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第156話 聖なる道を征く者ども

「唯一神よ……我らに、罰を……」

「導きを、もたらしたまえ……」

「我らを……聖なる、万年平和の王国へと……」

 祈りの言葉が、この本陣にまで聞こえて来る。まるで地響きのように。

 鈍色の全身甲冑に身を包んだ、鎧歩兵の軍団が、祈りと足音を響かせながら整然と隊列を組み、進軍して来る。

 聖なる戦士、などと呼ばれている。

 魔獣人間に成り損なった者たちが、魔法の鎧を着ているのだという。

 魔法の鎧と言っても、例えばブレン・バイアスが着用するものとは違う、粗悪な大量生産品だ。

 ブレン兵長やガイエル・ケスナーと比べれば、雑魚と呼ぶのも褒めすぎと言えるような戦力である。

 だが無論、普通の歩兵・騎兵で太刀打ち出来る相手ではなかった。当然、攻撃魔法兵に頼る事となる。

 ヴァスケリア王国、ガルネア地方東部の平原。

 ずらりと横一列に並び、魔石の杖を構えている攻撃魔法兵団。その後方で、ヴァスケリア国王ディン・ザナード4世は呟いた。

「ブレン・バイアスが、いてくれれば……」

 レネリア地方、ガルネア地方、エヴァリア地方、バスク地方、レドン地方。

 ヴァスケリア王国の北部・東部を構成する、この5つの地方が、唯一神教ローエン派による宗教支配を得て独立し、真ヴァスケリアなどと名乗り、戦を仕掛けてきたところである。

 ブレン・バイアスは、かつてクラバー・ルマン大司教を殺害した罪で捕縛され、真ヴァスケリアへと護送される途中で脱走し、バルムガルド方面へと姿を消した。

 ブレン兵長の直接の主であるエルベット家が、手引きを行った。

 その罪で、エルベット家当主カルゴ・エルベット侯爵は投獄された。

 投獄されたはずのカルゴ侯爵が、しかし今は国王ディン・ザナード4世の傍に在る。

「よろしかったのですか……陛下の御一存で、私を獄中より解き放って下さるなど」

「構わんよ。そなたを獄に繋いでおく意味など、もはやないのだからな」

 ディン・ザナード4世……元副王モートン・カルナヴァートは、偉そうに腕組みをしながら言った。

 こうして豪奢な甲冑に身を包み、偉そうに佇んでみても、自分では今ひとつ様にはならない。

「大司教殺害の犯人たるブレン・バイアス、及びその主君たるカルゴ・エルベット。この両名を不当に厚遇している……それを攻撃材料として、ローエン派の者どもは我らを散々に脅し責め立ててきた。あやつらとの戦を避けるのであればカルゴ侯爵、そなたを下手をすると処刑せねばならなかったかも知れん。だがな、戦は始まってしまったのだ」

