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第162話 名無しの女王

「貴様どの面下げて……と言いたいところではあるが」

 苦虫を噛み潰したような顔、というものを自分は今しているのだろうとモートン・カルナヴァートは思った。

「平然と、お前はその面を下げて来たのであろうな」

「今の私は、さぞかし醜い顔をしているのでしょうね」

 粗末なマントに細身を包んだまま、その少女は言った。

 ヴァスケリア王国正規軍の本陣野営地、国王ディン・ザナード4世の天幕である。

 小太りの身体に似合わぬ甲冑をまとった国王の面前で今、2人の少女が跪き頭を垂れていた。

 1人は、短めの衣服を身にまとい、瑞々しい太股をなかなか際どいところまで露出させている。顔立ちは、まあ美しいは美しいが若干、険のようなものがあるようだ。

 どうやら攻撃魔法兵士であるらしく、魔石の杖を携えている。国王の面前であるから、本来ならば近衛兵にでも預けさせるべきなのだが。

 言葉を発しているのは、もう1人の少女だ。

「上品なお顔で内面の醜さを包み隠しながら隠しきれず、腐ったものが滲み出ている……王宮の方々を、私はそのように見ておりました。もう、偉そうな事は言えませんね」

 マントに身を包んでいる、のみならずフードを目深に被って長い金髪を覆い隠してはいるが、顔は辛うじて見て取れる。

 美しい。

 内面がいくら禍々しいものであろうと、それをこの美しい顔で封じ隠してしまう。

 モートンにとって、ティアンナ・エルベットとは、そのような妹であった。

「バルムガルドがな、魔獣人間の軍勢でヴァスケリアを攻める……その事態は、どうやら避けられたようだ」

 この妹が、無断で王位を捨て去ってまでバルムガルド王国に潜入したのは、元々それを目的としての事であった。

「貴様の功績、という事にしておいてやろう。よくやったな、ティアンナ・エルベット」

「私は何もしておりませんよ。それより陛下、今の私は名無しの小娘……名を呼ぶのは、どうかお控え下さいますように」

 無論、人払いはしてある。だがモートンは言った。

「誰かに聞かれたら聞かれたで構わんよ。エル・ザナード1世陛下が、こうして御帰還あそばされたのだ。私としてはな、今この場で譲位の式典を開いてもらいたいくらいだ」

 そして自分は、国王ディン・ザナード4世から副王モートン・カルナヴァートに戻る。

 否、副王の地位など要らない。いくらか捨て扶持をもらって安穏と暮らせれば、それで良い。

「今、それをやれば混乱が起こるだけだ」

 モートンの傍らに立つ男が、言った。

 がっしりと力強い長身を、いつ破けても良い粗末な衣服に包んだ、働き盛りの男。いくらか頬骨の目立つ顔には、モートンにはない精悍さが漲っている。

「少なくとも、ローエン派の連中と決着がつくまではな……あんたに、安穏たる隠居生活なんか許されちゃいないんだよ国王陛下」

「……お黙りなさい魔獣人間。国王陛下に対し、何という無礼」

 ティアンナが顔を上げ、その男を睨み据える。青い瞳が、凄烈なほど鋭い光を宿している。

 その眼光を、男は不敵な笑みで受け止めた。

「恐い姫君だな。さすが、ダルーハ様が擁立するだけの事はある」

 ギルベルト・レイン。

 ダルーハ軍の、最後の生き残りとも言うべき男である。

 ダルーハ軍と戦い続けてきたティアンナにとっては確かに、許しておける相手ではないだろう。

「俺を、この場でお手討ちになさるかね? あのムドラー・マグラみたいに」

