第185話 女王の怒り
何人ものブレン・バイアスが、魔法の戦斧を振りかざし、襲いかかって来る。
マディック・ラザンに勝ち目はない。
これらが本物のブレンであるならば、だ。
「自分が一体、何をしているのか……わかっているのか、エル・ザナード1世……」
緑色の面頬の中で、マディックは涙を流していた。
自分など、こうして魔法の鎧に身を包んだところで、生身のブレンにすら勝てはしない。
思いつつマディックは踏み込み、魔法の槍を叩き付けていった。包囲を狭めて来る、黄銅色の軍勢にだ。
ブレンの着用していた魔法の鎧と外見的には全く同じ、黄銅色の全身甲冑。
それが1体、マディックの振るう穂先に叩き斬られ、がらんどうの断面を晒しながら倒れてゆく。
あっさりと両断されてしまう、紛い物のブレン・バイアス。
そんなものの大群が、あらゆる方向から魔法の戦斧を打ち込んで来る。
マディックは思う。ブレン兵長であれば、こんな雑な襲撃はしない。
「デーモンロードと戦った同志に対して……あれほどの戦士に対して! 貴女と守ってガイエル・ケスナーと戦い、散っていった男に対しての、これが女王としての仕打ちなのかぁあっ!」
怒りにまかせてマディックは、魔法の槍を猛回転させた。長柄が、襲い来る戦斧をことごとく弾き返す。
穂先が、ブレンの偽物を1体、2体と叩き斬ってゆく。黄銅色の金属屑が、倒れ伏し、あるいは吹っ飛んで樹木に激突しながら、光の粒子に変わってキラキラと消滅する。
この空っぽの鎧たちには、ブレン兵長の戦闘経験情報が入力されてはいるのだろう。恐らくはセレナ・ジェンキムによって。
その結果しかし、本物のブレン・バイアスとは似ても似つかぬ、粗悪な大量生産物が生まれてしまった。
このものたちは、無力な民の住む町や村を襲うなどという、ブレンがするはずのない蛮行をあちこちで繰り広げている。
人間だけではない、ゴブリンやオークその他様々な種族から成る難民が発生し、逃げ惑っているところだ。
そんな難民の一団が、この森で黄銅色の軍勢に追いつかれた。
虐殺が始まろうかというところへ、マディックが飛び込んだ。
「人間と、そうではない者たちが、仲良く平和に暮らすのが! そんなに許せないのかティアンナ・エルベット!」
この場にいない女王に対する怒りを燃やしながら、マディックは槍を突き込んだ。
穂先が、白い光を宿す。唯一神の、加護の発現。
白色に輝く槍先が、ブレンの偽物を刺し貫く。
聖なる白色光が、黄銅色の金属屑を蹴散らしながら迸る。
白い光が、魔法の槍から溢れ出して膨張し、ブレンの偽物をさらに5、6体……いや10体以上を粉砕していた。
黄銅色の金属片が大量に飛散・消滅してゆく様を見つめながら、マディックは半ば呆然とした。
自分の力は、これほどに強大であったのか。
否、強大なのは自分ではなく唯一神だ。唯一神の加護が、より強力に発現している。
自分の怒りに、呼応してか。
それも違う、とマディックは思う。怒り狂えば力をくれる。唯一神とは、そこまで都合の良い存在ではない。
考えられる事は、ただ1つ。
「唯一神が……近付いて来ている、のか? この世界に……」
意思などない、単なる力の塊であるはずの唯一神が、己の意思も持って近付きつつあるのか。あるいは、何者かの意思に引き寄せられて……
悲鳴が聞こえたので、マディックは思索を中断した。
若い女の、と言うより少女の悲鳴だった。
マディックの視界の隅で、その少女は大木の根に足を取られ、転倒していた。
逃げて行く難民の集団から、はぐれたのであろう。身なりの質素な、変哲のない村娘である。
小柄な細身は健康的に引き締まって、顔立ちもまあ美しい。長い金髪を後ろで束ねているが、その髪型は何となく似合わないとマディックは感じた。
そんな少女に、性犯罪者の如く迫る者たちがいる。黄銅色の、動く全身甲冑が3体。
1体が、少女に向かって戦斧を振りかざす。
「……ブレン・バイアスが、そんな事をするものかっ!」
マディックは踏み込み、槍を振るった。
穂先が、長柄が、ブレンの偽物を3体ことごとく打ち砕いた。黄銅色の金属片が、キラキラと舞い散って消滅する。
マディックは見回した。
黄銅色の軍勢は、とりあえず視界の中からは消え失せた。
