1体が、いつの間にか彼の傍らを離れ、セレナ・ジェンキムに何かを手渡している。
竜の指輪、であった。マディックから奪い取ったものであろう。
それが、セレナ・ジェンキムの手に渡った。これは一体、何を意味しているのか。
ともかく、マディックは叫び続ける。
「俺に構うな! 戦え、ガイエル・ケスナー!」
「と、マディック司祭はおっしゃいました。どうなさいますか? ガイエル様」
言いつつ、ティアンナが長弓を引く。
白い、光の矢が生じた。
それが、つがえられた形のまま、燃え上がるように膨張してゆく。
膨れ上がり燃え盛る白色光が、ティアンナの武装した全身を照らす。
真紅の全身甲冑。その所々が、金に近い黄銅色で縁取られつつ、黒い紋様で彩られている。
「初めてお会いした時から……ガイエル様、貴方は自己満足のためにしか戦いをなさらない方でしたね」
荘厳な兜と面頬の中で、ティアンナの声が震えている。
「私を助けて下さったのも、ダルーハ卿と戦って下さったのも、全て自己満足……別に人を助けるつもりもなく、ただ結果として大勢の人々が助かってしまう。貴方が、その残虐な心のおもむくままに行動なさった結果として……私たちは、助かってしまう……守られてしまう……」
怒りの、震え。
それに合わせて、光の矢がなおも激しく、輝きと大きさを増してゆく。
「そのような時の、私の気持ち……おわかりですか? 無論、貴方には感謝をするべきなのに、そんな単純な事すら出来なくなってしまう私の精神状態が」
「ティアンナ……俺に、感謝など……する必要はないんだ……」
よろよろと立ち上がりながら、ガイエルは言葉と共に血を吐いた。血飛沫が発火し、火の粉に変わって飛散する。
胸に突き刺さった光の矢が、消えてゆく。だが心臓をかすめて穿たれた傷までが、消えるわけではない。
「貴女の言う通り、俺はただ……残虐性に身を任せ、振る舞っているだけだ……感謝など……」
「そこが……っ! 貴方の、そのようなところが! 私は一番、許せない!」
ティアンナの怒声に合わせ、光の矢がヴンッ! と爆発的に巨大化する。
「貴方は、戦っているわけではない。自己満足で格好を付けているだけ! 私たちは戦っている。道を歩くだけで人が死ぬ、そんな怪物をこの世から消し去るために全身全霊で! たった1人の人質で動けなくなってしまう貴方が、そんな私に勝てるとでも!?」
ぐうの音も出ない、とはこの事だとガイエルは思った。
ティアンナは、全てを捨てて、自分との戦いに臨んでいる。
ゼノス・ブレギアスが生きていたなら捨てずにいられたであろう、全てをだ。
「ガイエル様……貴方が、人間でさえあれば……ッ!」
ティアンナが、長弓の弦を手放した。
巨大な光の矢が、ガイエルに向かって放たれた。流星のように飛んだ。
そして、爆発した。
3色の魔法の鎧で身を固めた少女と、負傷した赤き魔人。その両者の間で、白色の爆発光が激しく咲いた。
「何……一体、何が……」
白く照らされながら、ティアンナが息を呑んでいる。
ガイエルは、辛うじて見て取った。凄まじい力が、横合いから光の矢にぶつかって行く様をだ。
「何か……自分の力じゃ、ないみたい」
言いながら、1人の少女がそこに佇んでいる。
凹凸のくっきりとした瑞々しい体型が、青い全身甲冑の上からでも見て取れる。首から上は面頬と兜で、素顔は見えない。
「まあね、そんな事言ったら魔法の鎧が、そもそもそんな感じなんだけど」
その右手に握られた杖の先端では、1匹の竜が翼を広げ、大口を開いている。
炎を吐こうとする竜の姿が、彫り込まれた杖。
いや。その竜が今、本当に炎を吐いたのだ、とガイエルは思った。ティアンナの光の矢を、炎で灼き砕いてくれたのだ。
「自信喪失する事はないわよ、シェファ・ランティ」
声と共に、人影が躍動した。マディックの近くでだ。
「何倍、何十倍にも強化されている、とは言え大元になっているのは貴女の力」
マディックを捕らえている、黄銅色の鎧歩兵。
それらが、ことごとく砕け潰れて金属屑に変わり、キラキラと消滅してゆく。
「ある物は、何でも利用する。それが戦いというもの……」
マディックの首を斬り落とさんとしていた鎧歩兵が、グシャリと両断された。脳天から股間までを一直線に潰し斬られ、左右に倒れながら砕け消えていった。
斬撃にも等しい、踵落としである。
すらりと格好良く鍛え込まれた片足を優雅に着地させながら、彼女はガイエルの方を見た。
