第153話 勇者の誕生
かつてデーモンロードが腰を下ろしていた岩の玉座は、シーリン・カルナヴァートの細身には、いかにも大き過ぎるようである。
「この玉座には……貴方が、お座りになるべきではないのですか。レボルト将軍」
「バルムガルドの真の指導者たる御方を、私の傍に立たせておくわけにはゆかぬ」
デーモンロード健在なりし時と同じく、岩の玉座の傍に控えて佇みながら、魔獣人間ジャックドラゴンは言った。
ゴズム岩窟魔宮内部。かつてデーモンロードが謁見の間として使っていた、岩の大広間である。
ゴルジ・バルカウス、そしてデーモンロード。岩窟魔宮の主であった者たちは、ことごとく死んだ。
夢、などと呼べるものであるはずがない。
強いて言葉で表現するならば、覚悟、であろうか。
自分は半ば以上、覚悟を決めていたのだ、とレボルト・ハイマンは思う。
魔族の軍師としてデーモンロードを補佐し、魔物たちが人間を支配する体制を磐石のものとする。その事に、己の人生を捧げる覚悟をだ。
デーモンロードは死に、その覚悟は無意味なものとなった。
バルムガルド王国から、魔族の脅威が去った。
残ったのは、レボルトが作り上げた魔族の支配体制の残滓とも言うべき、この光景である。
岩窟の大広間を整然と埋め尽くす、魔人兵の群れ。
魔獣人間の、失敗作。ゴルジ・バルカウスやシナジール・バラモンは、残骸兵士などと呼んでいたようである。
その残骸兵士たちを、レボルト自身が鍛え、調練し、魔族の軍勢にも劣らぬ精鋭に育て上げた。
己の意思で、人間をやめた男たちである。妻を、子を、母を、姉や妹を、恋人を、守るために。
「隠す事でもないでしょう、レボルト将軍。どうか教えて下さい」
大き過ぎる岩の玉座の上で、落ち着かなげにしながら、シーリンが訊いてくる。
「魔族の脅威がひとまず去った今……貴方は、どうなさるおつもりなのですか」
「魔族の脅威は去り、そして我々は残った」
レボルトは言った。
「生き残ってしまった以上、戦い続けなければならん。闘争と殺戮以外には何も出来ないのが、我ら魔獣人間であり魔人兵なのだからな」
「何のために戦うのか、それをお訊きしているのです」
シーリンが、語調を強めた。
「もはや後には退けないからと、頑なに魔族の支配体制を守り続けるおつもりですか。その力……バルムガルド王国のために、役立てて下さるわけにはいかないのですか」
「言われるまでもない! 我らの力は、バルムガルドを守るためにのみあるのですよ王母様」
魔獣人間デュラバーンが言った。
「バルムガルドを脅かす者ども、生かしてはおきませぬ!」
「そう……あの魔法の鎧の者どもと、赤き魔人」
言葉と共に、風が吹く。
魔獣人間エアーコーンが、そこにいた。
「そして、あのリグロア王太子……」
「デーモンロードが死んだからとて、終わりではない。魔族に劣らぬ脅威となり得る者どもが、まだこれだけ存在しているのですよ」
言ったのは、魔獣人間スケルトロルだ。
「そして、こやつら全てヴァスケリアに与する者どもです……本当は、わかっておられるのでしょう? 王母殿下。魔族の脅威から、ひとまずは解放された今。バルムガルドの次なる敵は、ヴァスケリア王国であると」
「何を……何を言っているのですか、貴方たちは……」
シーリンが、巨大な岩の玉座から腰を浮かせた。
「ゼノス王子も、ガイエル・ケスナー殿も、それに魔法の鎧の方々も! 我が国にとって、この上ない恩人ではありませんか!」
「我が国、と仰せあるか。シーリン・カルナヴァート殿下」
立ち上がりかけた元ヴァスケリア王女を、レボルトは見据えた。
カボチャの形をした、魔獣人間の頭部。その内部で燃え盛る赤色が、眼光となって溢れ出し、シーリンを見据える。