「……懐かしい名前を、聞くものですね」

「奴を殺したの、あんただってな。俺のとっちゃ力をくれた恩人だが、まあ仇を討とうって気はないよ」

「何故……」

 ティアンナの口調が、重くなった。

「貴方がたは、何故……人間を、助けるのですか? 魔獣人間が全て1人の例外もなく、あのムドラー・マグラのように人々を苦しめる存在でありさえすれば」

「迷いなく、俺たちを殺し尽くせるか」

 ギルベルトは言った。

「構う事はない、俺がどうであろうと殺したければ殺せ。もちろん、お手向かいはさせてもらう……魔法の鎧、あるんだろう? 着ればいい」

 ティアンナ・エルベットが、魔法の鎧を持っている。激昂すれば兄である自分をも殴り倒す、この妹がだ。

 ヴァスケリア王国は、ある意味においてガイエル・ケスナーよりも強大残虐な力を保有する事になったのかも知れない。

 そんな事を思いつつ、モートンは言った。

「そこまでにしておけ。それよりティアンナ、いや名無しの小娘よ、貴様にはいくつか確認しておかねばならぬ事がある……まず1つ。あやつには出会えたのか?」

「バルムガルドの動乱を、ひとまずヴァスケリアに害の及ばぬ形で終息せしめる事が出来たのは……あの方の、おかげです」

 ガイエル・ケスナーが、バルムガルドにおいてティアンナと行動を共にしていた、とすれば。

 今、この場にいないのは何故なのか。何故ティアンナは、あの男と別行動を取っているのか。

 それを軽々しく問いただす事を躊躇わせる何かが、ティアンナの表情と口調にはある。

 なのでモートンは、別の事を訊いた。

「ではもう1つ……ブレン・バイアスが死んだというのは、本当か」

「……はい」

 包み隠さず、ティアンナは答えた。

 モートンは天を仰いだ。ここでは、空ではなく天幕の天井しか見えないのだが。

「ヴァスケリアにとって、一体どれほどの人材的損失であるか……少しは、考えてみたのか。名無しの妹よ」

「全ては、私の失態が招いた事……」

「そんな事よりも」

 無言で拝跪していた攻撃魔法兵士の少女が、ようやく言葉を発した。

「この先あたしたちが、やる事は……ローエン派の連中を、お掃除するみたく殺しまくる。それでいいですか? 国王陛下」

「聖なる戦士の軍勢、それに魔獣人間。殺し尽くすのは、さしあたってその2種類の者どもだけで良い。ローエン派を皆殺し、などと言ったら……真ヴァスケリアと名乗る、この地の人民全てを殺戮せねばならなくなる。ダルーハ・ケスナーを悪く言えぬ」

 天井を仰いだまま、モートンは言った。目だけを、ちらりとティアンナに向けた。

「……そなたなら出来る、かも知れんな? やはり王位を返そうか」

「確かに、手を汚すのは私が適任。ですが王位そのものは貴方にこそふさわしいと思いますよ兄上、いえ陛下……故に、これを」

 そんな事を言いながらティアンナが、小さな何かをモートンに向かって恭しく掲げて見せた。

 竜の指輪、である。

 ティアンナ自身のもの、にしては大きい。屈強な男の、太い指に合う品である。

「……ブレン・バイアスの形見か」

「装着者を失った、魔法の鎧……ブレン兵長の後継者にふさわしき者が現れるまで、個人ではなくヴァスケリア王国が管理するべきかと存じます」

「だからと言って、私に預けられても困るぞ」

 モートンは苦笑した。

「ブレン・バイアスもな、かつて私にそれを押し付けおった。だがなあ、この不摂生な身体で魔法の鎧を着られるわけでもなし……故に、返した。それはな、国や国王ではなく、魔法の鎧の関係者たる貴様らが責任を持って管理するべきであろう」

