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第174話 リセット

 少年は、炎に灼かれていた。

 肉体はすでに燃え尽きて灰と化し、荒れ狂う火柱の中で渦を巻いている。

 心は、辛うじて原形をとどめながらも惨たらしく焼け爛れている。

 心まで灰になってしまえば、楽になれる。それは少年も理解していた。そうなれば、この地獄のような炎も、燃やすものを失って消え失せる。

 消え失せる事なく、猛々しく燃え続ける巨大な火柱。

 その燃料となるものが、焼け爛れた心の中で息づいているのを、少年はぼんやりと自覚していた。

 何かが、まだ自分の中で燃え尽きてはいない。

 それが何であるのか、言葉で説明する事は出来ない。言語的な思考能力を、少年はすでに失っている。

 自分が何者であるのかも、もはやわからなかった。

 ただ、漠然とながら感じられる事が1つある。

 力。

 強大な、あまりにも強大な力が、自分のすぐ近くに存在している。

 宙に浮かんでいるようでもあり、足元に広がっているようでもあった。

 巨大過ぎて目には見えないもの。目で全体像を把握するのが不可能なほど、巨大なもの。

 それが、近付いて来ている。

 その何かが、自分たちに対する悪意・害意・殺意に敵意、そういったものを持っているのかどうか。それは問題ではない。

 人間は、悪意も殺意もなく、ただ歩いているだけで虫を踏み潰す。それと同じだ。

 意思を持たぬ、ただひたすらに巨大なものが歩み寄って来る。だから自分たちは、踏み潰されるしかない。

 いや。自分には、踏み潰される肉体がすでにない。自分以外、大勢の人々が、為す術もなく踏み潰される。

 守らなければ。

 少年の、その思いが、焼け爛れた心の中で燃え猛り、この火柱の燃料となっているのだ。

 否。

 今や、この巨大な火柱自体が、少年の燃え盛る思いそのものであった。

 守りたい。守らなければ。必ず守る。

 言語中枢を失った少年の叫びが、轟き渡る。

 火柱が、天空を灼き穿つほどに燃え盛った。



 ティアンナの小柄な細身が、一回り近く大型化したように見える。

 たおやかな魔法の鎧が、鋭角的に、厳めしく、厚みを増していた。周囲で荒れ狂う電光を、全て吸収しながらだ。

 それら電光が、ティアンナの全身に貼り付いてゆく。シェファ・ランティの目には、そう見えた。

 真紅の、魔法の鎧。その各所で、吸収された電撃光が、黄金色の筋となって浮かび上がっている。そのようにも見える。

 ブレン兵長の魔法の鎧は、黄銅色をしていた。

 その黄銅色が、ティアンナの赤色に取り込まれる事によって黄金色に変わった。シェファは、そう感じた。

 黄金の筋を全身あちこちに走らせた、真紅の大型甲冑。

 ティアンナ・エルベットは今、その中にいる。

「貴方は私を、許しては……くれない、でしょうね。リムレオン……」

 ブレン・バイアスの遺したものを全身で吸収しながら、ティアンナはゆらりと立ち上がっていた。

 変化を遂げた魔法の鎧が、パリパリと電光を帯びている。

 その右手に握られているのは、細く頼りない魔石の剣……ではなかった。

 ずしりと重量感のある、金属製の長柄である。

 その先端は、巨大な斧頭だ。

 魔法の戦斧。ブレンの使っていたものよりも大型で、柄も長い。少女の腕では保持する事すら不可能と思える代物だ。

「こけおどしを……!」

 魔獣人間バルロックが、嘲笑いながら左手を掲げた。

 甲殻質の五指と掌が、白く発光する。その光が球形に固まり、射出される。2つ、3つ。

 それら光球を、ティアンナはかわさなかった。防御もせず、直撃を喰らった。顔面に、左肩に、胸に。

 端正な面頬。鋭角的に変化した肩当てと、2つの愛らしい膨らみを防護する胸鎧。それらの表面で光球が砕け散り、白い光の飛沫となって消えた。

 全く揺らぐ事なく、ティアンナは佇んでいる。

「メイフェム・グリム……貴女たち人間ならざる方々との共存は、私たち人間に一体、何をもたらしてくれるのでしょうね」

 重そうな長柄を、赤く武装した細腕でゆっくりと構えながら、ティアンナは言った。

「それは、あるいはとても素晴らしいもの、なのかも知れません。ガイエル様やゼノス王子が私に、その良き可能性の片鱗を見せて下さいました。それは、しかしとても禍々しいもの、であるのかも知れません。ガイエル様たちは、その悪しき可能性をも示して下さいました」

