第154話 竜王、降臨
小さな太陽のような火の玉が、隕石あるいは火山弾の如く飛翔して、赤き魔人に降り注ぐ。
マントのようでもある赤い皮膜の翼が、それらを全て打ち払い、粉砕した。
無数の爆発が、ガイエル・ケスナーの全身を禍々しく照らし出す。
広く分厚い翼をゆったりと羽ばたかせ、はためかせながら、赤き魔人は歩いていた。
そこへブレン・バイアスが、右側から斬りかかって行く。魔法の戦斧がバチッ! と電光を帯び、落雷のように一閃する。
マディック・ラザンが、左側から突きかかって行く。魔法の槍が白い光をまとい、一直線に赤き魔人を襲う。
その槍を、ガイエルは左手で無造作に掴み止めた。そうしながら、右腕を振るう。
前腕からヒレ状に広がった甲殻の刃が、赤熱しながら魔法の戦斧を受け流す。
電光混じりの火花が散り、ブレンの身体がよろめいて泳ぐ。
左手で魔法の槍を掴んだまま、ガイエルは身を捻った。
槍を手放すまいとするマディックの身体が、ブンッ! と物のように振り回されてブレンに激突する。
黄銅色と緑色、2つの甲冑姿が火花を発し、一緒くたに吹っ飛んで倒れ転がる。
その間、ガイエルの右手が、流星のように飛来した何かを掴み取っていた。
白い、光の矢。
太く棒状に伸びつつ鋭利に尖った光の塊を、赤い節足のような五指がガッチリと捕えている。
「貴様……!」
光の矢を放った射手が、いくらか狼狽した。
黒い魔法の鎧に身を包み、刃の生えた長弓を携えた戦士……ラウデン・ゼビル侯爵。
そちらへ向かって、ガイエルがのしのしと踏み込んで行く。
尻尾でリムレオン・エルベットを絡め捕えたまま、だ。
「うっ……ぐうッ……!」
魔法の鎧の上から、凄まじい圧力が押し付けられて来る。
赤い大蛇のような尻尾が、白い魔法の鎧をミシミシッ……と拘束・圧迫し、中身の少年を締め潰しにかかっている。
圧死寸前のリムレオンを尻尾で捕え運びながら、ガイエルは悠然とラウデン侯に歩み迫った。
再び魔法の長弓を構え、弦を引こうとする侯爵に、ガイエルは光の矢を投げつけた。無造作に、投げ返していた。
本当に小石でも放るような、無造作な投擲が、ラウデンを直撃する。
力強く黒光りする甲冑姿が、白い光の破片を散らせながら吹っ飛んで行く。
岩の地面に激突し、跳ねて倒れるラウデンを庇う格好で、赤い人影が飛び込んで来た。
ティアンナだった。
真紅の魔法の鎧を装着した細身が、凛と佇んでガイエルと向かい合う。
「重ねて申し上げます、ガイエル様……ゼノス王子を殺したのは、私です。私1人です」
赤く輝く魔石の剣を構えながら、ティアンナは言った。
ゼノス王子を殺した。はっきりと今、彼女はそう言ったのだ。
「他の方々には関わりなき事。私が、お相手いたしましょう」
「俺の相手をする……まさか貴女の口から、その言葉が出て来るとはな……」
低く重く、笑い声を震わせながら、ガイエルはちらりと周囲を見た。赤く燃え上がる両眼で、見渡した。
ブレンが、マディックが、ラウデン侯が、よろよろと立ち上がって各々の武器を構えようとする、その様をだ。
「他の者には関わりなく、などと言っているのは貴女だけだ。見るがいい、どいつもこいつも命を捨てて貴女を守ろうとしている。逃げろ、と貴女が命じたところで逃げる者など1人もいないであろうよ」
突然、リムレオンは解放された。
圧死しかけていた少年の細身を、ガイエルが尻尾で放り捨てる。ティアンナの面前にだ。
立ち上がれずにいる少年を、赤き魔人が睨み据える。
白い魔法の鎧を、灼き砕かんとするかのように燃え盛る眼光。
ティアンナを守って見せろ。そう言われているのだ、とリムレオンは思った。
「リムレオン……」
「……ガイエル殿の言う通りだ。逃げろ、というのは無しだよ。ティアンナ」
