第184話 平和を砕く紅蓮の竜王
ブレン・バイアスが大勢いる。そのように見えない事もない。
黄銅色の軍勢であった。
かつてブレン兵長が装着していた、魔法の鎧。
それが数百、いや数千体、軍を成し隊列を組み、金属軍靴の足音を禍々しく響かせて原野を進む。
生身の兵士が着用している、わけではない。
中身のない、魔法の鎧の量産品である。その全てに、ブレンの遺した戦闘経験情報が入力されているのだ。
パリパリと帯電する魔法の戦斧を携え、整然と行軍を続ける黄銅色の軍勢。
そのあちこちに、巨人がいた。同じく黄銅色の、金属の巨人。
これらもまた、かつて聖女アマリア・カストゥールが使っていたものたちとは違う。生きた人間に魔法の鎧の成分を注入して作り上げた巨人、ではない。
ブレンの戦闘経験情報を持つ量産品に、そのまま巨大化処理を施したものだ。
「あたし……姉貴と同じ事、出来るようになったよ」
数十体もの金属巨人。その1体の肩に腰掛けたまま、セレナ・ジェンキムは呟いた。
「……ううん、姉貴よりも上。ほら」
原野を埋め尽くしていた鈍色が、黄銅色に塗り替えられつつあった。
同じく人体という中身を持たずに動く、鈍色の魔法の鎧。
その大軍勢が、電光まとう魔法の戦斧によって、片っ端から叩き斬られ粉砕されてゆく。
「同じ量産品でもね、姉貴がろくに改良もしていない初期型と、あたしがブレン兵長の経験値を入力した新型。勝負になるわけ、ないじゃない?」
ろくに改良もしていない、は言い過ぎかも知れなかった。
いくらかは手が加えられている、にしても、しかしブレンの分身たちにとっては同じ事である。
魔法の戦斧による無造作な一撃が、戦場あちこちで作業的に繰り出される。
その度に、鈍色の鎧歩兵が両断され、斬り砕かれ、金属屑に変わっていった。
人か死んでいる、わけではない。
生き物ですらない兵隊同士が、壊し合っているだけだ。
人の命が失われない、理想的な戦争。
女王エル・ザナ一ド1世としては、そのようなつもりで、中身のない魔法の鎧の戦力化を進めているのだろう。
確かに、生きた兵士と兵士による殺し合いは起こらない。
だが人の命は、これから失われるのだ。
鈍色の金属屑を踏み潰しながら、歩調強く進軍を続ける黄銅色の大兵団。
その進行方向で、のたのたと逃げ惑っている人々を、セレナは巨人の肩の上から見据えた。
襤褸をまとった、老若男女の人間たち……だけではない。
オークがいる、ゴブリンもいる。トロルやミノタウルスが、老人や傷病者を背負っている。
難民である。
彼ら彼女らが平和に暮らしていた村々を踏み潰しながら、ブレン兵長の分身たちはここまで進軍して来た。
人間と、そうではない者たちが平和的に共存する環境など、この世にあってはならないのだ。
「親父が言ってた。レフィーネ王女様と結婚した赤き竜は、人間を家畜みたいに大事にして、可愛がって管理しようとしてたってね」
セレナは呟いた。
「もしかしたら、それはそれで平和になってたかも知れない。だけど、赤き竜がちょっとでも機嫌悪くしたら一瞬で無くなっちゃう平和……それじゃあね、駄目なわけよ」
難民たちの最後尾で、赤ん坊を抱いた女性が力尽き、膝をついた。
黄銅色の軍勢が、そこへ迫りつつある。
人間の男の兵士であれば、赤ん坊を槍で突き殺し掲げながら、その母親を犯して殺すところであろう。
整然と歩を進める黄銅色の全身甲冑たちは、しかしそのような醜悪な中身を有しているわけではない。進路上にあるものは、男であろうと女であろうと赤子であろうと差別なく殺戮するだけだ。
救いのある戦争だ、とセレナは思う。
女性が倒れ、赤ん坊が地面に投げ出されて泣き叫ぶ。
子供たちが、その母子を背後に庇って立ち、黄銅色の軍勢を睨み据えて両腕を広げた。
その中には、オークの子供もいる。
「そんな事したって駄目。人間がね、あんたたちと仲良くするわけにはいかないの。そんなの絶対、長続きしないって親父も言ってたし」
セレナは語りかけた。無論、聞こえるわけはない。
「人間の世界にはね、人間だけいればいいの。人間が、自分たちでいろいろ考えて試行錯誤して時にはおバカをやらかしながら、平和な世の中を作っていく。誰かに守られて一瞬で出来ちゃう平和じゃ駄目なのよ。そんなの一瞬で無くなっちゃうから」