「つまり、あたしにお任せって事ですね」

 そんな事を言いながら、少女がもう1人、いきなり天幕に踏み込んで来た。

「初めまして国王陛下、セレナ・ジェンキムと申します」

「……聞いておる。ゾルカ・ジェンキム殿の娘御か」

 魔法の鎧を大量生産する、その態勢を作り上げる事なくゾルカ・ジェンキムは死んだ。

 一方アマリア・カストゥールは、魔法の鎧を量産し、魔獣人間を量産し、その2つを組み合わせた戦力をも保有している。

 ゾルカは、口で明言こそしなかったものの、魔法の鎧の軍事利用には否定的であった。だが時ここに至っては、そのような事は言っていられない。

「ローエン派との戦に、魔法の鎧の力を活かしてもらわねばならん……やって下さるか、ジェンキム家の方よ」

「やりますよ。ま、あたし的にはヴァスケリアのためにって言うよりも」

 セレナ・ジェンキムは言った。

「……姉貴のやらかしを、止めなきゃなんないんで」



 攻撃魔法兵士だからと言って、遠くから敵を撃つだけの戦い方しか出来ないわけではない。

 白兵戦の訓練は受けている。しっかりと叩き込まれている。ブレン・バイアスによってだ。

「リム様の馬鹿……ブレン兵長が死んじゃって平気でいられないの、自分1人だけだと思ってるわけ!?」

 この場にいない少年を怒鳴りつけながら、シェファ・ランティは魔力を燃やした。

 全身を包む魔法の鎧がバチッ! と電光を発する。それが、両手から魔石の杖へと流れ込む。

 電光を帯び、まるで稲妻の棒のようになった魔石の杖を、シェファは両手で振るい構えた。

 聖なる戦士たちが、様々な方向から群がって来て槍を繰り出し、戦斧を振るう。祈りを唱えながらだ。

「唯一神よ……我、汝殺すなかれの破戒者と」

「やかましいッ!」

 電光まとう魔石の杖を、シェファは横薙ぎに叩き付けた。

 襲い来る槍や戦斧が、へし折れた。それらを振るっていた聖なる戦士の肉体が、ひしゃげながら感電し、雷撃に灼かれてゆく。

 魔法の鎧の量産品が破裂し、その中身である醜悪な有機物が、噴出しながら焦げ砕ける。

 青色に武装した少女の周囲で、聖なる戦士たちがことごとく粉砕されて遺灰を散らせた。

 バルムガルド王国が、魔獣人間の軍勢を保有してヴァスケリアを脅かさんとしていた。

 それを止める。かの国から、魔獣人間という戦力を奪う。

 シェファとマディックがバルムガルド王国へと調査に赴いたのも、それを最終目的としての事だ。

 その目的は果たした、と言って良いだろう。

 魔獣人間の生産拠点であったゴズム岩窟魔宮は崩壊し、デーモンロードも倒れた。ヴァスケリアを脅かす力は、もはやバルムガルドには存在しない。

 バルムガルドが行おうとしていた事を、しかしヴァスケリア国内で実行せんとしている者たちがいる。

「本……っっ当にね、いい加減にしなさいよアンタたちはぁああああああああッ!」

 雷まとう杖で聖なる戦士たちを粉砕しながら、シェファはさらなる魔力を燃やした。

 少女の全身、青い魔法の鎧の各所に埋まった魔石が、赤く輝き、燃え上がり、炎を発する。

 小さな太陽のような火球が無数、一斉に発射されて戦場に降り注ぐ。

 爆炎の火柱が立て続けに生じ、聖なる戦士たちが吹っ飛んで舞い上がりながら砕け散る。

「飛ばし過ぎだシェファ、魔力は温存しろ」

 燃え盛る石の松明を放り投げながら、魔獣人間ユニゴーゴン……ギルベルト・レインが言った。

 投擲されたものが爆発し、聖なる戦士の一部隊を、石像に変えながら打ち砕く。熱を持った石の破片が、大量に舞い散った。

 それを蹴散らすようにして、別の部隊が猛然と群がって来る。長剣を、戦鎚を、祈りと共に叩き込む。

「我らに罰を、導きを……」

「聖なる……万年平和の、王国へと……」

 叩き込まれた武器が、ことごとくへし折れる。

 それらを振るう鎧歩兵たちが、片っ端から破裂してゆく。

 ギルベルトの拳が、蹄が、隕石の如く彼らを直撃していた。

「倒したんだな、デーモンロードを」

 素手による破壊殺戮を実行しながら、ギルベルトは言った。

