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灼熱のドラゴンニュート  作者: 小湊拓也


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第173話 勇者の遺産

 男という生き物は、女に対し、様々な幻想を抱いている。

 最たる例が、母性本能という代物だ。

 女は母性本能を持っているから、赤ん坊が好き。

 世の男たちがそう思い込むのは勝手だが、そんなものに付き合う義理はない。シェファ・ランティは、そう思っている。

 赤ん坊とは、誰かが守ってやらなければ生存出来ない弱々しい存在だ。もちろん、守れる時は守ってやってもいい。

 殺さなければならないのなら、それを躊躇う理由はない。

 人間の赤ん坊ではないのならば、尚更だ。

 人間ではない母親が、人間ではない赤ん坊を育てる。

 怪物にしか育たないのは、目に見えている。

「メイフェム・グリム……あんた何、赤ちゃんなんか産んじゃってるのよ……」

 魔獣人間バルロックに、シェファは魔石の杖を向けていた。

 青い魔法の鎧が、すでに全身を包み込んでいる。各所に埋め込まれた真紅の魔石が、光を発している。

 戦闘態勢は万全だ。

 あとは、眼前に佇む醜悪な女魔獣人間と、その体内から排泄物の如く押し出されて来た怪物の仔を、もろともにこの世から消し去るだけである。

「この世から消さなきゃいけない命を、何で……わざわざ、産んじゃうわけ……?」

「何を……ねえ、何を言ってるんですかシェファさんはっ!」

 メイフェムではなく、彼女の後方で赤ん坊を抱いている1人の少女が、怒りを露わにした。

「それは、確かにこちらのメイフェムさんは人間じゃありませんし、色々ひどい事もしましたけど、でも! だからって赤ちゃんに罪は……こんな事、言わなきゃわかんない人だったんですか? シェファさんって」

