第151話 流血の女帝
女性が力仕事をさせられている。そんな光景が、見慣れたものになり始めていたところだ。
男が農具を振るい、石や丸太を運んでいる。そんな当たり前の日常労働をリムレオン・エルベットは、いくらか新鮮な気持ちで眺めていた。
ここタジミ村には、充分に男手がある。
この村から男たちを魔族に差し出さねばならない、そんな事態になる前にデーモンロードを倒す事は出来た。魔法の鎧の装着者6名が、力を合わせる事によってだ。
6人とも人間である。それに魔法の鎧は、人間ゾルカ・ジェンキムによってもたらされたものだ。
だからと言って、人間の力のみで魔族の脅威をひとまず退けたわけではない。
デーモンロードを絶命に至らしめるまで、人間ではない者たちの力には大いに助けられてきた。
タジミの村人たちが普通に働いている光景を、ぼんやりと大木にもたれて見物している1人の青年。
力強くしなやかに鍛え込まれた身体を、いつ破けても良さそうな粗末な衣服に包んでいる。
赤い髪は、男にしてはいささか長い。秀麗な顔立ちはしかし線が太く、女性的なものを感じさせない。男の美貌である。
同じく顔が綺麗と言われる事のある自分とは大違いだ、などと思いつつリムレオンは声をかけた。
「ガイエル・ケスナー殿……僕は貴方に、お礼を言わなければならない」
「……何の礼だ」
線の太い美貌が、ちらりとリムレオンの方を向く。
「俺が貴公を殺さずにおいて差し上げている、その事への感謝なら別に必要ないぞ。あと数秒も経てば、俺は貴公の首を捻じ切っているかも知れんのだからな」
「そ、それもあるけれど……貴方は、僕たちを助けてくれた。黒薔薇夫人の城で」
地獄の悪鬼が、ゴルジ・バルカウスの群れと魔獣人間の軍勢を、皆殺しにしている。
あの時、リムレオンは本気でそう思った。
「別に助けたつもりはない……貴方はそう言うだろうけど、僕たちが助かったのは事実だ。ありがとう、ガイエル殿」
「あの場に、俺がもう少し早く到着していればな。デーモンロードにとどめを刺す事も、出来ていたかも知れん」
ガイエルが、にやりと笑った。
「聞いたぞリムレオン殿。その戦いでデーモンロードの片目を潰したのは貴公なのだろう? やるではないか」
「僕以外の皆が、デーモンロードを怯ませてくれた……そこへ、一太刀を浴びせただけさ」
リムレオンは俯いた。
あれは、とても誇れるような戦いではなかった。
「貴方の言うように、僕たちは……あの場で、デーモンロードにとどめを刺す事が出来なかった。そのせいで、この国が……」
「おっと、そんなつもりで言ったのではないぞ。気にするな、というのも無理な性格のようだが」
言いつつガイエルが、じっとリムレオンの顔を見つめる。観察されている、とリムレオンは感じた。
「……やはりティアンナに似ているな。従兄妹同士と言うより兄妹のようだ。ふふん、良いところを全て妹に持って行かれた兄貴だな」
「……ダルーハ・ケスナーの叛乱で、ティアンナを助けてくれたのも貴方なのだろう? 僕は何も出来なかった。こんな役立たずな兄が、いるものか」
このガイエル・ケスナーにとっては最終的に、父親を殺す事となった戦いである。
「ダルーハ卿の力は、この身をもって思い知った……貴方は彼を、1対1の戦いで倒したのだろう? 僕は、貴方のようになりたかった。貴方の強さが欲しかった。結果、あんな無様な事になってしまったと言うのに」
俯いたまま、リムレオンは唇を噛んだ。
「僕は……ダルーハ卿の力に、まだ未練がある……どうしようもない愚か者だ、僕は。この場でガイエル殿に、殺されてしまうべきなのかも知れない……」