「だ、だからとて陛下が御自ら戦場に立たれるなど……!」

 カルゴの言葉に、モートンはただ苦笑した。

 自分が、戦場の英雄とは程遠い存在である事を、自覚はしているつもりだ。

 攻撃魔法兵団の指揮官が、号令を下した。

 ずらりと構えられた魔石の杖が、一斉に火を放ち、電光を発し、冷気を迸らせる。

 火球が、稲妻の束が、吹雪の渦が、聖なる戦士たちを直撃した。

 火球は砕け散って火の粉と化し、稲妻も吹雪も、弾けて消えた。

 聖なる戦士たちの進軍は、止まらない。鈍色の全身甲冑は、全くの無傷だ。

 彼らの指揮官、と思われる男が、何やら喚いた。

「無駄! 無駄なのだよ世俗の愚者ども。お前たちの力で、我ら聖なる軍団は止められん。さあ唯一神の裁きを受けるが良い!」

 司祭の装束をまとった大男。筋骨隆々たる体格を誇示するかの如く両腕を広げながら、勝ち誇っている。

「聖女アマリア・カストゥールの導きにより、ヴァスケリアは神の国となる! 愚劣なる俗人どもの屍を礎としてなあ!」

「……攻撃魔法兵団を、後退させよ」

 モートンは命じた。

 攻撃魔法兵士たちが、国王の命令に従い退いて行く。

 騎兵・歩兵の数個部隊が代わりに現れ、聖なる戦士たちの進路上に布陣した。身体を張って国王を守る構えである。

 同じようにモートンの前に立ちながら、カルゴ侯爵が言った。

「陛下も、どうかお下がりを……」

「うむ……いや、その必要はなさそうだ」

 モートンは、ちらりと空を見上げた。

 流星、のようなものが視界をかすめたからだ。

「……あやつめ、ようやく来おって」

 燃え盛る流星、あるいは隕石のようなものが、いくつも降り注いでいる。

 炎に包まれた、石。棒状の形で、大きさは棍棒ほど。

 石製の松明とも言えるそれらが無数、聖なる軍団の真っ只中に墜落して行く。

 いくつもの爆発が起こり、聖なる戦士たちが吹っ飛びながら粉々になった。

 飛び散ったのは、石の欠片であった。

 粗悪な魔法の鎧と、その中身である異形の肉体が、石に変わりながら砕け散っている。

 聖なる戦士たちは、石像と化しつつ爆散していた。

「なっ……何事……!」

 巨漢の司祭が、うろたえ驚愕している。

 燃え盛る石の棍棒が、まるで流星雨の如く、大量に降り注いでいた。

 そしてローエン派の軍中あちこちに墜落し、爆発する。

 魔法の鎧の量産品をまとう、なり損ないの魔獣人間たちが、ことごとく石化しながら粉砕され、無数の小石を飛び散らせた。

「頑張っているじゃないか国王陛下……あんたが踏みとどまってくれたおかげで、こうして敵の主力を一緒くたに片付けられる」

 戦場を見下ろすように聳える、岩の高台。

 その上に立つ男が、そんな事を言いながら、石の松明を投擲している。

 燃え盛る石の棍棒が、聖なる戦士たちを直撃・爆砕し、石像の破片に変えてゆく。

 無数の小石が爆風に舞う中、巨漢の司祭が高台を睨み、叫ぶ。

「うぬっ、何とおぞましき力……貴様、魔物の類か! バルムガルドにて暴虐の限りを尽くす、魔族の一党か!」

「魔族の連中はな、バルムガルドから撤退したらしいぞ。俺の主君である若君たちが、やってくれたようだ」

 答えつつ、その男は高台の上で、人間ならざるものの姿を堂々と晒している。

 一見すると、鎧をまとう戦士である。

 青銅色の全身甲冑に見えるものは、しかし外付けの防具ではなく、生身の外皮なのだ。その下では、頑強極まる筋肉が禍々しく息づいている。

 兜のような頭部には、3本の角。うち2本は猛牛のそれの如く左右一対、力強く湾曲しながら生えており、残る1本は額から螺旋状に伸びている。

「俺も、デーモンロードには借りを返したかったんだがな……まあ仕方なく今は、そこにいる王様の下で力仕事をしているのさ」

「ギルベルト・レイン……貴様は! 今までどこで何をしておった!」

 カルゴ侯爵が、高台に向かって怒声を張り上げる。

「国王陛下の御身に、危難が迫っておるのだぞ!」

「俺の身体は1つしかないんだよ、カルゴ侯爵殿。あっちの方でな、この聖なる戦士とやらの別部隊が町や村を襲ってやがったのさ」

 ギルベルト・レイン……魔獣人間ユニゴーゴンが、悪びれもせずに答えた。

