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灼熱のドラゴンニュート  作者: 小湊拓也


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第157話 神の化身

 偶像崇拝が、唯一神教では禁じられている。

 唯一神とは、姿なき存在。形なき存在。外見を、描く事も造形する事も、いや想像する事さえ許されてはいない。

 だからこそ、伝説が生まれる。

 世が闇に覆われた時、唯一神が姿を、形を、肉体を得て降臨し、人々を救うと。

 その姿は、美しい青年であるという。恐ろしい怪物である、とも言われている。

 まさしく自分は、あの時、伝説を目の当たりにしたのだ。ブラムト・マクドは、そう思っている。

 今や真ヴァスケリアと呼ばれる、この地に住まう者の大半が、同じ事を思っているはずである。

 唯一神はあの時、まずは青年の姿で現れた。堂々たる体格をした、美貌の青年。

 まさしく神の化身にふさわしい、その美丈夫が、やがて恐ろしい怪物に変わった。

 そして、ダルーハ軍の残党を皆殺しにしてくれた。

 悪逆無法の輩に罰を下すべく、唯一神は降臨したのだ。

 日々、習慣的に漠然と信仰していた唯一神教が、あの時、ブラムトの心の中で確固たるものとなったのだ。

「かくして唯一神は、汝らに道を示したまえり」

 司祭が、滔々と祈りの言葉を唱えている。

「……さあ、我らと共に聖なる歩みを始めましょう。貴方たちには、万年平和の王国へと至る道が約束されたのです」

「唯一神は、我らに道を示したまえり」

 村の広場に集まった人々が、祈りを唱和する。

 ブラムトを含めて、総勢18名。全員が、今から司祭に連れられ、ガルネア地方の大聖堂へと向かう事になる。聖女アマリア・カストゥールの祝福を受けるために。

「待てよ父ちゃん!」

 小さな人影が2つ、広場に飛び込んで来た。

 幼い、男の子と女の子。兄妹である。

 ブラムトの息子と娘、リゼルとセシールだ。

「畑さぼって、どこ行くんだよ!」

「リゼルも、セシールも……ごめんなぁ。ちょっとだけ、待っててくれなあ」

 子供たちに、ブラムトは弱々しく微笑みかけた。

「お父ちゃん……もっと強いお父ちゃんになって、帰って来るからよう。何が来たって、おめえらを守れるくらい強くなるからよお」

 守ってやれなかった。妻を……この子たちの、母親を。

 幼い娘を守るために彼女は、ダルーハ軍の残党に身を捧げたのだ。

 それは、野犬の群れが牝鹿を喰い殺す様に似ていた。

 妻が、男たちの餌食となっている間。ブラムトは子供2人をしっかりと抱き締めて、ただ震えていた。

 野獣のような男たちが高笑いをしながら立ち去り、妻の無惨な屍だけが残された。

 正視する事が出来ず、ブラムトは子供たちを抱え運んで逃げた。

 妻は埋葬される事もなく、野晒しのまま朽ち果てた。

 それ以来、生き延びながら死人のように過ごしていたブラムトを、生き返らせてくれたのが、あの若者である。

 唯一神の化身たる美しい青年が、恐ろしい怪物へと変わり、ダルーハ軍残党を大いに殺戮した。

 妻の仇である男たちが、物の如く叩き潰される様を見て、ブラムトは、死んでいた自分の心が蘇ってゆくのをはっきりと感じたものだ。

 まさしく、神罰であった。

 唯一神は、実在する。ブラムトは確信し、その後にやって来たローエン派の人々が唱える教義を受け入れた。