「未練があるか。まあ気持ちはわかる、何しろ強い男だったからな。他に何も褒めるところが見つからぬ分、力だけは突出していた」
どこか懐かしそうに、ガイエルは言った。
「あの男の力を利用して、貴公はデーモンロードと戦おうとした。目の付け所は悪くない、と俺は思う。が……結果としては、集結した魔法の鎧の方が遥かに役立ったという事だ。リムレオン殿が自力でダルーハを追い出して見せたからこそ、なし得た集結であろう?」
「……そういう事に、なるのだろうか」
「なあリムレオン殿。貴公、俺の強さが欲しいと言ったな。では訊くが、俺が何故、強いと思う?」
「それは……」
17歳になってようやく戦闘の鍛錬を始めた、自分とは違う。幼い頃からダルーハ・ケスナーによって、死ぬほど鍛えられてきたからだろう。
そう思いかけて、リムレオンは気付いた。
自分が仮に幼い頃から鍛錬を重ねていたとしても、人間をやめる事など出来はしないと。
「俺は、生まれながらにして人間ではない。怪物として生まれたのだ。強いのは当たり前で、それは立派な事でも何でもない。人間の身でありながらデーモンロードを倒した貴公らの方が、まあ立派と言えば立派であろうよ」
ガイエルは自分を慰めてくれているのだろうか、とリムレオンは思った。
「人は、生まれを選ぶことは出来ん。生まれてしまった場所で、環境で、力を尽くすしかない」
ガイエルは言った。
「ティアンナの兄君……リムレオン殿にとっては、血の繋がらぬ従兄という事になるのかな。とにかく、その人物の名言だ」
「モートン・カルナヴァート元副王……ディン・ザナード4世陛下」
「今頃は、座りたくもなかった玉座の上で胃痛を抱えているであろうかな……まあ、そういう事だと俺は思うぞ」
言いながらガイエルは、村人たちが普通に畑仕事をしている、その風景に視線を戻した。
眼光が、いくらか剣呑なほどの鋭さを帯びている。
「……話はここまでだ。貴公、魔法の鎧は持って来ているか?」
竜の指輪なら、右手の中指に巻き付いている。
ガイエルがそんな事を確認した理由は、すぐに明らかになった。
「唯一神よ……我らに、罰を……導きを……」
「聖なる……万年平和の、王国へと……」
敬虔なる祈りが、禍々しい響きを帯びて流れる。
不吉な、鈍色の群れが見えた。
量産された粗悪品、とは言え魔法の鎧に身を包んだ兵士の集団が、地から湧き出すように出現し、村人たちに襲いかかる。
殺すつもりか、それとも魔獣人間の材料として拉致するつもりか。
どちらも、させるわけにはいかない。
リムレオンがそう思った時には、ガイエルが動いていた。
「やはり、地ならしが足りなかったか……!」
逃げ惑う村人たちを押しのけるように駆けながら、右掌を眼前に掲げている。指と指の間で、両眼が光を燃やす。
「悪竜転身!」
叫びに合わせて翼が広がり、尻尾がうねる。
赤い大蛇のような、その尻尾が、鈍色の鎧歩兵2、3体をまとめて粉砕した。
遅れを取りつつ、リムレオンも叫ぶ。
「武装……転身!」
勢い良く屈み込み、右拳を地面に叩き付ける。
白く輝く竜の指輪から、光が広がった。
光の紋様が地面に描き出され、白い輝きでリムレオンを包み込む。
少年の頼りない細身が、魔法の鎧をまとう事によって、いくらかは勇壮になった。
その姿で踏み込もうとするリムレオンに、ガイエルが声を投げる。
「ここは俺1人でいい、他へ回れ!」
聖なる戦士たちを、拳で粉砕し、蹴りで裂き潰しながらだ。
タジミ村は、いくつもの村落の集合体である。その領域は広く、様々な場所から攻め入る事が出来る。
ここ以外の場所も今頃、ローエン派の襲撃を受けている可能性がある。
「わ、わかった。この場は任せる!」