「何も利用せず、己の力だけで戦おうとする。それはね、とても愚かで無様な事にしかならないのよ……その男のように、ね」
シェファよりも、いくつか年上と思われる若い娘。外見は、だ。
美しく力強い肉体に、布面積がいくらか不足した衣服を巻き付けている。深く柔らかな胸の谷間も、獰猛な肉感漲る太股も、丸見えである。
髪は、光の当たり方次第では白髪にも見えてしまう銀色。顔立ちは美しいが、凶暴性を全く隠しきれていない。
名を口にしたのは、ティアンナだ。
「メイフェム・グリム……私の目の前でシェファを拉致しておいて、殺さずにいてくれた事は感謝します」
「殺してやろうか、とも思ったけど」
解放され、ぐったりと座り込んだマディックを、メイフェム・グリムは背後に庇った。ティアンナと対峙しながらだ。
「……今はね、貴女の方を殺したい気分よ女王陛下」
「気分、だけではないのでしょう?」
「もちろん、叩き殺す……と言いたいところだけど。私は私で、やる事があるのよね。貴女がいると邪魔だから、この鎧どもを引き連れて、とっとと王都へ帰ってくれないかしら? 追わないから、見逃してあげるから」
「……御子息を、捜しておられるのですね、エミリィ・レアが、こちら方面で消息を絶ったのでしょう?」
ガイエルは耳を疑った。
何故ここで、エミリィ・レアの名前が、ティアンナの口から出て来るのか。
そんな事を、しかし問い質している場合ではなかった。
「そう何度も言わないわよ、エル・ザナード1世……立ち去りなさい。貴女を、その忌々しい鎧ごと叩き潰してしまいたい気持ちを、私が抑えておけるうちに。ああ本当に忌々しいわ、魔法の鎧」
「魔法の鎧との付き合い、長いもんね。あんた」
シェファが言った。
「それはそれとしてガイエルさん……何か、あたしが思った通りの状況になっちゃってるわね。あの女王陛下が、正々堂々の勝負なんてするわけないじゃないの」
「……彼女の恐ろしさは充分、知っていたつもりなのだがな」
苦笑するしかないガイエルに、メイフェムが声を投げてくる。
「ガイエル・ケスナー、貴方の馬鹿さ加減は父親譲りかと思っていたけど……はっきり言ってダルーハ以上ね。あれも頭の悪い男だったけど、赤き竜と1対1で戦おうとはしなかった。貴方は何でも自分1人の力で片付けようとしている。でも、これでわかったでしょう? 人質を取られただけで動けなくなる。貴方の力なんて、その程度のものでしかないという事よ」
その人質を、メイフェムが助けてくれた、という事になるのであろうか。
「……無能弟子のマディック・ラザン、早く逃げなさい。無様にも人質に取られてガイエル・ケスナーの足枷になった、それはまあ気にしなくていいわ」
「先生、貴女が何故……いえ、それよりも今、エミリィ・レアの名前を聞いたような気がします。彼女の事を、何かご存じ」
「いいから逃げなさい。こちらの女王陛下が、どうやら立ち去って下さらない……貴方を気にかけてあげる余裕は、もうないから」
言いつつメイフェムは、高速の手刀を繰り出した。飛来した何かを、粉砕していた。白い、光の破片が飛散する。
ティアンナの放った、光の矢であった。
刃の付いた長弓から2本、3本と射出されるそれらを、美しく鋭利な素手で払い砕きながら、メイフェムが踏み込んで行く。
「ねえ女王陛下。私、警告したわよ? ……逃げなさい、ってね」
光が、飛び散った。
メイフェムの、恐らくは蹴りであろう。ガイエルの動体視力をもってしても把握しきれぬ一撃が、ティアンナの長弓を粉砕していた。
光の粒子と化した長弓が、ティアンナの手元でキラキラと、別の武器として再構成されてゆく。
長柄の、戦斧であった。
それがバチッ! と電光を帯びながら猛回転をする。真紅の手甲をまとう少女の繊手が、巨大な長柄を軽々と操り回す。
激しく帯電する斧頭が、メイフェムを猛襲する。
落雷そのものの一撃を、しかしメイフェムは手刀で受け流した。
「ああ、思い出すわ。あのリムレオン・エルベットをね、こんなふうに」
手刀とほぼ同時に、獰猛な太股が跳ね上がる。
ティアンナの身体が、魔法の鎧もろともグシャリとへし曲がった。いかなる形の蹴りであったのか、やはり見えない。
「叩きのめしてあげたものよ……ふん。彼が、シェファとまた別行動なんか取ってる理由、貴女も関わっているんじゃないの? ねえ女王陛下」
へし曲がり、倒れそうになったティアンナの兜を、メイフェムの優美な五指が容赦なく掴み捕らえる。