 このティアンナ・エルベットという王族の少女は、人ならざる者たちによる暴虐・暴威を、ずっと目の当たりにしてきたのだ。時には自身が、その餌食となりかけながら。

 ダルーハ・ケスナーとの戦い。デーモンロード率いる魔族との戦い。

 常に彼女は、前線で己の身を危険に晒してきた。魔法の鎧を手に入れる、ずっと前からだ。

「悪しき可能性が僅かにでも存在するのであれば……良き可能性の全てを、私は排除します。ヴァスケリア王国は、貴女たちとの共存の道を選びません。人間の王国は、人間の民のもの」

「ゾルカの作ったものを着て……調子に乗っているだけの小娘がッ!」

 メイフェムの怒声に合わせて、空気が裂けた。

 女魔獣人間の左手から、鞭が伸びていた。音速を超える衝撃が、ティアンナを襲う。

 その衝撃がバシュッ! と弾けた。

 ティアンナが、左手を振るったのだ。まるで蝿でも追い払うかのように。

 それだけで、魔獣人間の鞭はちぎれていた。

 メイフェムはしかし、次の攻撃に移行している。

 光が、一閃した。女魔獣人間の右手に握られた、白色光の長剣。

 その斬撃を、ティアンナは魔法の大斧で迎え撃った。

 鋭角的な真紅の手甲をまとう繊手が、重い金属の長柄を軽々と猛回転させる。

 メイフェムの剣が砕け散り、光の破片に変わった。

「当然、利用はしますよ。ゾルカ・ジェンキム殿が遺して下さった力……それなくしては、私たちは貴女がたに勝てませんから」

 ティアンナの言葉に合わせ、魔法の大斧が雷鳴を発する。

 斧頭から長柄に至るまでが、バリバリと電光を帯びていた。

 帯電する長柄が跳ね上がり、メイフェムの蹴りと激突する。

 光まとう猛禽の爪が、弾き返される。

 女魔獣人間の肢体が、吹っ飛んで地面にぶつかり、受け身を取って即座に起き上がった。

 その背後ではエミリィ・レアが、人間ではない赤ん坊を抱いたまま立ちすくんでいる。

 己の息子を、赤の他人である少女もろとも背後に庇う。そんな格好でメイフェムは立ち、いくらか距離を隔ててティアンナと対峙していた。

「そんなもの放り捨てて……さっさと逃げてくれて構わないのよ? エミリィさん」

 メイフェムは言い、エミリィは応えた。

「女王陛下は、この子を……殺そうとして、おられるんでしょう。巻き添えで、あたしも殺される。この子を連れて、どこかへ逃げたら……逃げた先で、やっぱり誰かが巻き添えで殺される。だから、あたし……どこへも、逃げられません」

 魔族の帝王と女魔獣人間との間に生まれた赤ん坊。

 将来、新たな魔族の帝王となりかねない存在をこの世から消すために、ティアンナは手段を選ばないだろう。巻き添えで人死にを出す事を、躊躇いもしないだろう。

 何しろ彼女はすでに、ゼノス王子を殺している。己の兄をも、斬首している。

 魔法の大斧を、ティアンナは担ぐように振りかぶった。

 メイフェムも、それに赤ん坊とエミリィをも、ひとまとめに斬殺せんとする構え。ただ、間合いがいくらか開いている。斧でメイフェムの首を刎ねるには、何歩か踏み込まなければならないだろう。