リムレオンは駆け出した。
今は、己の非力を嘆いている場合ではない。
自分に出来る事を、するしかない。
副王モートン・カルナヴァートは、それを言いたかったのだろう、とリムレオンは思う事にした。
「そうですか……そのような事が」
タジミ村の中央、議場として使われている広場である。
王母シーリン・カルナヴァートは、妹ティアンナから改めて話を聞き終え、息をついた。
王都ラナンディアへと向かった一行が、いくらか人数を増やしてタジミ村へと帰還したのは、昨日である。
その時、簡潔な説明は受けていたのだが、ティアンナとしても簡潔に語りきれる事ではなかったのだろう。
彼女の従兄で、ダルーハ・ケスナーの亡霊に憑かれていたという少年とは昨日、顔を合わせた。
元サン・ローデル侯リムレオン・エルベット。
自分の罪は万死に値する、どうかバルムガルドの法で裁いていただきたい。彼はそう言って、頭を垂れていたものだ。
あの少年が、ダルーハに憑かれて人外のものと化し、王都ラナンディアを単身占拠していたなど、魔法の鎧の装着者6名の口から出たのでなければ信じられない話であった。
そのラナンディアも、解放された。
ほぼ廃墟と化した王都には現在、信頼の置ける地方領主数名が兵を率いて駐屯し、国王ジオノス3世を迎え入れる準備を整えているという。
「可能な限り速やかに、王都へ御帰還なさるべきかと」
ティアンナが言った。
シーリンは思う。バルムガルド王都ラナンディアへ、帰還するのは誰か。
国王ジオノス3世と、その母親たる自分である。
何故、帰還せねばならないのかと言うと、出奔して来たからだ。
亡き先代国王ジオノス2世が、シーリン・カルナヴァートを擁立し、ヴァスケリア王家に対抗する傀儡政権を樹立せんとした。
シーリンは擁立を拒んで出奔し、夫であるボセロス王子も、それに手を貸してくれた。
結果として、息子フェルディウスを含む親子3人で、王都ラナンディアから落ち延びて行く事となった。
その道中で夫ボセロスは死に、息子フェルディは新国王ジオノス3世となって、今は魔獣人間グリフキマイラの頭上にいる。
獅子、山羊、荒鷲。3つの頭部に囲まれて楽しげにはしゃぎ、周囲にある角やタテガミを弄り回している。
「はっはっは。フェル坊とも久しぶりだよなー、ずいぶん」
国王の乗り物にされたゼノス・ブレギアスが、フェルディよりも楽しそうにしている。
「なあティアンナ姫、それに義姉さん。王都なんて別に、ここでもいいじゃんよ。ここで、みんなで楽しく暮らそうぜー」
「これからはね、いくらか楽しくない事もやらなければならないのよ」
ティアンナが、溜め息混じりに言った。
「政治という、とても楽しくない事をね……まずは、ローエン派の方々とお話をつけなければ」
「俺に任せておけよう。どいつもこいつも綺麗さっぱりブチ殺してくっから」
「……いいから貴方は、しばらく陛下のお守りをしていなさい」
ティアンナが、頭に片手を当てて頭痛をこらえている。
今この議場にいるのは、まずゼノス王子とジオノス3世、シーリンとティアンナ、それに近衛兵の一部隊。
あとは今、話に出て来ている唯一神教ローエン派の関係者3名である。まずマチュア、それにマディック・ラザン司祭と、ラウデン・ゼビル侯爵。
まず言葉を発したのは、マディックだ。
「デーモンロードが倒れた今、ようやく落ち着いて貴方を問い質す事が出来るな。ラウデン・ゼビル侯爵」
「私が何故、ここにいるのか……という事だな」
ラウデンが、口調重く答える。
「アマリア・カストゥールと結託している男が、バルムガルド国内にいる……あの聖なる戦士どもを率いて、この国を火事場泥棒的に奪い取ろうとしているのではないかと。マディック司祭のみならず、皆がそう思っている事であろうな」