 怪物に化身する若者が、まずは唯一神の力を示してくれた。

 その後、聖女アマリア・カストゥールが、唯一神の慈愛を示してくれた。

 唯一神の教えに従って生きる。それこそが、人のあるべき姿なのだ。

 聖女アマリアの祝福を受け、唯一神の力を授かる。

 それこそが自分ブラムト・マクドの為すべき行いであり、そして守ってやれなかった妻への贖罪なのである。

「お父ちゃん! やめてえ!」

 セシールが、泣き叫んだ。

「よろこばないよ……お母ちゃん、よろこばないよぉ……」

「みんなもだよ!」

 泣きじゃくる妹の頭を撫でてやりながらリゼルが、村人18名に向かって叫ぶ。

「ダルーハ軍の奴らにめちゃめちゃにされた村と畑! みんなで、やっと立て直したのに放っぽり出してどこ行くんだよ! 何しようってんだよおおおお!」

「わかってあげなさい、子供たち」

 司祭が、優しい声を発した。

「君たち子供は、大人にすがって生きるもの。大人たちは、唯一神にすがって生きるものなのだよ。君たちが思うほど大人とは、強いものではないのだからね」

「それは」

 声がした。女性の、と言うより女の子の声。

「人外の力に頼り、人間ではなくなってしまう事が、許される……理由にはなりませんよ、司祭殿」

 唯一神の化身たる、あの若者が現れる前であれば、間違いなくダルーハ軍残党の餌食になっていたであろう美少女が2人。いつの間にか、広場に佇んでいた。

 1人は、マントの下に丈の短い衣服を着用しており、際どい高さまで露出した太股が目に眩しい。

 たおやかな手に魔石の杖を握っている。どうやら、攻撃魔法兵士のようだ。

 顔立ちは美しく、あるいは可愛らしい。が、いささか気難しそうではある。

 言葉を発しているのは、もう1人の少女だった。

「貴方は……あの方の戦いを、目の当たりになさったのですね」

 澄んだ青い瞳が、じっとブラムトを見つめる。

 美貌そのものは、もう1人の少女と大差ない。だが、何かが違う。

「わかります。私も、あの方のように戦えれば……何度、そう思った事か」

 マントの下に着用しているのは、下着にも似た、防御力など欠片もなさそうな鎧である。

 すらりと引き締まった身体つきは、確かに魅力的ではある。だが胸の大きさは、もう1人の少女に負けている。

「ですが、それは許されない事。貴方も、憧れるだけにしておきなさい……あの方のように成りたい、などと思っては駄目」

 口調は、穏やかだ。が、聞く者に一切の反論を許さぬような響きが、その言葉にはある。

 短くない期間、大勢の人間に命令を下すような立場に身を置いた事があるのではないか。そう思わせる少女である。

「貴女がたは、もしや私の聖なる行いを……妨げんと、しておられる?」

 司祭が、にこやかに言った。

「このような事、考えたくはありませんが……よもや貴女たちのようなお美しい御婦人方が、あの暗愚なる俗人の王ディン・ザナード4世の意向で動いておられる、などと」

「国王陛下のもとへ、いずれは馳せ参じようと思っております」

 無能極まるヴァスケリア国王ディン・ザナード4世を、少女は国王陛下と呼んだ。

「その前に、真ヴァスケリアなどと呼ばれるこの地の現状を、己の目で確認しておこうと思ったのですが……まさか、このような事になっていようとは」

「そう、見ての通りです。真ヴァスケリアは、唯一神と共に栄える国となったですよ。もはや俗人の王など不要」

 司祭が、勝ち誇っている。