「ごめんねエミリィさん、言ってもわかんない。あたし、そういう奴だから」

 エミリィ・レアの、細腕と豊かな胸に抱かれている、小さな生き物。

 一見、単なる人間の赤ん坊である。

 その身を包んでいるのはしかし産衣ではなく、何枚もの翼だ。

 尻尾もあるのではないか。成長すれば、角も生えてくるに違いない。デーモンロードの、あの捻じ曲がった角が。

 デーモンロードが、もう1体、出現する。

 その事態を、今ならば未然に、容易に、防ぎ止める事が出来る。

 ならば、躊躇う理由などないはずであった。

「無理をしないで、シェファ」

 もう1人の、魔法の鎧を着た少女が言う。

 シェファの青色に対し、こちらは真紅。炎と流血、両方を感じさせる色の全身甲冑が、しなやかな細身を包んでいる。

「貴女は何もせず、ただ見届けてくれればいいの。ガイエル・ケスナー以上に残虐な事をする、私を……ね」

 ガイエル・ケスナーを意識し過ぎているのではないか、とシェファは思う。

 ともかく、ティアンナ・エルベットは剣を抜いた。

 彼女の左前腕……鞘を兼用する円形の盾から、両刃の刀身がスラリと現れて赤い光を帯びる。

 赤熱する魔石の剣を、ティアンナは眼前に立てた。

「貴女がた母子を生かすため、デーモンロードは私たちを相手に命を散らせました。同じ事をなさいますか? メイフェム・グリム殿」

「……さて。散るのは、どちらの命かしらね」

 バルロックの右手に白い光が生じ、伸び固まって長剣を成す。

 その剣が一閃した。ティアンナの盾から、火花が飛んだ。

 火花が消える前に、メイフェムがさらなる攻勢に出ていた。左右で形の異なる翼が目くらましの如くはためき、女の曲線を筋肉で保った肢体が高速で翻る。

 斬撃の弧が2つ、生じていた。

 メイフェムの、剣ではなく左右の蹴り。猛禽の爪が、白い光を帯びながら、回し蹴りの形にティアンナを襲う。

 かわしながら、ティアンナは踏み込んでいた。赤熱する長剣が、蹴りを空振りさせたばかりのメイフェムに向かって突き込まれる。

 体勢の不安定な女魔獣人間を、疾風のようなものが取り巻いた。螺旋状の疾風。それが、ティアンナの剣先をビシッ! と弾き返す。

 鞭だった。バルロックの左手首から毒蛇のように生え伸びた鞭。

 それが、音速を超えた。

 衝撃が、シェファの全身を打ち据えた。

「あう……っ!」

 魔法の鎧でも威力を殺しきれない、鞭打の一撃。

 シェファは吹っ飛び、大木の幹に激突していた。

 そこへ、メイフェムが言葉を投げる。

「1人じゃ何にも出来ない小娘が……また、くだらない喧嘩をして別行動なんか取ってるわけ? いい加減にしないと本当に殺すわよ!? ねえちょっと」

「シェファに手を出す事は、許さない……!」

 ティアンナが、斬りかかって行く。

 赤熱する斬撃を、メイフェムは光の剣で受け流した。赤と白の光の飛沫が、火花と一緒に飛び散った。

「ねえ女王陛下。私ね、今とっても体調がいいの」

 楽しげに言葉を発しながらメイフェムが、その火花を蹴散らした。むっちりと凶猛な太股が跳ね上がり、猛禽の爪を生やした足指が折り畳まれて握り拳を成す。

 蹴り、あるいは足による拳撃が、斜め上方からティアンナを叩きのめした。

「厄介なもの身体の中から捻り出して、身も心もすっきり軽やかなわけ!」

 倒れたティアンナに向かって、白色光の剣が振り下ろされる。

「くッ……!」

 その斬撃を辛うじて盾で受け防ぎながら、ティアンナが倒れたまま剣を振るおうとする。

 赤熱する魔石の剣を握った右手を、しかし次の瞬間、バルロックの右足が踏みつけていた。猛禽の爪を生やした足が、少女の繊手を赤い手甲もろとも踏みにじる。

「姫……!」

 シェファは立ち上がりつつ、攻撃を念じた。

 青い魔法の鎧、その全身各所に埋め込まれた魔石が赤く発光する。

 その光が、いくつもの火球となって放たれ、メイフェムを襲った。

「だから、あんた1人じゃ何にも出来ないってのよ!」

 嘲り叫びながら、メイフェムが光の剣を振るい、襲い来る火球の全てを斬り砕く。

 いくつもの爆発が、女魔獣人間の全身を照らす。

 それら爆炎を、鞭が切り裂いた。

 高速で泳ぐ海蛇のように伸びて来た一撃が、シェファを打ち据える。

 衝撃に耐えながらシェファは吹っ飛び、地面に激突し、受身を取って一転しつつ魔石の杖を構えた。

 先端で赤く輝く魔石が向けられているのは、メイフェムにではなく、彼女にとって「厄介なもの」であるはずの生き物を抱いた1人の少女にだ。

「動かないで、エミリィさん……」

 シェファは言った。

 赤ん坊を抱いたまま後退りをし、この場から逃げ出そうとしていたエミリィの身体が、硬直する。

「シェファさん……あ、貴女は……」

「最後の警告……早く、逃げて。そのバケモノ赤ちゃん、そこへ放り捨ててからね。じゃないと、あたし……」

 リムレオンがこの場にいなくて本当に良かった、とシェファは思った。

「このまま、貴女ごと……」

「……やめなさい、シェファ」

 女魔獣人間に右手を踏み折られそうになりながら、ティアンナが呻く。

「貴女には無理……無理にそんな事をしたら、シェファの心は壊れてしまうわ。それは私の役目……貴女は、ただ見届けてくれればいいの」

「そんな……わけには、いかない……!」

 シェファは歯を食いしばった。

 ティアンナが、1人でメイフェムの相手を引き受けてくれている。その間に、自分が為すべき事は何か。

 本来の目的を、果たす。第2のデーモンロードが出現する未来を、消去する。

 それ以外に、何があると言うのか。

「何を……しているんだ、貴女たちはっ!」

 男の声がした。

 下位聖職者の法衣をまとう1人の青年が、場に駆け込んで来たところである。

「赤ん坊のいる所で一体、何をしている!」

 エミリィを背後に庇い、両腕を広げている。攻撃魔法兵士の構えた魔石の杖に、その身を晒しながら。

 アレン・ネッド司祭。

 バルムガルドで、もはやどうにもならなくなったリムレオンを、この人物に託した。

 そのアレン司祭が、ここにいる。つまりリムレオンが、この村にいるという事なのか。

 そんな事を考えている場合でもなくシェファは、またしても吹っ飛んでいた。

 白い、光の塊が、流星の如く飛来し、ぶつかって来て破裂する。光の爆発が、魔法の鎧をまとう少女の身体を木の葉のように舞わせていた。

 倒れ込んだシェファに、メイフェムが左手を向けている。

「駄目よ? 最後の警告、なんて言ってる暇があったら……こうやって、撃たなきゃあ」

 鋭利な甲殻質の五指に囲まれた掌が、白く発光している。

 そう。この女は魔獣人間でありながら、唯一神の力をこうして戦闘的に行使する、アゼル派の聖職者でもあるのだ。

「それが出来ないから、あんたは駄目……1人じゃ何にもやれない小娘だって言ってんのよッ!」

 光の塊が再び、メイフェムの左掌から射出される。

 魔石の杖にすがるように起き上がり、立ち上がりきれず片膝をつきながら、シェファは防御を念じた。

 魔力の防壁が眼前に生じ、砕け散った。メイフェムの光球に激突され、相殺……いや、衝撃は全てシェファの方に押し寄せて来る。

 光の破片もろともシェファは吹っ飛び、地面を削って土を舞い上げた。

「やめなさいっ……シェファに、手を出さないで……!」

 右手を踏みにじられたまま、ティアンナが呻く。

 苦しげに揺れる赤い兜に、メイフェムは光の剣を突きつけた。

「貴女とっても素敵よ、女王陛下。こうやって自分で現場に来て、自分の手を汚そうとする……貴女のお父様なんてねえ、ダルーハや私たちを邪魔したくてしょうがないのに自分じゃ何にも出来ないものだから、色んな連中を差し向けて……赤き竜とも、結託して」