「貴女にとっての我が国とは、ヴァスケリア……ではなくバルムガルドであると。そのように思って良かろうな?」
「無礼な……私がヴァスケリア人だからとて、バルムガルドを裏切るとでも」
燃え盛る魔獣人間の眼光を、シーリンは真正面から受け止め、睨み返してきた。
「バルムガルド国王の母親たる、このシーリン・カルナヴァートが!」
「信じよう。貴女が妹君エル・ザナード1世女王と通じ合い、バルムガルドに不利益をもたらす……ような事は、決してないと」
たとえヴァスケリア王族出身者であろうとも。この国の政を託すに足る人物は、もはやシーリン・カルナヴァートしかいないのだ。
「信じた上で問う。我がバルムガルドとヴァスケリアとが今後、対等な友好国同士でいられると、貴女は本気で考えておられるのか? 赤き魔人にゼノス・ブレギアス、それに魔法の鎧という戦力を有するヴァスケリアと、魔族に蹂躙され尽くし疲弊しきった我が国とが」
その蹂躙を手助けしたのは、自分レボルト・ハイマンである。
何の事はない。バルムガルド王国を裏切ったのは、シーリンではなく自分なのだ。
苦い自覚を噛み締めながら、レボルトは言った。
「あのエル・ザナード1世がその気になれば……バルムガルドは、たちどころに滅ぼされる。おわかりか王母殿下。ゼノス王子にも、赤き魔人にも、そして魔法の鎧の者たちにも、この世から消えてもらわねばならん。そのために、貴女をここへお連れしたのだ」
「レボルト将軍……貴方は……」
シーリンが、息を呑んでいる。
「本当に、戦うおつもりなのですか。ガイエル・ケスナー殿と……シェファ殿にサン・ローデル侯、ブレン兵長にマディック司祭、ラウデン・ゼビル侯爵それにティアンナと……ゼノス王子と。戦うのですか、この戦力で」
「無謀、とお思いか?」
「自殺行為です。バルムガルドにその人ありと謳われた名将の采配とは、思えません」
名将。ひどく懐かしい響きだ、とレボルトは思った。
そう呼ばれて有頂天になっていた時期が、確かにあった。
「愚かな戦いです。彼らを……無駄に死なせる事にしかならないと、本当はわかっておられるのでしょう?」
シーリンが、隊列をなす魔人兵たちを見やって言う。
レボルトは、紅蓮の眼光を燃やした。
「こやつらの命を気遣うのかシーリン・カルナヴァート。見ての通り、醜悪無様なる怪物と成り果てた者どもの……命を、救わんとするのか。救ってどうする。こやつらを、バルムガルドの民として受け入れるのか。そのような事、本当に出来ると思うのか」
「バルムガルドの女性たち子供たちを、彼らは身を呈して守り抜いてくれたのです。王国として、見捨てる事など」
「その女たち子供たちには何と言う? 身を呈してお前たちを守ったのだから受け入れろと! 夫として、父親として、兄や弟として、恋人として、この醜い化け物どもを! そう命ずるのか!」
「…………!」
シーリンが青ざめ、唇を噛み、言葉を失う。
レボルトは、さらに言った。
「こやつらにはな、死に場所を用意してやらねばならんのだよ」
「そんな……! そのような事……」
「良いのですよ王母殿下。我ら、もとより生き残ろうなどと思ってはおりませぬ」
魔人兵たちが、口々に言葉を発した。
「妻や子らに、迎え入れてもらおうとも思いませぬゆえ」
「へっ……こんな様じゃあな。お父ちゃんだなんて、わかるワケありませんや」
「我らは、何も求めずただ守るのみ。守るために戦うのみ」
「我らの死に場所。それはバルムガルドを脅かす者どもとの、戦いの場に他なりませぬ」
「すなわち、魔法の鎧を着たる者ども……そして赤き魔人!」
赤き魔人。ガイエル・ケスナー。全ては、あの男から始まっている。