 どうでも良いから自分を早く聖女のもとへ連れて行って欲しい、とブラムトは思った。

「……村人たちを置いて、立ち去りなさい」

 少女が命じた。

「そしてアマリア・カストゥールに伝えなさい。貴女のやり方では、何も守れはしないと。誰も、救えはしないと」

「おい、聖女様の悪口を言うな!」

 村人たちが、口々に言った。

「誰だか知らんが放っておいてくれ。俺たちは、神様の力をもらいに行くだけなんだ」

「ダルーハみたいなのが、また出て来ても絶対に負けやしない、みんなを守れる力を!」

「ヴァスケリア王家の連中は、何もしてくれなかった。だから俺たちが聖女様と一緒に、この国を! みんなを守るんだ!」

 少女が、無言で俯いた。

 もう1人の少女が、魔石の杖をくるりと振るい構えながら、ようやく言葉を発する。

「神様の力、みんなを守れる力……ってのが一体どういうもんなのか。わかって言ってる? ねえちょっと」

「……悪くても、聖なる戦士には成れる」

 ブラムトは言った。

「あの時、少なくとも聖なる戦士くらいの力が俺にあれば……女房を、守ってやれたんだ」

「何言ってんだよ父ちゃん! 聖なる戦士になっちゃったら、もう2度と父ちゃんには戻れないんだぞ!」

 リゼルが叫ぶ。

 攻撃魔法兵士の少女が、笑った。

「子供の方が、ちゃんと現実見えてるわねえ。ま、あたしからも言っとくけど聖なる戦士なんてやめときなさい。あれ雑魚だから、はっきり言って」

「愚弄するか……我らが聖女の御業を、愚弄するのか」

 司祭が、にこやかな表情をかなぐり捨てながら、右手を掲げる。

 その中指に、金属の蛇が巻き付いている。蛇の形をした、指輪だ。

「ディン・ザナード無能王の回し者ども……生かしては、おけぬぞ」

 蛇の指輪が、光を発した。

 その光が、空中あちこちに投影される。

 謎めいた紋様が複数、そこに発生していた。

 宙に描き出されたそれらが、何かを産み落とした。

 重々しい足音を発する者たちが、少女2人を取り囲んで着地する。

 鈍色の、鎧歩兵の集団だった。

 聖なる戦士とは違う。中身が、入っていない。空っぽの全身甲冑が群れをなし、槍や長剣を振り立て、少女たちに襲いかかる。

 その襲撃の真っただ中で、攻撃魔法兵士の少女が身を翻した。

 たおやかな右手の中指で、司祭と同じく指輪が光っている。

 こちらは蛇ではなく、竜だ。

「武装転身……」

 呟きに合わせ、竜の指輪がキラキラと青い光を振りまく。

 まるで鱗粉のような光の粒子が、優美に翻る少女の全身に、渦を巻いて付着する。

 そして、鎧に変わった。

 凹凸のくっきりとした体型そのままの形で金属化した、青い全身甲冑。

 聖なる戦士、とは似て非なるものと化した少女が、襲い来る鈍色の鎧歩兵たちを迎え撃った。

 魔石の杖がバチッ! と電光を帯び、まるで1本の稲妻のようになりながら、鎧歩兵たちの槍や戦斧を受け流し、弾き返す。

 得物から全身甲冑へと電撃を流し込まれた兵士たちが、痙攣しつつも電光に灼かれ、破裂してゆく。

「ま……魔法の、鎧だと……」

 司祭が息を呑み、そして牙を剥いた。

「そうか、お前たちであったか……聞いておるぞ。ふふふ、聖女アマリアより賜りし神の力……試すには、ふさわしき者どもよ」

「……やはり、貴方も?」

 魔法の鎧を着用していない方の少女が、短く問いかける。

 その愛らしく優美な右手の中指でも、竜の指輪が輝いていた。

 司祭の全身から、法衣がちぎれ飛んだ。