「ラウデン侯は最初、俺とシェファを助けてくれた。そして力を合わせ、デーモンロードを倒した。俺は勝手に、貴方を同志だと思っているよ」
言いつつマディックが、右拳を握る。
拳の中指で、竜の指輪が光る。
「だからこそ、何か良からぬ事をしようとしているのなら……この手で、貴方を討ち果たさなければならない」
「その気概ゆえに破門を宣告され、結果としてアマリア・カストゥールから解放されたのだな。貴殿は」
ラウデン侯が、重々しく微笑む。
「紛い物の聖女が、何を考えているのかは知らん。とにかく私が、魔獣人間数名と聖なる戦士どもを率いてこの国を訪れたのはな、ただ滅ぼすためだ。放っておけばバルムガルド王国を喰い尽くしてヴァスケリアに攻め入ってくるであろう魔族と、そして赤き魔人をな」
「貴方が来て下さったおかげで魔法の鎧が揃い、デーモンロードを倒す事が出来ました」
ティアンナが言葉を挟む。
「魔族を、滅ぼしたわけではないにせよ退ける事には、ひとまず成功した今。貴方は、赤き魔人に……ガイエル様に、続いて戦いを挑むのですか」
「あの怪物には……いずれ、この世から消えてもらわねばなりません」
「どうしてですか……!」
マチュアが、悲鳴に近い声を発した。
「あの方が一体どんな悪い事をしたって言うんですか! 人間じゃないからと言って、そんな」
「人間ではないものを、人間の世界に居させてはならないのだよ。聖女殿」
ゼノス・ブレギアスのいる所で、ラウデン侯はこのような事を言う。
ゼノス本人は気にしたふうもなく、フェルディに騎乗されたまま、演武のような踊りを踊っている。
「汝の隣人を愛せ……それが唯一神の教えである事は承知している。隣人として愛し合い信頼し合う、それが出来るのはしかし人間同士でだけだ。怪物どもと、対等に愛し信頼し合う事など出来はしない。何故なら彼らは強過ぎるからだ。その時点で、もはや人間と対等ではないのだよ」
メイフェム・グリムが自分たちを守ってくれたのは、ただ単に哀れであったからだろう。シーリンは、そう思う。人間が小動物を哀れむように、彼女は自分やフェルディを守ってくれたのだ。
そこには、対等な信頼関係など微塵も存在しない。
だがメイフェムは、自分たちを助けてくれた。守ってくれた。その事実が揺らぐ事はないのだ。
慌ただしい足音が聞こえた。
兵士が1人、議場に駆け込んで来たところである。
「ブレン・バイアス隊長より伝令! ローエン派の軍勢が、多方向より侵攻中であります!」
タジミ村は広い。どこからでも攻め入る事が出来る。
「すでにガイエル・ケスナー殿がグルト村にて聖なる戦士の一団を撃滅、そのままシゼル村へと向かわれた由にございます。リムレオン・エルベット殿はユセルフ渓谷にて聖なる戦士の大部隊と遭遇、交戦中との事!」
シェファ・ランティはアルド村、ブレン・バイアスはクレスト村で、それぞれ鎧歩兵の軍勢を食い止めている。報告は、そう続いた。
広大なタジミ村全域を守るためには、魔法の鎧の装着者6名を分散させなければならない。
「姉上……」
「任せるわ、ティアンナ。貴女に、戦闘指揮を」
こういう時、自分に出来る事など何もない。
姉よりも遥かに数多くの死線をくぐり抜けてきた妹に、戦は一任するべきであった。
「ではラウデン・ゼビル侯爵。貴方には、ガラル村方面の守りをお願いしたいのですが」
「……お任せを」
ラウデンは一礼して背を向け、ガラル村へと向かった。
何かを言いたげなマディックに、ティアンナが間髪入れず指示を飛ばす。