あの怪物が、戦場に降り立ってヴァスケリア軍に味方し、バルムガルド軍兵士4000人を殺戮してのけた、国境の戦。
レボルトにとっても、あれが全ての始まりであった。
「無理」
声がした。若い、女の声。
「あんたたちが、あのガイエルさんに勝つなんて……命を捨てたって絶対無理。雑魚のくせに格好つけてんじゃないってのよ」
若い女、と言うより少女である。凹凸の瑞々しい身体を、青い魔法の鎧に包んだ少女。魔石の杖を携え、岩の大広間の入り口に佇んでいる。
「本当、格好つけないで欲しいわ……女の人をさらって人質にするような連中が」
「誤解をするなシェファ・ランティ。王母殿下に同道願ったのは、貴様たちをこの岩窟魔宮に導くため。ここで、全ての決着をつけるためだ。その戦いに、人質など使おうとは思わんよ」
レボルトは言った。
「人質になど取ろうものなら……このシーリン殿下、間違いなく舌を噛み切るであろうからな」
「黙れカボチャ男! あたしは、あんただけは絶対に許さない!」
青く武装した全身あちこちで、赤い光が激しく灯る。
魔法の鎧の各所に埋め込まれた魔石が、発光しているのだ。
王母シーリン・カルナヴァートを、目の前で拉致された。その怒りが燃え上がっている、ように見えた。
少女の全身から、いくつもの火球が放たれる……よりも早く、魔人兵たちが動いた。
全員ではない。敵1名に対し、この全軍が動いては、混乱しか起こらない。
入り口に最も近い所に布陣した、数名から成る一部隊のみが、鋭利な鉤爪を閃かせてシェファに襲いかかる。
青く武装した少女の周囲に、小さな太陽にも似た火の玉が、いくつも生じて浮かんだ。
そして発射される。
流星のように飛翔し襲い来る火球の群れを、魔人兵たちがことごとく回避する。
かわされた火球が、空中で勢いを失って燃え尽き、あるいは洞窟の岩肌にぶつかって砕け散る。
爆炎が、岩の破片を孕んだまま渦巻いた。
それを背景に魔人兵たちが、獣の如く駆け、跳躍し、刃そのものの鉤爪で全方向からシェファを切り刻みにかかる。
「こいつら……っ!」
狼狽するシェファに、レボルトは言葉を投げた。
「ローエン派が粗製濫造した者どもと一緒にしてくれるなよ。こやつらはな、デーモンロード配下の軍勢を相手に殺し合い同然の調練を繰り返し、生き残ってきたのだからな」
デーモンロード。その名を口にすると、何かが疼く。痛み、にも似た何かが、レボルトの胸中で。
(よもや貴公に対して……このような思いが、生ずるとはな)
魔法の鎧の装着者たちは、今後のバルムガルド王国にとって脅威となり得る存在である。が、それだけではないとレボルトは今、気付いた。
「……仇は討ってやるぞ、デーモンロード殿」
仇の1人が今、魔人兵たちに切り刻まれようとしている。
白い光が、生じた。
シェファの全身が、淡く白い光に包まれている。
魔人兵たちが、その光に激突し、弾かれて後方に吹っ飛び、敏捷に着地する。
聖なる、光の防壁だった。
「無茶をするな、シェファ!」
緑色の鎧歩兵が、大広間に駆け込んで来ると同時に槍を掲げている。
マディック・ラザン司祭。防御と癒しをもたらす者。
まずは、この男を始末するべきであろう、とレボルトが思ったその時。
光の矢が、降り注いで来た。
白い光で組成された、無数の矢。その雨を、魔人兵たちが、鉤爪を振るって迎え撃つ。
光の破片が、キラキラと散った。
矢は全て、魔人兵たちの爪の一閃で切り砕かれていた。
「見事……魔獣人間の成り損ないどもを、恐るべき精鋭に鍛え上げたものよなレボルト・ハイマン」
洞窟の内壁から、露台の形に突き出た岩塊。
その上に、黒く武装した1人の射手が立っている。
魔法の鎧に身を包み、刃の生えた長弓を手にしたラウデン・ゼビル侯爵。