「おうよ! 貴様たちの魔法の鎧など、すでに時代遅れの旧式である事を! 思い知らせてくれるわぁあああ!」

 法衣の下から、鎧が現れた。ブラムトには、そう見えた。

 聖なる戦士と同じ、鈍色の甲冑。

 いや。甲冑と言うより、金属化した外皮であった。

 首から上では、顔面が面頬と化し、頭皮が兜と化して角を生やしている。山羊の如く渦を巻いて伸びた、金属の角。

 咆哮が聞こえた。

 司祭の胸で、1頭の獅子が吼えている。針金のようなタテガミを広げて刃物の牙を剥く、獅子の顔面。

 その胸部の左右では、両腕が巨大に膨れ上がっていた。

 金属製の力瘤を隆起させ、鉄杭のような五指を拳の形に握り固めながら、司祭が名乗る。

「この……強化魔獣人間、キマイラゴーレムがなあああ!」

 強化魔獣人間。醜悪な怪物である事に、違いはない。

 それでも、とブラムトは思う。

 今の自分、妻を守ってやれなかった自分よりはずっと、唯一神の化身たるあの若者に近い存在である、と。



 魔獣人間に、魔法の鎧を着せる。当然、思いつく手段だ、とティアンナは思った。

 ムドラー・マグラもゴルジ・バルカウスも、可能であれば造り上げていただろう。このような、魔法の鎧の成分を有する魔獣人間を。

「キマイラの力を持つ魔獣人間……1人、私は知っているわ」

 右の細腕を、ティアンナは真横に振るった。

 中指で赤く輝く竜の指輪が、火の粉のような光の粒子を飛び散らせる。

 飛び散ったものが、ティアンナの周囲で一気に燃え上がり、渦を巻いた。

 それは炎の蛇、いや竜であった。

「彼に比べて貴方は、ごめんなさいね。無様な失敗作であるとしか言いようがないのよ」

 荒れ狂い咆哮する炎の竜たちに囲まれながらティアンナは、真横に伸ばしていた右手を、すっ……と眼前に立てた。

「その醜い姿、この世で晒しものにしておくのはかわいそう。だから始末してあげます……武装、転身」

 炎の竜たちが、燃え盛りながらティアンナの全身を締め上げる。

 とてつもない高温の圧力が、やがて戦う力そのものに変わってゆくのを、ティアンナは感じた。

「……エル・ザナード1世……」

 強化魔獣人間キマイラゴーレムが、在位中でもない女王の名を口にした。

「暴虐の女王が、さらなる暴虐の力を手に入れて振りかざし、真ヴァスケリアの民を虐げんとするのだな」

「貴方たちに、そのような事を言う資格が……などと口論をするのは、無駄というものね」

 真紅の魔法の鎧に身を包んだ姿を、ティアンナは1歩、踏み込ませた。左腕の楯に収納された魔石の剣を、すらりと抜き放ちながら。

「魔獣人間と口論をする、会話をする。これほどの、時間の無駄遣いはないわ」

 1人、いた。日々の会話くらいはしてやっても良い、と思える魔獣人間が。

(貴方といた日々……とても楽しい、時間の無駄遣いだったわ。ゼノス王子……)

 彼がいなくなった今。全ての魔獣人間はティアンナにとって、会話ではなく討伐の対象でしかないのだ。

「その力で、バルムガルドにおいても暴虐を為して来たのであろう! 許せぬ、神罰を受けよ!」

 キマイラゴーレムが、猛然と殴りかかって来る。金属製の剛腕が、ティアンナを襲う。

 バルムガルドで大いに暴虐を働いたのは、まあ間違いない。

 そんな事を思いながらティアンナは攻撃を念じ、軽やかに踏み込んで行った。

 魔石の剣が、赤い魔力の光を帯びる。ガイエル・ケスナーが振るうものと同じ、赤熱する斬撃。

(否……あの方と、同じ力など……)

