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第176話 ドラゴン・ナイト(後編)

 炎が、肉と化し、臓物と化し、皮膚と化し、そして鱗あるいは鎧と化した。

 人間ではなくなったリムレオン・エルベットが、ゆらりと立ち上がる。その周囲で、風景が熱で歪む。

 荒れ狂っていた炎は全て消え失せ、1つの異形だけが、そこに残されていた。

 いくらか頼りないほど細く無駄なく鍛え込まれていた少年の肉体が、力強く厚みを増している。

 その身体が、純白の甲冑をまとっていた。ただし、左半分のみだ。

 かつてバルムガルド王都ラナンディアに出現した、白い悪鬼。あの怪物から、魔法の鎧の右半分を剥ぎ取ったかのようである。

 白い悪鬼の中身は、人間リムレオン・エルベットの細い身体であった。

 だが今ここにいる怪物の右半身は、鱗に覆われた魔人の肉体である。ガイエル・ケスナーに劣らぬほどにガッチリと筋肉を盛り上げ引き締めた肉体が、白色の竜鱗をまとっているのだ。その所々で、骨格か筋肉か判然としないものが露出している。

 首から上も、左半分は角を生やした兜と面頬。

 右半分は、同じく角を生やした頭蓋骨だ。

 少女のようでもあった美貌は完全に削げ落ちて、噛み合わさった牙と、洞窟のような眼窩が、剥き出しである。

 その眼窩の奥で、真紅の光が燃え盛る。それは眼球ではなく、眼光の塊であった。

 右半分のみ露わになった、リムレオンの今の素顔。それはティアンナに、とある人物を思い起こさせた。

「ダルーハ卿……」

 人間の姿を脱ぎ捨て、竜の血を浴びたる魔人としての正体を明らかにしたダルーハ・ケスナー。

 かの人ならざる暴君が、またしてもリムレオンの肉体を得て復活したのか。ティアンナは一瞬、そう思った。

「リムレオン、貴方は……ダルーハ卿と同じく、竜の……血を……?」

 その問いには答えずリムレオンは、じっと空を睨んでいる。

 空を埋め尽くし、禍々しく飛翔するものたちに、燃え盛る眼光の塊を向けている。

 天使の群れ。

 地上のリムレオンを威嚇する形に飛び回りながら、彼らは一斉に歌った。

 聞き取れぬ歌声が、目に見える光となって降り注ぐ。リムレオン1人に向かってだ。

 左半分だけの、魔法の鎧。右半分の、魔人の生身。

 それらの表面で、天使たちの降らせた光が、ことごとく爆発してゆく。

 光の爆発に包まれるリムレオンの有り様を、ティアンナは充分に離れた木陰から見守っている。観察、見物している。他に出来る事など何もない。

「あれ……魔法の、鎧……よね……」

 共に木陰へと避難して来た2人の少女の、片方が言った。セレナ・ジェンキムだ。

「まさか、親父の奴が変な仕掛けを……って言うか! あれって本当にリムレオン様なわけ!?」

「…………」

 もう1人の少女……シェファ・ランティは、青ざめ息を呑んだまま何も言わない。

 光の爆発の中、リムレオンは相変わらず、天使たちを睨み佇んでいた。

 白い魔法の鎧も、竜鱗も、所々で露出した骨か筋肉かわからぬ部分も、眼光を燃やす頭蓋骨も、全く無傷のまま光の破片を弾き続ける。

「……リムレオンよ。あれは、紛れもなく」

 ティアンナは言った。

「人々を守るため……その力が手に入るのであれば、人間である事など容易く捨て去ってしまう……彼の、そんな心に、私は全く気付かずに……」

 守る。

 それ以外の一切を失ったリムレオンに、天使たちが蜂の如く群がり襲い掛かった。

 鉤爪か、牙か、手持ちの刃か、よくわからぬものが無数、蠢き閃いてリムレオンを切り刻みにかかる。

 全て、砕け散っていた。

 リムレオンの周囲で、天使の破片が無数、渦を巻き、飛び散りながら消えてゆく。

 白い流星。ティアンナの目には一瞬、そう見えた。

 リムレオンの拳だった。

 白い手甲をまとう左拳が、爪状の突起を備えた生身の右拳が、高速で飛来する天使たちを迎え撃ち、打ち砕き、叩き潰す。

 拳だけではなかった。