「こやつらを率いて、エル・ザナード1世陛下にお仕えせよ。バルムガルドに居場所をなくした者ども、もはや生きる道は他にあるまい? 化け物としての力と命、女王陛下の御為に使い果たせ」
「ラウデン侯……あの戦場にいたのであれば、貴公とてわかるであろう」
レボルトは言った。
「この者どもが、誰よりも憎悪する存在……それは赤き魔人と、それを飼い操って殺戮を行うエル・ザナード1世よ」
「そして貴様だラウデン・ゼビル!」
叫び、羽ばたき、飛び立ったのは、魔獣人間デュラバーンである。
両腕の代わりに翼を広げた甲冑姿。その翼がギロチンのような刃となって、羽ばたきながら閃き、ラウデン侯を襲う。
「赤き魔人は無論許せぬ。だが貴様の率いるヴァスケリア軍との戦いで、俺の仲間が幾人も命を落としたのだ!」
「……戦であろう、それが」
言いつつラウデンが、長柄のように構えた弓を回転させた。
長弓の両端から伸びた刃が、白い光を帯びながら一閃する。
デュラバーンが、黒っぽい鮮血をしぶかせながら墜落した。
どこを斬られたのかは不明だが、浅手ではなさそうだ。とは言え致命傷でもなく、デュラバーンは地面に激突しつつも、よろよろと身を起こしている。
ラウデン侯も、いくらか距離を隔てて着地していた。
そこへ、魔獣人間スケルトロルが斬りかかって行く。びっしりとノコギリ状に牙を生やした、左右2本の長剣で。
「ヴァスケリアに仕えろとは、我らに向かってよくぞほざいた……赤き魔人と同じ陣営に属せよなどと、我らに対しよくもほざいたあッ!」
「無理……だろうな、それは」
ゆらりと横合いから踏み込んで来た何者かが、魔獣人間の斬撃を受け止めた。雷鳴が起こり、火花が散った。
パリパリと帯電する戦斧が、2本の牙剣を弾き返したところである。
ブレン・バイアスだった。
大柄で力強いその身を覆う黄銅色の全身甲冑も、電光を帯びている。
「無駄な事を言うのはやめておけ、ラウデン侯」
帯電する黄銅色の剛腕が、魔法の戦斧を思い切り振るい、手放した。投擲。
「こやつらのために、俺たちがしてやれる事など……何も、ありはしないのだ」
一斉に襲撃の動きを見せようとしていた魔人兵の一部隊が、電撃光をまとう戦斧に薙ぎ払われ、砕け散ってゆく。
肉か臓物か判然としない有機物の破片が、ビチャビチャッと飛び散りながら電熱に灼かれ、遺灰となって宙を舞う。
「出来る事と言えば、せいぜい……憎まれる事、くらいか。なあ、バーク殿……」
「貴様……そうか、貴様か……」
スケルトロルが、左右の牙剣を構え直し、ブレンに叩き付ける。
「バークの女房に手を出しやがったのは貴様かああああああああッッ!」
直撃。黄銅色の魔法の鎧から、血飛沫のように火花が散った。
だが、その直後には、ブレンの右腕がスケルトロルの首に巻き付いていた。獲物を絞め殺す大蛇のように。
「そうとも、俺はくそ野郎だ。憎め、せいぜい蔑んでくれ」
ブレンが、そのまま身を翻す。
竜巻のような暴風が一瞬、巻き起こった。
首を拘束されたスケルトロルの身体が、岩肌に叩き付けられる。
黄銅色の剛腕が、魔獣人間の頸部を圧迫し、へし折り、捻じ切っていた。
「それは、それとして……王母殿下は返してもらうぞ、レボルト将軍」
牙を剥く頭蓋骨そのものの形をしたスケルトロルの生首を、右腕に抱えたまま、ブレンは左手を掲げた。
そして帯電・猛回転しながら返って来た魔法の戦斧を、掴み止める。
「このバルムガルドという国を守るため、俺たちに死んでもらわなければならん、という事であれば同感だ。俺もな、レボルト将軍がこやつらを率いてヴァスケリアに攻め込んで来たらと思うと……あんた方を生かしておこう、という気には到底なれん」
「待って……待って下さいブレン兵長、レボルト将軍も」