よろり、とリムレオンは立ち上がり、魔法の剣を構えた。
おこがましくも、ティアンナを背後に庇って赤き魔人と対峙する格好となった。
本当なのか、という言葉をリムレオンは飲み込んだ。
本当にティアンナが、ゼノス・ブレギアスを殺したのか。
愚かな問いかけだった。
ガイエル・ケスナーが、これほどの殺意を燃やしてティアンナの眼前に立ちはだかっているのだ。嘘や冗談でなど、あるはずがない。
「ゼノス王子に関しては……ティアンナ、後でちゃんとした話を聞きたい」
赤き魔人から、ティアンナを守る。
そんな格好を維持したままリムレオンは、右手でかざした魔法の剣の刀身に、左手の指を走らせた。
鍔元から切っ先へと、光を塗り広げていった。
魔法の剣が、白色の光に包まれる。
光の刃をゆらりと構え、リムレオンは言い放った。
「今は……ガイエル・ケスナー、貴方を止める」
「そうだ、それでいい。ティアンナを守り抜いて見せろ、リムレオン・エルベット……ゼノスが、そうしたようにだ」
ガイエルの全身が燃え上がった、ように見えた。
炎のような闘気が、激しく立ちのぼり渦巻いている。
「大切な何かを守るために戦う者が、だ……俺のような、何か守るでもなくただ暴れて殺すだけの怪物に! 叩き潰されて跡形もなくなる! これほど残虐で痛快な話があるか!」
燃え盛る隕石が、ぶつかってきた。リムレオンはそう感じた。
ガイエルの拳。
格好つけて構えた魔法の剣で応戦する暇もなく、リムレオンは吹っ飛んでいた。
魔法の鎧は6体揃い、デーモンロードを倒した時と同じ力が発動している。
それがなかったら自分は今頃、魔法の鎧もろとも潰れ散っているだろう。
そんな事を思いながらリムレオンは、岩壁に激突し、ずり落ちた。
ブレン兵長に叩き込まれた防御と受け身の技術を、辛うじて発揮する事は出来た。
そのブレンが、斜め後方からガイエルに斬りかかる。
同時にティアンナが、
「ガイエル様、いくら貴方でも……リムレオンに暴虐を働く事は許しません!」
赤き魔人に向かって、正面から踏み込んで行く。
真紅に輝く魔石の剣が、一閃し、だが赤熱する刃のヒレに弾き返される。
ティアンナの細くたおやかな甲冑姿が、痛々しくよろめいた。
その間、ガイエルは振り返っていた。
凶器そのものの爪を生やした左足が、振り向きざまに跳ね上がってブレンを迎撃する。
電光を帯びた魔法の戦斧が、蹴り飛ばされて宙を舞い、回転しながらどこかへ落ちた。
悲鳴が、聞こえた。
「ぐえ……ぇ……っ」
リムレオンが殴り飛ばされている間に、今度はマディック司祭が、赤き魔人の尻尾に絡め取られていた。
緑色の魔法の鎧が、真紅の大蛇のような尻尾によってメキメキッ……と凹まされる。
ブレンが、蹴り飛ばされた武器に固執する事なく、徒手空拳のままガイエルに組みついて行った。
黄銅色に武装した剛腕が、赤き魔人の首に巻き付いてゆく……否。巻き付かれる寸前でガイエルは、
「ふ……そいつを喰らっては、たまらんなあ」
その剛腕を、掴んで振りほどいた。そうしながら片足を高速離陸させる。
赤い甲殻のブーツでがっちりと固められた蹴りが、ブレンの大柄な身体をズドッ! と前屈みにへし曲げた。
へし曲がったまま、ブレンは吹っ飛んだ。その身体から、黄色い光の粒子がキラキラと剥離する。
魔法の鎧が、粉砕されていた。
「貴様たちの力では、俺を倒す事など出来はせん」
言いつつガイエルが、尻尾で捕えたマディックの身体を、そのままグシャリと地面に叩き付ける。そして踏む。
凶器そのものの爪を生やした片足の下で、魔法の鎧が砕け散った。緑色の光の粒子が、ガイエルの足元でキラキラと舞い漂う。
「俺を殺したければ、ゼノス・ブレギアスを連れて来い……」