 だがティアンナは踏み込まず、電光まとう大斧を、その場で振るった。

 帯電する斧頭が、雷鳴を発しながら横薙ぎに一閃する。

 斬撃の弧が、大きく描き出された。

 それは、電光で組成された弧形の刃であった。

 メイフェムに向かって、それが射出される。

 左右に広がる、巨大な雷の刃。横方向に回避するのは困難である、にしても、メイフェムならば跳躍してかわすのは容易であろう。

 女魔獣人間を仕留め損ねた電光の刃は、そのままエミリィと赤ん坊を直撃する。

 だから、かどうか定かではないがメイフェムは避けず、前方に両手を掲げた。

 唯一神の力が、見えざる防壁となって出現した。

 そこに、弧形の刃を成す電光の塊が激突する。

 目に見えぬ防壁が、見えるようになった。空中に広がる亀裂として、だ。

「くっ……!」

 メイフェムが、後退りをする。

 彼女の眼前で、防壁がひび割れてゆく。バチバチと猛る電光の刃に押され、今にも砕け散ってしまいそうだ。

 ティアンナは右手で大斧を休ませながら、面頬の眼前で左手の人差し指と中指を立てた。

 攻撃の念。シェファには、それがわかった。

 電光の刃が雷鳴を発し、膨張した。

 防壁が砕け散り、キラキラと光の破片に変わって飛散する。

 メイフェムの身体は、両断されていた。上半身と下半身が、それぞれ別方向に吹っ飛んで行く。断面から溢れ出した臓物を、電光に灼かれながら。

 防壁の粉砕と、女魔獣人間の腰斬刑。

 電光の刃は、それだけで力の大半を使い果たしていた。弧形の刃は崩壊し、余韻そのものの弱々しい電光が一筋、エミリィに向かって行く。弱々しくとも、少女と赤ん坊を灼き殺すには充分だ。

 灼け死んだのは、しかしエミリィではなかった。赤ん坊でもなかった。

 2人の眼前に、盾となって立ち塞がった1つの人体が、電光の直撃を受けたところである。

 両眼は破裂して噴出し、顔面は電熱で焼けただれ、もはや何者であるのかわからない。体格から、どうやら男性である事が辛うじて見て取れるだけだ。

「アレン……」

 エミリィが、呆然と名を呟いた。

 黒焦げの屍と化したアレン・ネッド司祭が、沈むように倒れ伏す。

 その傍らにエミリィは、赤ん坊を抱いたまま弱々しく座り込んでいた。そしてもう1度、もはや届かぬ呼びかけをする。

「…………アレン…………」

「命を捨てて、誰かを守る。そんな事ばかりの世の中になってしまいました」

 言いながら、ティアンナが歩み寄って行く。

「エミリィ・レアさん、でしたか。誰もが、大切な人と共に生きてゆける……大切な人を守るため命を捨てる、などという事もなく。そんな世界になれば、素晴らしいと思いませんか」