 真紅に輝く細身の刃を、ティアンナは一閃させた。

 金属の剛腕が、激しく空を切る。

 その勢いに引きずられるまま、強化魔獣人間の上半身が滑り落ちた。下半身が、がくりと膝を折る。

 断面に、赤熱する魔力の光が塗り広げられている。

 溢れ出す臓物が、その光に灼かれ焦げ砕けてゆく。

 上下真っ二つの屍が、やがてサラサラと灰に変わって崩れ落ちた。

「この程度の力では到底……ガイエル様と、戦うなど……」

「……戦う、って事になっちゃうわけ? あの人とは、やっぱり」

 電光をまとう魔石の杖を携えたまま、シェファ・ランティが声をかけてくる。

 動く全身甲冑の群れは1体残らず、パリパリと帯電する金属屑に変わっていた。

「何を……何て事を、してくれたんだ……」

 村人の1人が、絶望している。

「聖女様の、祝福を……神様の力を……もらえる、ところだったんだぞ……あんたたち、何の権利があって邪魔を……」

「もうやめて、お父ちゃん!」

 幼い少女と少年が、その男にしがみついた。

 親子、であるようだ。父親と、息子と娘。

 母親は、どうしたのか。何となくわかるような気がしながら、ティアンナは言った。

「私は女王として、貴方たちを救う事が出来ませんでした……などと思ってしまうのは、傲慢なのでしょうね。貴方たちを救ったのはヴァスケリア王政ではなくガイエル・ケスナー。あの方に感謝の念を抱くのは当然の事、ですが憧れてはいけません。あの方に近付きたい、あの方のようになりたい、などとは……どうか、思わないで欲しいのです」

「エル・ザナード1世……女王様、なのか……」

 別の村人が言った。

「ダルーハをやっつけてくれた、あんたには……俺たち、感謝しなきゃいけないんだろうな……だけど、残党どもが残っちまった。そのせいで、俺たちが……どんな目に、遭ったのか……」

「この女王様を、せいぜい嫌いになればいいわ。あたしもね、この女は大ッ嫌いだから」

 ティアンナに親指を向けながら、シェファが言う。

「それは、それとして……魔獣人間を目指すのなんて、やめときなさい。ろくなもんじゃないっての、今見ててわかったでしょ?」

「……俺より……ましだ……」

 小さな子供2人を呆然と抱き締めたまま、男は呻いた。

「女房を、守ってやれなかった……俺なんかより、ずっと……」

「もうやめようよ父ちゃん。それより畑!」

 幼い男の子が、座り込んでしまった父親を立たせようとしている。

「毎日ちゃんと働くのが一番、神様に近付ける事なんだって、母ちゃんも言ってたじゃないか!」

「そうそう、ちゃんと働いて税金を納める。それをさぼって人間やめようなんて、神様は許してくれても、こちらの女王様は許してくれないわよ?」

「ほらシェファ、もうやめときなさいって」

 3人目の少女が、いつの間にかそこにいて苦笑している。

 セレナ・ジェンキムだった。

 今まで、安全な場所を自力で見つけて隠れていたようだ。

「まったく、ラウデン侯爵がここにいたら殺し合いよ? 女王陛下に無礼な口をきくなってね」

「ふん。あの人、ティアンナ姫を唯一神みたく崇拝しちゃってる……くせに、1人でどっか行っちゃったわね」

 ラウデン・ゼビルは、大領主としての政務に戻った。不在の間、やはり様々な事が滞っていたらしい。

 ここ真ヴァスケリアが、国と呼べるかどうかはともかく、大勢の民が生活する自治体として機能しているのは、やはり聖女アマリア・カストゥールではなくラウデン・ゼビル侯爵の手腕によるところが大きいのだ。

 彼は、ティアンナに言った。真ヴァスケリアの女王として即位してもらいたい、と。

 そんな事をしたら当然、ヴァスケリアの正統なる国王である兄ディン・ザナード4世を相手に、国土を2つに割っての内紛を引き起こす事になる。

 だからティアンナは断り、こうしてラウデン侯とは一時的に別行動を取っている。

 先程、自ら口にしたように、ここ真ヴァスケリアの現状を己の目で確認するためにだ。

「それよりティアンナ様、シェファも言ってましたけど……本当に、ガイエルさんと戦うんですか?」

 セレナが訊いてくる。

「あの人が、ダルーハとかデーモンロードみたいな事やり始めたんならともかく……言いにくいんですけど、ゼノス王子の事なら、その……」

 きちんと謝ればガイエルは許してくれるだろう、とでも言いたげなセレナに、ティアンナは微笑みを向けた。

「ねえセレナさん。私、理解してしまったのよ。この地に住まう人々が本当に信仰しているのは、唯一神でも大聖人ローエン・フェルナスでもないわ。聖女アマリア・カストゥールですら、ないのかも知れない」