「なあ国王陛下。あんた1人が助かっても、無辜の民って連中がいくらかでも犠牲になったら寝覚めが悪かろう?」

「口のきき方を改めよと、あれほど……!」

「まあ良い良い」

 怒り狂うカルゴ侯爵を、モートンは苦笑混じりになだめた。

「人間ではない者どもの無礼には、慣れておる……それで魔獣人間よ。その町や村は、助かったのであろうな?」

「そのために、聖なる戦士どもを討ち漏らさぬよう念入りに叩き潰していたら時間がかかってしまった。その間、よく持ち堪えてくれたな」

 言いつつユニゴーゴンが、その両手にシューッと息を吐きかけた。

 蒸気のような吐息が、発火しながら棒状に物質化を遂げてゆく。

 炎をまとう石の棍棒が左右2本、ギルベルトの両手に生じ、握られた。

「くそったれなヴァスケリア王族の中で、あんたはマシな方だって事がわかった。もうしばらく助けてやるよ」

 石化能力が物質化したもの、である石の松明を2本、ギルベルトは高台から戦場に投げ込んだ。

 1本が、聖なる戦士4、5体を石に変えながら粉砕する。だが、もう1本は。

「ふん……何かと思えば、旧型の魔獣人間ごときが!」

 巨漢の司祭が片手を振り上げただけで、砕け散った。

 太い五指が、何本もの鞭の如く伸びた、ようにモートンには見えた。

 いや、それらは五指ではない。何匹ものムカデ、のようなものたち。

 節くれだった甲殻をまとう、触手だった。

 無数のそれらが、落下して来た石の松明を打ち据え粉砕したのだ。

 巨漢の司祭は、人間の姿を脱ぎ捨てていた。

 隆々たる筋肉が、表面を外骨格状に固めながら膨張し、司祭の装束を突き破る。

 全身、甲殻に包まれた大男が、そこに出現していた。

 左右の前腕は、獅子のタテガミを思わせる体毛に覆われ、そこから甲殻の触手たちが五指の代わりに生え伸びている。

「ふむ……魔獣人間、か」

 モートンは溜め息をついた。

 このおぞましい生き物たちを、見慣れてしまった。

 曲がりなりにも自分はダルーハ・ケスナーの叛乱を経験し生き伸びたのだ、などと思わなくもなかった。

「ぐっふふふふ見るがいい。聖女アマリアの祝福を受けたる、この神の肉体を!」

 甲殻をまとう大男が、叫びながらタテガミを振り乱す。

 首から上でも、タテガミが獅子の如く広がっていた。

 顔面は、金属で出来た頭蓋骨である。タテガミに囲まれた、金属製の髑髏。

 それが、牙を剥き絶叫しているのだ。

「旧型の魔獣人間とは違うのだよ! 我は、我こそは唯一神の真の使徒! 強化魔獣人間マンティローパー! 世俗の愚物どもに聖なる裁きを下す者なるぞ!」

「強化魔獣人間、だと……」

 そう名乗った怪物を、モートンはじっと観察した。

 頭蓋骨、だけではない。全身の甲殻も、ムカデのような触手の群れも、生物の外骨格と言うよりは、金属に近い光沢を帯びている。

 甲殻ではなく、鎧ではないのか。

 金属製の全身甲冑を、肉体に仕込んだ魔獣人間。

「あ……あれは……もしや、魔法の鎧……」

 カルゴ侯爵が、モートンの思うところと同じ事を呻いた。

 真ヴァスケリアの宗教的指導者アマリア・カストゥールは、魔獣人間と魔法の鎧、両方の製造技術を有している。

 その2つを、合成する。自分でも思いつく陳腐な手段だ、とモートンは思った。

「魔獣人間に、魔法の鎧を着せる……か。まあ当然、出て来る考え方だ」

 言いつつギルベルトが、高台の上から跳躍した。

 地響きが起こった。

 魔獣人間ユニゴーゴンが、モートンの前方に着地していた。左右の蹄が、深々と大地を抉っている。

「誰かが、いつかやるだろうとは思っていた。どれ、出来栄えを試してみようじゃないか」

「試す、だと? 貴様ごとき旧型の魔獣人間が、私を相手に何を試すと言うのか!」

 強化魔獣人間マンティローパーが、ギルベルトに向かって巨体を踏み込ませる。そして両手を振るう。

「試しに使われるのは貴様の方よ! その時代遅れの身体、我が力でどのように粉砕してくれようか!」

 五指の代わりに伸びた触手の群れが、無数の鞭のように宙を裂いた。

 魔法の鎧と同材質の金属甲殻に覆われた、ムカデの大群。

 襲い来るそれらをかわそうともせず、ギルベルトはシューッ! と掌に炎を吐きかけた。

 燃え盛る石の棍棒が2本、またしてもユニゴーゴンの両手に握られた。