生身のまま岩の地面にめり込んでいるマディックを、とりあえず踏み付けから解放しながら、ガイエルは言った。
燃え猛る紅蓮の眼光は、ティアンナ1人に向けられている。
「わかっているのだろうなティアンナ……忠実さしか取り柄のない犬のように、貴女を守り通した男はな、もういないのだぞ」
「笑止……!」
言葉を発したのは、ラウデン・ゼビルである。
たくましく黒光りする甲冑姿が、ようやく立ち上がって長弓を引いている。
光の矢が生じ、つがえられた。
「人間ではないものが、人間を守るなど……続くわけがなかろうがぁああああああッッ!」
引き伸ばされていた魔法の弓が、勢い激しく元に戻り、光の矢を発射する。
その矢が、赤き魔人に向かって高速飛翔しながら輝きを、太さを、増してゆく。
巨大な破壊力の塊と化した光の矢を、しかしガイエルは無造作に叩き落とした。巨蟹の節足のような五指を広げた掌が、光の矢を粉砕していた。
その間ラウデン侯が、魔法の弓を長柄の如く振り回し、踏み込んで行く。
「赤き竜のように! ダルーハ・ケスナーのように、デーモンロードのように! 貴様が人間の世に禍いをもたらす事は断じてないと、一体誰が保証してくれる!」
長弓の両端から伸びた刃が、白い光を帯びながら一閃する。
ガイエルの方からも一歩、踏み込んでいた。ヒレ状の刃を赤熱させる右腕が、ラウデン侯を迎え撃つ形に動く。
「保証が欲しいか。ならば貴様たち自身の手で、確証を掴んで見せろ」
両者が、勢い激しく擦れ違った。
「俺を殺し、人間の世の平和を確かなものにして見せろ!」
赤く熱く輝く斬撃が、刃の長弓を、黒い魔法の鎧を、粉砕していた。
生身に戻ったラウデン侯爵が、光の破片をキラキラとまといながら倒れ込む。
そこへ、とどめの一撃を喰らわせる事が、しかしガイエルは出来なかった。
ティアンナが、赤い疾風となって踏み込んで行ったからだ。
魔石の剣が、ガイエルの左胸を穿っていた。
甲殻と筋肉とで分厚く固められた胸板に、赤く輝く細身の切っ先が突き刺さっている。
鎧のような真紅の甲殻を辛うじて突き破った刃は、しかしその下の頑強極まる胸筋に止められているようだ。心臓には到底、達していない。
「く……っ!」
流麗な赤い面頬の下で、ティアンナが歯を食いしばっている。
剥き出しの牙を同じく食いしばりながら、ガイエルは笑った。
「お見事……よくぞ俺に、傷を負わせた」
赤い胸部甲殻が、穿たれた部分を中心に小さくひび割れる。
鮮血が、甲殻の細かな破片を蹴散らすように噴出した。
「人間で、俺に傷を負わせたのは……ふふっ、貴女が初めてではないかなあああッ!」
竜の鮮血。その奔流が発火し、爆炎に変わりながら、ティアンナを襲う。
魔石の剣が、魔法の鎧が、灼き砕かれて光の粒子に変わった。
その煌めきをまといながら、生身の少女が吹っ飛んで岩に激突する。
魔法の剣を地面に突き立て、それにしがみついて身を起こしながら、リムレオンは叫んだ。
「ティアンナ……!」
「だ……大丈夫よ……」
艶やかな金髪を岩の地面に広げながら、ティアンナが気丈な呻きを漏らす。
下着のような鎧を貼り付けた生身の肢体は、とりあえず重篤な傷を負ってはいないように見える。
その細身はしかし、ガイエルが何かをしただけで容易く砕け散るだろう。
「魔法の鎧などなければティアンナ……今の一撃で貴女は、綺麗な死体も無様な肉片も残さず、消え失せてくれていたものを……」
全身で闘気を燃やす赤き魔人が一歩、ティアンナに迫る。
「貴女に、攻撃を喰らわせる……この苦しみを、ゾルカ・ジェンキムのせいで俺は2度も噛み締めなければならん。実に残虐な話よ」
「やめろ……!」
リムレオンは立ち上がった。