「女王陛下……アレンは……」

 エミリィの言葉も眼差しも、目の前のティアンナに向けられている……ようでいて、そうではない。シェファは、そう感じた。

「いかなる罪を……アレンは、犯したのですか? 死ななければならないほどの、何を彼は……あたしの、せい……?」

「断じて違います。貴女も、それにアレン司祭も、人としての誤りなど何1つ犯してはいません」

 言いつつ、ティアンナは左手を伸ばした。

 エミリィの腕から、赤ん坊を奪い取ろうとしている。

「罪を犯し、これからも犯し続けるのは私。もはや謝罪も反省も許されないほどの罪を、私は重ねています。いずれ唯一神の裁きを受けるまで、私は」

 言わせず、シェファは踏み込んでいた。

 両手に握った魔石の杖がバチバチッ! と電光を帯びる。

 稲妻の棒と化した杖を、シェファは思いきり振るい、叩き付けていた。ティアンナにだ。

 打撃と電撃を同時に叩き込まれたティアンナが、吹っ飛んで倒れ、受け身を取り、軽やかに立ち上がって大斧を構える。

 メイフェム、アレンに続いて今はシェファが、赤ん坊を抱くエミリィを背後に庇い、女王と対峙していた。

「……貴女なら、こうするのではないかと私ずっと思っていたのよ。シェファ」

 赤い面頬の中で、ティアンナは微笑んでいる。

 青い面頬の中で、シェファは呻き、叫んだ。

「あたし……あたし今ね、自分でも何やってんのかわかってないから!」

 シェファの全身、青い魔法の鎧の各所に埋め込まれた魔石が、赤く熱く発光する。

 その光が、いくつもの火球となって放たれ、ティアンナを直撃した。

 直撃を受けながら、ティアンナがゆったりと歩いて間合いを詰めて来る。

「シェファ……貴女は、私を止められる?」

 赤と金色で彩られた、魔法の鎧。その全身あちこちで、シェファの火球が砕け散る。

 舞い散る火の粉をまといながらティアンナは、ゆっくりと歩みを進めて来る。

「貴女に殺されて止まるのなら私、それが一番良いという気がしているのよ」

「誰かに……止められる事、前提で……何かやってんじゃないってのよ、あんた女王様でしょうが!」

 電光まとう杖をブンッ! と振るい構えながら、シェファは踏み込んで行った。

「邪魔する奴は誰だろうが、ゼノス王子だろうが国王陛下だろうがガイエルさんだろうがリム様だろうが、あたしだろうが殺して進む! あんたもう、そういう道を歩き始めちゃってんのよティアンナ姫!」

「そうね……ふふっ、まるでダルーハ卿のよう」

 電光の杖の一撃を、ティアンナが大斧の柄で受ける。

 受けてくれたのは礼儀のようなものだろう、とシェファは思った。次の瞬間、ティアンナが大斧を振るっただけで、自分は死ぬ。

「やめて……もうやめて下さい、2人とも……」

 エミリィが声を発した。弱々しい、だが聞く者の心に執拗にしがみついて来るような声。

「ねえ……わかってるんですか? この子、目の前で……お母さんを……真っ二つに……」

 目の前で母親を両断された赤ん坊が、しかしエミリィの腕の中で何も理解せず、はしゃいでいる。

 一瞬、地面が揺れた。シェファは、そう感じた。

 地震か。いや違う。地面だけでなく、大気も揺れた。

「どうして……ねえ、どうして? ……こんな事が、起こるの……?」

 世界そのものが、揺れた。エミリィの、声の震えに合わせるかの如く。

「女王陛下は……正しい事を、しておられるんでしょうね。だって、この子……人間じゃないですから。大きくなったら、人をたくさん殺すような怪物になっちゃうかも……お母さんだって、あんな人だったし。だから、赤ちゃんのうちに……この国を守らなきゃいけない立場の人なら、そう考えちゃいますよね……」

 空は晴れている。

 だが、目に見えない暗雲が渦巻いている。

 ティアンナも、そんなふうに感じているのだろう。シェファを大斧で叩き斬る動きを止め、周囲を警戒している。

「シェファさんは、この子を守ろうとして……まあ、ついでにあたしも守ってくれて……それにアレンも……ねえ、誰も間違った事なんかしてないんじゃないですか?」

 目に見えぬ黒雲が、音のない雷鳴を発した。

 落雷が起こった、わけではない。空は晴れている。

 だが今。稲妻よりも禍々しいものが、確かに天下って来つつある。目に見えない、何かが。

 エミリィの、血を吐くような声に合わせてだ。

「なのに、シェファさんと女王陛下が戦って……アレンが、死んで……どうして? 誰も間違った事はしていないのに、どうしてこんな事が起こるんですか? ねえ……」

 再び、世界が揺れた。

 落雷よりも禍々しい、目に見えぬ何かが今、可視化・実体化を遂げようとしている。

「誰も間違っていないのに、誰かが戦って……誰かが、死ぬ……どうして……何故、このような世界を……お創りになったのですか…………唯一神よ…………ッッ!」

 それは、力であった。

 強大な、あまりにも強大な力が、この物質世界において存在を開始しようとしている。

 巨大過ぎて目には見えないもの。目で全体像を把握するのが不可能なほど、巨大なもの。

 それの、ほんの一部が今、少女の叫びに応えて天下ったのだ。

「この世界を……創り直しなさい、唯一神よ……」

 はしゃぐ赤ん坊を抱いたままエミリィは、天下って来たものに呑み込まれてゆく。

「誰も戦わない、殺し合わない世界を……お母さんと赤ちゃんが、幸せになれる世界を……アレンが死なない世界を……唯一神よ、さあ今すぐ創りなさい!」

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