男たちが農具を構え、黄銅色の軍勢と対峙した。
人間の男、だけではない。オークやトロル、ミノタウルスやオーガーもいるが、平和に慣れきった彼らが、ブレンの分身たちを相手にどれほど戦えるものか。
「と、いうわけで試行錯誤の第一段階。まずは地ならしをしないとね……」
地震が起こった。セレナは、そう感じた。
いや、地震ではない。地ではなく、天からの災厄であった。
地に激震をもたらすものが、隕石の如く降って来たのである。
「何…………」
よろめく巨人の肩にしがみつきながら、セレナは呻く。
何が起こったのかは、しかしわかった気がした。
視界の中で、大量の土が舞い上がっている。
黄銅色の鎧歩兵たちが、巨人たちが、同じように舞い上がりながら砕けちぎれ、金属屑と化し、土煙と一緒に渦を巻く。
その破壊の光景の中央で、赤い大蛇のような尻尾がうねる。皮膜の翼が、ゆらりと開く。
力強く、禍々しいものの姿が、そこにあった。
「がっ……ガイエル・ケスナー……ッ!」
セレナは呻いた。
「強いからって、いい気になってる化け物野郎! あんたなんかが人間の世界にいるから、色々おかしくなっちゃうのよっ!」
赤き魔人。
隆々たる高密度の筋肉を、真紅の鱗と甲殻で守り包んだ異形の姿が、翼と尻尾を揺らしながら歩み出す。
難民たちが、しばし呆然とした後、歓声を上げた。
人間の子供たちが、ゴブリンやオークの子供たちが、まるで皆が憧れる英雄物語の主人公を目の当たりにしたかの如く、喜び騒いでいる。
赤き魔人ガイエル・ケスナーは、今や完全に、この地における救世主としての地位を確立してしまったのだ。
怪物の姿で天下った唯一神。それが、この難民たちにとってのガイエル・ケスナーだ。
「神様なら、天国に居なさいよ。化け物なら地獄にでも居なさいよ! 人間の世界に出て来るんじゃないってのよォ!」
セレナの絶叫を合図として、黄銅色の軍勢は動いた。
ブレンの分身たちが一斉に、電光の戦斧で斬りかかって行く。人の世界に居るべきではない怪物に向かって。
黄銅色の金属片が、大量に飛散した。
ガイエルが何をしているのか、セレナにはよく見えない。
ただ、真紅の翼がはためき、大蛇のような尻尾が獰猛に注を泳ぎ、五指の形をした奇怪な甲殻生物のような手が無造作に動く、その様が辛うじて視認出来るだけだ。
攻撃とも言えない、蝿を追い払うかのような動き。
それだけで、黄銅色の鎧歩兵たちは、ことごとく砕け散っていた。
「俺を殺したい、のであれば……」
ガイエルは言った。大声ではないが、ずしりと重く通る声。
「……本物のブレン・バイアスを連れて来い」
「ブレン兵長は……」
セレナの声が、痙攣した。
怒りの絶叫が、震えながら迸った。
「あんたが……っ! 殺しちゃったんでしょうがぁああああああああッッ!」
黄銅色の金属巨人たちが、地響きを立てて赤き魔人を踏み潰しにかかる。
「ふ……そうか。そうだったな、確かに」
ガイエルが笑う。
金属の巨人の1体が、転倒した。その巨大な足を、赤き魔人の左手が無造作に掴んでいる。
「俺はな、あれほど美味いものを……それまで、食った事がなかった」
掴まれた脚部が、ぐにゃりと折り畳まれた。
片脚だけではない。下半身全体が、魔人の腕力だけで折り曲げられ、上半身と密着してゆく。
巨人が、へし曲げられ畳まれて、やがて金属の球体と化した。
そこへ、ガイエルが蹴りを入れる。
大地を掴み裂くかのような爪を生やした右足が、黄銅色の金属球を思いきり蹴り飛ばす。
隕石が、戦場を縦断した。セレナは一瞬、本気でそう感じた。
金属球体が隕石の如く飛び、黄銅色の巨人たちを直撃・粉砕してゆく。手足の形をした金属屑が、大量に舞い上がる。
生きた兵士たちが虐殺されている、わけではない。
中身のない、魔法の鎧の量産品が、ことごとく破壊されているだけの話である。
人の死なない戦争。
この世にあるはずのないものを、私たちは理想として追求してゆかなければならない。
女王エル・ザナード1世……ティアンナ・エルベットは、そう語っていたものだ。
もちろん、そう容易くはいかないでしょう。まずは、ですから兵隊同士の殺し合いを無くします。セレナさん、貴女の力があれば、それは不可能ではありません……とも。
問題は、1つ。