 アマリア・カストゥールは利用しているだけではないのか、とティアンナは思う。

「真ヴァスケリアの民が、本当に心の拠り所としている存在……それはガイエル・ケスナーよ。あの方は、この地の人々に……強大なる暴力への信仰心を、植え付けてしまわれた」

「あの人みたいになりたくて、みんな魔獣人間を目指しちゃう」

 シェファが、魔法の鎧を着たまま腕組みをした。

「ガイエルさんが、この世からいなくならない限り……それは続くかもね、確かに」

「言うまでもないと思うけど、絶対無理です。今のまんまじゃ」

 セレナが断言した。

「魔法の鎧の戦闘記録、見せてもらいました……6人がかりで、ボコボコにされてますよね。しかも、その6人が揃う事は……もう絶対ないわけで」

 ブレン・バイアスが死んだ。

 マディック・ラザンとは、袂を分かった。

「だけど、あたしが見たところ……生き残った5人の中に、魔法の鎧使いとして、物凄い伸びしろのある人がいます。今ここにいない人ですけど……あの人が、本気出してくれれば」

「駄目よセレナ、あんな奴を当てにしちゃあ」

 シェファが、冷たい声を発した。

「ブレン兵長に死なれて、心が折れちゃった奴なんか……ずっと引きこもらせとけばいいの。その間に、あたしらで面倒事は全部片付けちゃえばいいんだから」



 アマリア・カストゥールが本当は何者であるのか、知る者はいない。

 彼女に関して、しかし明らかな事が1つある。

 聖女を名乗る、あの娘は、ガイエル・ケスナーを本当に憎悪している。かの赤き魔人を、この世から消し去ろうとしている。

 その思いだけは、本物だ。

 得体の知れぬ聖女の心の中で、その殺意にだけは嘘偽りが一片もない。

 ラウデン・ゼビルとしては、それだけで充分だった。

 ガイエル・ケスナーをこの世から消す。共通の目的を果たすために、利用し合う。それだけである。

 赤き魔人を討ち滅ぼすためにアマリア・カストゥールは、これまで赤き魔人の存在そのものを利用してきた。

「唯一神が、恐ろしい怪物の姿で天下る……私が子供の時から、そのような伝説は確かにあった」

 大聖堂の一室。豪奢な長椅子に身を沈めながら、ラウデンは言った。

「我らが聖女殿は、その伝説を、現実に現れてしまった怪物と巧みに結びつけた。見事な手腕である、と言わざるを得んな」

 ここ真ヴァスケリアの人民は、信じきっている。ダルーハ軍残党を殺戮し尽くした怪物が、唯一神の化身であると。

「その殺戮によって救われた者たちは、思うだろう。唯一神の力が目の前に実存する、自分もそれに近付きたいと……神の力が、欲しいと」

 ダルーハの叛乱によって全てを失った民が、神の力を求めるようになる。

 自ら、魔獣人間化の道を志すようになる。

 そうして生まれた真ヴァスケリア製の魔獣人間たちが、赤き魔人を倒すための戦力となる。

 聖女アマリアは、そう信じているようであった。

「だがな、ガイエル・ケスナーの力を体感した私に言わせれば……それは無理だ。捨て鉢になって人間をやめてしまうような者たちでは、あの怪物を倒す事など出来はせん」

 ゼノス・ブレギアスが生きていれば。

 思っても仕方のない事を、ラウデンは心の中で押し潰した。

「赤き魔人を倒せる魔獣人間など、もはや存在しない。魔獣人間という手段では、ガイエル・ケスナーをこの世から消す事は出来ん……もはや魔法の鎧に望みを託すしかないのだぞ、イリーナ・ジェンキムよ」

