第182話 さまよえる破壊神(中編)
少年が、襤褸も同然のマントを脱いだ。
「こんなもので、本当に済まない……」
それを、ルネリア王女の裸身に着せ被せている。
王女はと言うと、普段は凜としている美貌を陶然と赤らめ、夢見心地である。このまま少年に押し倒されたとしても、受け入れてしまいそうな様子だ。
吟遊詩人の謳う、英雄物語そのものの有り様であった。姫君を救う、若き勇者。
勇者と呼ぶには、しかし粗末な身なりではある。拾い集めた布切れを、辛うじて服の形に縫い合わせたようなものを着ている少年。この村でオークたちに虐げられていた貧民の、生き残りであろうか。
貧民とは思えぬほど、顔立ちは整っており肌も髪も美しい。女装をさせれば、下手をするとルネリア王女を超える美少女になってしまいかねない。
そんな少年が、王女を背後に庇ってトーマガルタ・ボフマー公爵と退治する。
「何だ、下郎……私とルネリアの間に、土足で入り込みおって……」
巨大な肥満体を震わせながら、トーマガルタが怒り呻く。
「その無礼……許しては、おけぬ……」
生身であれば、ルネリア王女にさえ軽く捻られてしまう男である。
だが今は、その弛みきった身体に、魔法の鎧を着用している。
身体能力など欠片ほどもない贅肉の塊を、たちどころに剛勇無双の士へと作り変えてしまう魔法の鎧。
その鈍色の甲冑姿を見据え、少年は言った。
「それは……魔法の鎧、ではないのか……?」
「いかにも、そうだ。このエセルナード王国に安寧と繁栄をもたらす力よ」
クロッグ・ゼネオンは答えた。
「見るからに非力な少年よ。君では、その力の試しにすらなるまいな」
「確かに、僕は非力……だけど、やれるだけの事はさせてもらう」
言いつつ、少年は見回した。
斬殺された近衛兵たちの屍。劣情の餌食となる寸前の、ルネリア王女。
トーマガルタ1人による暴虐の被害者たちを、しっかりと確認しながら少年は言った。
「……魔法の鎧は、やはり……このような惨劇しか、もたらさない。だから、この世にあってはならない」
「愚かな……まるでルネリア王女のような事を言う。魔法の鎧の一面しか見ておらぬ」
嘲笑いながら、クロッグは右手を掲げた。
中指に巻き付いた蛇の指輪が、微かな光を発する。
「国には、力が必要なのだよ少年。民を守る力だ。僅かな欠点をあげつらい、力そのものを否定するなど愚かな事……特に今はな、ヴァスケリアの赤き魔人がいつ攻め込んで来るかわからぬ状況なのだぞ。トーマガルタごとき屑素材を、一騎当千の戦力へと変える魔法の鎧。この力なくして国は守れぬという事、さあ証明せよトーマガルタ・ボフマー」
「うおごごごごご……ぐふががががががが、る、ルッ、ルネリアぁああああああああ」
クロッグの念が、蛇の指輪を通じて魔法の鎧へと送られ、装着者トーマガルタの凶暴性を掻き立てる。
魔法の鎧の股間部分で、おぞましいものが露出しながら勃ち震えた。
「我が愛しの姪よ、そなたは私のものだと何故わからぬ! 姪は叔父に従うものぞ、姫は王弟に尽くすものぞ、女は男に身を捧げるものぞ! わからぬならば教えてやる、そこな小僧を切り刻んでから! ゆっくりとグヘヘへへへ、じっくりとぉゲヒヒヒヒヒヒ! 時をかけてなぁあああああ!」
鈍色の全身甲冑をまとう肥満体が、長剣を振りたてて突進する。半裸の王女の前に立ちはだかる、細身の少年に向かってだ。
長剣が、振り下ろされる。近衛兵を、魔法の鎧もろとも両断・寸断する斬撃。
少年の細身が、ゆらりと動いた。自分から斬られに行った、ようにも見えてしまう。
鈍い、凄惨な音が響いた。豚のような悲鳴と一緒にだ。
少年の強靭な細腕が、トーマガルタの太い右腕を絡め取り、極め上げている。
筋肉ではなく贅肉で太いだけの腕が、鈍色の袖鎧もろとも捻じ曲がり、ひしゃげていた。
捻じ曲がった右手が、長剣を手放してしまう。