難民たちも逃げ去った。この少女には、今から追いついてもらう事になる。
「一緒に行こう。さあ、怪我はないかな」
「……ありがとう、ございます……大司教様……」
少女が、声を震わせる。
「一体、何故このような事が……唯一神は、私たちを見捨て賜うたのですか?」
「……唯一神の御心を、推し量る事は出来ないよ」
「兄が、殺されました……あの、黄銅色の鎧たちに……」
少女が、じっとマディックを見つめる。涙に沈んだ瞳でだ。
「女王陛下が……私の兄を、お殺しになった……そういう事になってしまうのですか? 私は、女王陛下を……お恨みするしかない、と……」
「……女王陛下は、万民の憎しみを全て受け止めながら道を進む御方だ」
マディックは言った。
「誰も憎んではならない。それが唯一神教の教義であり、大聖人ローエン・フェルナスが、そう言った事になっているけど……憎んでもいい、と俺は思う。世の中の全てを許し、愛し、聖者のような気分で死んでしまうよりも、誰かを恨みながら生き抜く方がずっといい。さあ行こう、皆に追い付かなければ」
「……さすがですね、マディック司祭。いえ、やはり貴方こそが大司教の器。とても素晴らしい御言葉でした」
少女の口調が、変わった。
「レイニー大司教には本当に、かわいそうな事をしました」
「貴女は……!」
マディックは、ようやく理解した。長い金髪を後ろで束ねた少女の髪型に、どうにも違和感を覚えてしまう理由が。
この少女は普段、髪を束ねてなどいない。少なくともマディックが、彼女と袂を分かつまでは、そうだった。
「おっしゃる通りです。王は、民に憎まれなければなりません。ダルーハ卿のように」
言いつつ少女は、ゆらりと右手を掲げた。
竜の指輪が、赤く、燃え上がるように輝いている。
「ちなみに私の兄を殺したのは、紛れもなく……この国の女王です」
真紅の全身甲冑に細身を包んだ少女が、ゆっくりと歩み寄って来る。無言でだ。
もはや話す事などないのだろう、とガイエル・ケスナーは思った。だから、こちらから一方的に話しかける事にした。
「ティアンナ、俺は……貴女ほど残虐な者を、見た事がない」
鋭利な牙の列を剥き出しにした、悪鬼の頭蓋骨そのものの顔面で、にやりと微笑みかけてみる。
「人間ではないものを、全て排除しよう……などとはな、あのダルーハでさえ考えもしなかった事だ。もっとも、そうだな。奴と戦っていた頃から貴女は、人間ではないものどもが大きな顔をする現状を苦々しく思っていたのだろう?」
ダルーハ・ケスナー、及びその配下の魔獣人間。
人ならざる者たちは常に、このティアンナ・エルベットという少女を脅かしてきた。
人間と、そうではない生き物たちとの共存など、だから彼女にとっては悪い冗談でしかない。
人間ではないものが、人間たちによって唯一神と崇められ、大きな顔をしている。
ティアンナにとっては、もはや悪い冗談ですらない、おぞましい事態であろう。
だから、その現状を滅ぼしに来た。こうして彼女自らだ。
「貴女が、どこへ上り詰めようとしているのか……おぼろげながら俺にも見えてきた、ような気はする。まあ、やれるものならば、やってみるがいい」
ガイエルの方からも、ティアンナに歩み寄った。凶器そのものの爪を生やした足で、ずしりと大地を掴みながら。
「それよりも、だ……貴女には1つ、問いただしておかねばならぬ事がある。なあティアンナよ」
赤き魔人。赤き魔法の鎧をまとう、少女剣士。両者の間の距離が、失われてゆく。
「何故、モートン王子を殺した……? あの御仁が生きていたところで、貴女にとって大した障害でもなかろうが」
ティアンナならば、1度の踏み込みと抜き打ちで、相手の首筋に刃を叩き込める。その間合いになった。
「また1人、男を踏み台にした……そうして進む道であるにしても、惨すぎはしないか。あんな、この世で最も無害な男を」
言いつつガイエルは、何かがおかしい、と思った。
踏み込んだ。
根拠のない、おかしな感覚が、ガイエルの身体を勝手に動かしていた。
「貴様は……!」
違和感に突き動かされ、左手を振るう。
それだけで、ティアンナは砕け散った。赤色の金属片が、キラキラと消滅してゆく。
ティアンナ・エルベットである、とガイエルがつい今まで思い込んでいたものが、消えて失せた。