「……はい……」

 ラウデンと卓を挟んで長椅子に腰を下ろしたイリーナが、俯くように頷いた。

「赤き魔人を倒すための戦力……まだ目処はつかぬか」

「…………」

 この頼りない娘に、ラウデンは己の魔法の鎧を預け、戦闘経験情報の解析を急がせた。

 出来る限り詳しく、話も聞かせた。魔法の鎧の装着者6人がかりでガイエル・ケスナー単身に叩きのめされ、ブレン・バイアスという得難い戦力を失った、あの無様な戦いに関してもだ。

 ガイエル・ケスナーを倒すための力を、何としても開発する。

 その任務とは直接、関係のなさそうな問いを、イリーナは口にした。

「僅かな期間、とは言え赤き魔人と行動を共にしたラウデン侯にお尋ねします……ガイエル・ケスナーとは、いかなる者なのですか? それほどまでに、悪しき存在なのですか?」

「正義か悪か、無理にでも分類せねばならぬとしたら正義であろうな。ガイエル・ケスナー、あれは紛れもなく正義そのものよ。あやつによって悪と断ぜられた者は、その瞬間に滅び去る」

「正義、ですか……」

「義侠心の塊のような男でな、例えば子供たちに虐められている仔犬を放ってはおけん。結果、仔犬は助かり子供たちは皆殺しにされる……そういう存在だ。1日も早く、この世から消さねばならぬ」

「義侠心の、塊……」

 イリーナが一瞬、沈思した。

「魔法の鎧の装着者……生き残った5名の中に1人だけ、大きな伸びしろを秘めた者がおります。彼は今、どこに?」

「……あやつか。今頃は恐らく、生まれ故郷のメルクトで城に引きこもっているであろうよ」

 ブレン・バイアスが死に、あの少年の心は完全に折れてしまった。

「あやつを鍛え上げれば、赤き魔人に対抗し得る戦力となる……などとは言うまいな?」

「彼自身もさる事ながら重要なのは、彼の装着する魔法の鎧です」

 イリーナの口調が、いくらか力強さを増してゆく。

「あれは私の父ゾルカ・ジェンキムが作り上げた、最初の魔法の鎧。彼はそれを身にまとい、他5名の誰よりも数多くの戦いを経験してきました。魔法の鎧6体の中でも最も豊富な戦闘情報が、彼の鎧には蓄積されています」

「ふむ、それで?」

 ラウデンは促し、イリーナは語った。

 聞きながらラウデンは、わけのわからぬ気分に陥った。

 驚愕か、あるいは激怒か。

 それほどまでに突拍子もない事を、イリーナは口にしたのだ。

「貴様……正気なのか!」

「ラウデン侯、貴方がた6人が魔法の鎧を装着しながら倒せなかった……完膚なきまでに打ち破られた、そんな相手を倒す手段を考えろなどと言われたのですよ私は。正気で、いられると思いますか?」

 イリーナが、じっと視線を向けてくる。

 狂気の眼差し、ではなかった。この娘は、正気を保っている。

「もちろん、尋常ではない幸運が必要です。はっきり申し上げますが、魔法の鎧を強化しただけで勝てる相手ではありません」

「……そう、であろうな。もはや6人揃う事も、ないのであるし」

 ラウデンは、片手で己の頭を掴んだ。

 名将と呼ばれた。軍略・戦術を立案する能力において自分を上回る軍人が、レボルト・ハイマン亡き今となってはヴァスケリアにもバルムガルドにも存在するまい、とは思う。

 そんな名将ラウデン・ゼビルの頭脳をもってしても今、目の前の小娘が口にした世迷言を上回る手段を構築する事が、これから先も出来そうにはない。

 卓上の鈴を、ラウデンは荒々しく鳴らした。

 数名の下級聖職者が、いそいそと駆け寄って来る。

 ラウデンは命じた。

「強化魔獣人間どもを何匹か、メルクトへと向かわせろ……リムレオン・エルベットの身柄を、魔法の鎧もろとも確保するのだ」

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