 リムレオンの足元で、蛇のような何かが超高速でうねり、跳ね上がり、天使たちを切り刻む。ズタズタに飛び散り行く破片を蹴散らし、それは凶暴に宙を泳いだ。

 金属製の大蛇、に見える。脊柱の如く節くれ立って禍々しくのたうつ、長大な刃。

 リムレオンの、尻尾であった。

 それを姿勢低く回避した天使の1体が、そのまま斜め下方からリムレオンに襲い掛かろうとしてグシャアッ! と潰れ散った。

 リムレオンの左足。白い脛当てと金属軍靴で固められた蹴りが、天使を踏み潰していた。まるで虫のように。

「今の貴方は、ダルーハ卿のよう……そして、ガイエル様のよう……」

 ティアンナの言葉など聞かずリムレオンは、眼前に掲げた右拳を、そっと開いている。

 魔人の五指が、掌が、ぼんやりと白く発光している。

 今のリムレオンは、魔法の鎧と融合しているのだ。

 彼自身が、実戦を重ねる事によって戦闘情報を蓄積し、育て上げてきた、魔法の鎧と。

 装着者の気力を物理的な攻撃力に変換する、魔法の鎧と。

 リムレオンの気力が今、彼の右手で、物質的破壊をもたらす力として発現しつつあるのだ。白色の光が、急激に強さを増してゆく。

 白く輝く右手を、リムレオンは天空に向けて振るった。

 光が空にぶちまけられ、迸り、まだ大量に飛び回っている天使の群れを灼き払う。

 空を灼く白色光の奔流の中で、天使たちはことごとく砕けちぎれて消滅した。

 やがて光は消え失せ、空が綺麗になった。

 だが地上に1体、巨大な異形が存在している。

 咆哮が、大気を揺るがした。

 それは慟哭であり、絶叫であり、怒号であった。

 白銀色の巨体を震わせて、エミリィ・レアが叫んでいる。

 とめどなく涙を溢れさせる両眼が、しかし激しく燃え盛ってリムレオンを睨み据える。

 灼き砕かれた触手は、すでに再生していた。

 何匹もの百足のような、節くれ立った甲殻質の生体凶器が、高速で宙を泳いでリムレオンを襲う。

 白く輝く右手で、リムレオンはそれを迎え撃った。

 竜の牙のようでもある五指に囲まれた掌が、激しい白色の光を噴射する。

 リムレオンの精神力が、物理的な破壊の力と化し、迸ったのだ。

 猛り狂う白色光が、甲殻の触手を全て粉砕し、それらの発生源たる異形の少女を直撃した。

 エミリィの巨体が、光に圧されて激しくへし曲がり、吹っ飛び、何本もの樹木を折り倒しながら地響きを立てる。

 またしても、大気が震えた。

 エミリィが血を吐き、涙を流し、吼えている。悲鳴であり、怒りの叫びでもある絶叫。

「何を……君は、怒っているのか……?」

 リムレオンが言った。

 牙を剥き出しにした、魔人の頭蓋骨の口が、確かにリムレオン・エルベットの声を発しているのだ。

「自分が、今から殺される……それに対する怒り、ではないように思えてしまう。君は……何を、守っている? 僕が今から、君を殺す事によって……君の命、以外の一体何が失われてしまうのだろう」

 もしかしたら、リムレオンは微笑んだのかも知れない。

「……それを知ったところで、意味はないな。僕は、彼女たちを守るために……君の命を、奪わなければならないのだから……」

 彼女たち、というのはティアンナでありセレナであり、シェファであろう。

 そう思ったところで、ティアンナはようやく気付いた。一緒に木陰に隠れていたはずの、シェファの姿が消えている。

 リムレオンの眼前に、彼女はいた。

 魔法の鎧を着ていない少女が精一杯、両腕を広げて、あまりにも巨大なエミリィを背後に庇っている。

 そして、人ならざるものと化した少年と対峙している。

「そこを……どいて、くれないか」

 リムレオンは言った。

「誰なのかは知らないが、君も……僕が、守らなければならない命の中に、含まれている。だから安全な場所へ逃げて欲しい」

「……その他大勢に、なっちゃってるわけね。あたしってば」

 シェファが、暗く微笑む。

「エミリィさんが何を守ろうとしてるのか、くどくど説明する事は出来ると思う。だけど今のリム様に、それを理解する脳みそがあるとは思えないから……あたしが今言える事は1つだけ。これ以上やったらリム様、後で絶対、後悔するわよ」