中身のない、真紅の全身甲冑が。
「……あんたくらいバカ強いと、さ」
金属の巨人の肩に腰掛けたまま、セレナ・ジェンキムが言った。ガイエルを嘲る、と言うより哀れむような口調である。
「頭、使わなくても物事が思い通りに進んじゃうから……まあ、考え無しになっちゃうのよね。どうやっても」
「これは……」
「あたしが間に合わせで作った、女王陛下の紛い物よ。本物は……ほら、あそこ」
いくらか離れた場所で、戦場の一部が隆起している。高台である。
その上に、複数の人影が現れていた。
黄銅色の鎧歩兵……中身のないブレンの分身たちが、数体がかりで1人の男を取り押さえている。
襤褸をまとっている、ように見える。
それは聖職者の正装だった。ぼろぼろで、血に染まっている。
血まみれの、唯一神教司祭であった。
生きてはいる、ようである。
ぐったりと死にかけたまま、黄銅色の鎧たちに捕らわれている若い司祭。
その首筋に、ブレンの分身の1体が、魔法の戦斧を当てている。刃が少し動いただけで、男の首は転げ落ちるだろう。
「マディック・ラザン……!」
ガイエルは息を呑んだ。
「何だ、これは……一体どういうつもりなのだ、ティアンナ……!」
「それは、こちらの台詞ですよ。ガイエル様」
動けぬマディックの傍らに佇みながら、その少女は言った。
「貴方は一体どういうつもりで、この戦いに臨んでいるのですか?」
しなやかな細身を包む、真紅の全身甲冑。
その兜を、ティアンナは脱いだ。艶やかな金髪が、さらりと溢れ出した。
「戦い……ではないのかも知れませんね。貴方にとっては私たちなど、戦う相手ではなく殺戮の対象」
母レフィーネに似た美貌が、穏やかに微笑む。
穏やかな、冷たい笑み。
「私たちにとって貴方は、何としてもこの世から消し去らなければならない対象です。手段を、選びはしませんよ……武装転身」
言葉と共に、ティアンナは光に包まれた。
赤い魔法の鎧が1度、光の粒子に戻ってキラキラと渦を巻き、ティアンナの細い全身を包みながら、新たなる魔法の鎧として実体化を遂げてゆく。
少女のしなやかな身体の曲線を損なわぬまま、一回り近く豪壮さを増した、真紅の全身甲冑。
その所々で、限りなく黄金に近い黄銅色の装飾が煌めいている一方、黒色の筋が様々な紋様を描いてもいる。
三色の、魔法の鎧であった。ティアンナが元々まとっていた赤色、ブレンの黄銅色、そして黒色。
「ラウデン・ゼビル……か」
「魔法の鎧に、このような改良を施して下さるセレナさんを……殺しもせずに放置しておく。私たちを甘く見ている、という事です」
ティアンナは、黒い長弓を引いた。ラウデンの得物とほぼ同型、両端に刃を備えた弓。
弦をつまむティアンナの右手から、光が伸びた。
魔力か、気力か。とにかく純粋な破壊力の塊が細長く出現し、光の矢となって長弓につがえられる。
「申し上げるまでもない事、でしょうけど念のため……ガイエル様、どうか動かれませんように」
言いながらティアンナは、弦を手放した。引き伸ばされていた魔法の長弓が、激しい音を立てて元に戻った。
ガイエルは吹っ飛んだ。
強固な筋肉と甲殻で分厚く膨らんだ胸板に、光の矢が深々と突き刺さっている。
破壊力の塊が、心臓をかすめている。それをガイエルは体内に感じた。
「惜しいな……」
言葉が、吐血に変わった。
ガイエルは血を吐いていた。鮮血が、発火しながら地面にぶちまけられる。
炎の中で、よろよろと立ち上がろうとするガイエルに、ティアンナが高台の上から言葉を投げる。
「レボルト・ハイマン将軍が生前おっしゃっていました。赤き魔人ガイエル・ケスナーには、人質という手段が効いてしまうと」
端整な面頬が、ちらりとマディックに向けられる。
「マディック司祭、でなくとも……私が、例えば難民の子供を捕らえて刃を突き付けたとしても、貴方は動きを止めてしまうのでしょうね」
ティアンナが再び、長弓を引いた。
光の矢が、ガイエルに向かって、つがえられた。
「……それで、私に勝てるとでも?」
兜と面頬の中で、ティアンナは激怒している。
「重ねて問います。貴方は一体いかなるつもりで、この戦いに臨んでいるのですか……! ガイエル・ケスナー!」