立ち上がるのが精一杯のリムレオンを見据えながら、ガイエルは背中の翼をはためかせ、尻尾を振るった。
流星雨の如く飛来したものたちが、竜の翼と尻尾に打ち払われて砕け、爆炎と化し、赤き魔人の姿を禍々しく照らし出す。
火球だった。
燃え盛る流星のような火の玉を無数、間断なく吐き出しながら、1人の魔獣人間がガイエルに斬りかかる。
「赤き魔人……貴様が! 貴様さえ、いなければ!」
レボルト・ハイマンであった。
赤き魔人の模造品にも見えてしまう黒色の異形が、翼を広げ尻尾をうねらせ、カボチャの形をした頭部の中で激しく炎を燃やしながら、踏み込んで行く。
片刃の長剣が、ガイエルに向かって一閃し、砕け散った。
赤き魔人の左前腕が、赤熱する刃のヒレで火球を砕きつつ、レボルトの斬撃をも砕いていた。
得物を失った魔獣人間の腕が、しかしそのままガイエルに組み付いてゆく。
横抱き、に近い形である。
赤き魔人の身体を両腕で抱き捕え、尻尾で絡め取りながら、魔獣人間ジャックドラゴンは叫んだ。
「シェファ・ランティ! やれ!」
青い魔法の鎧をまとう少女が、その言葉通り、赤き魔人をレボルトもろとも灼き砕きにかかっていた。
まっすぐに構えられた魔石の杖からドギュルルルルルルッッ! と光が迸る。真紅の、光の束。
レボルトに捕えられたままガイエルは、襲い来る破壊の光に向かって身体を前傾させた。
そして、口を開く。
上下の牙を押しのけるかのように、爆炎が迸っていた。
横向きの噴火のような爆炎の吐息と、真紅の破壊光の束が、ガイエルとシェファの間で激突する。
爆発が、起こった。
爆風が、シェファの細身を吹っ飛ばしていた。
岩に激突した少女の全身で、魔法の鎧が砕け散る。
青い光の粒子をキラキラと散らせながら、生身のシェファが倒れ伏す。
そちらを、もはや見向きもせずにガイエルは、レボルトの両腕と尻尾を振りほどいた。
そうしながら、横薙ぎに右腕を振るう。真紅に発光する刃のヒレが、横一直線に斬撃の筋を描く。
その赤い直線が、レボルトの胴体に刻み込まれた。
その時には、ガイエルの右足が高々と離陸していた。
凶器そのものの爪が、赤く熱く輝きながら振り下ろされる。
斬撃の筋が、レボルトの頭頂部から股間へと走り抜ける。
赤い光の十文字を刻み込まれたジャックドラゴンに、ガイエルはゆらりと背を向けた。
大蛇のような尻尾が、レボルトを打ち据えた。
光の十文字が、そのまま裂け目に変わった。
ガイエルの模造品のような魔獣人間が、吹っ飛びながら4つに切り分けられ、8つの断面を赤熱させる。
4つの肉塊のうち、3つが爆発した。
爆発光を背負いながらガイエルが、魔法の鎧の装着者・最後の1人に向き直る。
叫びながら、リムレオンは駆け出していた。
「サン・ローデル侯として命ずる! 全員、逃げろ!」
駆け、踏み込み、魔法の剣をガイエルに叩きつけてゆく。
赤き魔人は、軽く片手を動かしただけだ。
禍々しい節足のような五指が、鋭利に揃って手刀を成す。そしてリムレオンの渾身の斬撃を、無造作に迎え撃つ。
白く激しく輝く魔法の剣が、折れ砕けながら光の粒子に戻ってゆく。
手刀が、即座に拳に変わった。
直後、眼前で火花が散った。面頰が凹んだのを、リムレオンは感じ取った。
よろめいた身体を、踏みとどまらせる暇もなく、衝撃が腹部に叩き込まれて来る。少年の細身が、魔法の鎧もろとも前屈みにへし曲がった。
こみ上げる血の味を、リムレオンは飲み込んではいられなかった。
ガイエル・ケスナーの、拳か蹴りか尻尾なのか。目視・把握出来るような攻撃ではない。
とにかく、リムレオンは吹っ飛んでいた。
拳の形に凹んだ面頰の周囲で、血反吐の飛沫が舞い散った。
「ふん、思った通り……思った以上にやるなあ、リムレオン殿」