そこで少年は、トーマガルタを解放した。解放された右腕は、しかし袖鎧もろとも折れ歪んだままだ。
生きたまま屠殺される豚のような絶叫を張り上げながら、トーマガルタが無様に尻餅をついている。
「ぶっ、ぶぎゃああああああ! な、ななななな何をしておるかルネリア、私を助けよ! 私は王弟、そなたの叔父であるぞ! 姪ならば助けよ、姫ならば助けよ! 早く私を助けぬか愚か者があああッ!」
「僕は……貴方が何者であるのかを、知らない……」
少年が言った。
「だけど1つ、わかる事がある。貴方は今……自分の立場を、全く理解していない」
「りりりり理解した、理解いたしたとも勇者殿! わかった、私の負けだ。ルネリアは貴公に差し上げる」
トーマガルタが、尻餅をついたまま後退りをしている。
「若き勇者よ、私がそなたの後ろ盾となろう。我が名はトーマガルタ・ボフマー、ここエセルナードの次期国王だ。恩を売っておいて損はない、だから助けて、そなた自身のためにもだ!」
「……どうか、言う通りにして差し上げて下さいませ……」
ルネリア王女が、ようやく言葉を発した。
「助けていただいたお礼は、必ずいたしますわ。だけど今は、そのトーマガルタ公を……どうか、お助け下さいませ。狂乱と殺戮の罪は、生きて償わせなければなりません。私はルネリア・エセルナード、この国の王女ですわ。どなたかは存じ上げませんが、王族の恥をお見せしてしまいましたわね」
「ルネリア王女……僕は、貴女を守ると決めた」
少年が応える。
「このトーマガルタ公という人物を生かしておく事は、貴女を守る事には繋がらないと思う。生きている限り、彼は貴女に様々な事をしようとするだろう……だから、彼は殺す。貴女ではなく、僕が安心したいからだ」
「……自己満足で、私を守って下さると。そう、おっしゃるのね」
「僕を殺人者として忌み嫌えばいい。そんな事に関わりなく、貴女を守る」
「傲慢な方……」
少年と姫君の会話が続く、その間にもトーマガルタは尻を引きずり、逃げ去ろうとする。
「待て、公爵。貴公には、ここでやってもらわねばならぬ事がある」
右手中指で蛇の指輪を輝かせながら、クロッグは命じ、そして念じた。
その念が、指輪を通じて魔法の鎧へと流れ込む。
トーマガルタ公の肥満体が、立ち上がりながら硬直・痙攣した。
いや、立ち上がったのは彼ではない。魔法の鎧だ。
「その少年……いや、よもやとは思うが……」
この世で最も忌むべき存在……ヴァスケリアの赤き魔人は、普段は容姿秀麗な人間の若者に化けている、という。
「……確かめねばならん。トーマガルタ公よ、その程度の事はしてもらうぞ。もはや貴公は助からぬ、最後に多少なりとも私の役に立て」
「ひっ……ぎぃっ! ぎゃああああああああああ」
泣き叫ぶトーマガルタの肥満体を内包したまま、魔法の鎧が猛然と躍動する。折れ砕けた右腕をぶら下げながら、無傷の左腕で少年に殴りかかる。
その左腕が、ねじ曲がった。
肥満体が、魔法の鎧もろともグシャリと凹んだ。
少年が、トーマガルタの左腕を抱え込み極め上げたまま、膝蹴りを跳ね上げたところである。
「やめて……」
ルネリア王女が、か細い声を発する。
「私を守るため、とおっしゃるなら尚更……どうか、おやめになって……人を守る、それは……そのような事では、ありませんわ……」
「そう……かも、知れない」
白目を剥きながら臓物を吐き出すトーマガルタの様を見据え、少年は言った。
「誰も傷付けずに、誰かを守る……そんな素晴らしい方法が、本当はきっとあるんだろう。だけど、僕には見つけられない……」
言葉と共に、少年がゆらりと左手をかざす。
形良く鋭利な五指が、掌が、ぼんやりと白く発光した。
聖職者の中には、唯一神の加護を物理的な力として発現させ、攻撃や防御に用いる事の出来る者が稀にいる。あの背教者マディック・ラザンのようにだ。