「お前だけじゃない、マディック司祭やリムレオンの若君も頑張ったと見えるな……その2人が今ここにいないのは、ちょいと気にかかるが」

「……色々あってね。デーモンロードを倒してめでたしめでたし、で終われば良かったんだけど」

 言いつつシェファは電光の杖を振るい、聖なる戦士の1体を灼き砕いた。

「そこからね、ゴタゴタがあったわけよ。ブレン兵長は……死んじゃうし」

「奴の事だ、どうせ無茶をしたんだろう。あの若君を守るために、な」

 見てきたかのような事を、ギルベルトは言った。

「守られた若君は、そのせいで心が折れて……メルクトかサン・ローデルにでも引きこもってる最中と、そんなところか?」

「……わかっちゃう、よね。やっぱり」

 シェファが苦笑した、その時。

「リムレオン・エルベットは死んだ。炎に灼かれて、な」

 声がした。威圧感そのもののような、男の声。

 こちらを見下ろす高台の上に、人影が2つ、佇んでいる。黒く力強い姿と、白く弱々しい姿。

 闇色の全身甲冑に身を包んだ男と、白い法衣に身を包んだ若い尼僧である。

 言葉を発しているのは、男の方だ。

「……だがな、また生き返るかも知れん」

 黒い面頬で、顔を隠している。が、何者であるのかをシェファは知っている。

 1度は、共に戦ったのだ。

 デーモンロードが倒れた今、もはや共に戦う理由はない。ならば敵対する理由はあるのか。

「リム様の事は、とりあえずいいわ。死んだの生き返るだの、そんな話であたしらを動揺させるなんて……つまんない手ぇ使う人だったのね、ラウデン侯爵」

 シェファは言葉を返した。

「そんな事しなきゃいけない理由は何? そんな手ぇ使ってまで、あたしらと戦わなきゃいけない理由! アマリア・カストゥールなんかと結託して、こんな戦争を続けなきゃいけない理由って一体何なのか、ねえ教えてよ、教えなさいラウデン・ゼビル!」

「我が敵は貴様ではない、暗愚の王ディン・ザナード4世だ。あやつに味方しようと言うのなら、貴様たちも敵という事になるがな。シェファ・ランティそれにギルベルト・レイン」

 ラウデンは言った。

「この国を統べる王は、エル・ザナード1世陛下でなければならぬ」

「あの姫君も、こちらの陣営にいるぞ。兄王に取って代わる気が、今のところはないようだ」

 言いつつギルベルトが、ラウデン侯の傍らに佇む尼僧を、ちらりと見やった。

「貴様が俺たちと戦い続ける理由なんぞ、今やどこを探してもないはずだがな……それよりも。そこにいるのは、セレナ・ジェンキムの姉貴じゃないのか?」

「イリーナ・ジェンキム……!」

 シェファは息を飲んだ。

 ラウデン・ゼビルに対して激昂するあまり、気が付かなかったのだ。

 イリーナは何も言わない。ラウデンに身を寄せるようにして弱々しく佇み、俯いている。

 まるで彼女を庇護するかのように立ったまま、ラウデン侯は言った。

「ここ真ヴァスケリアではな、大勢の民が魔獣人間に成り損なった。我々が何か命じたわけではないぞ? 奴らはな、志願したのだ。ダルーハ・ケスナーに全てを奪われた、その絶望から逃れるためにな……そうして人間ではなくなってしまった者どもに魔法の鎧を着せ、便利な使い捨ての戦力に仕立て上げてしまった者がいる。このイリーナ・ジェンキムだ」

 そんな事を言われても、イリーナは無言で俯いたままだ。

「この娘はな、もはや後戻りが出来ぬところにいるのだよ。そして、それは私とて同じ事……」

 高台の上から面頬越しにラウデンは、聖なる戦士の軍勢を睥睨した。

「大領主の権限で、こやつらを作り上げたのは私だ。真ヴァスケリアの軍指揮官として、貴様たちと戦い続ける……私にはな、もはやその道しか残されておらぬ。そしてエル・ザナード1世陛下には、お覚悟を決めていただかねばならぬ。こやつらを殺し尽くす事で」

 黒い面頬の内側で、眼光が禍々しく点った。

「人間の世から、人間ではない者ども、人間をやめてしまった者どもを排除する……ひたすらに異物を排除し、人間の世を守る。その道を、歩んでいただかねばならぬのだ」 

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