弱々しく声を発しながら、岩窟の大広間に歩み入って来たのは、リムレオン・エルベットである。
魔法の鎧の中でも一際、地味な純白の甲冑姿。あの白い悪鬼と同一人物とは、とても思えぬほど頼りない。
「デーモンロードは倒れた。その遺児を擁立して魔族の支配体制を守る、という考えがレボルト将軍におありならば話は別だけど……そうでないならば、もはや戦う理由などないはずだ」
「ふん、擁立か。それも考えぬではなかったが……メイフェム・グリムにデーモンロードの子など産む意思があるのかどうか、いささか疑わしいところなのでな」
言いつつレボルトは左前腕に広がる楯状の外骨格から、片刃の長剣をスラリと抜いた。
「まずは礼を言っておこうかリムレオン・エルベット侯爵閣下。最初に貴殿を見た時には、あまりの弱さに絶望したものだ。これでは到底、デーモンロードを倒す事など出来ぬと……殺してしまおうかとも思ったが、思いとどまって良かったぞ。貴公らが6名揃ってくれたおかげで、このバルムガルドを魔族の脅威より解き放つ事が出来た」
「だから、もう戦う必要など……」
「ない、と思うならば戦わず、無抵抗で殺されてはくれぬかリムレオン・エルベット殿」
抜き放った長剣の切っ先を、レボルトはリムレオンに向けた。
「デーモンロードを討ち滅ぼしてくれた貴公らは、我らにとって今や魔族以上の脅威なのだよ」
「僕たちがバルムガルド王国に害をなすような事は絶対にない! 誓う!」
「貴殿にそのつもりがなくとも……貴女はどうかな、エル・ザナード1世女王」
この場に現れた5名の全身で、魔法の鎧がうっすらと光を発し始める。
魔法の鎧が6体全て、この場に揃った証。
揃う事で発揮された力が、デーモンロードを討ち破ったのだ。
「この力を脅しに用いて、バルムガルドに無理難題を吹っ掛ける……ような事はせぬと、約束は出来るのか。その約束を、破らずにおれるか」
「……貴方がた次第、と申し上げておきましょう」
赤く、熱く、禍々しく輝く姿が、リムレオンを押しのけるようにして現れた。
赤き魔人と同じ色をした、細身の甲冑姿。
「そもそも私がこの国に来たのは、バルムガルドから魔獣人間という戦力を奪うため……魔獣人間の製造施設である、このゴズム岩窟魔宮を、私たちは破壊しなければなりません。レボルト将軍は、それを黙認して下さいますか?」
「出来ぬ相談だな。貴女たちが魔法の鎧という戦力を保持している以上、我々も魔獣人間という力を失うわけにはいかん」
レボルトは即答した。
「互いに、もはや戦わぬわけにはゆかなくなってしまった……人ならざるものの力を、人の世の政に介入させた、貴女が招いた事態であるぞ。ヴァスケリアの女王よ」
「何を、自分勝手な事……最初に戦争ふっかけてきたのは! あんたたち、バルムガルド人の方でしょうがああああああッ!」
シェファが叫んだ。
「ガイエルさんに4000人だか5000人だか殺されたって、そんなの自業自得! いつまでも被害者ぶってんじゃないってのよ!」
「被害者面など、していない。俺たちはな、自分の意思で人間をやめたんだ」
魔人兵たちが、口々に言った。
「お前らヴァスケリア人が、赤き魔人を使って国を守ろうとする……それなら俺たちも、人間じゃないものの力で国を守るだけだ」
「我らの、国を……妻や、子を」
「愛する者を守るために、俺たちは貴様らと戦うだけだ!」
「こんな姿で女房子供に会おうなんて思っちゃいない。俺たちは、ただ守るだけだ! 戦うだけだ!」
「国を、愛する者を、守るために……」
叫ぼうとした魔人兵の1人が、巨大な岩に潰されてグシャリと広がり飛び散った。
岩が、降って来ている。
岩窟の大広間の天井が、ひび割れていた。