だが今、この少年が発してる光は違う、とクロッグは見て取った。
「守る……とは、殺す事……滅ぼす事……」
魔力……でなければ、少年自身の気力か。
その白色の輝きが、彼の左手から激しく迸った。
「僕は、そのやり方を……きっと、この先ずっと捨てる事が出来ない」
光の中で、トーマガルタは消滅した。
肥満体は、吐き出した臓物もろとも砕け散って塵と化し、魔法の鎧は焼け焦げた金属片となって飛散する。
「あるのなら、どうか教えて欲しい」
少年が、クロッグの方を向いた。
澄んだ、青い瞳が、静かに燃え上がる。
「貴方のような人々を……殺戮し尽くす事なく、誰かを守る。そんな方法が、この世にあるのなら」
「殺戮する……君が、私をか。少年よ」
クロッグは笑った。
蛇の指輪が、激しく輝きながら、ぐにゃりと膨張した。
「君が何者であるのかは判明した。トーマガルタ公のおかげでな……国境を超えて殺戮を為すのか、ヴァスケリアの赤き魔人よ!」
膨張した指輪が、本物の蛇の如くうねり狂って牙を剥き、クロッグの脇腹の辺りに食らいつく。
金属の蛇が、皮膚を、皮下脂肪を、臓物を食い破って体内に這入り込んで来る。
クロッグは絶叫を張り上げ、血を吐いた。
耐えるしかない。
自分は今から、赤き魔人をも凌駕する存在へと進化を遂げるのだ。
「お前の動き……全て、見切ったぞ……赤き魔人よ……」
血を吐きながら、クロッグは笑った。
いや、もはや血ではない。鈍色の、液体金属だ。
「お前の戦いを、この指輪に全て記録した……お前に関する全ての情報を、こうして体内に取り込む……」
クロッグの肉体が、内部から金属化しつつ膨張・隆起してゆく。
魔法の鎧と同質のものに変わりながら、巨大化してゆく。
牛馬を、熊を、トロールやオーガーをも上回る巨体。全身の皮膚が、甲冑化を遂げている。
「赤き魔人よ、私は今……お前の全てを見切った存在と、なったのだよ」
金属製の仮面と化した顔で、クロッグはメキメキと牙を剥いて微笑んだ。
異形の甲冑と化した身体からは、6本の腕が生えている。全ての手が、得物を構えている。剣、戦斧、戦槌が、それぞれ2本ずつ。
6本腕の、金属の巨人が、そこに出現していた。
「僕の、全てを……見切った……?」
呟きながら少年が、剣を拾い上げた。先程までトーマガルタが手にしていた、大型の剣。
「僕を理解した、と言うのか……ありがたいな、それならば教えてもらおう。僕は、自分が何者なのかわからないんだ」
言葉と共に、少年が剣を構える。
「僕は……誰だ?」
「教えてやろう、貴様は赤き魔人! この世に災厄をもたらす者よ!」
おぞましい金属の巨人と化したクロッグ司祭が、叫び答えながら少年に襲いかかる。
襲い来る6本の腕を、6つの武器を、少年はかわそうとしない。
噂に聞くヴァスケリアの赤き魔人、と断定されてしまった少年が、ゆらりと細身を翻した。
大型の剣が、一閃していた。一閃で、いくつもの斬撃の弧が描かれていた。
金属製の腕が6本とも、前腕の半ば辺りで切断されていた。
6つの武器が、断ち切られた手首に握られたまま散乱する。
「なっ……何……馬鹿な……」
金属の巨人が呻き、後退りをする。
少年は、言った。
「この世に災厄を……か。何となく、わかる。僕はきっと、悪しき存在なのだろう」
右手で大型剣を休ませたまま、少年は左手を掲げた。
「だけど、それは……貴方のような人々を生かしておく理由には、ならないんだ」
「ぬ、ぬかせ怪物が! 我らとて貴様など生かしてはおかぬ!」
クロッグが叫ぶ。叫ぶ口から、ギチギチと蠢くものたちが溢れ出す。
まるで、寄生虫を吐き出したかのようであった。
節くれ立って先端の尖った、金属製の百足のようなものの群れが、クロッグの口から暴れ出して伸びうねり、少年を襲う。
そして、全てちぎれ砕けた。光の爆発と共にだ。