「マディック司祭はベルメド村へ。そしてゼノス王子、貴方はタズマ川下流域へと赴きなさい。その近辺の村落、全てを守り抜くように」
「よっしゃ、任されたぜー!」
3つ首の魔獣人間が、喜び勇んで議場から出撃して行く。フェルディを乗せたままだ。
「ちょっと……こら待ちなさい! 陛下を!」
「いいのよ、ティアンナ」
シーリンは言った。
「ゼノス王子の頭上ほど安全な場所はないわ……さあ、貴女も行きなさい。聞いた限りでは、ゼビエル村方面の守りが手薄ではなくて?」
「しかし姉上……それでは、ここの守りが」
「行きなさい、ティアンナ」
シーリンは命じた。
「タジミ村全域……全ての村落から、1人の犠牲者も出さぬように。これは姉として、王母としての命令です」
魔族による暴虐で大いに傷を負った、このバルムガルド王国に今、最も必要なものは何か。
癒しと、救いと、護りである。
「我らはローエン派……平和の使徒である。これはな、この国に平和をもたらすための聖なる事業なのだ。その自覚を持たねばならんぞ、お前たち」
カルツ・ナード司祭は、輿の上から侍祭たちに声をかけた。
輿を担いでいるのは、聖なる戦士4体。それに数名の侍祭たちが徒歩で続く。
輿の周囲を警護しているのは、聖なる戦士の軍勢である。
自分たちも、そして聖女アマリア・カストゥールも、強制はしていない。強権を振るったわけではない。
この者たちは、自らの意思で人間である事を捨て、聖なる鎧を身にまとい、唯一神の教えに殉ずる道を選んだのだ。これほど尊い話はない、とカルツ司祭は思っている。
「噂には聞いておりましたが……山深い地で、ございますな」
侍祭の1人が、息を切らせながら言った。
山林である。
木々はまばらで、今のところは辛うじて輿が通れる。通れぬようになってきたら、聖なる戦士たちに木を切り倒させれば良い。
「バルムガルドの国王が、このような所におられるとは」
「おいたわしい話ではないか。バルムガルドの新国王は、まだ1歳にも満たぬ赤児であらせられると聞く」
赤ん坊の国王を擁立し、この国を私物化せんとしている輩がいる、ともカルツは聞いている。
「これは確たる情報ではないが……失踪したエル・ザナード1世女王がな、密かにバルムガルドへ亡命して新国王の側にあり、専横の限りを尽くしているそうな」
「あの暴虐の女王が……!」
「言わば君側の奸よな。我らローエン派が、聖なる戦士の軍勢をもって排除せねばなるまい。かの女王のみならず、それに与する者ども全てを」
これは戦争ではない。殺戮ではない。神罰の代行だ。
唯一神に仕える者として、当然の務めなのだ。
そのために、この聖なる戦士たちはいる。
「大聖人ローエン・フェルナスの聖なる教えで、我らはこの国を守る……魔族の脅威が去った今、バルムガルドは神の国として生まれ変わり、栄えるのだ」
カルツの言葉に、何者かが応えた。
「ほう……魔族の脅威が去ったとは、初耳だ」
何やら汚らしいものがグシャアッ! と大量に噴き上がった。聖なる戦士たちの軍勢、そのあちこちでだ。
肉か臓物か判然としない有機物の残骸が、鈍色の金属屑と一緒くたになったもの。
そんなものがグシャッ、ぐしゃぐしゃっ、と噴出・飛散する。
聖なる戦士たちが、ことごとく砕け散っていた。
「覚えておくが良い、人間ども。我らは去らぬ、滅びはせぬ」
筋骨たくましい異形の人型が複数、いつの間にか出現していた。
皮膜の翼を背負い、蛇のような尻尾を伸ばし、たくましい両腕で金属製の三又槍を振るう怪物たち。
「貴様たちはな、常に怯え続けるのだ。我らのもたらす脅威と災厄になあ!」
重い唸りを発する三又槍が、聖なる戦士たちをことごとく粉砕してゆく。
唯一神教徒にとって、最も忌むべき怪物たち……悪魔族である。