「やめて下さい、メイフェム殿」

 アレンが言った。

「ご子息を守るため……にしても、もう良いでしょう。これ以上は、単なる暴力にしかなりませんよ。そんな行いを見せるのですか、ご子息に」

「アレン司祭……駄目、逃げて下さい! このような場所へ来てはいけない!」

 ティアンナが叫ぶ。

 アレンは逃げず、ただ悲しそうな顔をした。

「その、お声……エル・ザナード1世陛下であらせられる? 申し訳ありません、リムレオン・エルベットは」

「彼に関してのお話は、もう少し安全な時に。それより早く、お逃げなさい! 魔獣人間の近くにいては駄目!」

「……私、聞きたいわ。そのお話。リムレオン・エルベットが、どうしたって?」

 メイフェムが、アレンを見据える。

「まあ確かに、もう少し落ち着いた状況で聞きたいお話よね。待ってなさいアレン司祭。今、状況を落ち着かせてあげるから」

 ティアンナの右手を踏みつけたまま、メイフェムが白色光の長剣を振り上げる。赤い魔法の兜もろとも、少女の頭部を叩き斬ろうとしている。

 シェファが動く前に、アレンが叫んでいた。

「メイフェム殿、やめて下さい! 女王陛下もです。御自ら、そのように聖なる戦士の如く武装をして、ここまで来られた理由……わかります」

 エミリィの抱いた赤ん坊を、アレンは一瞬だけ見やった。

「貴女は人の世の女王として、当然の行いをしておられるのかも知れません。ですが!」

「……あたしもね、悩んだ。何しろ、赤ちゃんを殺そうってんだからね」

 少女が1人、いつの間にか木陰に佇んでいた。

 灰色のローブに細身を包み、一癖ありそうな美貌に今はいくらか沈痛な表情を浮かべている。

「だけど、このままじゃ……その赤ちゃんの前に、女王陛下とシェファが殺されちゃうから」

「セレナ・ジェンキム……」

 赤い面頬の内側で、ティアンナは微笑んだようだ。

「決心を……して、くれたのですか。私に、力を貸してくれると……」

「親父は、貴女を信じていました。だから、あたしも信じる事にします……女王陛下」

 握っていた左手を、セレナは開いた。

 小さな、光り輝くものが、少女のたおやかな掌からフワリと宙に浮かび上がる。

 黄銅色に輝く、指輪であった。セレナの指には、いささか大き過ぎる。

 竜の指輪。ブレン・バイアスの、形見の品である。

 その指輪がバチッ! と雷鳴を鳴らした。

 電光が、竜の指輪から迸っていた。ブレンが魔法の鎧を装着する時のように。

 その電撃が、魔獣人間バルロックを直撃していた。

「うっ……!」

 メイフェムが吹っ飛び、微かに感電をしながら倒れ一転し、起き上がる。大して痛手を与えたわけではないようだが、ティアンナの右手は解放された。

 セレナの傍らには、光の窓枠が開いていた。竜の指輪から、空中へと投影される感じにだ。

 その窓枠の中にセレナが右手を突っ込み、繊細な五指を超高速で躍らせ走らせる。

 よろりと立ち上がったティアンナの全身で、魔法の鎧が淡い光を発した。

 その光が空中あちこちに投影され、いくつもの光の窓枠と化す。

 セレナの手が一瞬、止まった。

「ブレン兵長の戦闘経験情報、今からそちらへ転送します。結構キツいと思いますよ。あと、こっちの指輪は完全に初期化されちゃいます。いいですか? 本当はリムレオン様のお許しをもらいたいとこですけど」

「リムレオンが、この場にいたら……許してなどくれないわね、きっと」

「何を、わけのわからない事……!」

 メイフェムが、ティアンナに斬りかかって行く。

 セレナが、止めていた右手を光の窓枠内へと走らせた。

「転送完了……」

 空中に一瞬だけ砂時計が現れ、消えた。

 その一瞬の間に、雷鳴が轟き渡っていた。

 ティアンナの周囲で、光の窓枠が全て、電光を発しながら砕け散っていた。

 光の破片を蹴散らしながら、電撃光が渦を巻いて荒れ狂い、ティアンナを防護する。

 電光の防壁に跳ね飛ばされたメイフェムが、よろめきながら感電する。

 その間、渦巻く防壁を成していた電光の嵐が、一気にティアンナを襲った。

「うっ……ぐ……ッッ!」

 荒れ狂う電撃に灼かれ、苦悶する少女。

 その赤く細い肢体が、苦しげに痙攣しながら一瞬、膨れ上がった。巨大化した。シェファには、そう見えた。

 見間違い、ではない。

 ティアンナは今、襲い来る電光を吸収している。正確には、彼女の装着している魔法の鎧がだ。

 たおやかな手甲が、華奢な肩当てが、厚みを増しながら尖ってゆく。

 何かに似ている、とシェファは思った。

 バルムガルドで、白い悪鬼と化していたリムレオン。

 ティアンナは今、あれと同じようなものに変わろうとしているのではないか。

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