少年の左手から、またしても白色光の奔流が迸り、クロッグの口内に突き刺さったところである。金属の百足たちは1本残らず、根元から灼けちぎれていた。
顔面の下半分を完全に灼き潰された金属巨人が、もはや喋る事も出来なくなって滑稽な悲鳴を上げる。
その様を見据えながら少年は、白色光を宿す左手で、大型剣の刀身をそっと撫でた。刃に、光を塗り広げた。
「魔法の鎧……それは人を、おぞましいものに変えてしまう。今の貴方のように」
白く光り輝く剣を揺らめかせながら、少年は言った。
「だから僕は、魔法の鎧を……この世から、消す」
そして踏み込み、剣を振るう。光まとう刃が、右上から左下へと一閃する。
金属の巨人が、斜めに両断された。滑らかな断面が、白い光に灼かれてゆく。
その光が膨張し、爆発した。
つい先程までクロッグ・ゼネオン司祭であった2つの金属塊が、爆発光の中で砕け散り、消滅してゆく。
呆然と見つめながらルネリアは、少年に問いかけた。
「貴方は……魔法の鎧を、憎んでおられるの?」
「魔法の鎧を、この世から消す。それを僕に託して、死んでいった人もいる」
答えながら少年は、剣を放り捨てた。
否、それは今や剣ではない。ぼろぼろに焼け焦げた、金属屑である。
少年の力に、耐えられなかったのだ。
「……僕自身、魔法の鎧がいかなるものかを目の当たりにした。おぞましい、としか言いようがない」
「そう……ですわね」
魔法の鎧を、この世から消す。
この少年の、せめて1割程度の力でも自分にあれば、今すぐ実行に動いているところだ、とルネリアは思う。
自分には出来ない事を、赤き魔人であるかも知れない少年に託すのか。
突然、少年がルネリアを背後に庇って立った。
剣呑な足音が複数、近付いて来る。金属製の軍靴で、地面を踏みにじる音。
鈍色の兵士の一団が、そこにいた。
全身甲冑をまとっている、だけではない。全員、魔石の杖を携えている。
魔法の鎧を装着した、攻撃魔法兵士の一個部隊であった。
「ルネリア王女……そこを、おどき下さい。我らは、その者を討伐せねばなりません」
口々に、彼らは言う。
「ヴァスケリアの赤き魔人、とおぼしき者が国境を侵し、入国した。その情報は我らも掴んでいる」
「クロッグ司祭の指輪を通じ、貴様を監視していたのだ。もはや逃げられはせぬぞ、赤き魔人」
発光する魔石の杖が1部隊分、一斉に動いて少年に向けられる。
「やめて……やめなさい!」
ルネリアは、少年の前に出た。
攻撃魔法兵士たちの姿勢は、しかし変わらない。
「おどき下さい、ルネリア殿下。3度は申しませんぞ」
「万一の時は、貴女様もろとも……と。赤き魔人を討ち滅ぼす機会を逃してはならぬと、陛下より御命令を賜っておりますゆえ」
「陛下が……父上が……」
呆然と呟くルネリアに、少年が背後から言葉をかける。
「……聞いての通りだ、ルネリア王女。僕の近くにいてはいけない。僕は、貴女を守らなければならないんだ」
「……本当に……傲慢な方……」
ルネリアは呻いた。
「殿方らしい下心で私を守って下さるなら、まだ可愛げがありますわ。貴方には、それすらない……私、お強い方に自己満足を差し上げるための道具ではなくてよ」
「ルネリア王女……」
そこで、会話は止まった。
攻撃魔法兵士たちが、警告内容を実行したからだ。
何本もの魔石の杖が、火炎を発した。電光を放ち、冷気を迸らせた。
それら全ての攻撃魔力が、ルネリアもろとも少年を粉砕する……寸前で、白色の炎が生じ、荒れ狂った。
少年が、右拳を地面に叩き付けたのだ。禍々しい呟きと共に。
「悪竜転身……」
殴られた地面が砕け、白い炎が噴出する。
それがルネリアを防護する形に渦を巻き、猛りうねって白色の嵐となり、火炎や電光を、冷気を、ことごとく打ち砕いた。
その白い嵐の中央で、少年は、人間ではなくなってゆく。
赤き魔人ではない、とルネリアは思った。
白い悪鬼。そう呼ぶ方が、ふさわしい。