「女王陛下は無関係……って言うかね、あたしだって四六時中リム様と一緒になんて居られるわけないでしょう!? あんな疲れる奴とっ」
言葉を返しつつシェファが、竜の杖を右手で休ませ、左手の人差し指と中指を眼前で立てる。
攻撃を、念じたようである。
少女の身体を包む、青い魔法の鎧。その全身各所に埋め込まれた魔石が、燃え上がるように赤く発光する。
その赤い光が、炎となった。
いくつもの火球が、一斉に発射されていた。
黄銅色の鎧歩兵たちが、あらゆる方向からシェファに斬り掛かったところである。魔法の戦斧が無数、電光をまといながら彼女を襲う。
それら斬撃が、しかしシェファに届く事はなかった。
全方向に流星の如く飛んだ火球たちが、黄銅色の軍勢をことごとく爆砕している。
焼け焦げた金属片が、爆風に舞いながら消滅してゆく様を見渡し、シェファが呟く。
「まったく……こんなもの百や二百、大量生産したってねえ。ブレン兵長の、片手の力にだってなりゃしないわよ」
「ねえ女王陛下? 今この世にいる誰よりも長く、魔法の鎧と戦い続けてきた私がね、断言してあげる」
メイフェムの綺麗な平手が、ティアンナの顔面を殴打した。
荘厳な兜と面頬の中で、少女の美貌が衝撃と苦痛に歪む様を、ガイエルは見たような気がした。
「……貴女のやり方じゃ全然駄目。貴女は、魔法の鎧という戦力を全く使いこなせていない。それでガイエル・ケスナーに勝てるつもり? 赤き竜に生まされダルーハに育てられた怪物に」
平手打ちが、ティアンナの顔面を激しく往復する。無傷の面頬から、鮮血の飛沫が散った。
「それ以前に……私に、勝てるつもり? ねえ」
メイフェムは、ティアンナを物のように蹴り飛ばしていた。
「今、私が着ている『聖竜の衣』はね、赤き竜と戦った時の最終装備……性能は、その魔法の鎧と大して違わないのよ? もうちょっと頑張ってみなさいよ、ほらあッ」
倒れたティアンナの頭を、メイフェムは掴んで持ち上げ、地面に叩き付けた。
叩き付けた部分から、地面に亀裂が広がってゆく。
彼女らのいる高台が、崩れ落ちていた。
大量の土が舞い上がり立ち込める、地滑りの光景。
その中から、ティアンナの身体が飛び出して来る。無論、自力で跳躍したのではない。メイフェムに蹴り飛ばされた結果である。
そのメイフェムが、土煙の中からユラリと歩み出る。
「赤き竜に比べたらねえ女王陛下、あんたなんて雑魚もいいところ……調子に乗ってんじゃあないわよクソ小娘がぁああっ!」
倒れ、立ち上がる事も出来ずにいるティアンナに、メイフェムが蹴りを入れる。いや、踏み付けたのか。
とにかく、赤く武装した少女の細身が、痛々しく曲がりながら転がり、ひしゃげた人形のような様を晒した。
「ヴァスケリア王家は、どいつもこいつもゴミクズばかり! 民衆もゴミなら王族もゴミ! 大っきなゴミ捨て場でしかないのよねえ、このヴァスケリアって国は昔からッ! ちょっとねえ、私たちはこんな国を守るために死ぬ思いで戦ったの? ゴミ捨て場を守るためにケリスは死んだって言うの!? 答えなさいよゴミ捨て場の女王様、ねえちょっとほらああああ!」
「……そこまでに、しておけ」
ガイエルは、歩み寄っていた。
「助けてくれた事は感謝する。だが、それ以上やるならば……俺はあんたと戦わなければならなくなるぞ、メイフェム・グリム」
「ふん。頼もしい殿方が助けに来て下さいましたよ? 良かったですねぇーお姫様」
嘲りながらメイフェムが、壊れた人形のようになった少女を軽く蹴り転がす。
蹴り転がされたティアンナが、ガイエルの足元に滑り込み、起き上がって来ない。
豪壮な魔法の鎧は、無傷である。
内包された少女の肉体は、無傷ではなかろうが生きてはいる。だが心はどうか。
ガイエルは思う。今、自分によって助け起こされるのは、ティアンナにとっては屈辱でしかないだろう。
だから、というわけではないがガイエルは、ティアンナを見下ろさずに空を見上げた。
何かが、天下って来たからだ。
「来たわね……」
同じく見上げながら、メイフェムが呟く。
よくわからない姿をしたものが無数、猛禽のように飛び回っていた。
それらに護衛されるかの如く、巨大なものが天空に鎮座している。
何枚もの翼は、その巨体を空中にとどめておくには、いささか小さすぎるようではある。
だが。墜落しそうな危うさも感じさせず軽やかに、優雅に、力強く、禍々しく、エミリィ・レアは空を飛んでいた。