殺し合いをする事の無くなった兵士が、しかし兵士ではない者たちを殺す。民を、殺戮する。
これを無くす事が、出来るかどうかだ。
無くす事は、すぐには出来ない、にしても最小限にとどめてゆかなければなりません。ティアンナは、そうも言っていた。
「そう……そうよ、最小限よ……」
セレナは呟いた。
人間と、そうではないものたちの混成集団である難民たちが、逃げ去って行く様を睨みながら。
「ガイエル・ケスナー……あんたが何にもしなければ! あの連中が死ぬだけで、この戦争は終わるかも知れないのに……最小限の死ぬべき連中を助けるために、こんな余計な暴れ方をして! 戦争を長引かせる! もっと大勢の人が死ぬ! それもわかろうとしないで何よ、この救世主気取りはぁあああああっ!」
セレナの怒りの絶叫に応えるかの如く、轟音が響き渡って戦場を揺るがした。
噴火が起こっていた。横向きの、噴火。
赤き魔人の、口元。仮面のような顔面甲殻が砕け散り、露わになった上下の牙が押し開けられ、爆炎が溢れ迸っている。
炎、と言うより爆発そのものを、ガイエルは戦場に吐き出し、ぶちまけていた。
鎧歩兵も、金属の巨人も、差別なく。
ブレンの分身たちが、融解しながら吹っ飛んで跡形もなくなってゆく。
黄銅色の軍勢が、大きく削り取られていた。
そうして開けた空間を、赤き魔人は悠然と歩む。セレナの視界を、ゆったりと横切ってゆく。
金属の臭いを含む熱風を受けながら、セレナは思った。自分は今、ガイエル・ケスナ一に無視されようとしているのだ、と。
安堵すべき、なのであろう。
巨人の肩にしがみついたまま、セレナはしかし言った。
「あたしを……殺さないの? ガイエル・ケスナ一……」
「かつてダルーハに取り憑かれたリムレオン・エルベットを、バルムガルド王都で何日も足止めしていたセレナ・ジェンキムよ。お前は、ああいう事が出来る女だ。自分で覚悟を決めて、な」
セレナを一瞥もせず、ガイエルは言う。
「何か残虐な事をやらかすにしても、少しは自分の頭で考えてはどうだ」
「あんたなんかに……言われたくないっての……!」
セレナは呻き、そして叫んだ。
「あんたがねえ、道歩いてて蟻んこ踏み潰すみたいに人を殺しまくってる時! その頭で何か考えてるわけ!? 考えてるなら聞かせなさいよ! お願いだから教えてよ、バケモノの頭の中身ってのをさぁああああああッッ!」
「俺の頭の中身、か……うーむ。まあ今、考えている事で良ければ、聞かせてやれん事もない」
赤き魔人が立ち止まり、ようやくセレナの方を見上げた。
「俺が今、思う事は1つ……俺などよりもずっと頭の良い貴様は、やはり己で考えて動くべきだ」
「あたしが……何にも、考えてないって言うの……っ!」
「貴様は今、彼女の思想を植え付けられている。そして、それが己自身の考えであると思い込んでいる」
言いつつガイエルは、ちらりと遠方に視線を投げた。
「そのようにして、他人を支配してしまうのが彼女だ。恐るべき力だ、と思う。俺には到底、真似が出来ん」
黄銅色の大軍勢が、左右に分かれていた。
そうして出来上がった道を、静かに踏み歩いて来る、1つの優美な人影。
たおやか、に見えて強靭に鍛え込まれた少女剣士の体型そのままの、鋭利な細身の甲冑姿である。頭頂部から爪先に至るまで一箇所の露出もない、真紅の全身鎧。
紅蓮の炎を思わせる赤き魔人の体色に対し、迸る鮮血を思わせる赤色をまとった少女。
「いけない……来ては駄目です、女王陛下……!」
セレナは叫んだ。
「駄目、このバケモノの力は想像を超えています! 逃げて!」
「黙っていろ、セレナ・ジェンキム」
ガイエルは言った。
揺らめく炎のような紅蓮の闘気が、赤き魔人の全身から溢れ出す。
「逃げろと言われて逃げてくれるティアンナであれば……俺もな、苦労はなかった」
「やめて、お願い……陛下を、ティアンナ様を、殺さないで……」
「モートン王子もなあ、そのような命乞いをしていれば助かったはずだ」
ガイエルの口調が、重く沈痛なものを孕んだ。
嘘だ、とセレナは思った。この怪物が……何かを悲しんでいる、とでも言うのか。
「柄にもなく毅然としていたのだろう。だからティアンナとしても、殺すしかなかった……らしくない言動を晒すからだぞ、モートン王子」