 マンティローパーが、嘲笑う。

「そのようなもの! また打ち砕いてくれる……」

 嘲笑が、詰まった。

 息を呑むような、それは悲鳴だった。

 石の松明2本が、甲殻触手の大群を、ことごとく打ち払っている。

「砕けてしまう武器ならば、砕かれないように振り回す……それが戦士の技量ってやつだ」

 青銅色の魔獣人間が、ゆらりと躍動する。

 その周囲を、2つの火の玉が高速で旋回しているように見えた。

 旧型魔獣人間の力強い両手が、炎まとう石の棍棒で、金属質のムカデたちを片っ端から打ち払い、弾き返している。

 弾かれた金属触手の群れが、苦しげにうねる。石化し砕けてしまわないのは、魔法の鎧の成分によるものか。さすが強化魔獣人間、と言えない事もない。

「こちとら魔獣人間になる前からな、ダルーハ様やドルネオ隊長に死ぬほどしごかれているんだよ」

 襲い来る金属ムカデの大群を、石の松明で払いのけながら、ギルベルトは着実に蹄の歩みを進めて行く。強化魔獣人間との間合いを、詰めて行く。

「ろくに鍛えてもいない奴との差はな、魔法の鎧を1つ2つ混ぜ込んだくらいで縮まるもんじゃあない」

「ぐぅっ……こ、この旧型がああああああッッ!」

 マンティローパーが、絶叫と共に何かを吐き出した。

 金属の髑髏が口を開き、超高速で伸びるものを吐き出していた。舌か、あるいは臓物か。

 やはり金属製の、サソリの尻尾であった。

 先端の毒針が、ギルベルトの顔面を襲う。

 全く駄目だ、とでも言うかのように、ユニゴーゴンは首を横に振った。猛牛の角が、サソリの毒針を叩き折った。

 直後。強化魔獣人間の巨体が、前屈みにへし曲がった。

 ギルベルトの蹴り。鉄槌のような蹄が、マンティローパーの腹部にめり込んでいた。

 魔法の鎧である外骨格のあちこちが破裂し、様々な臓物が噴出しながらちぎれ飛ぶ。

 原型を失ったマンティローパーの屍が、ユニゴーゴンの足元に倒れ伏して広がった。

 ギルベルトが見下ろし、言い放つ。

「魔法の鎧はな、人間が着ないと意味ないんだぜ……鍛えて強くなれる、人間がな」



 夢を見ていた、という気がする。

 とても幸せな夢だ。

 それは、しかし実は悪夢だったのではないか、とイリーナ・ジェンキムは思い始めていた。

(お父様は……きっと今の私を、お許しにはならない……)

 そんな思いを打ち明ける相手など、ここにはいない。

 ガルネア地方、唯一神教会大聖堂。その庭園である。

 イリーナの傍らには今、1人の女性が立っている。

 優美な肢体を純白の法衣で包んだ、若い娘。柔らかく艶やかな金髪は、まるで発光しているかのようだ。

 アマリア・カストゥール。聖女と呼ばれる人物。

 自分は、彼女の役に立っている。人々の役に立っている。

 平和を愛し、だが戦う力を持たぬがゆえ苦境に追い込まれていたローエン派の人々のために、自分の力を活かす事が出来る。父ゾルカ・ジェンキムから受け継いだ力を。

 それを至上の栄誉と思えていた時期が、イリーナには確かにあった。

(自分が、誰かの役に立つ……誰かの、力になれる……それが、これほどまでに人の心を……酔わせて、狂わせる……)

「どうかしたのですか? イリーナ司祭。随分と思い悩んでいるように見えるけれど」

 声をかけられた。天上世界の音曲を思わせる、涼やかな声。

 聖女アマリアが、優しく微笑んでいる。

 その美しく優しい笑顔から、イリーナは目を逸らせた。

「いえ……何でもありません。お気遣い感謝いたします、聖女様」

「そのような他人行儀な口のきき方はしないで。貴女は私の、大切な同志……大切な、お友達よ。貴女の悩みは私の悩み、どうか打ち明けて欲しいわ」

 目を逸らす事を許さぬかのようにアマリアは、イリーナの顔を覗き込んだ。

「聖なる戦士たちが、このところ思うような戦果を挙げる事が出来ずにいる……その事ならば別に、思い悩む必要はなくてよ? 貴女のせいではない、誰のせいでもないのだから」

 魔獣人間化に志願しつつも無残な失敗作と成り果てた人々に、魔法の鎧の粗悪な量産品を着せ、使い捨ての戦力とする。そんな事にゾルカ・ジェンキムの技術が使われてしまっている。

(何を……一体、何を……私は……)