デーモンと呼ばれる、最も一般的な悪魔で、20年前にヴァスケリアを蹂躙した赤き竜の軍勢においても中核戦力を成していた。
そのデーモンたちが、少なく見積もっても5、6体。
一方、聖なる戦士は数個部隊。10体にも満たぬ敵の一団を、押し包んで皆殺しにするべく槍を、長剣を、戦斧や鎚矛を振るっている。
それら武器が、しかし三又槍の一振りで、片っ端から弾かれていた。
「これしきか、今の唯一神教徒どもの力は!」
禍々しく猛々しく嘲笑いながらデーモンたちが、聖なる戦士の群れを、三又の穂先で切り刻み、金属の長柄で叩き潰す。
「竜の御子や、魔法の鎧の者どもに比べれば! 雑魚と呼ぶのも褒め過ぎよ!」
「貴様らなど、あの者どもに守られておらねば所詮こんなもの!」
デーモンの1体が、三又槍を掲げる。
その動きに合わせて、空中に幾つかの火球が生じ、隕石の如く飛翔・墜落した。
あちこちで爆発の火柱が立ち、聖なる戦士たちが吹っ飛びながら焦げ砕ける。
輿が落下し、カルツの身体は地面に投げ出された。
輿を運んでいた聖なる戦士4体が、侍祭たちもろとも爆風で砕け散っていた。
「ひぃ……っ……」
悲鳴を漏らすカルツに、デーモンの1体が三又槍を突きつける。そして言う。
「ふん……これで良いのだろう? メイフェム・グリムよ」
「こんな事……別に、お前たちに頼んでなど……いないわ……」
いくらか苦しげな、女の声。
近くの木陰に、その女は座り込んでいた。どのような女であるのか、ここからでは、よく見えない。
「余計な事を……!」
「我らがやらねば、貴様がやっていたであろう? このタジミ村に、何やら思いを残している女よ」
デーモンたちが、口々に言う。
「メイフェム・グリム……貴様には、安静にしていてもらわねばならん。つまらぬ運動をさせるわけにはいかんのだ」
「魔獣人間の牝が、魔族の王妃などと! 我らは認めたわけではない……だがな、貴様には魔族の王子を産んでもらわねばならん」
「よりにもよって、ダルーハ・ケスナーの一味である女にだ! 我らのこの無念、貴様にわかるのか!」
怪物どもが意味不明な会話をしている間に、逃げるべきであった。が、身体が動かない。
全身が、笑うように震えている。カルツはしかし無論、笑ってなどいない。
「ゆ……唯一神よ、どうか……お助けを……誰か……」
助けが来てくれた、のかどうかは不明である。
とにかく、声がした。
「唯一神の、お導き……なのでしょうか」
若い娘の声。
ほっそりとした人影が1つ、歩み寄って来る。聖なる戦士たちの残骸を、たおやかな足で踏み越えて来る。
「……いえ、神に押し付ける事は出来ません。私は今から、私の意思で残虐な事をします。ガイエル様よりも、残虐な事をね」
下着のような鎧を細身にまとう、1人の少女。
その姿をカルツは、幾度か遠目に見た事がある。
「え……エル・ザナード1世……!」
ヴァスケリアに戦禍をもたらさんとする、暴虐の女王。
息を呑んだのは、カルツだけではない。
「うぬっ……ヴァスケリアの女王!」
「デーモンロード様の、仇の1人! 生かしてはおかぬぞ!」
デーモンたちが、聖なる戦士の肉片がこびりついた三又槍を振るい構える。
対してエル・ザナード1世女王は、ただ右手を掲げた。
「生かしておけない……それは、こちらの台詞。魔族の王子など、この世に生ませるわけにはいかない」
掲げられた繊手の中指に、赤い光が灯る。
竜が巻き付いたような指輪。それが赤く、激しく、輝き燃える。
「待ったわ……この時を」
女王の青い瞳も、冷たい光を燃やしている。
「私はもう、殿方に汚れ役を押し付けはしない……武装、転身」