 ケスナー父子に劣らぬほど禍々しく燃える眼光を、シェファは正面から受け止めていた。

「うじうじ後悔して、周りの人たちに迷惑かける。もうね、手に取るように見えちゃうんだから」

「君は……誰だ? 僕を知っているのか」

「忘れちゃったんなら、いいわ。とにかく……」

 シェファの身体が突然、揺らいで膝をついた。凄まじい風が、降り注いでいた。

 エミリィの巨大な異形が、上空に舞い上がっている。

 6枚の翼が、激しくも頼りなく羽ばたいて、人か竜か判然としない白銀の巨体を辛うじて空中にとどめていた。

 その羽ばたきがもたらす風から、シェファを庇う形に、リムレオンは立った。そして、空中へと逃れ行く異形の少女を、じっと見上げる。

 慟哭を、怒りの絶叫を、重苦しく禍々しく響き渡らせながら、エミリィはそのまま急激に速度を上げ、天空高く遠ざかって行った。

 リムレオンは、それを見送っている。

 エミリィの姿は、もはや見えない。

 見送り、あるいは追おうとしているのではなく、リムレオンはただ空を見ているだけなのかも知れなかった。

 やがて彼は、歩き出した。言葉と共に。

「僕は……何を、守ればいい……?」

 答えられる者が、この場にいるわけはなかった。

 答えを期待している様子もなく、リムレオンは歩み去って行く。

 小さくなりつつある魔人の後ろ姿を、ティアンナもセレナも、それにシェファも、ただ見送るしかなかった。

「……親父の、せい……?」

 セレナが呻いた。

「ねえ女王陛下……親父のせい、なんですか? 親父の奴が、魔法の鎧に変な仕掛けをして……リムレオン様を、あんなふうに……それとも、まさかまた姉貴が!?」

「落ち着いてセレナさん、誰のせいでもないわ」

「じゃあ一体、何で……」

 エミリィと同じようにセレナもまた、涙を流しながら激怒している。

「親父は……人が、人のまま戦う……そのために魔法の鎧を……人を、バケモノにするためじゃないのに……あんなの違う、絶対……違う……ひどいよ、誰があんな事……ッ!」

「……ガイエル、ケスナー……」

 ティアンナには、他の名前が思い付かなかった。

 リムレオンが、ダルーハ・ケスナー……竜の血を浴びて誕生した魔人と、同種の怪物と化した。

 魔法の鎧、もろともだ。

 少年を、魔法の鎧ごと竜の血液で灼き砕き、人ならざるものとして再生させる。

 そんな事の出来る何者かが、他に存在するとは思えなかった。

「ねえガイエル様、リムレオンは……貴方では、ないのよ……?」

 この場にいない怪物に、ティアンナは語りかけていた。

「彼は、人間の守り手……人間のまま、人間を守る。そうでなければ、ならなかった……なのに……」

 ゼノス・ブレギアスを喪ったガイエルは、もしかしたら、こんな気持ちに陥ったのではないか。ティアンナはふと、そんな事を思った。

 そうであれば自分は今、ようやくにして彼の心を理解した事になる。

 違うとしても構わない。

 貴女などに、俺の心が理解出来るものか。そう彼が激怒したとしても、それはそれで一向に構いはしない。

「ガイエル・ケスナー……私は、貴方を許さない……!」

 受けて立つまでだ、とティアンナは思う。

「貴方は奪った……人間から、リムレオン・エルベットを……」

 声が震える。心が、震える。憎しみにも等しい怒りで。

 それを、ティアンナは止められなかった。

「貴方は奪った……私から、リムレオンを……ッッ!」

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