倒れたリムレオンを、ガイエルが即座に引きずり起こす。
凹んだ面頰の上から、凄まじい握力が食い込んで来るのを、リムレオンは感じた。
「俺の攻撃を喰らいながら、上手い具合に衝撃を逃している……受けと防御の技術を、徹底的に叩き込まれたと見えるな。おかげで貴公を、一撃で殺してやれん」
ガイエルの口調が、優しさ、のようなものを帯びた。
「楽に、死なせてやれん……すまんなあ。本当に、すまん」
「サン・ローデル侯として命ずる! 全員、逃げろ!」
そんな命令に、従うわけにはいかない。
いや。シーリン・カルナヴァート元王女とシェファ、それにエル・ザナード1世女王。この3名の身の安全を、まずは確保すべきであろうか。彼女たちを護衛しつつ、この場は退却せねばならないのか。
だが今ブレン・バイアスにとって、女性3名以上に守らねばならない存在が、赤き魔人に捕われている。
人の前腕の形をした奇怪な甲殻生物、のような手が、白い面頬をメキメキと凹ませてゆく。その下にある少年の端正な素顔が握り潰されてしまうのは、時間の問題であろう。
顔面を掴まれ、宙吊りにされたリムレオンが、弱々しく両脚を暴れさせる。
その全身では、白い魔法の鎧が歪み、ひしゃげている。ガイエル・ケスナーの攻撃を、あと1度でも喰らえば砕け散る。
ブレンの魔法の鎧は、すでに砕かれて光の粒子に戻り、竜の指輪に吸い込まれてしまった。
修復には、丸一日かかる。それを赤き魔人が、待っていてくれるはずもない。
そんな事は関係なかった。
リムレオン・エルベットが今、殺されようとしているのだ。
「若君……っ……!」
生身のまま、ブレンは立ち上がっていた。
「やめろガイエル・ケスナー……若君を、放せぇええええええええッッ!」
「無駄な事は……やめておけ、ブレン・バイアス……」
声がした。
声を発する事が出来るとは思えぬ状態のレボルト・ハイマンが、そこに倒れていた。
カボチャの形をした頭部は左半分しか残っておらず、下半身、及び上半身の右側も消失している。四肢のうち、残っているのは左腕のみだ。
4つに分かたれた魔獣人間ジャックドラゴンの一部が、弱々しく嘲笑っている。
「赤き魔人を相手に……生身で、何か出来るつもりでいるのか? 捨て身の覚悟を見せれば、見逃してくれる……などと、思っているわけではあるまいな……」
黙って死ね、と言ってしまいそうになりながら、ブレンは気付いた。
魔獣人間の左腕が、微かに動いている。外骨格の楯の下で、人差し指を立てている。
レボルト将軍は今、最後の力を振り絞って、何かを指し示そうとしているのだ。
指し示された方向を、ブレンは見た。
壺が1つ、転がっていた。生首ほどの大きさの壺。
材質は不明だが、一筋の亀裂も見当たらない。口も、しっかりと栓で塞がれたままだ。
洞窟の崩落を、無傷で耐え抜いた壺。
これほど強固な壺に入れておかなければならないものとは一体何なのだ、とブレンはまず思った。
「竜の……血だ……」
レボルトが、にわかには信じ難い事を言った。
「レグナード魔法王国の……ある意味、魔獣人間よりも忌まわしき遺産よ……1滴で、私は魔獣人間となった……私の肉体では、1滴しか耐えられなかった……」
竜の血を浴びた人間は、死ぬ。
死なずに耐え抜いた者のみが、人間を超えたものと成る。
その実例を、ブレンは知っている。ヴァスケリア人であれば、誰もが知っている。
ヴァスケリア人にとって、最も禍々しい固有名詞を、レボルトは口にした。
「ダルーハ・ケスナーに成れ……ブレン・バイアスよ……貴様であれば、竜の血にも耐えられる……かも知れん……」
バルムガルドの救国主と謳われた名将の、最後の言葉であった。
「赤き魔人を……この世から、消してくれ……頼む……」