 聖女アマリアの近くでイリーナは、そんな事を口走ってしまうところだった。

 自分の力が求められ、必要とされている。そんな状況に酔い痴れ、正気を失っていたとしか思えない。

「わかるわ……イリーナ司祭は、心優しい人ですもの」

 アマリアが、沈痛な声を発した。

「聖なる戦士となってしまった人々の事で、貴女は心を痛めているのでしょう?」

「聖女様……」

「平和のために戦い、唯一神の御元へ召される……それ以上の幸せを、喜びを、彼ら彼女らはこの地上世界に見出す事が出来なかった」

 聖女アマリアが本当に心を痛めている、ように見える。

「幸せを、喜びを、私は神に仕える者として……示してあげる事が、出来なかった。役立たずな聖女もいたものね。けれど貴女は違うわ、イリーナ司祭。戦うしかなくなってしまった人々に、魔法の鎧という実質的な力を与えてあげられる。綺麗事を言うだけの私と違って、ね」

「……その綺麗事がな、厄介なのだ」

 声がした。太く低く重い、男の声。

 庭園の片隅。その男は、木陰に佇んでいた。

 がっしりと力強い体に、あまり華美ではない貴族の装束をまとった壮年の男。

「ダルーハ・ケスナーの乱で全てを失った民衆の心に、貴様の綺麗事は実によく馴染む。どいつもこいつも頼みもせず命令もせんのに、魔獣人間や聖なる戦士の材料に志願してくる。まあ、普通に働く気力を失った者どもだ。片っ端から戦で死んでくれるのは、財政的にも大助かりなのだがな」

「ラウデン・ゼビル侯爵……!」

 アマリアが、憧れの人に会えた乙女のような声を出した。

「お戻りになられたのですね!」

「貴様に真ヴァスケリアの政治を任せてはおけぬゆえ、な」

 聖女の美貌に心動かされる事のない、数少ない男の1人が、ぎろりとアマリアを見据えて言う。

「本当に、余計な事をしてくれた。火事場泥棒的にバルムガルドを奪うにしても、あのような屑ばかり送り付けおって……全てが台無しになったぞ」

「ふふっ……少し、急ぎ過ぎてしまったようですわね。ですが最大の目的は、ラウデン侯が果たして下さいましたわ」

「デーモンロードを倒したのは私ではない。いくらか手伝いは出来たのかも知れんがな」

 侯爵が、脅すような笑みを浮かべた。

「聖女殿の思惑通り、魔法の鎧を持つ者全員がバルムガルドへ赴き、集結し、デーモンロードを討ち滅ぼした。当面、魔族の脅威がこの真ヴァスケリアに及ぶ事はあるまい……だが聞いていよう? デーモンロードよりも剣呑な怪物が1匹、野放しになったままだ」

「……ガイエル・ケスナー」

 聖女の口調が、一変した。

 微かな震えを帯びたその声には、憎悪に近いものが宿っている。

「かの赤き魔人を、この世から消す事さえ出来れば……人間の世は、人間ならざるものの暴虐から永遠に解放される……」

「そのためにもイリーナ・ジェンキムよ、お前の力が必要だ」

 言いつつラウデンが、左手の親指で何か小さなものを弾き飛ばした。

 飛ばされて来たそれを、イリーナは掌で受け取った。

 竜の指輪だった。

 イリーナがラウデン侯のために作り上げた、黒い魔法の鎧が、この中には入っているはずだ。

「私がバルムガルドで、デーモンロードと戦い、ゼノス・ブレギアスと戦い、ガイエル・ケスナーと戦い、殺されかけながら取得してきた戦闘経験情報……解析・研究し、赤き魔人を倒せるだけの戦力を早急に作り上げろ。聖なる戦士どもの力を底上げするも良し、私の魔法の鎧を強化してくれるのならばそれも良し。あの強化魔獣人間とやらいう者どもでは、全く話にならんぞ」

「あら、ひどい。自信作ですのに」

 アマリアの言葉を、ラウデンは無視した。

「これだけは言っておくぞイリーナ・ジェンキムよ。大勢の人間が魔獣人間に成り損ない、貴様の作った魔法の鎧を着て戦い、ゴミのように死んでいった……いくら心を痛めようが、お前は我らと同じく、もはや引き返せぬところまで来ているのだからな」

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