その亀裂から、爆炎が溢れ出す。
レボルトはとっさに翼を広げ、シーリンを包み庇った。
炎、と言うより爆発そのものが降って来ていた。
崩落した岩の天井を蹴散らす勢いで、爆炎が荒れ狂う。
魔人兵たちが、ことごとく焦げて砕けて遺灰と化し、舞い上がった。
「こ……これは……この爆炎は! 奴が……」
魔獣人間エアーコーンが、叫びかけて消え失せた。風そのもので構成された身体が、爆風と熱風に溶け込むようにして消滅する。
「ぐうっ……こ、こいつは! こいつだけはぁああああああ!」
デュラバーンも、同様の運命を辿った。爆炎に灼かれて砕け、灰となって熱風に舞う。
同じだ、とレボルトは感じた。
国境の戦において、バルムガルド軍兵士数千人を片っ端から火葬していった爆炎の嵐。
それが、またしてもレボルトの眼前で吹き荒れている。
岩窟の天井が広範囲に渡って失われ、青空が見えていた。
魔人兵は、おそらく1人も生き残ってはいないだろう。崩落した岩が、そのまま彼らの墓標となっている。
そんな死の光景が、熱で揺らいでいる。
大量の遺灰が、熱気の中を漂い舞う。
魔法の鎧の装着者たちは、6人とも無傷であった。あちこちで岩の上に佇み、呆然としている。
彼らにとっても、予想外の事態なのであろう。
何が起こったのかは、しかし明らかだった。
熱風に揺らめく空気の中で、赤い皮膜の翼がふわりと羽ばたいている。赤い大蛇のような尻尾が、獰猛にうねっている。
岩の墓標が乱立する、死の光景。その中央に、赤き魔人は降り立っていた。
凶悪なほど力強い筋肉を覆う、真紅の鱗と甲殻。
その全身から、炎にも似た闘気が溢れ出している。
「違う……」
レボルトは呻いた。
たった今、岩窟魔宮の天井を粉砕して降り立ったものは、自分がかつて追い払う事の出来た赤き魔人とは、明らかに違う。
本来の力を取り戻している、だけではない。何かが、覚醒している。
決して目覚めさせてはならなかった、何かが。
悪鬼の頭蓋骨そのものの形状をした顔面が、レボルトではなく、魔法の鎧の装着者たちに向けられた。
両眼が、炎よりも熱く猛々しく禍々しく、赤色を燃やす。
唇も頬もない、鋭利な牙だけの口が、言葉を発した。
「1つだけ……確認を、しておきたい」
それは魔法の鎧を着た6名のうち、ただ1人に対して放たれた言葉であった。
他5名も、レボルトもシーリンも、今やガイエル・ケスナーの眼中にはない。
「ゼノス・ブレギアスが死んだのは、奴が愚かであったからだ……何かをしようとする貴女を止めようとして、その刃をうっかり受けてしまった。貴女に、あの愚か者を殺す意図は全くなかった。そうだな? ティアンナ・エルベット」
この男は何を言っているのだ、とレボルトは思った。
ゼノス・ブレギアスが死んだ。それもエル・ザナード1世の手にかかって。
戯言としか思えぬ、その言葉に、赤き魔人と同じ色をまとう少女が答える。
「ゼノス王子は確かに、私のある行いを止めようとしました。私は、それを許さず……ゼノス王子を、殺しました。偶然でも過失でもありません」
赤き魔人の燃え盛る眼光を、エル・ザナード1世は面頬越しに、真正面から受け止めている。
「私は、確固たる己の意思で……ゼノス王子の命を、奪ったのです」
「見事…………!」
ガイエルの全身で、揺らめく闘気が燃え上がった。あの白い悪鬼のようにだ。
「守られる姫君の立場から、見事……脱却して見せてくれたな、ティアンナよ。貴女は今や、守られる者ではなく戦う者となった。吟遊詩人の歌に登場する、勇者の如く」
左右の前腕で、刃のヒレが赤く熱く発光する。
その斬撃は今これから、誰に対して振るわれるのか。
「ならば討ち滅ぼして見せろ……悪しき者である、この俺を!」